193.道中異常なし
明るくなった部屋で『閻魔帳』を見ると、紅梅と紅葉の手形がある面の裏側に、びっしり小鬼の手形があって、うをぅっ! となった清々しい朝。なかなかのホラーです、おはようございます。名もなき鬼どもはどうやら一匹一項でさえなく、適当に裏側に、らしい。
紅梅以外は、手形だけで署名は無しだと思っていたら、名前が入っていた。鬼の署名に"書く"という行為は必須ではないようだ。
幸いなことに天音に抜け出したことはバレてはおらず、「異邦人の眠りの話は聞いていたけど、気配というか存在感も薄くなるのね」と。確かにログアウト中のペテロは、マップにも表示されず、気配がないとは言わんが、不思議な感じだ。私は単に部屋にいなかっただけだが。
宿屋の朝食はシンプルに、ごはん、味噌汁、ぴりからこんにゃく、おひたし、焼き鮭、漬物三種、海苔。熱い緑茶。とても馴染み深いメニューだが、箱足膳に乗っている。とりあえず座布団が配置されているので、「は? 武士に座布団? 馬鹿じゃないのか」系世界観ではないらしい。
江戸時代、武士は座布団を敷かなかったそうで……。痔主も多く、ついでに痔主の届け出を出すと、駕籠で江戸城内に乗り付けできるようになるので、持っていない人もたくさん届け出を出していたそうな。遠山の金さんも出していたそうだが、果たして本当に痔だったのか。いや、朝っぱらから考えることじゃないな。まあ、このぶんなら江戸時代はこうだった! とか言って、蕎麦がグズグズに柔らかいこともあるまい。既婚女性のお歯黒もないようだし、月代も少数派だ。
「海苔と茶はどこで手に入るんだろうか」
海苔はすぐに湿気ってしまうので、アイテムポーチでの状態保存が完璧な、異邦人に作って売り出して欲しいところ。私の島で海苔は取れるだろうか? 海苔も養殖できるはずだし、種を手に入れたい。生態系はこの際考えない、海竜スーンが来るようになった時点ですでに手遅れだろう。
「江都にもいろいろ集まるけど、食べ物に限ったら左海の港かしら? 反対方向だけどね」
鮭の皮を箸の先で器用にむきながら天音が言う。できることなら、塩鮭の皮をはがして、もう一度トースターで焼いてパリパリかじりたい。行儀が悪いと言われそうなので、今回は皿の隅に寄せてあるが。
「加工されたものより、現地を回って素材を手に入れるのだろう? 江都についたら僕の知人たちに、各領への紹介状をもらってあげるよ。急がば回れ、だ」
「だったら私が……」
「いや、西家本家嫡男の書状なぞ出してみろ、場所によっては疑われて、真偽の判別がつくまで軟禁されかねないよ」
左近の申し出を右近が却下する。軟禁フラグは私も遠慮する。
「まあ、普通は使わないにしても、いざという時のためにあるといいかもしれないね。僕も一通は書いておこうか」
話を聞いていると、右近の身分がこう、最上位に近いんじゃなかろうかと思えてくる。
「ホムラ、頼みがあるんだが」
「なんだ?」
ルバからの頼みなんて珍しい。
「コーヒーをくれ」
……。くっ! 紅茶派はおらんのか!!! 少数派すぎないか!? クラウ! クラウに会いたい!! いや、まて。落ち着け私。和食だし、私もここは紅茶ではなく緑茶だ。
ペテロを置いて宿を出、街道を進む。右近たちは完全にこちらの服にシフトしたらしく、袴に足袋、草鞋履きだ。草鞋は防御力は低めだが、素早さと器用さがついていて、ああ、ゲームだなぁと変なところで感心する。足袋と袴って、チラチラ見える足の肌色が色っぽいと思うのは私だけか。
「天気いいわね〜、寒いけど気持ちいいわ」
旅は順調だ。途中私が山芋掘りのじーさんについてゆき、別行動をとったりしたが順調だ。山芋は半分種芋にして島に植えよう。街道から外れて山に入った途端、魔物が襲ってきたのだが、ナタの一振りで仕留めたじーさん、強い。そこの山の中でだけ、能力が跳ね上がる山の神の守護持ちだった。加護から寵愛まで差があるものの、里山で暮らす住民たちには、けっこう一般的な称号らしい。
「あ、ナメコまだ生えてるのか」
ブナの立木に茶色い物体。
「ちょっと、人が旅の清々しさを満喫してる時に」
天音から苦情が来たが、つい食材採取に走ってしまう。本当は街道から外れたほうが、ランクの高いものが取れるのだろう、と思いつつも真面目に街道を歩いているのだから許してほしい。沢を見つけて扶桑紅沢蟹を天音と左近に取ってもらったりもしているので、迷惑をかけていないとは言い切れないのだが。
現在の他の収穫物は、菊芋、扶桑冬茸、扶桑山葵。山葵は沢蟹のところでゲット! 欲しかったものの一つなので嬉しい。
