役割
「ようこそ。
ここは始まりの都市、ファスタルだよ」
僕はいつも通り、決まったセリフを返す。
これが、僕の役割だ。
この街に来たプレイヤーと呼ばれる人たちに、街の名前を話す。
ただ、それだけ。
「この街の宿屋の場所を教えてほしいんですけど」
そう言われたことがある。
「ようこそ。
ここは始まりの都市、ファスタルだよ」
僕は同じセリフを返す。
なぜなら、それが僕の役割だからだ。
大抵の人は、がっかりした表情ですぐにどこかへ歩き去って行く。
だけど、たまに何度も話しかけてくる人がいる。
僕はその度、同じセリフを返す。
「ようこそ。
ここは始まりの都市、ファスタルだよ」
「ようこそ。
ここは始まりの都市、ファスタルだよ」
「ようこそ。
ここは始まりの都市、ファスタルだよ」
「ようこそ。
ここが始まりの都市、ファスタルです」
「ようこそ。
ここは始まりの都市、ファスタルだよ」
こんな感じだ。
そういう時には、プレイヤーの人は僕が何度も同じセリフを言うのを確認した後、満足そうな顔で去っていく。
全くもって意味が分からない。
馬鹿にされているのかもしれない。
でも、別に気にしない。
これが僕の役割で、僕のすべてだ。
プレイヤーの人が何を考えているのか分からなくても、僕はいつものセリフを返すだけだ。
いつからやっているのかは覚えていない。
気づいたときには、この場所に立っていてこのセリフを話していた。
僕に家はない。
この場所が僕の家、みたいなものだ。
僕は自分の意思でここから動いたことがない。
朝でも昼でも夜でも、晴れでも雨でも雪でも、僕はここにいて、このセリフを話す。
でも、僕はこの言葉しか話せないってわけじゃない。
普通に話すことはできる。
ただ、プレイヤーの人たちにはこのセリフを言う、というのが役割というだけだ。
だから、通りがかった街の人たちとは普通に話すし、商人の人なんかが街に来た時には、宿の場所だって説明する。
でも、街の人と話している時でも、プレイヤーの人が話しかけてきたら、
「ようこそ。
ここは始まりの都市、ファスタルだよ」
と言う。
これが僕だ。
街の人は多分、僕のそんな様子に呆れていると思う。
たまにはサボって休めばいいのに、そんなことを言われることもある。
でも、僕にはこの役割以外にするべきことはない。
街の人たちに聞いた外の世界のことに興味はある。
おもしろそうだと思ったことも一度や二度じゃない。
それどころか、街の中で起きた出来事の話でさえ、ここからほとんど動かない僕にとっては新鮮なことが多い。
だから、いつかはそういう世界を見られたらいいと思っている。
でも、僕にはここからの動き方が分からないからどうしようもないし、そういうことに執着しているわけでもない。
そして、今日もまた
「ようこそ。
ここは始まりの都市、ファスタルだよ」
と繰り返す。
僕がこう話すのはプレイヤーの人相手だけなんだけど、プレイヤーと一口に言っても色んな人がいる。
男の人、女の人、若い人、年配の人、太った人、痩せた人、なんだかゴツイ装備の人、軽装の人、真面目そうな人、変な雰囲気の人。
とにかく色々だ。
それに、プレイヤーでも外見は街にいる普通の人たちと変わらない。
かなり変な服装の人もいるけど、それは街の人にも言えることだし、ほとんどの人の外見は普通だ。
ただ、中身はちょっと違うらしい。
普通の人よりも、強いんだそうだ。
だからこそ、プレイヤーの人たちは冒険者とか傭兵として世界中の問題を解決している、と言われている。
詳しいことは知らない。
見た目は本当に普通の人と同じだから、その話が本当かどうかもよく分からない。
噂で聞いただけだし。
街の人たちはプレイヤーか普通の人か、なんて分かっていないんじゃないかな。
だから街の人は、僕が普通に話す相手と同じ言葉しか話さない相手がいることを不思議に思っていると思う。
でも、見た目が同じでも、僕にはその人がプレイヤーかどうかはすぐに分かる。
だって、僕の役割はプレイヤーの人にこの街の名前を伝えることだから、分からないと話にならないからね。
僕はいつでもこの場所にいるけど、本当にたまに違う場所にいることがある。
と言っても、それは僕自身の意思でどこかに行くからじゃない。
この街には、なぜか外にいてはいけない日がある。
外出禁止令が出されているらしい。
その日に限っては、なぜか僕は街にある居酒屋にいる。
動いたつもりはなくても、いつの間にかそこにいる。
そして、そこでプレイヤーの人に話しかけられたら、
「ようこそ。
ここは始まりの都市、ファスタルの居酒屋だよ」
と言う。
微妙にセリフが変わるけど、基本的に僕の役割はあまり変わらない。
僕はそんな毎日を過ごしている。
面白くもないけれど、ちゃんと役割を果たしているから満足はしている。
◇
僕は今日も街の入り口付近にいる。
いつも通り役割をこなしていると、周りにいた人たちが落ち着きなく何かを話していることに気が付いた。
街の近くにモンスターが大量に現れたそうだ。
どうやら近くの遺跡で大量に発生していたやつらが、増えすぎて外に出てきてしまったらしい。
それが運悪く街の方に進んできているって話だ。
悪い話は広がるのが早い。
僕が聞いた時には、街はちょっとした混乱状態になり始めていた。
すぐにほとんどの人が家に閉じこもって出てこなくなった。
通りには人影がどんどんなくなり、閑散としてしまった。
それでも、僕はいつもの場所を離れない。
ここにいるのが僕の役割だからだ。
