190.鬼の宴会
「ちったあ我慢できねぇのかよ」
酒呑の金色だった眼が黒く変わり、赤い髪も黒く染まってゆく。大きかった体躯が、ため息とともにギリギリ人の範囲に収まるくらいに縮んでゆく。はい、眼に見えて脱力されました。
「すまん、すまん。今、私EPが空になると障りがあってな」
いや、無いかもしれんのだが、果たしてここの封印は九尾が対象であるのか、傾国が対象であるのか。九尾が対象だった場合、私の【傾国】はだだ漏れるだろうし、傾国が対象だった場合は、封印の許容量を超えたりしないだろうか、とか。
【傾国】の封印ならば、【称号】が対象な気がするのだが。【スキル】の方に制限がかかるというのがよくわからん。九尾の【傾国】はスキルとしても使える系なのか? 職業【傾国】とか言って、各種スキル取り揃えているとかだろうか。私にも不穏なスキルが生えまくってるのだが、見ないふり極意だ。
「しまらぬのぅ」
「久方ぶりに楽しんでおったに」
「まあ、愉快だったわぇ」
「愉快だったのぅ」
鬼たちがクツクツと笑う。
「ああもう、しょうがねぇなぁ。来い」
そう言って私を小脇に抱える酒呑。
「いや、あの。一人で歩けるが」
来いと言っておいて、何故運ぶ。いくら腹が減っているからといって、ついて行くくらいはできるぞ。
のっしのっしと歩き、対戦する前の席に戻り、私を横に置く。
「ほら」
渡されたのは朱色の大盃、もちろん中身は酒だ。宴会の肴を脇目で見る。下戸だと言いたいところだが、これを飲まないと次に来るのは得体の知れないアレだ。
「旨そうに見えるだろうが、やめておけ。夜のものを食うと、戻れなくなるぞ」
酒呑が小声で囁く。
旨そう? 不審に思って見直せば、ぽこぽこと泡立ち、その泡がぷすぷすと潰れては、深緑色の湯気を吹く物体だったものが、今度は瑞々しい桃や、よく焼けたぷっくりと膨れた子持ち鮎に見える。知らんうちに【ヴェルスの眼】が発動していた様子。
……普通逆じゃあるまいか。おいしそうな状態を見てから、教えられて見直すと実は……っ! じゃないのかこれ? 私としては引っかからずに済むので万々歳だが。
酒呑が私を抱えて移動をしたのは、他の鬼たちに呼ばれる隙を与えないためかと合点がゆき、大盃を受けて一気に飲み干す。【酔い耐性】のおかげで一気飲みをしようが、ストローで飲もうが、全く平気なのだが、慣れないせいか喉が焼けるようだ。
「私は下戸なんだがな」
ギリギリ咳き込むのを免れて、空になった盃を酒呑に返す。
「おいおい。鬼をも酔わす酒だぜ?」
受け取った盃の底にわずかに残る酒を呆れたように眺め、「どこが下戸だよ」と呟く酒呑。その空の盃に酒を満たす。
「無粋だが酔わないスキル持ちだ。――すまんが、ちょうど日本酒は切らしていてな」
鬼ならば度数の強い酒だろうと、最初火酒を思い浮かべたが、口の広い盃に火酒はないだろうと思い直し、注いだのはラム酒。
菓子とカクテル用に作った風味の強いダークラム、その中でも菊姫を酔わせてやろうと、アルコール度数を追求してみた、火酒より強い一品です。なお、菊姫は若干陽気になった程度で、うれしそうにラムをなめていた。
多分、菊姫の飲み方が正解なんだろうな、と思いつつ大盃いっぱいに注ぐ。
「ほう、外つ国の酒か」
「異国の酒ぞ」
「匂いが違うな?」
「色も違うぞ」
「どれ」
興味津々といった様子で盃を煽る。
「ぶっ! ゴホッ! ゴホッ!」
「あ、すまん。強すぎたか」
種族からしても、酒呑という名前からしても、どこまでも強い酒がいけそうなイメージだったが、限度があったらしい。
「……いや、大丈夫だ! 旨い酒だな!」
咽せてたくせに、不自然に明るく言う酒呑。ネタで作った酒なので、一樽しかない。これからも作るべきか迷う反応だ。
ラムの材料になる『神の糖枝』は、親指ほどの太さで、少し赤っぽく私の肩ほどしかない。現実世界の砂糖黍のイメージと違い、大分小さい。ただ、大きさを裏切って取れる砂糖の量は多いため、酒を作る余裕がある。
「ほう、旨いのか」
「酒呑が旨いといったぞ」
「あの酒好きが」
「美味いのか」
「美味いのだろうなぁ」
「飲むか? もう少し飲みやすいのもあるぞ?」
油断のならない鬼どもだが、恐れや忌避は感じない。感じるべきなのかもしれんが、紅葉の舞いは怖いほど綺麗だったし、酒呑との手合わせは愉しかった。
度数を落とした酒の樽を据え、再び宴会が始まる。紅葉が酔っているのか恍惚とした表情でゆらゆらと舞い、直衣姿の幾人かは楽を奏で、目ばかりが目立つ手に乗るような小さな鬼や、そばで見るとギョッとしてしまうようなモノどもも、樽から失敬しては酒に悦んでいる。
酒から琥珀色の紅茶に切り替えて、その様子を眺める。鬼たちの興味も私から、酒へと移り、自分たちの愉しみへと移っている。
「おう! あんた、名前は何てんだ?」
「仮面をかぶっているときは、レンガードと名乗っている」
今更ながら名乗る。酒呑に本名を名乗ってもいいような気になっていたが、周りにいる鬼どもに果たして名を聞かれて平気なのか迷った末、レンガードを名乗る。
「俺は酒呑ってんだ。あんたとの手合わせ、面白かったぜ!」
「ああ、私も」
やたら距離を詰めてくるので、よくいる酔うと人の体をバシバシと叩いてくる系の酔っ払いかと思ったのだが、気づけば私によじ登ろうとしたり、髪についてきたりする綿毛のような小鬼を、時々払ってくれている。気配の薄いこの鬼たちに憑かれるのは、人にとってあまりいいことではなさそうだ。やがて諦めたのか小鬼たちは近づいてこなくなった。
「でもなぁ、EPもそうだが、エモノがそれじゃあ不足だろうよ」
「エモノ?」
「使ってる剣、あんたにゃ物足りないだろ?」
はい?
