134.影響
最近何時も吹いていた強い風が止んだ。
ギシギシと軋んでいた窓枠や、扉の音、木々を鳴らす唸るような風切り音がいきなり止まり、静寂が訪れている。部屋でぬくぬくと温まり、眠りにつく住人たちには幸いだろう。
しかし、具合の悪そうなカミラを気遣いつつ、夜の森を行くガラハドたちにとっては、久しぶりに訪れたその静寂は、虫たち或いは小動物が捕食者たちを恐れて息を潜めているかのように感じ、不気味に不安を煽るものだった。
「くそっ! 神殿を抑えられてるとは」
「ただの嫌がらせだろう、あの方にとっては一言声をかけるか一通書類を書くだけの労力だ。もう国境を越える、騎獣も転移石も使えるようになるんだ、楽になるぞ」
「こうなるとあの人も嵌められたんだな。オレは馬鹿だ」
古い昔に打ち捨てられた道を行く。街道の石はとうの昔に剥がされ、獣道よりは多少マシなだけの山道。辛うじて残った石も木の根に押し上げられ、通る者の足元をすくう。
ガラハドがあの方と呼ぶ、初代の王の時代から存在する偉大なる魔導師の力は、国の隅々まで行き渡り、信じて疑わなかった時には頼もしいと感じたその力は、今では忌々しい監視の目に感じられた。
「あの時は仕方がない、まさかあの方が傾いているとは誰も思わないだろう」
言っても無駄だろうと思いながらも、イーグルは自分を責め始めるガラハドに仕方がないことだと伝える。無駄だと思うのは、あの時ガラハドと同じ行動をとった自分をイーグルもまた許せていないからだ。ただ、いつもは苦境にあっても笑っているようなこの男の、自分を責める姿はあまり見ていたくなかったので。
「オレはあの時、あの方の方を信じてあの人の討手に加わったんだ」
今度はイーグルの喉にも白々しい慰めは出てこない。
「やめて、あの時は全員があの方の方を信じたのよ」
苦しそうな様子のカミラの言葉に、自分を責め足りないガラハドも黙る。黙ったところで胸に渦巻く不甲斐なさも後悔も消えないのだが。
あの人はもういない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ログインして『異世界』の夕方の時間帯に滑り込めたので、雑貨屋にゆくとラピスとノエルが出迎え、左右から抱きついてきた。尻尾をブンブンと振りながら額をグリグリと擦り寄せてくるラピスと、パタパタと揺れる尻尾で遠慮がちにそっと額を寄せてくるノエルの、大分手触りが良くなってきた髪を撫でる。
獣人は回復が早い、もう飢えてガリガリだった時の面影はない。コケていた頰が子供らしいふっくらとした様子を取り戻すと、二人とも将来有望な美形さん。ロリコンやらショタコンやら誤解が広まりそうだが、うちの子は可愛い、これで尻尾がモフれたら最高なんだが。
これは人、これは人、not動物、これは人、と心の中で呪文を唱える私。ヴェルスの試練よりも辛い。私はもふらーなだけでケモナーではないぞ、念のため!
心の中で己が欲望と戦っていると、カルが客が来ているという。撫でる手を止めると名残惜しそうに二人が離れて行く。カルやレーノが客を通すという状況がいまいち浮かばなかったのだが、誰だ?
レーノが休憩所から商談室という名のただの小部屋へ続く引き戸を開ける。
「なんでここに居るんだ?」
中にいた人物を見て呆気にとられた。
「いやあ、はっはっはっ」
そこにいたのは、相変わらず無表情で抑揚のない話し方をするカイル枢機卿。はっはっはっも、抑揚なくそのまま「はっはっはっ」、と読み上げられているようだ。神殿のトップがしがない雑貨屋なんかに来ないでほしい。
「すみません、外で待たれると却って騒ぎになりそうでしたので」
「ああ、ありがとう」
何だろうこめかみを押さえたい気分ってこんな感じなのか。現実世界でそんなジェスチャーしたことないぞ。謝ってくるカルに礼を伝えてカイル猊下に向き直る。
「ちょっとレンガード君と話がありまして。他は遠慮してくれますか?」
「イヤ、ラピスは主といる」
「聞かせられないような話を主にするおつもりなのですか?」
カイル猊下の退席の要望に、端的に答えるラピスと、笑顔で問うてくるノエル。ノエルさんや、神殿でお世話になってるのに何故慇懃無礼?