葛のツタで作られた峡谷にかかった吊り橋。ざあざあと流れる橋板の隙間から見え放題な、岩に当たって割れる白い川。山道の霜のたった跡の柔らかい土。踏まれすぎて丸まり、滑りやすくなっている石段。
天音が時々、組紐を狙ってくるが本気ではないらしく、ふっと視線を向けると分かりやすく顔をそらして明後日の方を向く。しばらくたつと、また私の手元にそっと手を伸ばし、私が視線をやった途端、大げさに顔をそらすことを繰り返す。組紐を取ろうとしているというよりは、右近を楽しませるためにやっているようだ。
「もう太陽が南中にある。昼にしようか」
右近が笑って言う。
「確かもう少し行くと、無人ですが、神社があったはずです。そこでとりましょう」
無人とはいえ、神社は結界の外。ややこしいが扶桑全体にかかった、九尾を封じる結界を避ける結界がはられている。『符』が製作できるのならば、補充ができるし、魔物も入ってこないため休憩するには丁度いい。
「む、おいしいな」
「おお、これは温まる」
右近とルバが味噌汁をすすって言う。獲ってもらった沢蟹を味噌汁にした。殻ごと全部すり潰して濾した沢蟹の味噌汁、具は薬味の葱だけだ。アラ汁もカニ汁も熱いうちだ、冷めるとニオイが鼻に付くようになる。
「晴れて清々しいとはいえ、気づかぬうちにだいぶ体が冷えていたようだ」
「生き返る、生き返る。ホムラの寄り道もちょっとはいいわね」
左近が言えば、天音も椀を両手で包むようにしながら言う。沢蟹の味噌汁のほかは、宿がもたせてくれたおにぎりだ。竹の皮に包まれ、漬物が添えてあった。味噌の焼きおにぎりと、朝食と同じ鮭、梅干しの具の三つなのだが、外で食べるおにぎりは、どうしてこんなに旨く感じるのか。
そんなこんなで道中二泊目。本日は一人部屋。三人部屋にするか聞かれたのだが、ペテロがくるかもしれんし、何より紅梅を呼び出すのに都合がいい。本日の最初の右近の警護当番は天音らしく、私の部屋で呑んでいた左近とルバが寝るために、部屋に戻ったところで『閻魔帳』を開く。そして紅梅を呼び出して……
「ぴぎゃ!」
「お? バハムート久しぶり。体力はもう戻ったのか?」
私と私の持った閻魔帳の間、膝の上にバハムート出現。
「なんだ!?」
黒が顔をだす。
「ああ、私の最強のドラゴンだ。黒同士、仲良くしてやってくれ」
「ぴぎゃ」
見た目、傷ひとつない漆黒の鱗なのだが、視線をそらすところをみると全快! とまではいかないらしい。『閻魔帳』をしまい、代わりに柔らかい布をだして、バハムートを磨く。
「ドラゴン……」
「黒もブラッシングするか?」
声をかけたら引っ込んだ。そこまで嫌か、ブラッシング。
ペットや騎獣は装身具から出せるのだが、召喚獣はそうはいかない。最初に着いた島の『符』屋では、召喚を書き込める符術師がいなかったため、現状では扶桑で白を呼び出すことができない。昼間の戦闘で無事、【符】は取ったので、レベル上げをして自力で白を呼び出せるようになる所存。
「何か食うか?」
何かといってもバハムートが好むのは、塩胡椒をして焼いた肉なのだが。アルバルで手に入れたエラで焼いた肉の塊を出すと、むっちゃむっちゃと頬ばり、時々前足で押さえて噛みちぎってご満悦だ。バハムートが肉を食べている姿は美味しそうで、見ていて楽しい。
「ぴぎゃ!」
顔の側でパタパタ飛んでいるバハムートに、なでながら【生活魔法】を幾つかかけて、口の周りや口腔をきれいにする。
「ぴぎゃ!」
今度は障子の前で一声。
「ああ、散歩に行きたいのか。この島は結界があるから、島外に行くなら、海の中の鳥居からだ。あっちこっちにクレーターつくったり、山を壊したりは最小限にな」
声をかけながら障子を開けてやると、月の冴え冴えとした夜に飛び出して行くバハムート。
「お土産よろしく〜」
振り返りもせずに飛んで行く背に小声で言い、手を振る。一体、何年ぶりの空なのだろうか。最初に出てきたのは迷宮内だったし、次は闘技場でブレスを吐いてすぐ消えてしまった。ブレスはブレスで思い切りぶっ放して、本人は気持ち良さげな気配だったので、あれはあれでいいのだろう。だが、空を飛ぶのは格別なはずだ。
多少の自然破壊があっても、バハムートを閉じ込めておく気はない。でもドキドキするからできれば控えてほしいのも本音だ。
バハムートがあっと言う間に見えなくなった空を障子で隠し、今度こそ紅梅を呼ぶ。
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・増・
スキル
【符】
【式】病の小鬼
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