220.ワイバーン
ナルン山脈の上空を飛んでいたワイバーンは、日も暮れ距離もあったので黒っぽいシルエットだった。今目前にいる『銀翼のワイバーン』はその名の通り、銀の輝きを持つ。風をはらむ皮膜が震える様は水銀の表面が揺れるようだ。
銀翼のワイバーンが自由に飛べるよう、ボス部屋は大きな針のような岩山と、雷をはらんだ黒っぽい雲が垂れ込めた空という荒涼とした風景。
『地下なのに空がある』
『迷宮の中は、広く見えて動ける範囲は見えない障害で限られるとか、端に行くと反対側の端に出るとか聞くのじゃ』
『海がある場所もあると聞くわ』
ぐふ。さすが迷宮?
このワイバーンには前足がなく、代わりに真っ黒な鉤爪がついた後ろ脚は強靭、攻撃方法は猛禽類のそれに似ている。急降下してくる銀の塊を避け、【跳躍】からの【空翔け】。狙うは羽根の付け根。
「むっ」
ワイバーンがブレスを吐いてきた。ドラゴン――バハムートは例外として、ナルンと比べても遥かに射程も範囲も狭いようだが、近接職には十分脅威だ。ブレスと続けざまに向けられた、よくしなる長い尻尾を後ろに下がって躱し、間髪入れず【縮地】で接近、羽根に一撃。下がったまま『鉄塊の拘束』を入れても良かったか。
体勢が不十分なまま入れた斬撃は、羽根を落とすまでは至らなかったが、飛ぶ力を奪うのには十分だった。落ちてゆくワイバーンを追って、私も急降下する。ひるがえるマント、ひとまとまりになって後方へ流れるか、広がったら広がったでマントにかかった風圧でどうにかなってもおかしくはないのにな、と落ちながらあさっての感想が浮かぶ。【滞空】とワイバーンの地面と激突する風圧を利用しブレーキをかけ、もう片方の翼を切り落とす。落ちたワイバーンに待ち構えていたように、状態異常を入れる白とクズノハ。
『すごいな、もう治りかけている』
最初に一撃を入れた翼の傷がプクプクと泡立ち、塞がっていってる。もう片方の羽根も、本体と離れてなお、うごめいている。くっつけたらくっつきそうだ。
《ソロ初討伐称号【迷宮の攻撃空間】を手に入れました》
《ソロ初討伐報酬『空翔けのブーツ』を手に入れました》
《お知らせします、迷宮天鱗ルート地下40階フロアレアボス『銀翼のワイバーン』がソロ討伐されました》
《銀翼のワイバーンの皮膜×5を手に入れました》
《銀翼のワイバーンの毒牙×5を手に入れました》
《銀翼のワイバーンの大皮×5を手に入れました》
《銀翼のワイバーンの魔石を手に入れました》
《銀翼のワイバーンの鱗×10を手に入れました》
《銀翼のワイバーンの翼×5を手に入れました》
《『銀翼のワイバーンのコート』を手に入れました》
完全回復させないまま倒しきった。強いことは強いが、物理で戦うなら酒呑とかサキュバスとか思考する人型、もしくはわらわら出てくるのを何も考えずに斬り続ける方が好きかもしれない。やばい脳筋になってしまう、気をつけよう。
称号【迷宮の攻撃空間】は迷宮内での攻撃力の上昇。『空翔けのブーツ』は【空翔け】と【空中移動】と空中移動中限定での【運び】効果みたいなもの、空中戦でのダメージボーナスがあるブーツ。ワイバーンのように空を飛ぶ敵と相対する場合、効果的なアイテムだ。他人に譲渡できない装備も、自分のペットや式神には譲渡というか、貸し出しができるので誰かに譲ろう。
ゲーム的には、自分の使えるペットや式神の装備を変えてする強化の一環なんだろうが、酒呑に装備させたら袴にブーツか……。いや、袴の中にブーツではなく、ブーツの中に袴を詰めればありか? 靴じゃ変身したときの足の爪で壊れるだろうか。【意匠具現化】で草履にするべきか。『空翔けの草履』……。
『銀翼のワイバーンのコート』は下手なプレートメイルより物理も魔法防御も高く、カッコよかったので他の人たちがこの階層に出入りするようになったらそっと装備しよう。コートにマントってどうなんだろうと思わんでもないが仕方がない。【天地のマント】は存外器用に装備とマッチするような色と形を取ってくれるし、それに期待しよう。
『近接が主体なのに何故魔法使いの格好なのかしら……』
『こやつはちょっと前まで魔術士やっておったんじゃがな……』
『魔法も威力は高かったみたいだけど……』
なんだか二匹がヒソヒソしてるんだが。
マント鑑定結果【バッサバサですよバッサバサ! カッコイイ!!、という気配がする】
手甲鑑定結果【……うむ】
……マント、空中戦好きなの? 飛べる能力ないよな??
