184.海竜
紺碧の空、紺色の海、白い雲に白い帆。
風が気持ちいい……うそです、海風はぺったりと顔に纏わりついてます。船酔いは【酔い耐性】で対策バッチリなのだが、どうにも潮風というやつは苦手だ。
乗船後は、ルバが実は釣り好きだったことが判明。左近と一緒に甲板で糸を垂らしている。私は最初、ペテロと雑談しながら、初期装備でスキル上げのために【盗む】と【盗み防止】の攻防戦をしていたのだが、天音が参戦。
いろいろ誤解を生みそうなので私は戦線離脱。初期装備で補正が無いとはいえ、最初のころの様に動作が遅くはないので、見た目は怪しくないと思うのだが、異性とするには問題があるようなないような。離脱の直接の原因は、天音とペテロの間で、苦無の攻撃が混ざるようになってカオスになったからだが。短い苦無同士、近距離で行う攻防はなかなか凄く、見学したい気もするのだが、君子危うきに近寄らず、だ。
「仲良いな」
と言ったら、天音からは「どこが!?」と返され、ペテロからは苦無が飛んできた。
「釣れるか?」
「まずまずだな」
そんなわけで、船尾で釣り糸を垂れるルバの元へ様子を見に来た。ルバは【釣り】スキルを持っているわけでなく、魔物混じりの魚ではなく、普通の魚をスキル無しで釣るのが好きなのだそうだ。なので傍らにあるバケツを覗くと、鯵の見慣れた姿が何匹か。
「今度はこれを餌にして、もっと大きなのを釣る。やってみるか?」
「頼む」
「ホムラ殿は、スキルは?」
隣で、こちらは【釣り】スキル持ちらしい左近が声をかけてくる、さらに隣には右近。カルの登場からこっち、左近の呼ぶ私たちの名前に殿がついた。カルの登場で変わったというよりは、騎士たちをおびき寄せるまでが演技入りだったのだろう。その左近のバケツの中は、基本は鯵の姿で金属質な鱗を持つ『哲学アジ』。
「【釣り】は持っておらんし、海釣りは初めてだな」
「では右近と、ルバ殿と一緒ですね」
魚も【採取】がなくとも取れる果物などがあるように、【釣り】がなくとも釣れる魚がいる。評価4固定でランクも低めではあるが、普通の魚だ。食べれば少量ではあるがEPの回復もする。EPを消費する戦闘はキツイだろうが、普通にしている分には、食物が目の前にあるのに餓死とか笑えんことにはならない。
糸が絡まない自信がないので、三人から少し離れて挑戦。ハマチが釣れるらしい、あとスズキ。ルバから分けてもらった鯵は勢いよく潜って行く。
帆を広げる風は、波を大きくするまでにはならず、船旅は順調だ。
「左近、また釣れたぞ! 手伝え!」
右近の竿はぐいぐいとしなり、大物が掛かったことを訴える。
「右近、こちらも掛かった」
左近にも当たりが来ているようだ。
「どれ、手伝おう」
ルバは釣り上げた魚を手元に寄せると、スズキを樽に放って右近の補佐に回る。
はい、釣れていないのは私だけです。他は入れ食いなのに……左近なんて師匠鰤とかいう大物を釣っているし。その上、右近も釣りは初めてなので、初心者だから! という言い訳も通用しない。いや、生き餌なわけだし、きっと針の先についている鯵くんが美味しくなさそうなのか、巧みに逃げてるにちがいない!