「いや? とても助けられているが?」
むしろ不相応な剣を振り回している自覚がある。
「じゃあ聞くけどよ、その剣でまともに俺の剣を何度受けられる?」
大盃を傾ける酒呑に聞かれる。
「……刃こぼれはしそうだな」
「もっといいのにしろよ。あんだろ、髭切だとか言うのとか」
酒呑さんや、貴方が名前を挙げたその日本刀、鬼を切った伝説作って、最終的に鬼切丸とか呼ばれないか?
「この剣は気に入っているんだ。それに、まず自分のレベルをあげんとな。高ランクな物は装備できん」
否定の意味をこめて、ひらひらと手を振る。『月影の刀剣』はよく手になじむし、【斬魔成長】が楽しいのだ! とても気に入っている。それに比較対象の問題で、酒呑が強いだけだろう。自分の腕力に不安を感じたことはあっても、今までルバの打った剣に不安を感じたことはない。
「あんたレベルいくつだ?」
「39」
「ぶほッ!!!!!!」
酒呑が盛大に噴く。慌てて上半身をそらして回避。汚いな、おい。
マント鑑定結果【驚かないと思っていることに驚いた、という気配がする】
手甲鑑定結果【……うむ】
ちょっとマントさん?
「な、な、な!?」
「何だ?」
「何だじゃねーよ! 39であれなのかよ!!!」
鬼に驚かれた罠。
「無粋な男よ」
「せっかく良い心持ちが」
「声を張るなら詠にせよ」
口々に言う直衣姿の男どもは、にじむような姿ではっきりとしない。人型の鬼で、はっきり見えるのは酒呑と紅葉だけだ。
「ホホ、男の相手では面白くないであろ。私と遊ぶかぇ?」
いつの間にか紅葉が隣に座り、しなだれかかってくる。酒呑が大声をあげたせいで、意識がこちらに向いたようだ。顔も判別できないのに、他の鬼たちがこちらを見てるのがわかる。
「私の味は酒より酔えようぞ」
頬から首筋を白い指が這い、紅葉の顔が近づいてくる。
「紅葉、よせ。こりゃ俺のだ!」
「うぐっ」
酒呑のでかい手で、顔面を覆われ酒呑の方に引き寄せられる。
「お前がコイツを抱いたら、手合わせできなくなっだろうが!」
いや、あの、パンツ穿いてますし。私が抱かれる方!?
「剣狂いのそなたでも、酒と女はきらしたことがあるまいに」
袖で口を覆って、酒呑を揶揄するように笑う。
「【房中術】で精気吸うようなのに渡せるかよ」
今、不穏な単語が聞こえたが、そろそろ離してくれんと窒息する。あと、酒呑、私を拘束するなら、責任持って口よりマズイところに紅葉の手が行きそうなのをなんとかしてください。って、限界です。
「窒息する!!!」
もぞもぞと動いて酒呑の腕を外し、息を大きくついてから声を上げる。
「……ほんに、情緒のない」
「って、コラ!!」
今度は酒呑が止める間もなく紅葉に唇を奪われる、奪われたのだが。
相手が【房中術】を使ってくるなら奪い返してもいいよな?
「あ……」
半ば酒呑の膝に抱えられるようになっている、私の膝に崩れ落ちる紅葉。十二単を着てガッチリ固めているはずなのに、抱きとめた体は不思議と柔らかい。
「よし、勝った!」
「ええっ!?」
酒呑に驚かれたが、目には目をのハンムラビ法典。精気は吸っていないが【房中術】使用。精気を吸う項目もあるけれど、紅葉に精気があるのか謎だしな。親しい人たちには隠したいスキルだが、相手が使ってくるなら対抗も辞さない所存。
酒呑があんぐりと口を開いて固まっている。あまりにも動かないので、そっと手を添えて閉じてみる。
「なんで紅葉の方が堕ちてんだよ!」
はっと正気にもどった酒呑が叫ぶ。
「私も【房中術】で対抗したから?」
事前情報、ありがとうございます。
「いや、いくら持ってるからってお前……、紅葉だぞ?」
「なんだ?」
「いや、いい……」
うわぁっ、という顔して目を伏せながら逸らすのやめてくれんか?
 




