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流行にのった短編

初めての外はゲームの世界でした2

作者: 小宵

初めての外はゲームの世界でした の続きです。

書きたいシーンを詰め込んだので初めの方大分話がとびとびです。

自分で読み返してもテンポが早いと思ったのですが……。

それでも大丈夫な方は任意でお願いします。

拙い文章ですが、暇つぶしにどうぞ。

「小父さま! 小父さま! 見てください! 鼻水が!!」

「ぷっ……あははははは。ってちょっと美琴。無理に剥がそうとしたら皮まで剥がれちゃうから」


 興奮と寒さに頬を上気させる美琴の鼻には小さい氷柱が出来ている。

 余りの気温の低さに鼻水がそのまま凍ってしまったのだ。

 羽織っているオレンジ色の防寒着のファスナーを一番上まで上げてやれば美琴の顏は半分隠れてしまう。

 はっくしゅ、と小さなくしゃみと共に氷柱は崩れた。

 風邪をひいてはいけないので船中に入るように促すが、また新しいものを見つけ走っていってしまった。


「小父さま、小父さま! あ、あれ! ペンギンですよね!? それともトビウオ? わぁ……あ!」

「危ない!」


 海を自由に飛び回る魚に興奮し目を奪われた美琴は、デッキに身を乗り出しそのまま海の方へと傾いだ。

 氷点下の海。

 落ちたら──。


「……だから、危ないといつも言っていただろう?」

「カイル様!」


 まさに海に放りだされそうになった美琴の腰を掬い上げ、引き寄せたのは約一年と半年前に別れたはずのカイル・璃皇・J・アッシュベリー。

 美琴を抱き上げたままのカイルに、クロードはやれやれとため息を吐きながら大きな声で二人を呼ぶ。


「アッシュベリー、そのまま美琴を船内に入れてくれ! これ以上動き回られては敵わない」

「あ! 小父さま、もう少しだけ……」

「駄目だ。寒い」

「う〜……」


 カイルの肩でしょんぼりと項垂れる美琴を確認してクロードは腕を摩りながら「寒い、寒い」と言って先に船内に戻った。




+++



 温かいホットチョコレートを両手でもってちびちびと飲む美琴はとても幸せそうだ。

 きょろきょろと周りを見回し、結局は窓にへばりついて外の景色ばかり見ている。

 そんな美琴を微笑ましげに見つめ、それとは真反対の冷えた目で正面に視線を向ける。

 ソファにゆったりと寛ぐ五人の青年達はVIP付きの船員が注ぐ紅茶を優雅に飲んでいた。

 

「なんで君たちが居るのかな? 私と美琴は冬休みを利用して北極旅行に来たはずなんだが」

「わざわざ家のクルーズを利用して、ですか?」

「……可能性としては考えていたが、まさか本当に調べて来るとは思わなかったんだ」 

 

 それにわざわざ船を買う必要はないと判断した。

 アッシュベリー家所有のこの豪華客船はクルーも一流で気に入っている。

 カイルははしゃぐ美琴を目で追い、目元を少し和ませた。

 カイルの伝でばれるかもしれないとは思ったが、一年半前辛らつな言葉を与え萎れさせたはず。

 これだから自信家のガキは……とクロードはこめかみを押さえた。

 

「……しかも、全員」

「あ! また……ペンギン、かな?」


 こっちの苦労も知らないで、美琴は頓珍漢なことを言っている。

 間違いを正してやろうと思ったが、クロードよりも先にいつの間にか美琴の隣に並んだエイベル・颯太・ビートンが間違いを指摘した。


「あれ、魚だよ? 北極にペンギンはいない」

「え!? ペンギンいないの……?」

「うん、ペンギンがいるのは南極」

「えぇ……ペンギン……」


 もふもふが……としょんぼりする美琴に寄り添う颯太は一年半前より身長がかなり伸びていた。

 前は美琴より少し高いくらいだったが、頭一つ分追い越している。


「南極はペンギンの糞尿がまざった氷がそこかしこにあって匂いがキツいから嫌いです。見た目に反して美しくない……まぁ、北極も似たようなものかもしれませんが北極はそうでない事を祈りますよ」


