188.扶桑の旅程
「さあ、いよいよ扶桑よ! ここから一週間、覚悟なさい!」
「はいはい」
「ああ、組紐か」
やる気満々キラキラした感じの天音の宣言と、ペテロのぞんざいな返事に賭けの存在を思い出す。この組紐、パンツの中にしまってやろうか、などと考えないでもないのだが、天音のあの思い切りの良さを思い出してやめた。パンツの中に手を突っ込まれかねない、いやその前にシステム的にこのパンツ離れないのでそもそも組紐を隠す時点でダメだった。
「そそっかしいところもあるが、天音は優秀だ。深く考えたところで無駄かもしれんぞ。余計なことは考えず、信頼して任せたほうが、護衛も動きやすい」
一時期、左近の口調が「です・ます」混じりになったのを、『水』がすごいだけであって、私は私だからと元に戻してもらった。殿付けだけは戻らなかったが、まあ仕方がない。そしてすまぬ、深く考えていたというよりは、ロクでもないことを考えていた。
「自由にどうぞ」
目があったペテロが笑いを含みながら答える。
白い砂の道を静かに寄せる波の音を聞きながら歩く。この道は夜には波に消えてしまい、時期によっては姿を現さない期間もあるそうだ。空を飛ぶ騎獣を持つ者は別。そして、海竜の存在も相まって、扶桑への出入りはごく限られる。
「ランスロット様の騎獣は『深遠の森』で得たと聞くわ! ノルグイェル大陸! きっと嫋やかなエルフとのロマンスなんかもあったんでしょうね」
キラキラしながら妄想する天音が、忍者のイメージじゃないのだが。いやまて『忍び寄る者』か!
「ちょっと、何か失礼なこと考えたでしょう!?」
「いや?」
勘が鋭い。あぶない、あぶない。左近の言う通り、余計なことは考えないことにしよう。
それにしてもカルとの関係を深く突っ込まれずに済んでいるのは、右近たちも自分たちの関係を深く突っ込まれたくないからか。
「右近様、海はなんで青いんでしょうね?」
演技をやめた天音は子供のようにあれこれに興味を持つ。いや、演技中も控えめではあるが、右近にあれこれ話を振っていたか?
「空を映しているからだろう」
右近の言葉に、それでは天気が悪い日は青くないのかと、つっこみを入れたいが、まあ夕日に染まる海というのもあるし無粋なことは言わん。
「風の精霊が空には多くいるからな」
ルバが空を見上げる。
……ファンタジーだった。うっかり青い光の波長が〜とか考えてしまった罠よ。無粋すぎるぞ、私の思考! 氷が溶けたら水じゃない、春になるのだよ!!! でも出題者の意図を読み取ることも大切だぞ!
「ルバ殿は、鍛冶工程を学ぶのが目的でしたか。他人を受け入れる工房は野鍛冶でもなければ見つけられないでしょう。当家から口利きしますので、その間滞在して祖母に雲雀様のお子の様子をお話しいただければ有難い」
心の中でやや混乱しながら自分を叱咤していると、左近がルバに話しかけている。
野鍛冶は、包丁やら鍬やら生活に密着した物を手がける鍛冶屋だ。刀鍛冶崩れもいるかもしれんが、ルバの望む鍛冶屋とは設備を含めて遠いだろう。思わず、ルバが真面目に鉄を打っている時に、障子がスパーンと開いて、「ちょっと包丁かけちゃったんだけど〜!」と入って来るオカンまで想像してしまった。
「願ったりだが……」
ルバがこちらを見る。
「私はあちこち見て歩いて食材を探す。宿屋はあるんだろう?」
「ああ。では懇意にしている宿に紹介状を書こう」
「ありがとう」
左近の申し出に礼を言う。
「ファストに帰る前にはルバのところに顔を出したい、まずルバの落ち着き先を見てからかな」
職人気質のルバは自分が納得するまで、帰らないだろう。今回のようにタイミングよく船に乗れるとは限らないので、それを見越して、転移石を渡してある。海にさえ出れば、ルバも自力でファストに戻れるはずだ。
「まずは江都ね。美味しいお店に案内するわ! 食べ歩いているうちに七日経つだろうし。もっとも七日経つ前に、その組紐を切らせてもらうけどね!」
「さて、では私はこれで」
本土についたところでホップとはお別れ。彼は、着いてすぐにある廻船問屋――海運業の店――を通して、まずメインの商談を済ませるのだ。その後、次の船が出るまでの間、商品になるようなものを探してあちこち歩く予定だそうだ。
「おかげで無事扶桑までこられた、ありがとう」
握手を交わして別れる。会おうと思えばまたアイルで会えるだろう。