すぐに街にある研究所の調査員が事態を収拾するっていう説明があった。
研究所の調査員はこの街の何でも屋だ。
面倒なことが起きたら、いつも調査員かプレイヤーの人が解決してくれる。
調査員が事態に当たるって説明があったすぐ後に、調査員の統括が街に現れた。
「すぐに倒してきてやるから、安心して待ってろ」
って街の人たちに声をかけながらすっ飛んで行ったから、多分本当にすぐに解決するんだろうと思った。
調査員の統括は街の人たちから信頼されている。
めちゃくちゃな人らしいけど、すごく頼りになるらしい。
僕は直接話したことはないけど、街の人がよく噂話をしているから知っている。
プレイヤーの人たちも統括に続いて街を出て行った。
「やった。
大量発生イベントだ。
急げ、早く行かないと全部倒されちまうぞ」
なんて言いながら、怖がる風もなく出て行ったので、調査員の人たちと協力してモンスターの討伐をしてくれるんだと思う。
その中のプレイヤーの一人が、何を思ったのか僕に話しかけてきた。
「ようこそ。
ここは始まりの都市、ファスタルだよ」
それでも僕はいつも通りのセリフを返す。
こんな状況だけど、これが僕の役割だから、これで良いんだ。
プレイヤーの人は呆れたような顔をしていたけど、僕に構っている場合じゃないと思ったのか、すぐに出かけて行った。
うん。
今は僕に話しかけることより、モンスターの対処に向かうべきだ。
◇
しばらくして、統括とプレイヤーの人たちの活躍でどんどんモンスターが倒されているって報告があった。
不安を取り除くために、情報は逐一街の人にも伝えられた。
その情報では、大量に発生したモンスターたちは数は多いらしいけど、そんなに強いやつはいないそうだ。
だから、討伐に向かった人たちが苦もなく倒しているらしい。
僕たちはその報告に安心して、街は次第に落ち着きを取り戻していった。
それほどたたずに、再び外出する人が増え始めた。
そして、統括とプレイヤーの人たちが向かった日の夕方には、もうすぐ解決するって報告があった。
僕たちは誰もモンスターを見ていなかったし、思ったよりも問題の解決が早そうだったから、すっかり安心していた。
事件が起きたのは、その報告のすぐ後だった。
一体の狼型のモンスターが街の入り口に現れたんだ。
すぐに入り口付近にいた人たちが気づいて、街はパニックになった。
別に狼型のモンスター一体くらい、調査員の人かプレイヤーの人がすぐに倒してくれると思ったけど、安心しているところにいきなり現れたから、みんなへの衝撃は大きかったらしい。
そのモンスターは街の中に入ってきた。
入り口にはいつもなら見張りの人がいるけど、今はモンスターの討伐に協力していて出払っている。
気づけば、その辺りにいた人たちはみんな逃げていて、残っていたのは僕だけになっていた。
だから僕を標的にするのは自然なことだったと思う。
その狼型のモンスターは真っ直ぐ僕の方に向かってきた。
僕は恐怖を覚えた。
初めての感覚だった。
僕はこの場所でいつものセリフを言うだけの人生だったから、恐怖なんて感じたことがなかった。
すごいスピードで近づいてくる狼の姿が僕にはスローモーションのように見えていた。
初めて、はっきりと自分の意思でここから離れたい、逃げたい、と思った。
役割のことは気になるけれど、それよりも逃げたいと思った。
だけど、どうすれば逃げられるのか分からなかった。
狼がどんどん迫ってきた。
その顔はとても恐ろしくて、大きくて尖った牙や鋭い爪も見えた。
そのすべてが怖かった。
もう手が届くような所にまで近づいていた。
ダメだと思った。
僕はここでコイツに殺されて食べられてしまうんだ。
そう、覚悟した。
この時、初めて役割のことも忘れて純粋に、ここから動きたい、それだけを思った。
僕の頬を風が通り過ぎた。
なぜかモンスターは僕のすぐ横を素通りして行った。
僕はその場にへたり込んだ。
助かった。
なぜだか分からないけれど、モンスターは僕を襲いはしなかった。
そして、ふと気づくと、ほんの1mか2mくらいだけ、いつもの場所から離れていた。
自分でも無意識のうちに動いていたみたいだ。
呆然としていた僕のところに統括と何人かのプレイヤーの人が走り寄ってきた。
「すまん、一匹街に入れちまった。
大丈夫だったか?」
統括が心配してくれた。
かなり焦った様子だから、気づかない内に一匹取り逃がしてしまったんだろう。
それで、急いで戻ってきてくれたんだろうな。
「はい、大丈夫です」
襲われなかった理由は分からないけれど、本当に大丈夫だったので心配させないように統括に答える。
「良かった。
おい、急いで追うぞ」
統括はプレイヤーの人たちにそう言って、モンスターを追いかけていった。
その何人かいたプレイヤーのうちの一人が僕に向かって、
「おい、お前、モンスターが来たんだったら、すぐに逃げろよな。
なにボケーっとしてんだよ。
危うく依頼が失敗になるところだったじゃねーか」
と、すごい剣幕で怒られた。
言っていることはよく分からなかったけれど、僕が逃げなかったから怒っていることだけは分かった。
「ご、ごめんなさい」
僕は反射的に謝った。
人に怒られることなんて初めてだったから、咄嗟に謝罪の言葉が口から飛び出した。
「チッ、気をつけろよな」
そう言って、プレイヤーの人は統括と一緒に走り去っていった。
その後で、僕は気づいた。
僕は初めてプレイヤーの人にいつものセリフ以外の言葉を話したんだ。
今日は初めてづくしの一日だったな。
一人になった僕は、ぼんやりとそう思った。