「ホムラには本当に掛からないな?」
「ピクリともしないようだな」
「鯵のイキが悪いのか? 一度替えてみるか?」
右近、左近、ルバが口々に言ってくる。
「我ながらバツ技能でもあるんじゃないかと、そっと疑いを持ったところだ」
鯵くんは元気に泳いでいることは、竿から伝わる感触でわかる。
「魚影も濃いようだし、のんびりやればそのうち釣れるだろう」
その濃いところで今現在釣れないのだがルバ? 隣で右近がくつくつと笑っている。
「まあ、まだ長いですから……、ん?」
「! 右近、中へ! 天音!」
「海中だ、刀よりは弓がよかろうよ」
気づいたのは巨大な魔物の反応。遠くからぐんぐん迫ってくるそれは、他にも多くの小さな――通常の魔物としては十分大きいのだが、対比としては小さな――魔物を引き連れている。
「一応、アクティブではなさそうだが」
【気配察知】はレベルが上がって、襲い掛かってくる敵か、刺激しなければやり過ごせる敵かまで分かるようになっている。気配を感じるだけでなく、マップを出せばアクティブは赤く、ノンアクティブな敵は黄色い丸で表示される。
「右近様、こちらを」
左近の声にか、【気配察知】で認識したのかペテロと天音がやってきて、天音が右近にマストに縛り付けた綱のもう片方の先を手早く結ぶ。
「ホムラ、『浮遊』お願い」
一方ペテロはにこやかに『浮遊』の依頼。
「な! そんな便利なものがあるなら、さっさと言いなさいよ!! 綱の必要ないじゃない!」
「慣れんと踏ん張りやら踏み込みが不安定になるがいるか?」
一応確認。
「遠慮しよう」
「同じく」
「貰うわ!」
右近左近は無し、ペテロと天音に『浮遊』をかける。
ルバはいざという時、邪魔にならぬようバケツや樽などの転がりやすい道具を手早く片付けている。いつの間にか船のヘリについた丸環と自分とを綱で結んでいるし、本当に鍛冶師なのか問いかけたいところ。
「ちょっ!」
「……天人?」
「どうりで強力な魔法を使う」
どうなるかわからんので、EP不足にならんように頭についてる羽根を開いて浮いたら驚かれた。人間だと思われていた様子。LUKの値から考えても、魔法の威力やらに関係するINTの高さは、大部分が種族のせいではない予感がしないでもなく。
しかも現在、全開にしていないのだが。私がだいぶ下のレベルに見られていて「レベルの割には強力」だと言われているのか、力を抑えたりないのかどっちだ? いっそレンガード仕様で来ればよかったろうか。
などと考えながら、一口サイズのパイの肉詰を口に放り込む。くれと言うジェスチャーにペテロにも一つ。天音も丸薬のようなものを口に放りこんでいる。……二人ともさっきのあれで、スキル使うところまで発展してEPが減ってるとかじゃないよな?
【断罪の大剣】も使える状態、いざとなったらルバとホップ、フソウ組を抱えて空へランデブーかな? 『帰還』『転移』をするならパーティーを組まねば。
「まさか、海竜ですか?」
「周期が変わったといっても、こんなに早くこの海洋に戻るなど今まで無かったことだ」
気が付けば船員たちが、甲板の上にあるものを船が揺れた時放り出されないよう固定したり、脱出用の小舟、浮き輪の確認と、大急ぎで作業をしている。船員たちを叱咤しつつ、船尾に来たのは船長とホップだ。
「希望的観測を口にしても仕方がない。この気配、大きさからいって、海竜『スーン』に間違いない。いったい何故……」
船より大きな海竜の出現に、船全体がピリピリしている。
「海竜は魔物を引き連れ、怒らせると怖い。けれど襲ってくることはめったにないと聞くけれど?」
「あの大きさです、海竜に悪気がなくても側を通られるだけで、船には大ダメージなんですよ、お嬢さん」
「海竜は、豊かな海の幸を引き連れてくる歓迎すべき存在だが、今はそうも言っていられないようだな」
天音の問いに答えた船長の言葉に、右近が吐息を一つ。
「何に興味を持ったのか、明らかにこの船を目指しているようだ。腹を決めよう」
左近の言葉に海竜の近づく後方を見る。すでに、海中を移動する海竜らしき影から後ろに流れる渦まで見えるほど近い。海竜の周囲や、通ってきた海は水温が下がるらしく、海の色が変わって見える。やがて聞こえてくる海竜の声。
声?