 和服姿で茶菓子を摘む神宮寺伊織が夢のない事を言い、美琴は目に見えてしゅん……と凹んだ。

 

「伊織……そんな身もふたもない事を言うものじゃないよ。……美琴ちゃん、南極ももちろん素敵だよ。近づくのは駄目だけれど、ペンギンから近づいてくる分には許可されてるからね。折りたたみの椅子を持参して、上手くいけばペンギンに囲まれる事もあるんだよ。子供のペンギンはそれはもう可愛いし」


 もふもふしてて、とにっこり笑う皇大地の言葉に美琴は「うう……ペンギン……居ると思ったのに」とさらに残念そうだ。


「…………」


 そんな子供のような美琴を見て口元を緩めるクリストファー・K・ラザフォード。

 クロードは何度目になるか分からないため息を吐いたのだった。

 




+++






 ボートに乗って氷の大地に降り立った美琴のはしゃぎぶりに疲弊したクロードはきゃっきゃと楽しげな若者達を眺め、ぶるぶると震えていた。

 

「……寒い。美琴があんなきらきらした目でTVを見ていなければこんな寒いところ絶対来なかった」


 北極熊の親子を遠くから眺めて声にならない感動に震えている美琴を見て、まぁよしとする。

 持ってきた椅子に座って丸くなってぶるぶると震え、狐らしき真っ白な獣が横切るのを黙って見つめる。

 声を出すのも嫌になるくらい寒い。

 熊に夢中な美琴に教えてやりたいが、呼ぶ元気もない。

 

 雲行きが妖しくなってきたため、ボートで船に帰れば案の定海が荒れた。

 やっと暖まることができ、もう二度といかないとクロードは心に誓う。

 

「……小父さま、楽しくなかったですか?」

「ん? ああ、いや。寒いのが苦手なだけだよ。私は暑い国の出身だからね」


 暑さには慣れているけれど、寒さには弱いんだと言えば美琴が同じソファに身を沈め、腕に抱きついてくる。

 

「……私、とっても楽しいです。ありがとうございます」

「うん、なら来た甲斐があったな」


 頭をそっと撫でてやれば猫のように喉を鳴らす。

 そんな美琴に和みつつ、自分で計画した事だがこれからのことを思い鳥肌がたった。   

 

「さ、バカンスは始まったばかりだ。ゆっくり休みなさい」

「はい。小父さまどっちで寝ますか?」


 どちらでもいい、と返事をしようとすれば呼び鈴がなる。

 

「? 小父さま、出ないんですか?」

「ああ、いいんだよ。しばらく鳴るかもしれないけれど無視しなさい」


 こちらが呼ばない限りくるなと言ってあるしアッシュベリー家所有のこの格式高い船でこんな品のない呼び鈴のならし方は誰もしないだろう。

 そしてこの船で勝手が出来そうな乗客と言えば、あの五人を覗いてはいない。

『なぜ美琴と同じ部屋なんだ!?』と騒ぐ青年達の声が耳を凝らして薄らと聞こえた。

 防音もある程度出来ているようで大変満足である。






+++


 




「美琴……ごめん、自分から予約しておいてなんだけれど……今からでも良い。ホテル棟にいかないか? こんなに寒いと思わなかった」

「……お、小父さまが嫌なら……」


 目に見えてしゅんと項垂れる美琴にうっと眉をしかめる。

 思いっきり我慢をしているのがわかる。

 ホテルに着いた瞬間、今まで興奮に包まれていた美琴の顏にうっとりとした恍惚の表情が混ざった事を見逃した訳ではない。

 それでも寒い。

 しかし……名残惜しげにきょろきょろとホテルを見渡す美琴に「はー」と大きなため息を吐き、ぐいと肩を抱き、歩き出す。


「……どうせ一日だし、我慢しよう」

「小父さま、大好きっ!」


 ……この笑顔がくせ者で、クロードをいつも悩ませている。

 この笑顔の為なら何でもしそうな自分が怖くすらある。

 しかしクロード唯一の弱点である”寒さ”がその誘惑を遮断する。


「なんなんだ……マイナス五度って……ここで寝るのか? ……こんな毛皮のひいた氷の上で?」

「はい、そのトナカイの毛皮の上にマイナス十五度まで対応の寒冷地寝袋でお休みください。メインホールやアイスバーもございますので、心行くまで我がアイスホテルをご堪能くださいませ。荷物はすでにあちらに運び込んであります。それでは失礼いたします」