「これからレンガード君がお持ちの『黒くて』『硬くて』『立派なモノ』について少し話したいだけですよ」
「は?」
カイル猊下が無表情で言い放った単語三つに思考停止している間に、レーノがお子様二人を回収して、私を小部屋に押し込み勢いよく戸を閉めた。端正な顔したインテリ眼鏡から出た単語はなかなか破壊力がある。
え、ちょっと待て、エカテリーナから【房中術】がばれた!? いやいやいや? 私、自分で言うのもなんだが、ムッツリなんでそういう話題を猊下と二人でするのはハードル高い!! え? ここは誰に助けを求めるべきなんだ? 適任は誰だ!? いやその前にこの世界でパンツ脱いだことないのに勝手に人のモノを……
「あなたが所持している彼の竜についてですが」
「バハムートか……」
わざと? わざとですよね!? なんなのこの男、さすがエカテリーナの上司だなおい!
なんでこの男は無表情なのに突飛なことを言い出すんだろうと思いつつ、ため息を飲み込み向かいに座る。さすがヴァルの神託を受けるレベルの男である。
「ああ、やはりバハムートですか、幻術の類ですとうれしかったのですがね。白き獣はともかく、彼の竜まで配下に置いているとは予想外でした。ファガットの上層部が蜂の巣をつついたような騒ぎです」
「ああ、あれか」
情報早いな。ついでにもしかしてバハムートであることの確認のための引っ掛けだったのか。
「いずれは開示しますが、獣の封印が緩み、解けていることを公にするには未だ早いとの判断です。ファガットは強大な『幻術』によるものとして事態を収束させるそうですよ。どうやったか知りませんが、証拠隠滅も完璧でしたしね」
ステージを戻したことか。
「開示してしまって、他の獣に備えたほうがいいんじゃないのか?」
白もバハムートもおとなしい(?)ので問題ないが、他の獣がそうとは限らない。実際、獣の物語には人を支配し、喰い、国を焼き、隣人同士を争わせ、となかなかエグい描写がある。誇張されているにしても半分当てはまっただけでアウトだ。
「民には、です。貴方が現れる前から、獣の封印の緩みに気づいた国も神殿も動いています。ただ、圧倒的に力が足りない、成長の早い異邦人たち冒険者を抱き込んで、レイド戦ができるよう戦力を確保してから、知らしめる予定だったんですよ。対抗する力も方法もないまま、大多数の力無き者に強大な敵の存在だけ伝えるのは危険です」
「そんなに大事なのか?」
「もちろん大事ですよ」
あー、うん? 確かにバハムートと雌雄を決しろとか言われたらレイド戦でも泣くかもしれん。
「以前は素性の確かな自国民しか決して召し抱えようとしなかった国々が、有望な異邦人を抱き込み始めています。国だけではない、神殿や、各ギルドもです」
「ああ、仕官の話もちらほら聞くな」
そういえばクランは冒険者ギルドだが、自分の個人所属は決めてなかった。
「そういうわけで勧誘です。貴方ハ神ヲ信ジマスカ?」
「何故片言!?」
てか、この世界で信じない人いるのか!? 実際にいるのに!! ああ、存在を信じるのと導きを信じるのとは別か。
「存在は信じるが、信仰は持ってないぞ」
信仰を持つのは、迷惑神とかパンツとかパンツとかマッパなイメージで難しいです。
「所属しているだけでいいのです。ここの場所は何れ知られます、勧誘があちこちから来ますよ。ファガットの上は何故か貴方に好意的ですので彼方に所属する手もありますが、その場合"国に所属している"という事実作りにファガットに引越依頼がくるか、国主催の夜会の招待が雪崩のようにくるか、対外的に国からの命令を聞いている風な演出があるかもしれませんね」
「夜会……」
討伐依頼ならともかく夜会とな? 無茶いうな、聞くだけで面倒臭い。あとクランハウスはファガットの島予定ですが、その場合タダになりますか?
