189.扶桑の夜
宿で起きると、早寝したためまだ夜中と言っていい時間。現実世界なら起きやしないのだが、この世界では余計な眠気はない。隣ではペテロが寝ていたが、寝る前に送ってきたらしいメールが届いていた。
ペテロ:ちょっと仮眠とる。さすがに眠いw 明日には走って追いつきますw
だ、そうだ。三時間ほど寝るつもりかな? 右近たちは旅を楽しむように、騎獣も使わず徒歩で移動し、名所があれば寄っている。こっちで一日寝ていても十分追いつけるだろう。
死に戻りが怖いから夜は様子見と言ったな? あれは嘘だ。
パートナーカード一覧から、任意の人の居場所まで転移できる『ヴァルの風の靴』。今死ぬとアイルの神殿に戻されることになるのだが、ペテロとルバがいる限り戻れることに気づいた。宿を抜け出し、街道を外れてお散歩中。外れて、と言っても杣道だが。
切り絵図を見ると、扶桑の街道は海に沿って山の際にある。山が海に近いのだ。スキルが使えないためか、街道も町から離れると狭く、最低限の整備だったりする。代わりに地図には表示されない猟師や、山の恵みで暮らす人々が時々通る整備がなされていない、杣道はあちこちにある。
【暗視】は、白黒映画にうっすら色がついて見えるような、結構な精度だったのだが、扶桑では月が明るい夜程度の見え方だ。出てくる敵は確かにエイルより強いが、フル装備のせいか対処が困難ということはない。
マント鑑定結果【本気ですよ、本気、という気配がする】
手甲鑑定結果【……うむ】
……まあ、レベルの割にステータスは反則的に上がっているので問題ない。
赤い火が暗がりから急に飛んでくるのを払い、落ちたモノを見れば蜂だ。この蜂は飛ぶときだけ赤い怪火で覆われるらしく、【鑑定】結果の名前も【赤蜂】だった。どこかに巣でもあるのだろうか、進むにつれて飛んでくる数が多くなる。速い上に小さく、触れられると【燃焼】の状態異常をくらうのでなかなか厄介だ。
赤蜂を五匹、六匹と落として行くと、濃い影のように黒い僧侶の形をしたモノが、錫杖片手に殴りかかってくる。時々覗く歯だけが白い。この【陰坊主】という魔物は歯が覗いている時だけ、こちらから触れることができる。初遭遇は、剣で受けたはずの錫杖が肩に届いてダメージを食らった。
打ち合うことができないため、避けるしかない。木の根や枝が手を伸ばす杣道で避けるのはなかなか厄介だ。しかも相手は、木の枝どころか幹さえもすり抜けて錫杖を振るってくる。【運び】があるので足元は問題ないのだが、いかんせん移動するスペースが限られる。シンのように拳で戦うか、ペテロのように短刀などで戦う職のほうが効率が良さそうだ。
距離を取った途端、陰坊主が口を開けて白い歯を見せる。【縮地】で一気に距離を詰め、邪魔する枝ごと両断。バベルとの試合の時には、避ける時にしか役に立たなかった【縮地】だが、魔物相手には使い勝手がいい。狐狸の類の魔物も襲ってきたが、この陰坊主が一番厄介だ。
ルバの『月影の刀剣』は、【斬魔成長】が付いているため、途切れることなく細かいのが襲ってくるフィールドでは大活躍だ。魔物を倒すほど与えられるダメージが増える。休憩を入れたり、フィールドが切り替わると初期値に戻ってしまうので、ボス戦時にはあまり効果がないのだが。
ランクは65、特性の【装備ランク制限解除】のおかげで私のレベルでも装備が出来ているが、扶桑の敵のレベルが60からなため、今までのように楽はできない。夜の敵はレベルも一段上がる。玉ねぎのみじん切りと、ピクルスのみじん切りをのせたホットドッグをかじりながら、せっせと赤蜂を狩って攻撃力を上げている次第。
皮がパリッとしたソーセージ、表面だけ軽く焼いた柔らかいドッグロール。粒マスタードにケチャップ。美味いのだが改良の余地ありだ、動きながら食べるとみじん切りがポロポロ落ちる。
山の中に似合わぬ、楽しげな笑い声が聞こえる。その声に向かって暗い道を行くと、急に視界が開けた。枯れ野に青い鬼火が幾つも浮かび、夜露を光らせている。結局、赤蜂の巣は見つからなかったが、代わりに何かを見つけたらしい。
鬼火の中心で、十二単のような格好の女が扇を片手にゆるゆると舞い、白拍子の格好をした幼い二人が女の動きに合わせるように舞う。そしてそれを眺める鬼たち。
赤銅色をして腕や背中に剛毛を生やした鬼。
青丹を刷いたような土気色をした肌の二角。
一つ目、一角。
それぞれ大きな杯を持ち、酒を喰らっているようだ。人に近い姿をしたモノもいるが、鬼たちの宴であるらしい。よく見れば舞う女も、微かな笑みを浮かべた赤い口から、ちろちろと火を吐いている。
目があった。
「臭い、臭い、日の臭いがするわぇ」
ピタリと舞いを止めて、女が言う。
「おう、おう、確かに」
「覗くのは誰じゃ。喰うてやろうか」
「そうじゃ、宴の馳走にしよう」
「肉を喰らおうか」
「おうおう、では我は目玉をすすろう」
女の言葉に鬼たちが嗤いながら言う。そんなに臭うのか私? いや、日の匂いなら良い匂い?