 アイスホテルの従業員が一通りの説明をして退出する。

 アイススイートにある温度計をみてクロードは今にも凍死しそうな気分だった。

 それとは真逆に美琴ははしゃぎっぱなし。

 子供は体温が高いからな……と遠い目でそれを見ていた。

 

「机と椅子も氷で出来ているなんて……私はどこに座ればいいんだ……」

「小父さま! 探検しましょう! 探検!」


 悪魔がクロードの腕を引っ張る。

 

「み、美琴……私は酒でも飲んで身体を温めてくるから行っておいで」

「! いいんですか!?」

「ああ……ただし、誰かと一緒にいきなさい」

「?」

「……どうせ、あの子達もその辺にいるはずだ」


 え? と首を傾げる美琴をよそにクロードはまた寒さにぶるりと震えた。

 あの五人も一括して我が学園のトップ生徒である以上、学園の生徒としての自覚をもち、良識のある行動ができるはずだ。

 そう信じている。……いや、信じる。

 美琴もあの学園で特待生になるだけあって語学も堪能だ。

 クロードの前ではある程度甘える事も許しているが、周囲を警戒する事も常日頃から教えているし……。

 などとぶつぶつ考えている間に「いってきまーす」と元気に美琴は出て行ってしまった。




+++




「わぁ……綺麗だなぁ……」


 一つ一つの造形が美しく繊細で目が奪われる。

 はーっと息を吐けば息が白くて、そのことにくすくすと笑みが漏れる。

 こんな世界は知らない。

 私だけが紡ぐ運命の一ページ。

 

「何、笑ってるの? 何か良い事でもあった?」

「大地様! 大地様もこのホテルへ?」


 口元に手を当て、くすくすと止まらない笑みを零していたらすぐ目の前に大地が少し屈んで美琴を見ていた。

 

「いや、このアイスホテルは予約でいっぱいでね。いくら俺たちでも横入りは出来ないからね」


 肩をすくめる大地は「俺たちは温かいホテル棟の方に部屋を取らせているよ」と言ってニット帽を被った美琴の頭をぽんぽんと叩く。

 何でも、明日からは美琴達も大地達が泊まっているホテルに予約を取っているらしく明日からは一緒らしい。

 大地の話を聞いているとクロードに聞いていた行き先とほぼ被っている。

「なんだか修学旅行みたいですね!」と大地を見上げれば「そうだね」と優しく目を細めて美琴を見つめる。

 慈愛に満ちた優しい大地のその表情が美琴は大好きだった。

 ……昔、兄が向けてくれていた顔にとてもよく似ている。


「美琴ちゃん? おーい」


 落ち着いてて、勉強ができて、何でも知っている、優しいお兄ちゃん。

 ちょっと垂れた目と困ったように笑う顏が私の世界の半分だった。

 兄が話してくれる世界が、美琴にとっては全てだった。


「美琴ちゃん……? ……うーん、そんな顏で見つめられると困るなぁ……」


 困ったような「しょうがないなぁ……」と言うような笑顔。


「おにー……ちゃん」

「え?」


 大地が目を見開いた事にはっとして真っ赤になる。

 声に出ていたらしい。


「あ、いえ、その。な、なんでもないんですっ! はい!」

「……そう? でも───」


 大きな手が伸びてくる。

 

 あの大きな温かい手で優しく頭を撫でて欲しい。

 ───叶うならば、もう一度。


 兄を想い、目が切なく潤む。

 

