192.朝帰り
「ふふ、肝心な方を置いて夢中になっているからですよ。大人しく私の眷属に降るか、この方を諦めるか決めなさい」
紅梅が笏で口元を隠しながら、悔しがる紅葉と酒呑を見る。二人から隠された口元は、薄く笑っている。――あれ、もしかして結構いい性格してらっしゃる?
「雷公、覚えておれ! 必ず、必ず倒して第一項の座を、お主から奪ってくれようぞ!」
ギリギリと歯を噛み合わせ、怒りに目を真っ赤にしつつ、『閻魔帳』の二項目に手を置く紅葉。
「今までも、単に鬼同士の戦いに乗らなかっただけで、負けるつもりは微塵もありませんよ。レンガード様は雷持ち。契約により私の属性は強化されて、貴女とはさらに彼我の差が……」
紅葉の様子を見ていた紅梅が途中で言葉を止めて、視線を私に移す。
「何だ?」
「失礼、見くびっていたつもりはなかったのですが……」
「ホホホ、ぬしさまは幾つ属性をお持ちなのか。豪気よのぅ。私も強うなった、差は変わらぬぞ、雷公」
先ほどと打って変わって、紅葉の機嫌がいい。
「さてそろそろ鶏が鳴く。悔しいが私は退散じゃ。ぬしさま、閨の相手がいる時はいつでもお呼びくださいな」
紅葉がそっと私の胸に触れてから消えてゆく。気づけば、他の鬼どもも櫛の歯が欠けるように、一匹、また一匹と消えていっている。
「我らは、結界の中にいるモノ。この島の結界は一層ではないのです。陰の世、陰の世、夜の世と様々に呼ばれる我らがいる世界は、この"あわいの宴"のように結界が薄い場所で、時々こちらの世界と交わります」
結構頻繁に混じり合うらしいが、だいたいが夜や、人の恨みなどが凝る場所で、らしい。大変鬼らしいといえば鬼らしいか。
話を聞くと"夜のモノ"を食べていたら、一緒に結界内に連れ込まれるか、陽の元でダメージを負うステータス異常がつくようだ。あれ? 結界内って九尾がいるところか? 食って行くのが正式ルート? いやでも緑の物体を食う気にはならん。
「同じ鬼の下につくなんざ、ぜってぇ嫌だ!」
ちょっとの間、攻略の考えに落ちていた私の耳に酒呑の叫びが届く。
「いいのではないですか? 眷属にならずとも。ただ、喚ばれることのない貴方は、扶桑の常の夜では本領を発揮できないだけ、ましてや陽の時間はその身に毒。レンガード様に寄ることさえできないだけです。第一項の私は、喚ばれるまでもなく、さらには昼夜関わらずお傍に上がれますが」
紅梅さんが煽りまくって酒呑が、ぐぬぬぬぬっとなっているのだが、大丈夫なのだろうかこれ。経験したことのないタイプの修羅場だ。あれか、ここは「私のために争わないで!」――、いやこのネタは二回目だった。
「朝が来ます」
紅梅の言葉に、木々の途切れ目から地平線に近い空を見れば、紫にたなびく雲。もう既に他の鬼の姿は欠片もない。
「眷属にならないのならば、早く夜の世にお戻りなさい。どんなに強い鬼でも朝日はその身を焼きますよ」
「うるせぇ! これは俺んだ! アンタの下にもつかねぇ!!」
「……困りましたね。ここまで頑固だとは思いませんでした」
紅梅が対処しかねて、困惑し、笏で自分の顎を軽く叩く。
紫だった雲は茜が差し、日が空をオレンジ色に染め始める。酒呑の身体から、ぷすぷすと煙のようなものが上がり顔が歪む。
「貴方はレンガード様の役に立ちそうなので、失うのは惜しいのですが。私への対抗心で消え去りますか」
「ぐだぐだうるせぇよ!! 朝日に耐え切りゃいいんだろ!」
どんどん青みがかった煙の量が増えてゆく。よく見れば煙の出ている肌が、沸騰したようにぷくぷくと泡立っている。痛そうなんですが!!! どんな意地っ張りだ!!!