「おい、お前」
女と同じく人の姿に近い男の鬼が声をかけてくる。どう考えても私のことだな。
「邪魔してすまんな。通りすがりだ」
おとなしく木々の間から抜けて言う。
「なんじゃ、男か」
「喰らうなら、女がいいのぅ」
「子供の肉がいいのぅ」
「まあ待て、男も酒漬けにすればなかなかよ」
獣と人が混じったような半裸の小さな鬼たちが多いが、直衣を着た男たちが何人か。人に見えるが、女と同じく、口から火を吐き、時々角を持った鬼の顔に変わる。人の姿に近く、服を着ているモノたちが場を仕切っているらしい。
「うるせぇ! 黙れ! 俺が話してんだよ!」
平安貴族のような格好の男たちの中で、一人だけ武家っぽい装束の大男が怒鳴る。最初に声をかけてきた鬼だ。一人だけ太刀を佩いて、他の男たちのように冠や烏帽子をつけていない。
「おう、あんた。俺と殺れ」
男は嬉しそうに物騒なことを言ってくる。
「酒呑はそればかりよ」
「いや、酒にも弱いぞ」
「野蛮な男よのう」
酒呑童子です。どう考えてもボスクラスです。
「ホホ、私の舞いの代わりに二人が舞うかぇ」
女が口元を扇で隠しながら笑う。端から覗く唇が赤くつりあがっている。
「酒呑が剣を抜くなら、私は見る側じゃ。場所を譲ろうぞ」
「ふむ、紅葉の舞いより面白ければ許そうぞ」
「いやいや、紅葉の舞いより良いということはあるまいよ」
「だが、たまにはいいのではないか」
「ああ、たまにはいい」
鬼どもが認め、輪の中心に行く羽目になった。
鬼女紅葉も有名どころな気が……。あれか、まさか菅原道真とか崇徳天皇とか……いや、それは鬼じゃない怨霊だった。いや、鬼も怨霊も似たようなものか。
酒呑童子はどうやら、私の提げていた抜き身の剣を見て手合わせしたくなった模様。戦闘脳は困ります。
紅葉に代わって、鬼たちの囲む輪の中心で剣舞いを披露する、私と酒呑。断れる雰囲気ではなかったし、断ったら断ったで、全員相手に戦闘とか、そんな雰囲気だったので結局受けた。酒呑は強いものと戦うのを好むらしい。対戦前にEPの回復もさせてもらえたし、他に異常があるなら今のうちに治せと言ってくるあたり、フェアではある。
……が、弱ければすぐに興味を失って、他の鬼どもが齧りつこうが引き裂こうが、一瞥もくれないだろう。
月影の刀剣の背で酒呑の剣を受けて、流す。峰で受けんと、刃こぼれしそうな剛剣。
黒髪黒目だったはずの酒呑が、今は炎のような紅い髪と炯炯と光る紅の目の異形と化している。筋肉も盛り上がり、倍に膨れたようなその腕に、胸に、紅い模様が浮かぶ。
「愉快だぞ、人間!」
「生憎今は人間じゃないのだがな」
まあ、最初は人間だったし、現実世界でも当然人間なのだから感覚は立派な人間だが。一歩踏み込んで横薙ぎに払うのを軽々と避けて、笑みを深める酒呑。
「いいぞ、いいぞ! こんなに愉快なのは斑鳩と戦って以来だ」
元剣帝殿の名前が出てきた。振り下ろされた剣を避け、酒呑の脇を抜ける。周りを囲む鬼どもが囃し立てるが、酒呑に神経を傾けているため、意味をなして頭に入ってこない。
サキュバスよりは、動きの予測は楽だ。羽根もなければトリッキーな動きもなし。ただし、対処するとなると話は違う。斬りつけてくる剣の速さ、重さ。こちらの動きを読んでいるだろう二の手、三の手。読み合いで勝たねば、重い一撃を剣で受ける羽目になる。幸いにも剣で受けるほどの僅かな余裕はあるのだが、ステータスが跳ね上がっている今の状態でも力負けして手がしびれる。
速さにはついて行ける。
サキュバスはテレポートを使っていた。対処はどうした?
ペテロと天音はどう戦っていた?
合わせた剣を滑らせるようにして、酒呑に向かって踏み込む。剣を握った拳で、押し返される力をこちらから剣を軽く引くことで逃がして、膝を狙って斬り込む。
「っち」
再び入れ替わって酒呑が飛び退く。振り向きざまはなった一撃は軽く避けられたが、私も向きを変えて酒呑と正対する体勢を整えた。
酒呑の目が金に染まる。
肌から浮かんだ模様から赤が滲み出す。
位置を入れ替え、避け、打ち合う。
顔をかすめる剣圧の風。
踏み込む足、閃く白刃。
視界が広がり、俯瞰するような不思議な感覚。
気配も匂いも遠い、遠いがはっきりわかる。
音も振動も、皮膚という皮膚、全身で感じる。
目の前の相手の神経の動き、離れた鬼どもの肉の動き。
見るとは無しに視て、把握する。
心は凪いでいるのに、なんとも言えない高揚感。
ああ、お腹が減った――!
「すまん、EP切れだ。食わないとやばい」
締まらないし、格好悪いが、ここで引いてくれないと大惨事です。