 はっとした大地の顏。

 頭に来るはずの手は、リンゴのように染まる美琴の頬に添えられる。

 視界いっぱいに広がる美琴を包み込むような深い緑色。


「あ───」

「大地、なにやってるの」


 ぐいと後に引っ張られぎゅっと抱きしめられた。

 美琴の肩に顎を置き、大地を睨みつけるのは颯太だ。

 大地は両手を上げ、乾いた笑いを零している。

 

「……美琴ちゃんも、隙あり過ぎ」

「う?」

「あ、こら颯太君!」


 ちゅっと頬にキスをして颯太は美琴から離れる。

 颯太を見上げて美琴はこてん、と首を傾げた。


「船でははしゃぎすぎて分からなかったけど、颯太君背伸びましたね。なんだか寂しいなぁ」

「……背、高いの嫌? まだ伸びると思うんだけど……」

「そんなことないですけど、なんだか距離が出来て……置いていかれるみたいでちょっと寂しい、かなーなんて」


 ふへっと顏を綻ばせれば、颯太がぐっと顏を寄せてきた。


「……僕の顏、そんなに傍で見たかったの? 距離なんてすぐに縮められ…………ちょっと大地。離して」

「こらこら、颯太君こそ抜け駆けはよくないなぁ?」


 襟首を掴まれて強制的に美琴から離される颯太はぷくっと頬を膨らませ不満顔だ。

 ちょっと眉を吊り上げていた大地だが、颯太の子供っぽい顏を見て微笑ましげに顏を綻ばせた。

 

 この二人はゲームの中でもとても仲がいい。

 大地は颯太を自分の弟のように本当に可愛がっているし、颯太も大地を兄のように慕い懐いている。

 大地のルートに入るには颯太の好感度も一定量を超えなければ入れない。

 颯太のルートも大地の好感度が必要不可欠。

 この二人に愛される溺愛ルートもあるぐらいだ。

 甘く蕩けるようなふわふわの綿菓子のように大切に、大切にしてくれる。

 大地・颯太の溺愛エンドのコンプリート特典のイラストはたくさんのお菓子とぬいぐるみに囲まれて、三人でお茶をしていたのを今でも覚えている。

 

