206.転移門
クズノハのいた場所に、鎮座している七尾の狐。白峯だった、漂う霧。
「まさか、九尾を手懐ける者がいようとは」
「ふふ、さすがぬしさま」
小次郎が頭を振りながら言えば、紅葉が笑顔で言う。
「むしろ、一緒に茶を喫しておられた方のほうが気になりますが……」
「こまけーことはいいんだよ! 勝った! 勝った!」
「馬鹿力で、背中を叩かないでください」
紅梅はルシャが気になる様子。
「それにしても、復活するまでしばし時が必要のよう……」
辺りを見回し紅葉がつぶやく。
「復活後手に入るであろう白峯様の手形は、埋まり具合からいって、酒呑の『閻魔帳』へお願いします」
「さらっと押し付けんじゃねーよ!」
相変わらず複雑な式事情。やはり倒すと手形がもらえてしまうのだろうか。ここの前座ボスなような気がするのだが。全員もらえる系なのか? クズノハの【傾国】を長い間受けてきた白峯が、簡単に正気にもどるとも思えん。厄介な気がするが、そこから縁を確かにするか、切らしてしまうかは本人次第ということか。
ところで七尾が気になるのだが、狐姿のもふもふは我関せずと黙して大きな反応もなく、クズノハが寝そべっていた布団に伏せている。尻尾が減るのかと思ったがそんなことはなかった。ピンと立てた耳がこちらを向いて時々ピクピクと動く。耳の先が黒いのもまたいい。
クズノハに渡されたペット用の装身具は竹筒だった。管狐ですか、そうですか。尻尾が二本になったクズノハは、スキルが制御できるようになった代わりに、ヒト型で居られる時間が短くなった、らしい。妖としての本性が狐なのだろう。
「普通とは言わないけど、ヒトとして生活できると思ったのに……。でもまあ、気楽ね」
ちょっと残念そうに言って、竹筒の中に消えていったクズノハ。レベルが上がれば尻尾が増える、が、レベルが上がったら人型になってしまう。悩ましい。
「ぬしさま、お返しを」
紅葉が桶を返してくる。
「いざという時のために、嫌でなければ持っていてくれ。掛ければ多少、浄化や祓いの効果がある」
「ホムラ様、【傾国】が効かなかったのは何故だか伺っても?」
紅梅が問いかけるようにこちらを見てくる。
「【傾国】で相殺しただけだ」
今は封印してますよ。七尾も狐型だし。
「……」
笏の先で額を押さえる紅梅。
「では、ぬしさまが芙蓉宮に参られる際、式に【傾国】が効くか問われたは、九尾のことでなく、ぬしさまのこと……」
「我が主人は多彩だな」
「ってことはなんだ? 俺、ホムラの【傾国】にかかってんの?」
「男が何を言いおる」
紅葉の言葉に、同性にもかかる疑惑があると、酒呑をフォローしようとしたが、まあいいか。
「クズノハに会った時まで封印してたし大丈夫だろう」
漏れてないよな?
「いい匂いがしましたわ。クズノハからもぬしさまからも。私はぬしさまの匂いのほうが好ましい……」
胸に手を、肩口に頬を寄せてくる紅葉。
「紅葉もいい香りがするな」
紅葉だけでなく紅梅もいい匂いがする。服に香を焚き染めているのだろう。
「ああ、確かにあの時、いい匂いがしたな」
くんくんと反対の肩口から嗅いでくる酒呑。犬か。
「まだ匂うのかね」
参加しないでください小次郎さん。
「ホムラ様がお困りです。解散してください」
パンパンと笏で手のひらを叩いて、解散を促す紅梅。
「ホムラ様、入り口は開かないようです。出口はおそらく別に」
酒呑が入ってきた板戸に足と手をかけて、「ふんぬーっ」と唸っているのを背に、しれっと紅梅が報告してくる。
「ふむ、ボスがいた場所に、外への転移装置が出現するのがお約束だな」
小次郎が戸に向かって、必殺技的なもののタメに入ったのをスルーして、御簾の奥に向かう。すごい音がしているが、戦闘中も演出なのか柱が四本折れただけで、床も天井もピカピカなので、壊せないオブジェクトなのだろう。
クズノハがいた部屋、七尾の狐が横たわる場所を見る。ボス戦を終えたせいか、私たちへの反応はあまりない。チラチラとこちらを気にしているようだが、同じポーズのまま動かず、無関心を装っている。イベントを終えた後は、同じ事しか話さないキャラみたいな何か。
「ちょっと失礼しますよ」
七尾さんを持ち上げてみるテスト。何もない、ふかふかの布団だけのようだ。
「何もないな」
迷惑そうな顔をしながらも無言でポーズ維持をしている七尾。このまましれっと持ち帰ってもいいですか? なかなかのもふもふです。
「ぬしさま、こちらの壁に」
部屋の壁に、芙蓉宮らしく睡蓮の模様。芙蓉は睡蓮の古い呼び名だ。近づくと薄く光るが特に転移の発動はない。
「ホムラ様、元の場所に置いてらっしゃい。ご迷惑ですよ」
「む……」
やっぱり連れていったらダメか。紅梅に注意をされて、すごすごと七尾を元いた場所に戻しに行く。布団の上に戻すと、ちょっとホッとした顔をされた。無理強いは良くないし、おとなしく諦めることにする。さようなら七尾さん、時々もふりに来ていいですか?
