217.庭の樹
『またそなたか』
「いきなりクリアだな」
『一千年に一つ、二つ、魄が堕ちてくることもないではないが、眠ったまま幾度も迷うとは珍しい』
「そちらを見ようとしても目が開かん。あなたは何者だ?」
この声が聞こえるのは、ログアウトを選んで異世界から意識が切り離される数秒の間。男か女か、若いか老いているのか、間延びしているような早口のような、印象の定まらない声。
『儘ならぬ。カタチあるものよ疾く去れ。我に余計なココロを持たせるな。ここにはカタチもココロもいらぬ』
と、言うところでログアウト完了。現実世界のベッドで目覚める。
どうやら、こちらからは見えないが、あちらには見えているようだ。かわりにこちらの声は聞こえていない――その前に眠った自分が、声を発していたかどうかあやしい。声が明瞭になったのは職業のせいだろうか。
それにしてもあれか、次回はプラカード抱えて寝るか。いや、漫画でよくあるように素っ裸の発光体とかで向こうに行ってるかもしれん。その場合、顔に直接書いておく最終手段も効かない。
ヒントを集めない限り、肝心なことは聞けない気配。
バイザーを外して、起き上がる。ベッドで横になってゲームをするせいで、まんま夢から覚めたような気分だ。また続きを見ることが約束された夢、友人たちと共有出来る夢の世界。――体調が悪いとログインできなくなる仕様なので風邪をひかんよう気をつけねば。
☆ ☆ ☆ ☆
《『濃淡の真円』を取得しました》
ログインすると、再び怪しいもの取得。装備品ではなくアイテム、そばにあるものの色を映し、それでいて見るたびに色の濃さを変える不思議な球形の宝石。相変わらず効果は謎。アナウンスとともにどこからか手の中に落ちてきたソレを、ストレージにしまうかと意識した途端、『有無の手甲』が手に現れ、中に吸い込まれた。
ちょっと待て。アイテムのくせにまた仕舞えない系なのか!? 慌てて消えていった右手、『有無の手甲』に最初からある宝石を見る。手の甲を半分近く隠す宝石は青色のままだが、透明に近い青から黒に近い青へ、また透明に近い青へと色の濃さを変える。元の色を思い浮かべれば、宝石はいつもの青で固定された。その意味はわからんが、どうやら私の意志で濃淡を変えることも可能のようだ。
マント鑑定結果【マントにも欲しい、という気配がする】
手甲鑑定結果【……うむ】
……手甲強化アイテムだったのか? 謎すぎる。とりあえず、みんなが来るまで、迷宮に実験がてら潜ろうか。その前にちょっと早めに入れたおかげで、こちらはまだ夕方、露店を冷やかす時間ぐらいはあるかな?
ファストの南西にある以前テントを購入した、雑多なものを扱う露店の集まる場所。ちょっと先にスラムがあったが、崩壊しかけた建物は壊され、神殿とギルド、領主とが建てた難民や貧困層用の建物が何棟か建てられ、異邦人への貸し出し用の建物が露店街との間に設けられている。
微妙に治安の悪くなる要素と一般市民の区画との緩衝に使われている気配だが、ゲーム的には、プレイヤーが雇えるNPCの住まいが隣にある感じだ。露店はもちろん店舗に従業員用の部屋を用意しないで済む。
新しく拡張した区画の近くに神殿の支部もできており、神殿から飛べるプレートが設置されているため、結構便利だそうだ。どんどん新しい建物が建ってきている。建てるためには三匹のオークのドロップアイテムが必要だ。と、いうことは迷宮の攻略者が増えているということ。属性石集めにいい感じだったのだが、烈火に遭遇したことだし、もう少し奥に潜れるようにならんと、鬱陶しいことになりそうだ。
調理器具から何に使うかわからん雑貨まで、住人の露店を見て回るのは楽しい。何軒かの店はそぞろ歩いている間に、日よけの布を取り払って店じまいをし始めている。食べ物の露店街といい、足元は黄土色の土に埋もれかけている申し訳程度の石畳、日よけというより埃除けの布なんだろうか。
「隠蔽陣を二十枚、いや二十四枚もらえるか?」
せっかく来たので、菊姫に布団に仕立ててもらうべく購入。いつかこの陣を書けるようになりたいところだが、魔法陣系とは少々違う様子。露店で販売しているということは、そう珍しいスキルではないと思うのだが。
「おお、いつかのニイちゃんか。役に立ったかい? 何枚もあっても意味がないが大丈夫かい?」
「大丈夫。聞いていいかわからんが、隠蔽陣ってどうやって作るんだ?」
「ああ、結界術と魔法陣持ちの染色屋がいるんだよ。どっちも大した腕じゃなくても済む、大した腕の奴らは装備品に効果の高い模様を入れて儲けてるな」