『我は海竜スーン。そこに金竜パルティンの関係者がいるか?』
『あー、はい。何だ? 船に迷惑はかけたくないのだが……』
うっかり身に覚えがある私。
「金竜? あの暴れ者と会って生きているものが乗船しているのか?」
【念話】に【念話】で答えていると、船長が冒険者であるこちらに視線を向けている気配がする。
『ああ、波は止めよう』
「おお、ありがたい」
あからさまにホッとした船長の声。
「海竜の【念話】って全員に聞こえているのか?」
「聞こえてるわよ」
まだ声が固い天音の返事に、みんなの顔を見れば全員聞こえているようだ。相手に敵意のなさそうなことがわかり少し落ち着いてはいるようだ。
「関係者さん、がんばって」
「何だろうな。島のことかな?」
途端に気が緩むペテロと私。
ぴたりと凪いだ海面に黒い影がどんどん浮かび上がり、ザヴァーーーーッと海竜がその姿を現す。大きく海面が揺れてもおかしくない勢いだというのに、周囲に白い泡が立つだけで波は起きない。
「何の話だ!?」
「ホムラは金竜に会ったことがあるの!?」
「竜同士のいざこざに巻き込まれたか?」
せっかく落ち着いていたのに、海竜の登場にフソウ組は混乱している様子。
綺麗な青色。顔は青竜ナルンと少し似ているが、つるんと丸い印象のナルンと違って、体躯は地上にいる竜より細長く優美だ。そして、たくさんのヒレ。青の濃淡で彩られた海竜スーンは思いの外、美しい生き物だった。まあ、バハムートは別格として、ハウスの場所探しで竜の島付近を通った時に何匹か見かけただけで、まだスーンを入れて三匹にしかまともに会っていないので、地上にも長いのがいるのかもしれんが。
『金竜経由で漏れ聞いたのだが、ほれ、そなたの庭に旨い水があると。この海を近いうちに渡るから聞いてみろと勧められたのでな』
おい。『庭の水』大活躍だな、おい。
『それで、ものは相談だが一樽分譲ってくれんかの?』
『一樽でいいのか? 島の周りを巡るのに態々来てくれてると聞いたが?』
『それはそれ、金竜からすでに対価はもろうとるでの』
『了解。どうしたらいい?』
『今あるのかの? 樽のまま海に投げ入れよ』
海竜の言葉に従って、『庭の水』を樽のまま投げ入れると、剽軽な顔をしたアザラシが二匹現れ、樽を海竜の元へと運んで行った。樽からアザラシが離れると、海竜が周りの海水ごとがぼっといった。なかなか野性的な勢いというか豪快さというか。姿は優美でも魔物なのだなと妙に納得する。
『おう、おう。甘露、甘露』
嬉しそうな海竜の声が聞こえてくる。
『礼を言うぞ、小き者。寿命が五十年は延びたぞ』
上機嫌なまま、声を残して海中へと姿を消してゆく。
「いきなり訪ねてこられると驚くな」
「いきなりじゃなくても驚くから」
小さくなる影を眺めながら呟くとペテロに突っ込まれた。左近は固まっているし、天音は壊れた蓄音機のように「うそ、うそ、うそ」「なんで、なんで、なんで」と呟いている。
「ホムラ、僕は君の交友関係が気になるよ」
右近が海を眺めながら、呆れたように言う。
ルバが大きく息を吐いて、ひとまとめに寝せておいた竿を拾い、仕掛けをあげようとする。さすがに四人とも悠長に糸をたぐる余裕はなく、針は海中のままだ。
「むっ……!」
折れるのではないかというくらいしなる竿、ようよう釣り上げた魚は『海竜黒鮪』。右近の仕掛けには『海竜桜真珠鯛』、左近の仕掛けには『海竜紅真蛸』。私の竿には『海竜の鱗』五枚。
……此の期に及んで魚が釣れない私です。