「お二人とも、お暇ですか? 今から探検に行こうとしてたんですけど、小父さまに一人じゃ駄目だって言われて皆さんを探してたんです」

「俺たちを? ……俺たちとで許可したの?」

「……僕たちじゃ、相手にもならないってこと」

「? 駄目ですか?」


 小声で何か呟く二人に問いかけるが、二人はにっこりと笑って「一緒にいく」と言ってくれた。

「アイスバーに伊織がいるから」と言う事でアイスバーに行くと美琴はまた目を輝かせた。 

 賑わっており、氷のカウンターには氷で出来た四角いグラスが並んでいる。

 そこで飲み物を受け取る伊織を発見した。


「伊織様! またお会いしましたね。どうしてここへ?」

「……おや、施設は宿泊客でなくとも利用できるのですよ。記念に来てみるのもいいかと思いましてね……なんですか、その顏は。にやにやと気色の悪い」

「いえ、だって伊織様ダウンジャケット似合わな……!」

「ほう?」


 学園の制服か和服姿しか見た事がなかったので、こう、もこもこしている姿がとても新鮮に思えた。

 甘い顔立ちの大地と颯太ならともかく、ニヒルな彼にしなやかな身体のラインが隠れている服は似合わない。

 馬鹿正直に口を滑らせてしまった美琴ははっと額を隠す。

 いつものように扇子で叩かれると思ったからだ。

 しかしいくら待っても衝撃は来ず、恐る恐る片目を開くと、ぺしっと指先で額を叩かれた。

 扇子よりも衝撃は軽い。


「あう……」

「こんな姿で扇子を持ち歩いていたらそれこそ笑い者でしょう。……なんですか、その目は」

「い、いえ……伊織様が扇子を手放すことがあるなんて」

「……あなたねぇ」


 正直伊織にとって扇子は身体の一部だと思っていた。

 しばらく呆れていた伊織は意地悪く笑うとその繊細な指先で美琴の顎を取った。

 以前の日常ならば、伊織は決して直接相手には触れず扇子を使う。

 香や花、茶を扱う細くて繊細な指が、手が。

 美琴の唇を軽く押した。


「……この生意気な口を塞いでしまいましょうか」

「ちょっと伊織。公共の場でそんなアダルトな雰囲気作るのやめてくれるかな」

「美琴ちゃん大丈夫? 妊娠しちゃうから、離れて」


 大地と颯太によって救出された美琴はきょとんとしたまま事態を飲み込めていない。

 鈍さは顕在か、と伊織は軽くため息を吐いた。

 

「それはそうと……妊娠とはどういう意味です。ビートン君?」

「……そのままの意味だけど?」

「こらこら、喧嘩しない」


 あまり良くない空気に美琴は二人の間に入る大地の後で伊織と颯太をはらはらと見つめた。


 ゲームでは薔薇園で一緒には居るが二人の会話は皆無。

 こうして話している事自体ゲームではなかった事だ。

 どちらかのルートに入ればもう片方との接触は皆無になる。

 同じように、颯太はカイルとはある程度話すがクリスとは一言も話すシーンが無かった。

 颯太のルートに入れば、伊織とクリスは全く登場しない。

 そのため、このゲームにハーレムエンドなど存在しない。

 だからこそ一年半前、皆から交流会に誘われた事に驚き戸惑ったのだ。

 

「ふにゃっ」

「ん?」


 人に押され大地の背中に押し付けられる。

「大丈夫?」と大地が聞いてくるのに「だ、大丈夫です」と返事をして後を振り返ったが、誰もいなかった。

 ぐるりとアイスバーを見つめるがただ通行人に押されただけだろうと結論づける。

 そこではたと気づいた。


(あれ? 小父さま、確かお酒飲みに行くって言ってたのに)


 一杯飲んで部屋に戻っちゃったのかな? と首を傾げる。

 

「ふやぁっ!」

「……ごめん」


 頬に氷を押し付けられ飛び上がった。

 首を捻っている間に飲み物を頼んでくれたらしい颯太がグラスを美琴の頬に押し付けたのだ。

 ただでさえ寒いのに全身の毛穴がぎゅっと閉じる感覚に陥った。

「そんなに驚くとは思わなかった」と言ってしょんぼりする颯太の手元を見て、笑顔で飲み物を受け取った。

 そんな花が咲くような笑顔に颯太の顏も綻ぶ。

 颯太の後では伊織が素知らぬ顏で喉を潤していた。

 薔薇園での光景を思い出す。

 皆一緒には居るが、必要以上に関わる事の無い五人。

 ゲームでの情景を思い出して、昔を懐かしむ──が、今は他の事に気を取られる。


「ね、大地様。もう一度外からホテルを見たいんですけど……」

「ん? じゃあ行こうか」

「……なんで大地に言うの」


 くいくいと大地のジャケットを引っぱり言えば、颯太がぷくっと剥れる。

 

「なんでって……なんでかな。おにーちゃんみたいだから?」


 話しやすいし、声も掛けやすい。

 むーっと剥れる颯太の頭を撫でる大地。

 移動を開始すると無言で伊織も着いてきた。

 そのことに笑みを漏らせば大地も笑っており、美琴の耳に顏を寄せてきた。


「……今はそれでもいいけれど、君のおにーちゃんにはなれないから。……間違えないで」

「!」


 聞いた事のあるゲームでの台詞・・にびくりと身体を弾ませた。




+++




「あれ、カイル? こんなところで何してるの?」

 