二匹ともちゃんとレベルが上がったようである。ほとんどを走り抜けたおかげで、時間的にはまだ余裕なのでハウスに行くことにする。ハウスの手入れなら途中でシンが来てもすぐ集まれるし、何よりクズノハが男率が高い雑貨屋にいたくないというので、彼女の居場所をつくらねば。
『私は木の家に住みたい』
と、クズノハが言うので、【庭】に日本家屋を建てる事になった。石壁の家は落ち着かないらしい。庭の配置を考えたいし、スキルも不足なので、本格的なものはまだ先の話だ。とりあえず今回は島の内側に向いたゲストルームの壁と床を木製に変え、床の間のように一段上がった場所を作って薄べりを敷いた。
家をつくる代わりに畑の手入れを手伝ってくれるそうだ。レベルに応じた数の眷属を呼び出せるそうなので、将来的に畑が拡張されてもバッチリだ。リデルは果樹の手入れや、干し草を敷いたり家畜の世話は好きなようだが、野菜の方は苦手なようなのでちょうどいい。
「マスター」
「リデル、休んでいていいぞ」
「活動のための休息は足りています」
ホムンクルスは数時間に一度、仮死のような状態になる。春さんやポチたちは昼間に活動するし、遊びに行く雑貨屋も当然夜は休みなため、リデルも夜にその時間を取っている。活動時間が残っていれば、人の気配でその状態が解けてしまうそうで、人のいないこの島で夜を過ごしている。――雑貨屋は人口密度高いのでアウトだった。私が命を出せば、人が多くても休息モードにはなるのだが、今度は私が起こすまで寝たままだ。
「ん、ではお茶を飲んだら生産をするから手伝ってくれ」
白は迷宮から出ると、あくびと共に帰還してしまったし、クズノハも自分の足で移動するつもりはないらしく、さっさと竹筒に戻ってしまっている。今、竹筒は薄べりの上に鎮座している。
台所の暖炉や竃に火を入れるまではせず、ダイニングにあるストーブオーブンを使う。ここをつくった時も寒かったので、各部屋になにかしら暖房設備を付けてあり、全部つけると暑いくらいだ。まあ、夏は夏で、魔道具を設置して暖炉を冷房設備に変えられるのでいいだろう。
シュンシュンと沸いたお湯を少し冷まして、紅茶を入れる。ざっくり生地のジャムタルト、ハートの女王が食べていたんだったか。リデルは味はわからないそうなのだが、白いティーポットや並んだお菓子の形、ガラスの小瓶や銀のカトラリーなどが好きなようで、嬉しそうにはにかんだ笑みを見せる。
道具や小物が好きなのか、本人の希望で地下につくったリデル用の部屋と錬金術の工房には、小遣いで集めているらしく、フラスコやサイフォン、アルコールランプ、たくさんのガラス瓶でいっぱいになっている。全部製作者が別でなかなかすごい。
お茶を終えると、地下の工房へ移動してせっせと生産。基本、生産用の工房は全て地下に配置してあり、地下への入り口は二階をつくった際に階段を設置する予定の場所のそば。一見継ぎ目が見えない床の入り口から地下へ降りると、灰色のレンガサイズの石壁と階段が続き、リデルのスペース。さらに降りると規則的に積み上げられた石壁は消え、アリの巣のように長い通路と無秩序に作られた部屋がある。特に意味などないが、秘密基地風にしてみた。
リデルには倉庫から材料を揃えて出してもらったり、薬用のガラス瓶をつくってもらったりしている。回復薬をつくると、勝手に瓶詰めででてくるので、ガラス瓶は無くても平気なのだが、別途用意したほうが扱いと保存が容易になる。調薬に付随する瓶はやたら割れやすいのだ。
そして【ガラス工】がなくても錬金術で瓶をつくれたというオチからは全力で目をそらしている現在。【ガラス工】の方は花瓶とかステンドグラスとか作れるようになるみたいだしな! 作る予定は無いが、またスキル取得上限にかかるまではそのままで。
せっせとつくって、リデルが並べてくれた瓶に詰める。私が詰めている間に、リデルが材料を出すという流れ作業。材料もあるし、ランクの高いものも生産できるのだが、今のところ需要がないのでそっちはレベル上げのためにつくるくらいだ。販売用のHPMPの各回復薬は需要の一番多い物と、それよりちょっと良い薬。そして明日やってくる第二陣用の低ランクな薬各種。
つくった物の雑貨屋への移動はリデルに頼む。アイテムの移動にも、生産材料の取り出しにも便利なので、容量の大きな『ヘビ皮の袋』はリデルに渡した。見た目は抜かりなく、もともとリデルが選んで持っていた可愛らしいポーチに変えている。ペテロの『A.L.I.C.E』と一体化することを考えたら、リデルの戦闘スキルも伸ばしておくべきなんだろうか?