そういえば、服に能力アップの刺繍を入れてくれる異邦人の店があったな。話しながら、畳まれた隠蔽陣を数え、積み上げる店主。代金を払い、積み上げられた隠蔽陣をストレージにしまう。
「そういえば、ここんところ火の属性石が品不足で値上がって、ランプが使えなくなりそうだ。だいぶこっちに馴染んでるけどアンタも異邦人だよな? 住人と揉め事になる前に買い占めは控えてくれってお仲間に伝えてくれないかな?」
「ランプ?」
聞けば、いつか冒険用に買ったランプと同じく、火の属性石に魔石を組み合わせて使われるそうだ。火の属性石は灯芯、魔石は燃料といったところか。余談だが、お高いランプは光の属性石仕様だそうだ。
現在魔石は供給過剰なくらいだそうだが、属性石が手に入れづらく、ランプに限らず属性石を組み込むタイプの魔道具が使えなくなりそうな勢いだとか。属性石の劣化は緩やかなため、今は問題が表面化していない。
住人と異邦人との火種って結構あちこちにありそうで怖いと思いつつ、買い控えるよう伝えると約束し露店を後にする。掲示板に書き込むのがいいのだろうが、どこに書き込むのか見当がつかないので、お茶漬にでも相談してからにしよう。
【雑貨屋】での属性石の買取も少し考えたほうがいいかな? みんなと相談して改善策を検討するか。そう思って、【雑貨屋】の転移プレートに出た途端、ガブッとされました。
「ちょっ! ドメスティック・バイオレンス反対!」
踝辺りに無言で噛み付いてきた黒に訴える。いや、ここ家庭じゃないけど!
「主!?」
夜に差し掛かるような時間のため、店じまいは完了しているのだろう、ノエルが部屋から飛び出てきた。
「主に噛み付くなんて……。その黒いの、剥製にする」
同じく部屋から出てきたラピスが不穏。
「ラピス、主がそばにいることを許しているモノです」
いつの間にかそばに来たカルが、柔らかな声でラピスを諌めつつ、黒を持ち上げる。カルさんや、どうやって外したの? そして持ち上げられている黒が、なんか口を開けたまま固まってる風なんだが、何かツボでも押してるの?
「すぐ暴力行為に出るというのは、相手に伝える語彙が不足しているからと聞きます。ホムラに何か伝えたいことがあるのではないですか?」
レーノも登場。とりあえずカルから黒を解放すると、すぐさま懐に入ってきた。そして、胸元から顔を出し、カルに向かってシャーシャー言っている。
「はいはい、威嚇しない、威嚇しない」
頬の辺りをかしかしとかいてやって落ち着かせると、ぷんすかしながら腹の辺りに潜り込んで納まる黒。
「主、ラピスも動物になりたい」
抱きついてきたラピスの頭を撫でると、ぐりぐりと頬をすり寄せてくる。反対側では遠慮がちにくっついてきたノエルを撫でる。
「私は二人に雑貨屋を任せて助かっているし、成長が見られる今の方が嬉しいな」
ラピスの黒髪はさらさらだが毛の量が多く、ノエルのラベンダー色が少し混じったような白い髪は、絹糸のような少ししっとりしたような手触り。二人とも将来の美男美女の卵だ。狭い廊下で話しているのもなんなので、二人を片手に一人ずつ抱き上げて、酒屋にあるリビングに移動する。
「ちょっと待て。耳の後ろをふんふん嗅ぐのは止めてください。危ない、危ないから!」
くすぐったくて落としそうなんだが!! カル、扉を開けてくれる前に、この二人を引っぺがしてくれないか! 犬猫じゃないのでそこに臭腺は無いぞ! いや、耳、後頭部、背骨に沿った背筋近辺が人間も臭うんだったか。ソファに二人を投げ出して事なきを得て一安心。
「とうさま」
「とうさま禁止」
リデルがパタパタと駆けてきて、こちらを見上げて、はにかんだ笑顔を見せる。リボンをカチューシャのように結んでいるので、それを避けて後頭部を撫でる。サラサラで柔らかい。
「おう、帰ったのか」
ガラハドたちも顔を出し、全員が揃ったところでカルが紅茶を入れてくれた。
「忘れないうちに相談したいんだが、属性石が住人に回るよう、買値か、買取数を落としたいのだがどうだろう? 他の異邦人が買ってしまうだけな気がするし、他に良い方法があるか?」
「ああ、値上がったまま戻らねーみたいだな」
ガラハドがビスケットを口に放り込みながら言う。
「さすがにこれ以上、上がる事はないと思うのだが、無いものは買えないからな」
これ以上になったら、生産職がつくったものより下手すると材料の属性石のほうが高くなってしまう。だが、そのギリギリいっぱいまでの値がついた状態でも、売りに出ていればすぐに買われるのが現状だ。残っているのは、ギリギリのラインを超えたお高いものだけ。幸いうちはお客がアイテムを買って行くついでに、属性石を売っていってくれているため、困っていない。