「おい、鬼には回復魔法は効くのか?」
回復するつもりで、ダメージ食らわせるとかそんなオチがあったら嫌だ。
「【回復】であれば受け入れます。神聖魔法の系列は個々によりけりです。陰の気に偏ったモノには毒となる事も。酒呑は平気でしょう。……申し訳ありません」
紅梅の謝罪は、騒がせていることへの詫びなのか、酒呑を危うくしている現状への詫びか。
平気だと言われてもここでダメでした! となると止めを刺しそうなので、神社で購入した『回復符』をありったけ出して、酒呑に使う。特に酒呑に手を貸そうともしない紅梅であるが、そっと朝日を遮るように立ち、酒呑に影を作っている。酒呑や紅葉には、自分自身の肌に落ちる影はあるが、地に落ちる影はなかった。今の紅梅にはそれがある。式になると影を持つようになるのか? 今はどうでもいいことを思いながら『符』に魔力を流す。
「気を失えば、夜の世界に強制送還されるのですが……」
「があああああああッツ」
「意地を張らずに早くお戻りなさい。泡になって消えてしまいますよ」
人魚姫か!?
「おい、無茶するな。手合わせの機会はまた……」
《スキル【鬼宴帰還】を取得しました》
《称号【百鬼夜行の主】を手に入れました》
《お知らせします、初めて『鬼の宴』に参加したプレイヤーが現れました》
ああ、うん。間が悪い。どうやらあわいが完全に消えたらしい。
『符』を使い果し、回復薬を取り出す。って、あれ。
「わはははは、耐えてやったぞ! ちっと痛えが、回復しながら居れば問題ない!」
朝日が顔を出す中で、酒呑が勝利宣言をする。まだぷすぷす言うの続行してますよ!!!
「大ありです! レンガード様の『符』を使い果たさせておいて何を言っているのですか!」
笏でべしっと酒呑の頭を叩く紅梅。笏は目の詰まった木でできているヘラのようなもので、結構いい音がする。
「体で返す!!!」
「迷惑です!」
「何をぅ! 元はと言えばアンタが……ッ」
「自分を損なうような方は、仕える方も危険に巻き込みます!」
「耐え切ったんだからいいだろうがよ!」
「レンガード様に手間をおかけして何を言っているんですか!」
言い合う二匹の鬼。仲良しだな、おい。
「酒呑、お前の『閻魔帳』をよこせ」
「言ったろ、俺はコイツの下につくのは嫌なの!」
「お前の、『閻魔帳』をよこせ」
「何だ? どうせ二冊目は素通りして触れねぇぜ?」
不審そうな顔をしながら、酒呑が『閻魔帳』を差し出してくる。紅梅の『閻魔帳』の表紙は黒地に雲と白梅の図柄、酒呑のものは赤地に黒い炎と瓢箪。
手形の押された『閻魔帳』を受け取った途端、酒呑の肌が治り、煙が止む。
「何故……?」
「どうやったんだ!?」
「千と数百年、こんな話は聞いたことがありません」
「『閻魔帳』は一生のうち、一冊しか持てねぇぜ? 鬼も差し出せる『閻魔帳』は一冊きりだ」
やや呆然としながら言い合う二人。
「貴方はどこぞの女子に一度差し出したでしょう」
「何百年前の話だよ! もう女も死んで、それと同時に更の帳面が戻ってんだよ! もどってなきゃ出せねぇだろうがよ!」
「女好きも控えてもらわねば、いつかレンガード様に迷惑が及びます。いったい何人お子がいるんですか」
「いねーよ! 鬼の精に耐えて孕む女がどこにいるよ! ――まあ、あの女が帰った大陸には来孫くらいならいっかもな。……って、そうじゃねぇ! お前、どうやったんだ!?」
紅梅と酒呑って実は相性がいいのか?