 寒さで鼻を少し赤くさせたカイルが大地の言葉に振り返る。


「……クリスを見なかったか?」

「クリス? いや、見てないけど。はぐれちゃったの?」


 大地とカイルが話すのを見て大地は本当に社交的だな、と思う。

 五人とまんべんなく話すのは大地だけ。

 颯太と伊織は知らん顔だ。

 ゲームだと描かれていなかった描写にまたしみじみとここは現実なんだなぁ……と思う。

 全てのルートで登場するのは大地とカイルのみ。

 大地とはある程度コミュニケーションがとれるが、カイルは業務連絡のような事を話して終わる。

 皆が生きていて、知らない行動をしている。

ふふ、と微笑んでいると伊織が覗き込んできて訝しげな顔をした。


「……あなたは、またそのような顔をする。なんなんでしょうね。時々、あなたに全てを見透かされているような、そんな気になります」

「……」


ゆっくりと目を見開くと、じっと美琴を見下ろす伊織の貫くような視線とぶつかった。

その視線に、自分は彼らにとってまるでフェアでない存在であり、彼らに出会うまえから彼らの個人情報、心情を熟知した不愉快な存在であることに思いあたった。

見ず知らずの相手が、自分のことを自分よりも理解しているなんて……どこのストーカー、あるいはホラー映画だ。

生を受けられたことが嬉しくて、考えもしなかった。

考えなしな美琴にクロードがいつも言う言葉。

「相手の立場になって考えられるようになりなさい」

卵から孵ったばかりの雛鳥に、他人と生きていくために必要なこと。

クロードは気づけることは良いことだと褒めてくれるが、自分のこと以外に目を少し向けるだけで、今まで自分がどんなに無知で人として恥ずかしいことをしていたかを自覚する。

……果たして、私は彼らと共にいても許されるのだろうか?