日が暮れると、扶桑は闇と静寂に包まれる。住人の生活の基本が、朝日と共に起きて、日が沈むと共に休むというのは変わらない。しかし、サウロイェル大陸にある国々は夜とはいえ、都市と呼ばれる場所の広場や大通りは、煌々と魔法の明かりで照らされていた。
扶桑は、自身の体内で完結するスキルはともかく、外に影響を与えるスキルは、島全体の封印の影響で『符』を通してしか使用できない。そのため、一般家庭の主な明かりは『符』より安い、火を使った行灯だ。江戸時代、化け猫が油を舐めるアレである。まあ、魚油を使っていたそうなので猫が舐めるのは普通だったようだが。
「サウロイェル大陸でも夜のほうが、魔物は強くなってたけど、扶桑では段違いよ。全く別だと思っていたほうがいいわ」
扶桑は闇が濃い、昼の扶桑と夜の扶桑では別世界のようだ。天音に釘を刺されたし、夜の外出は、昼の魔物と戦ってみてから様子を見よう。ここで神殿に戻されたら目も当てられない。
天音は、世話を焼きすぎて行動を制限してくる、私の苦手なタイプの気配がして、実は密かに戦々恐々としていたのだが、そんなこともなく。左近共々、忠告はしてくれるけれど、あとは自由にさせてくれる。
「寝たいのだが……」
江都まで一日半、途中一泊する。日暮れに入った旅籠は華美ではない老舗。温泉はなかったが、湯殿が広く、料理もうまかった。事件は、マント君に手ぬぐいはパンツではありません! ということを理解させるのに少々手間取ったくらいか。
「ふん!」
「寝ててどうぞ」
人の部屋で対決している二人。壁や畳を蹴っての空中戦、調度品を軽く揺らすことはあっても、壊すことなく静かにやりあっている。響くのは刃物のぶつかり合う高い金属音のみ。
が、寝ようとする身には五月蝿い。部屋は三部屋、ルバと左近が一緒だ。そして今、左近は右近の部屋の前で警護についているはずだ。……ログアウトしてしまえば問題ないか。ペテロもそう思っているからやっているのだろう。
天音が昼間に仕掛けてくることは少ない。ペテロとの賭け事より、右近を優先しているからだ。仕掛けてきたとしても本気というよりは、右近にじゃれあいを見せて楽しませるために思える。まあ、そのしわ寄せが夜に来ているのだが。
というかペテロのレベル今いくつだ? レベルというよりはスキルか? 広い場所を真っ直ぐ走るスピードはレオに劣るが、狭いところでの移動はスピード特化に近そうなレオより、ペテロが優っている気がする。船中で普通に天音とやりあっていたし、エイルも苦にした様子はなかった。青竜のクエストも出していたし、幼児誘拐犯の親玉を暗殺したのもペテロな気がする。どこまで暗殺者クエスト進んでいるのだろうか。
ああ、そういえば私も暗殺依頼放置してるな。あとで破棄手続きしてこねば。まだペナルティが発生するような依頼レベルに進んでいないが、礼儀として放置は良くないだろう。ついでに受けたままの冒険者ギルドの依頼をチェック。ああ、『ヤグヤックルの角』の納品がある、いつから放置してたんだ私。己自身のズボラさに嘆息しながら黒を撫でる。
「やめんか!」
懐にいた黒を引っ張り出して、夜着に着替え、黒を布団に引っ張り込んでいる。添い寝は良くて撫でるのはダメとはこれいかに。撫でるのもそうだが、相変わらずブラッシングしようとすると抵抗するので、あとで寝込みを襲おう。褒めながらのブラッシングというのも試してみたいところ。
扶桑の季節はもう冬に移ろうとしている。ファガットは年中常夏だし、ジアースもアイルも雪は滅多に降らないらしい。比べて、扶桑は雪も降り四季のはっきりした国だ。この宿の料理も、蒟蒻・豆腐・茄子の山椒が少し効いた味噌田楽、金目鯛の煮魚、松茸の吸い物、舞茸ご飯、刺身の盛り合わせ、香の物と秋と冬の気配を感じさせる。
いや、あれか。他の国々がメインといえば肉! な料理で、季節感が果物の種類や、寒くなったからシチュー! とか、そんな感じではっきりしないだけか? 肉に脂が乗ってきたら冬だ、みたいな。
扶桑山椒、扶桑山葵、扶桑大豆。名前の頭に扶桑がつく、この国の食材はみんなランクが高い。食材も手に入れて、新たな敵とも戦ってみたいし、温泉にも浸かりたい。
「おい、この状況で寝るのか!?」
黒が何かを言っているが、もうログアウトボタンを押してしまった。今更キャンセルも面倒だし、起きてから聞こう。そういえば、ペテロはいつログアウトするのだろう? 天音が左近と護衛を代わったらか? 強制ログアウトが来る前に、休憩とれよーと思いつつ、意識が遠のく。
明日からも楽しみでしょうがない。
 