【魔物替え】のレベルが落ちないように、立て続けに何度か発動させる。これは時間のあるときに真面目にやろう。一匹成功して放置したら、きっと周囲の強い魔物に倒されて姿が見えないオチが待っている。周囲の魔物に倒されないくらいまで到達したいところ。
自分のハウスでやることを済ませ、リデルにおやすみを伝えて自分の部屋で寝る。本格的なログアウトは庭で行うが、休憩のためのログアウトは部屋でも大丈夫。【封印】と【結界】のレベルをさっさと上げて普通に宿屋で寝られるようになりたい。
現実世界でお茶を飲み、みかんを食べて再びログイン。一時代は錠剤やゼリーのサプリメントの食事が流行ったそうだが、平均寿命が短くなる全体的な結果と、少なくない数のサプリメントで栄養を吸収できない人が出て、あっという間に食は元に戻った。もっとも日本以外は一日一食を料理で、他はサプリメントという食生活が根付いている国が多い。
「こんばんは」
「おかえり〜」
クランハウスに行くと、お茶漬がソファでゴロゴロしていた。珍しいと思ったら、ゴロゴロしていると見せかけて持ち物整理中で、要らない物をリビングにあるクラン用のチェストに詰めていた。お茶漬にはゴミでも、生産レベルの低いレオやシンには必要な物だったりするのだ。
リビングの他のソファに転がっている炎王・ギルヴァイツア・クルルが気になるが、私もストレージに詰め込みまくっているので、整理がてら使わない物をチェストという名の共有倉庫に詰め込むことにする。
「そういえばお茶漬、火と水の属性石が住人に渡らなくって不満がでてる話って知ってるか?」
ストレージの前にアイテムポーチの整理を始めながらお茶漬に聞く。
「ああ、掲示板でちらほら出てる。何人か売値抑えるのに買取価格下げたんだけど、普通に買取額が高い方に流れて終了したね」
「なんかこのゲーム住人との間に火種が多いな」
そしてアイテムの量も多い。ソートもできるのだが、私が薬と錬金を両方やるせいで、薬士を選んでソートしても錬金術士を選んでソートしても、素材の使い勝手が悪い。ついでに戦闘で使うアイテムも、わかりやすいところに持って来ねば。整理整頓すでに挫折しそうだ。
「解決したいところだけど、属性石は今一番生産で使うから難しいね。レベル上げのためにつくってるから武器防具も供給過多だし、生産者の資金切れで下がるとは思うんだけどね。第二陣向けの低ランクなのはそんなに石使わないし、そっち生産してるうちに、戦闘職が属性石たくさん供給できるようになるのが理想」
お茶漬の話に納得しつつ、難しいことは詳しい人に任せようと思って終了する私。
「やあやあ、おはよう」
寝転がったまま急に私の後ろに声をかけるお茶漬。振り返ると泊まっていた炎王たちが起きだしていた。待ち合わせてログインしたらしく、ほぼ三人一緒だ。
「こんばんは」
「ああ、こんばんは」
「こんばんわんにゃん」
「こんばんは」
私も声をかけると、それぞれ挨拶しながら身なりを整え毛布をたたんでいる。ギルヴァイツアの毛布があげられ、見えるようになったソファの下に黒焼きがいてちょっとびっくりした。ギルヴァイツアはもっとびっくりしていたが。
どうやら同じ時間を目安にしていたらしく、ペテロとレオもクランハウスに戻り、シンもログインして一気に人口密度が上がった。
「そういえば聞きたいことがあったんだ」
このメンツを見てガラハドたちに聞かれたことを思い出し、炎王たちがこちらを見たのを確認して質問をする。
「モンスターハウスが開いた時、アキラくんのパーティーに金髪いたか?」
「いたな。女の隣に」
「そういえばなんか上品そうな子がいたわねぇ」
「王子様みたいなのにゃ」
「僕のことですか? 髪は赤・オレンジ・黒・金がいたね」
炎王が答えると、次々に金髪の存在を肯定してゆく。
「なんか微妙に笑ってるみたいで、キレイだけど気持ち悪いのいたな」
最後にシンも金髪の存在を認める。
まさかの私以外が覚えている結果。
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・増・
称号
【迷宮の攻撃空間】
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