ついでに酒呑と小次郎の二人に声をかけ、壁の前に立つ。今度は転移が発動し、宮の前、左近の桜と右近の橘の間に飛ばされた。
「明るいな」
「月が……」
怪訝そうな酒呑の言葉に、紅葉が扇で天を指す。
来た時には見えなかった月が煌々と照っている。鬼たちを封じる要石。
「ほう、月が戻りましたか」
それぞれが月を見上げる。
「……近いうちにここへ、異邦人たちが押しかけるだろう。正義と信じて攻撃する者も、乱暴で身勝手な願いで鬼たちを蹂躙する者も、確かな縁を結びたがる者も一緒くたに来る。芙蓉の結界を強めた私が言うのもなんだが、気をつけろ」
もともとそのつもりで来て、目的を果たしたのだから謝らない。謝らないが、少々後ろめたくはある。できれば良い異邦人に恵まれてほしい。
「ホムラ様、我らは主人に恵まれ望外の自由を得ました。鬼は、他の鬼などどうでもいいのですよ」
紅梅が私を哀れむように優しく言う。
「うむ。どうやらこの国の封印自体が、なくなる日が近いらしい」
「神の封印がなくなる時が来るなんて、思ってもみなかったな」
「ふふ。先の楽しみが知れてよい心持ち……」
笑いあう式たちを背後に、月に向かって飛ぶ。
ズボッとね。
「ただいま」
「ホムラ!」
「無事なの!?」
ずいぶん長いこと芙蓉に行っていた気がするのだが、どうやらダンジョン扱いで時の流れが違ったようだ。現実時間を表示する時計はそんなに進んでおらず、戻った部屋にも、右近の側に天音と左近がいた。
「急に結界の圧が下がったよ。君は何をしてきたんだい?」
あわあわと慌て気味な左近と天音と違い、冷静な右近。
「中に行く前に、言った通りに。……と言いたいところだが、九尾を倒してはこなかった。まあ石は下がったようだし良いとしてくれ」
今ポッケにいます。
「黒はどこだ?」
きょろきょろと辺りを見回すが、姿が……。いた!
全員の視線が、部屋の隅に集まる。
「ギ……」
薄暗い部屋の中でも燭台の明かりが届かない、真っ暗な部屋の隅で気配がする。
「フリだしに戻った!?」
がーん。嫌々ながらもブラッシングを上半身はさせてくれるようになってたのに!
「ほら、黒、黒。おやつ、おやつ」
チーズ味のスティックパイを見せて、黒の目線に合わせ低い位置で振ってみせる。
「……」
そっぽを向かれた気配! もっと匂いの強いものがいいか?
「こう……。ここは僕との感動の何かじゃないのかな?」
うな丼を出して、匂いが黒の方に行くようにあおいでいたら、右近が呆れた声をかけてきた。
「おかげでこの冷たい石の上に座るのは、一日のうち数刻で良くなったよ。敷地内であれば外にさえ出られるくらいだ。――ありがとう」
「私からもお礼を。右近と会えなくなるところだった」
「私からもよ。私は天音、名付けの意味の通り、右近さまに天の元の出来事を伝える唯一の者になるところだったわ。ありがとう」
「いや、遅かれ早かれ九尾の元には行ったと思うし、気にするな」
「さて君に何で報いよう」
にっこりと笑いかけてくる右近。
黒へのとりなしを頼んではダメだろうか。――ダメっぽい圧力が天音からひしひしと。
「君に大社の本殿への立ち入りの許可を。扶桑の転移門が使えるよ」
「右近様、長老にも図らずよろしいので」
「いいじゃない。だってホムラは右近様だけじゃなく、扶桑を救ったんだもの」
「そう。それにいざとなったら、あのジジイには雷公が暴れるって脅しとけばいいのさ」
いいのかそれで。
《芙蓉宮をクリアしました。以降、扶桑の各所の転移門が解放できます》
おお、これは嬉しい。移動が楽になる。
「ありがとう」
温泉を探さねば! 家にも欲しいな、温泉。
「ところでその、うな丼をいただけないだろうか。この部屋に入る前から、要となるため精進潔斎していてね。ちょっとこの匂いは我慢がきかない」
右近が丼をちらちらと気にする。
「結界は平気なのか?」
「もう気合を入れなくてはならないほど切羽詰まってないよ。大丈夫」
そういうわけで人数分、うな丼と吸い物、お漬物を出す。
結界の要でうな丼食べてるとは、ここへ案内してきた巫女さんとか考えてないだろうな。
香ばしく身がふっくらとしたうなぎ。タレは秘伝の〜とかはないので、うなぎの頭を焼いてダシをとって仕上げた。ラーメンとカレー、うなぎの匂いは破壊力が高い。ただ、うなぎはゴムのような歯ごたえの、勘弁していただきたいモノも存在する。
「おいしい……」
「本当に。右近様の解放と相まって、忘れられない味になりそうです」
「タレも濃すぎず薄すぎず。タレだけ絡んだご飯もおいしい」
「巫女姿で、うな重ならともかくうな丼を食べているのはなかなかシュールだな」
などとみんなでうなぎに舌鼓を打っていると、黒が寄ってきた。うなぎを乗せたご飯をちょっと差し出すともぐもぐと食べた。のっそりと膝に乗ってくる黒。どうやら少し機嫌が戻った様子。
「お前、他の獣の匂いがする。白いやつでも騎獣のでもない」
「ああ、クズノハの匂いじゃないか? 私には匂わんが」
黒に給餌――給仕をしながら答える。
「む、封印の獣とやらはこんなに移香がするほど、臭いが濃いのか」
「私に移ったというより、ポケットにクズノハがいるからじゃないのか?」
「……」
沈黙が落ちた。