「心配させたヤツには教えてやらん」
そっけなく言うと、酒呑が黙る。その頭を紅梅がフフンという顔をして、笏でペシペシと叩く。
称号【百鬼夜行の主】の効果は『閻魔帳』を二冊持てること。間が悪いというのは撤回する。これ以上ないくらい間が良かった。【鬼宴帰還】は待望のスキル使用時の消費EP軽減。空腹でも飲み食いする気になれない宴会だからとかそういうあれか。
「まあ、夜明けだし私は宿に帰る」
みんなが起き出す前に帰らんと叱られる。特に天音には夜は出歩くな、と釘を刺されているのでバレる前に帰りたい。
「俺は一旦戻るぜ、さすがに疲れた。今付いてっても役に立ちそうにねぇからな」
手をかざして朝日を眩しそうに見る。昇り立ての陽は、私の感覚ではそう眩しくはないのだが、夜の住人にはきつい光なのだろう。
「思ったよりも陽の元では力が振るえないようです。私が酒呑と同じことをしたら綺麗さっぱり消えていたでしょうな」
紅梅が難しい顔をしている。
「ケケケッ。俺様は強ぇんだよ!」
「向き不向きの問題です。夜に貴方に負けるつもりは毛ほどもありませんよ。レンガード様、我らを使役する時は昼は酒呑を、夜は私を呼ばれるといいでしょう」
「夜だって俺は強ぇえ!」
「第一項の鬼とはいえ、こちらにとどまれる時間は半日ありません。そしてその時間分、我らの界におらねば弱体化します。鬼の本分として夜のほうが強いのは分かっていますよ」
何を今更、というような顔で酒呑を見る紅梅。
「それでは本日はこれで御前を下がらせていただきます」
「いつでも呼べよ!」
「ああ」
と、答えたものの、自分の戦いに夢中になって、召喚系って忘れるんだよな。
「ああ。第二項以降の鬼は夜の間、我らより時間は短くなりますが自由にこちらに来ることができます。念のため、レンガード様に喚ばれもせずに無駄にお側に寄らぬよう通達しておきましょう。ですが紅葉は隙を見てお側に上がることが予想されます。用はなくとも夜は私を喚んでおいたほうが安眠ができますよ」
ぶっ! 紅梅が最後に不穏な忠告を残して、酒呑とは一拍遅れて消えてゆく。天音のこともあるし、フソウでの私の安眠はどこへ!!!
周囲が明るくなってしまったので、ズルをして――いや、本当に効果があるか実験として、『ヴァルの風の靴』を利用。ペテロの寝ている部屋に戻る。
「痛い」
戻った途端、黒に噛まれました。無言で噛むのやめてください。
「俺を置いてどこへいってた!!」
「黒、隣まだ寝てるから」
死に戻りのつもりだったので、巻き込まないよう黒を布団の中に置いて出たのだ。ちなみに隣とは、隣で寝ているペテロではなく、隣の部屋のルバたちのことだ。
「やかましい! 寝ている間に出て行くとはどういう了見だ!」
ぷりぷり怒りながらも声を落とす黒。レンガードの装備から昼間用のホムラの装備にかえながら、シャーシャー言う黒に手を伸ばす。
「死んで神殿経由で戻るつもりだったのでな。契約も結んでおらんし、巻き込んだら黒は普通に死ぬだろう」
「む……。うるさい! ごまかされんぞ! 俺に黙って出て行ったくせに!!」
威嚇しまくってくるわりに頬をおとなしく撫でさせてくれる黒。怒っているポイントも何かずれているような……、これはあれか、キレていると見せかけてデレているのか?
「はいはい、次回はちゃんと言ってゆくから」
「絶対だぞ!?」
そう言って、縮まるとローブの懐に入る黒。尻尾の先がちょろりとまだ出ているのだが、その位置でいいのか。『アシャの火』を懐に入れると、尻尾も引っ込んだ。今日は黒をブラッシングできそうにない。
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・増・
称号
【百鬼夜行の主】
スキル
【式】『酒呑』『紅葉』
【鬼宴帰還】
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