183.庭の水
天馬が空から降ってくる。
真夏の雲のように白い馬から、カルが鎧の重さを感じさせずに降りる。振り下ろした剣はすでに鞘の中。あの剣で卵割っていたくせに無駄に格好いい。だが、私のそばに来るな! 来るなというのに!
マントを翻してカルが私の前で跪く。やめてください、周囲の視線が痛いです。
「主、かつての同胞が剣を向けたこと、申し訳ない」
「ジジイイイイイッ!! とっととこれを解け!」
ガラハドがプンスカ怒って叫んでいる。すこし離れた騎士達からも戸惑いと怒りの気配。アグラヴェインも跪いたまま憤怒の形相をカルに向ける。比較的首から上は自由が利くらしく、ブルブルと震えながらこちらを見ている。……あれ? 前髪がズレている? ……見なかったことにしよう。
一通り騎士達の様子を見回した後、カルに視線を戻す。
「かまわん。謝罪も跪くことも不要だ。【傾国】の影響ならば、疾く神殿に連れて行け」
表情が変わらないよう、顔面に意識を集中し、答える。私は何も見なかった!
「はっ!」
返事と共に一度顔を伏せると、マントを捌いてカルが立ち上がる。
「ガラハド、いつまで遊んでいる? アグラヴェインを神殿に連れて行く」
「誰のせいだジジイ!!! 俺は装備無しなんだから巻き込むな!!!」
カルがスキルを解いたのか、ガラハドが立ち上がると同時に、いつもの大剣を背負った装備に変わる。装備有りだったら、カルのスキルに抗えたということか?
「私より早く着いたのは上々だが、それでは主の役に立たん」
「戦闘に来たんじゃねぇし!! 装備変える前にイーグルに蹴り出されたんだよ!」
ガラハド、なかなかのとばっちり。だが、同じアシャの庭の騎士同士、がんばれ! 悪態をつきながらも騎士達を拘束し、ひとまとめにする。ああ、ますますズレる。
「主、ファストに寄る者たちは、ほぼ神殿での状態解除が済んだかと思います。影響下から脱した騎士たちも、手伝いに回っていますので人手が増えました。これからは、ジアース、ここアイルの主要都市に範囲を広げます。――以前エカテリーナ殿のところでニアミスした、ガウェイン殿を正気に戻せたのが大きいですね」
バロンやファガットは後か。まあ、アイルは帝国の隣であるし、揉めている国でもあるので優先したのだろう。
「ジジイが派手なことしたから、伝わればアイルに来るだろうしな」
ガラハドの補足に、ただ無駄に目立ってるだけじゃなかったのかと納得する。とりあえず、前髪がどんどんズレていっている、アグラヴェインさんを早く連れて行ってください。名前がうろ覚えだったせいで、次に会ったら、カツラヴェインとか呼んでしまいそうだ。若そうなのに……。
「主、フソウは閉ざされた国。帝国の影響は無いかと思っていましたが、そうではないのかもしれません。お気をつけて」
「いざとなったら呼べよ、今度は武装してくっから」
「ああ」
来た時は騒がしかったが、帰る時は【転移】で一瞬だ。カジノで頑張った甲斐がある。カルの騎獣もカカッと前足で地面を掻いたかと思うと、その姿を消した。天馬は格好いいのだが乗る勇気は私には無い。
それにしても、アグラヴェインがガラハドよりもカルに憎々しげな視線を投げつけていたのは、年齢不詳なカルのフサフサ具合に嫉妬していたのだろうか。潔く剃ればいいのに……。
騒がしい騎士たちがいなくなり、残ったのは旅の仲間から向けられる視線。
「ああ、すまん待たせた。船の時間は大丈夫か?」
もの問いたげな視線の中、何事もなかったように言ってみるテスト。
「ホムラ、さすがに無理。大人しく全部吐いてみようか?」
にこやかなペテロ。
「ガラハドは帝国の関係者か。帝国でガラハドというと、まさか【赤の騎士】だったのか?」
遠い目をしてガラハドについて口にするルバ。ガラハドのパトカに出している、称号は【赤の戦士】だが、称号の中には【赤の騎士】もあったな、そういえば。
「私たちが半年かけて釣り上げたのに! いきなりかっさらうなんて、どういうつもり!?」
天音に詰め寄られる、それについては謝るしか。右近が側にいなかったら胸ぐら掴まれていそうな勢いだ。
「帝国、騎士を統べるスキル、天馬、金髪……」
「因みに【緑の騎士】ガウェインは黒髪だな」
呟く左近に、右近が言う。
「【湖の騎士】ランスロット……っ!」
髪の色だけに触れるということは、ガウェインも『帝国』『騎士を統べるスキル』『天馬』は共通しているのだろうか? とか思っていたら、左近が信じられないようなものを見る目でこちらを見てきた。
「え、嘘!? ランスロット様!? 斑鳩様を下した、あのランスロット様!?」
怒っていた天音が、急に声音を変えて、服の襟元を気にしたり、髪を撫でてみたりと、あわあわと落ち着かない様子。天音、ファンなんですかもしかして?
「闘技場で【剣帝】斑鳩様に在位中、唯一土をつけた方ですか」
待て、ホップ。【剣帝】が基準だと強いんだか弱いんだかわからん!
「亡くなったと聞いていましたが、生きておられたか! ぜひ手合わせをお願いしたい!」
左近もか!