「まあ、上層部が好意的でも貴族・国民と国は色々面倒ですので仕方がないでしょう。その点ここの神殿はいいですよ、何せ私のワンマンです」
それは嫌な神殿なの良い神殿なのどっち!? ファストで神殿の悪口を聞いたことがないのでいい神殿、なのか?
「私は魔法剣士で欠片も神殿に引っかかってないと思うのだが」
「神殿騎士、神殿闘士、神殿付きの薬術師、様々な才能から絶賛募集中です」
「……」
無表情抑揚無しで間髪入れずに絶賛とかいわれましても……。
「ファストの神殿は貴方を一切束縛しないとお約束しますよ。私の下につくわけでもなく、ただ貴方の好意で神殿に所属している風を装います。幸い、ファガット国が貴方に好意的なため、名のみの所属でうまく転がりそうです。下手をしたら国から討伐命令が貴方に対して出てもおかしく無いレベルな自覚を持っていただきたい。このままですと、貴方の自由が損なわれる。風の神ヴァルはそれを望みません」
ぐふっ。ズボッと行くだけだと思ってたら予想外の穴が空いたんだ、仕方が無いじゃ無いか。
「神託か。貴方は何故神託を遵守する?」
「それは私が何故神官になったかと聞くようなものです」
「私は今まで通りやりたいようにやるぞ? 積極的に獣の討伐やらもせんし」
「構いません。神殿に所属することで煩わしさを感じたら抜けていただいても結構です」
まあ、今までと変わらないなら、と結局了承した。
カイル猊下とのやりとりは疲れるけれど面白い。面白いけれど油断ならなく、油断ならないくせに私に都合がいいというなんとも不思議な事態だ。
「すまん、だいぶ待たせたな。夕食にしよう」
カイル猊下も食って行くというので、ラピスノエルの二人も今日は馬車でなく私が猊下と一緒に転移で送ることにする。カイル猊下も『転移』は使えるそうだが。
ズッキーニの花にジャガイモとチーズとベーコンを詰めて揚げたもの。ひき肉と玉ねぎを炒めてすりおろしパルミジャーノチーズとパン粉と合わせて詰めて焼いてもいい。元がしんなりしていてはダメなので採りたて限定だが、何も入れずに小麦粉を溶いただけの衣をつけて揚げてもサクッとして美味しい。ズッキーニ本体と違って文字通り花の命は短いのだ、旬を楽しみたい。まあ、荷物に放り込んでおけば劣化はしないのだから気分だが。
適当な肉を数種類塩胡椒で炭火焼にしてジビエ風と言い張ったもの。現実世界のようにスーパーでパックに入って流通しているわけではないので、この世界でジビエと言ったって普通に肉だが。
青パパイヤを千切りにして混ぜたサラダ、バケット、さらりとした野菜スープ。黒に見えるほど濃い紫の桑の実ジャムとヨーグルトアイス。
揚げ物は必要も無いのについでにあれもこれもと揚げたのだが、ドゥドゥのニンニクダレに漬けた唐揚げを、揚げる側からパクパクやってくれた手を軽く叩いたらカイル猊下だった場合は、どういう反応をすればいいのか。カイル猊下は"つまみ食い"とやらに参加したかっただけだったらしいが、主犯格二名は慌てて証拠物件を口の中に押し込んで、熱い肉汁というか肉脂で悶絶してるし、大人しく本を読んで待つラピスとノエルを見習ってくれ。
ラピスとノエルに「こんな大人になるなよ」と、言いたいところなのだが、人世界の規定から外れているレーノはともかく、片や神殿トップの枢機卿、片や『湖の騎士』の異名を持つ武勇優れた人格者。ちょっと何か世の中間違っているような気分になるのは仕方が無いと思う。