「むしろ今まで通り買い取って、酒屋側で住人限定で販売したほうが良いかもしれませんね」
「ホムラの予想は外れないよ。一部で買い控えても、他の大多数は好きに値をつけるだろうし、買うと思う。ランスロット様の言われる通り、今までのように買い取って、住人に流したほうがいいんじゃないかな?」
イーグルが紅茶を片手に言う。コーヒー党だらけなのに、付き合わせてすまんな。
「そのうち商業ギルドが動くかもしれないわね。それまで買い取った値段で売るとして、火と水は困るんじゃないかしら?」
「火と水?」
「火と水の属性石は、ランプだったり水瓶だったり一般庶民の生活に根付いてるのよ。他の属性石を使うようなのは贅沢品が多いし、多少高くなったところでそう困らないと思うけど」
カミラが説明してくれる。贅沢品は高くなっても、それを買える事がステータスだと思うような層なので問題ないが、生活に根付いてるほうはアウトだ。
「火と水は買値より安く供給しようか。儲けさせてもらってるし」
あとはエカテリーナがクリアしたという、迷宮の炎の巨人ルートに行けば火の属性石が取れる気がする。同じレベルの階層に他の属性のルートが揃っている気もするので、ちょっと迷宮の攻略を真面目にしようか。
「主、ガラハドとイーグルに『火華果山』に通わせます。火の属性石のほうは当面問題ないかと」
春の陽だまりの笑顔だが、言っていることがなかなかハードな気がする。名前の挙がったガラハドとイーグルを見れば引きつった顔をしている。
「今度は私も行くから」
カミラが言う。
「フェニックスをやらずに済ますならアリ、か? 行く時は私も行くが、属性石のためだけに行くというのも、いつまで続くことかわからんし、もっと切羽詰まってきてからでいいんじゃ?」
「別件です。近いうちに『火華果実』が大量に必要になるかもしれず、その準備に」
確実にフェニックス付きじゃないか!
「まあ、レベルも上がったし」
「【断罪の剣】が使えるようになるまでは、ボスには近づかないよ」
「二人の装備ほどじゃないけど、私も【炎耐性】があるし、がんばるわ」
安全確実ではないけれど、なんとかなる感じなのだろうか。カルによるスパルタの気配。
「『蘇生薬』も持たせていますし、さすがに二度死ぬことはないでしょう。主を煩わせることはありません」
カルが安心しろと言うが、それはフェニックスとの戦闘中、一回は死ぬことが確定しているという意味だろうか。聞けば聞くほど、生きて戻れはするけど苦労はする! みたいなこう……。まあ、生きて戻れるならいいか。
「僕も暇な時は、水の属性石を集めますよ。自分の属性を戻すためにも水と関わりのある場所に行きますし。そのついでに」
レーノも協力を申し出てくれた。レーノは大勢いると、観察する側に回って、会話に加わることは少なめなのだが、ちゃんと聞いていてくれる。
「ありがとう。ちゃんと買い取るから無理をしない程度によろしく頼む」
お礼に今日の夕食は腕によりをかけて、デザートも一品増やそう。
「そういえばホムラ、パルミナダンジョンでパーシバルたちと会ってるよな? 一緒に金髪の男はいなかったか?」
「金髪? いや、いなかったと思うぞ」
「そうか……」
答えると、聞いてきたガラハドが、眉間にしわを寄せて考え込む。
「なんだ?」
「ガウェイン卿、あの時、私たちと一緒にいた黒い鎧の騎士が、パーシバルたちと旧主の息子が行動していると言っていたのです」
「遠慮なんかせずに、水ぶっかけときゃもう少し話がはっきりしたのによ」
アーサー王に息子なんかいたっけ、と思いつつ、会ってすぐ水をぶっかけるなり、神殿に連れ込むなりしなかったのは、その王の息子とやらに遠慮したためかと合点する。
カルは私に仕えることに決め、ガラハドたちもあまり組織にいる人間の匂いがしなかったので気にしていなかったが、騎士には仕えている主がいる。ガウェインにしてみれば強硬手段に出づらかったのだろう。
「一緒に行動しているとはいっても、戦闘には参加してねぇのかもな」
「あの時はかなり慌てていたし、一緒にいた他のメンツにも見ていないか聞いておくよ」
はっきり思い出すのは、プレートに乗って、なんでもないような顔をしたアキラと、切羽詰まった感じの炎王の顔の対比。そして開いてゆく壁。金髪を見た記憶はないが、慌てていたのではっきり居なかったという自信はない。
お茶漬は夕食か風呂か、今はいないし、他のメンツが上がってくる時間ももう少し先。それまでは迷宮のルート開拓とゆこう。