「とりあえず、移動しながら話を聞かせてもらおうか?」
近距離でにっこり微笑んで右近が言う。
「……ということは、帝国は九尾の手に堕ちているのか」
「九尾と鵺と、どちらが主導しとるのかはわからんがな」
ペテロにネタバレをしていいか聞いた後、知っていることを、みんなに話した。帝国の騎士に遭遇したこと、推測に過ぎない話なことで、ネタバレの方は、セーフのようだ。ペテロが、鵺の情報はすでに得ていたのも大きい。
「鵺は一般的に"猿の顔、狸の胴体、虎の手足、尾は蛇"と言われているね。けれど本当は、"鵺の声で鳴く得体の知れないもの"だよ。主体がなく、見るものによって姿を変える化け物だ。身外身の方が動いていると見て間違いないよ。鵺の厄介さがなくなるわけじゃないけどね」
鵺はトラツグミの別名と言われている。私は鳴き声を聞いても、特に何も思わなかったのだが、昔は不気味な鳴き声に感じられたらしい。それにしても、変幻自在な方の鵺か、心に留めておこう。
「ありがとう。結果的に、あの騎士達を捕まえるよりも得られた情報が多いわ」
半年がかりだったらしい天音に礼を言われた。結果オーライではあったが、せっかくの仕込みをぶち壊してすまぬ、すまぬ。
「戻ったら確認しますが、斑鳩様がお戻りになる時、絡んできた者達で間違いないでしょう」
そういえば、ファストの宿屋で、"去年は【皇帝】や【王】が、ごそっと引退した"と聞いた気がする。バベル達は、引退した【皇帝】の繋ぎでしかなかったのかもしれない。でないと、レベルが40にも満たない私を始め、異邦人に負けるのが腑に落ちない。
天音の一族は、他と比べてフソウから外に出ることの多い一族で、アイルを始めとする他国にも名が知られているそうだ。実は右近はもちろん、左近の方が家格が上なのだそうだが、外での知名度を利用して、斑鳩に絡んだ不審な騎士達をおびき寄せていたらしい。
「本人も周囲も気がつかないまま、少しずつ傾倒してゆくのは厄介そうだね」
よってくる魔物を投擲で倒しながらペテロが言うとおり、小さな変化に気づかず過ごしてしまうと大変なことになる。まあ、ガラハドたちは、見分けるのが面倒なら全部神殿に突っ込んでしまえ! な精神なのだが。
憑依の件といい、神殿の負担が大変なことになるのではなかろうかと心配していたら、儀式に使うのは『聖水』とか『神水』だそうで……。『聖水』や『神水』のランク、量によって、それを補うように神官の祈祷が必要なのだそうだが、『庭の水』大活躍! 思う存分ぶっかけてるらしいです。ちょっと楽しそうだと思ってしまった私は悪くない。
『庭の水』はレーノも、体調を安定させるために一日一杯飲んでいるそうだ。『庭の水』は彼にとって、青汁か。
「【傾国】にかかった者の見分けはそんなに難儀か。――フソウに近年中に戻った者達は、かたっぱしから解呪にかけたほうが良さそうだね」
「はい、きっと帝国の次はフソウが狙い。身外身が本体に戻りたがっているのかもしれません」
右近と天音が言い合う。
右近にはちゃんと【結界】習得のお知らせをしたのだが、話がよく聞こえるという理由でまだ白虎にタンデム。香を服に焚きしめているのか、右近が動くと、時々風に乗っていい匂いがする。気づくか気づかないかほどの微さだ。
「ところでホムラとランスロット殿の関係は……? 主と呼ばれていたようだが」
「雑貨屋の店員さんだ」
左近にカルとの関係を聞かれたので、正直に答えておく。一応、剣は捧げられているが、私の感覚としては雑貨屋の用心棒、兼、私が留守の時のラピスとノエルの保護者なのだ。今はリデルもいる。
「店員……?」
「店員」
戸惑うように聞き返して来た左近に、力強く言い切る。
「……」
「豪華な店員だね?」
右近がニコニコと口を挟む。
「まあ、出会った時は怪我で思うように動けない状態だったし。偽名を名乗っとったしな」
ついでに当時、最強の騎士なぞいるの知らんかったし。
「ああ、それで"カル"?」
ペテロが納得がいったように言う。
「うむ」
本人もカルでいいというし、今更呼び方は変えられない。ランスロットよりカルの方が言いやすい。
「酒に弱い男が、あのガラハドだったとはな」
ルバが感慨深げに言う。ガラハドは酒に弱くはないと思うのだが……、ルバには後で菊姫と飲み比べをしてみてほしいところ。カルは別格として、帝国の騎士には称号に色を頂く名の知れた騎士がいて、ガラハドがその一人だった。
「思い切りラフな格好な上、裸足の男が有名人なのか」
ペテロが嘆息する。よかったな、ガラハド、パジャマにしてるのバレてない。
「あの格好で寝てそうだわよね」
前言撤回、天音が鋭い。
「ああ、船が見えてきましたよ」
ホップの言葉に、前方を見る。左右から迫る崖の間に、日本海のような深い紺色の海が見え、船の帆柱が見える。近づくと、それは立派な帆船で、船の前の陸で若い男が手を振っていた。
「先に様子を見にやらせていた、私の店員のガリアンです。騎士じゃありませんよ?」
ホップが片目をつぶってみせる。
私たちの到着を見たのか、一斉に帆が張られる。風を含んで広がった白い帆が、紺色の海に映える。天気もいいし、風の強さも上々。道中、事件はあったがいよいよフソウだ。