だって彼らは私の秘密を知らない。

話してしまうのは簡単だが、自身のことを見透かしている相手がこの世に存在することを知ってしまうことは彼らにとって決して気持ちいいものではないはずだ。

今は友達として彼らのそばにいる。

しかし美琴はその関係を一気に崩してしまえる知識がある。

どんな行動をとれば彼らの気を引けるか。

どんな言葉を選べば彼らの心を揺さぶることができるか。


  美琴の脳裏に思い浮かんだのはあの交流会の夜のこと。


  彼らの隣で、彼らに恋い焦がれる少女たちの幸せそうな笑顔。


……私は、卑怯。


たくさんの女性が恋い焦がれて止まない彼らに近づく術を初めから知っていたのだから。


伊織の紫の目をじっと見つめる。

隣で少し剥れた颯太の蜂蜜色の目をじっと見つめる。

焦った様子のカイルとそれを宥めている大地をじっと見つめる。


彼らのそばに居る権利が、私にはあるのだろうか。


「どうしました? 何か気に障りましたか?」


珍しく伊織が優しい声音で問いかけてくる。

そのことに罪悪感が芽生えて。


「あ、あの! 私もクリス様を探して見ます!」 


止める皆を振り切って、その場から逃げ出した。





+++




きゅっきゅっと雪を踏む足が鳴る。

俯いて、足下を見て歩いた。

美琴は自分の存在がとても汚いもののように感じられた。


さくさく、きゅっきゅっ。


しばらく歩くと足先が建物の壁に当った。

ふと見上げるとホテルからは少し離れている大きな施設のようだ。

なんだろう、と入り口を潜ればそこは青銀に輝く氷の世界が広がっていた。


「………………」


空いた口が塞がらない。

横に長い椅子がずらりと並び、寝室と同じようにトナカイの毛皮が敷かれて居る。

その間をまっすぐと伸びた氷の道。

道の終わりあるのは、祭壇と十字架。


ゆっくり、ゆっくりと十字架を見つめて歩いた。

なんて美しいんだろう。

清廉された空間と空気が美琴の思考を止めさせ、美琴の意思など関係ないとばかりに彼女を吸い込むように引き寄せる。

ぽろり、と涙が頬を伝った。

綺麗だと、心が、体が。

全身全霊で感じる。

私の生きている世界はこんなにも美しいのだと、切なくて、愛しくて。

あの六畳にも満たない小さな病室だけが世界だった頃からは考えられない広い世界。

目に、心に焼き付けるように。

ただひたすら、前だけを見る。

涙が止まらない。


「お前は……またそうやって泣くんだな」

「クリス様」


いつからそこに? と首を傾げれば「初めからいたがお前の視界には入らなかったようだな」と少し不貞腐れたように言われた。

クリスの黒い指先が美琴の涙を掬う。


「……クリス様はトレンチコートなんですね」

「? ああ」


 厚手のウール素材のトレンチコートは真っ黒で、首元に着いたファーは灰色でとても温かそうだ。

 伊織のダウンジャケットもあり得なかったが、クリスはもっとあり得なかっただろう。

 ……見れなくて実に残念だ。

 細身のすらりとした彼にとてもよく似合っている。

 黒い皮の手袋で美琴の涙を拭っていたが、その手が美琴のまっすぐな黒い髪を弄ぶ。


「……今度は、何故泣いている?」

「へ?」


 くるくると人差し指で巻かれてはほどけていく髪を横目で見て、美琴の頭二つ分高いクリスを見上げた。

 射抜くように鋭いサファイアのような瞳は、先ほど美しいと思ったものにも劣らない。


「……綺麗で、美しくて」

「……またそれか」


 ぽろぽろと溢れるのは清らかなる乙女の涙。

 クリスはまるで眩しくて目を開ける事が出来ないとでも言うように目を細めた。

 

「どんな言葉で表していいか分からないんです。自分の語彙の無さが恨めしい。美しい世界を、美しい言葉で表現したい。……世界は大きく、広く、そしてこんなにも美しい事を。私が憧れていた”外”をこのような形で見せてくれた全ての事象に」


 ここへ連れてきてくれたクロードに。

 楽しいひと時を共に過ごしてくれる友人達に。

 この世界に生を受けた事に。

 香月美琴としてこの場に居られる事に。

 世界が美しく優しく私たちを大地に受け入れてくれている事に。

 ───感謝を。


 海のような、空のような深い碧。

 かと思えば氷のように透き通り、硬質に光り輝く宝石のような碧眼。

 へにゃっと顏が綻ぶ。

 

「……クリス様、氷のプリンスって呼ばれているの知っていますか?」

「……なんだそれは」


 呆れた色を持つ声とは別に、その目に触れようと伸ばした手が拒まれる事は無い。

 瞼をそっと触ればけぶるようにびっしりと生え揃った長い睫毛がふるりと震えた。

 

「私はぴったりだと思います。この氷のお城が凄く似合ってます。王子様みたいです」


 王子なのは知っているけれど。

 冷たく閉ざされたクリスの心は。


「氷は確かに冷たいけれど、美しくて綺麗でキラキラしていて。きっとこの氷の城のように整理され造形に富んだ透き通ったもので……」


 これ以上、言ってはいけない。

 でも、言わなくてはいけない。

 ……クリスを攻略する、最も重要なあの台詞・・・・を。

 だって、今浮かんでくる言葉は耳慣れたあの台詞だけで。

 

 繊細な氷の作品のような顏をじっと見つめる。


「……あなたの氷はいつ、溶けるの?」


 クリスは無表情で、そこから感情は読み取れない。

 

「氷は、確かに美しいけれど。氷で覆われたその美しく輝く世界に、他人は決して入れない。……だって閉ざされているから」


 目を閉じ、頬に添える美琴の手にすり寄る。


「人を寄せ付けて止まないその美しさ……あなたに焦がれる存在は多い。でも、焦がれるばかりではないことをあなたは知るべきです」


 じっと願うように美しく透き通ったサファイアを見つめる。


「あなたが、壁を作っているだけ……」


 どうか、わかって。


「私は、あなたの敵じゃないよ」


 きっと、皆もそう。

 

 話もしなかった彼らが一緒にいて、内容はどうあれ交流をもち、お互いを認めている。

 そこにいないものとして扱っていた|あのころ(ゲームの世界)とは違う。

 彼らは、仲間……友達。

 きっとクリスが拒んでいるだけで、この麗しい人には味方がたくさんいる。


 選択肢を一つ間違えただけでDEAD ENDになる、悲しいプリンスのままでいないで。


 その出生から、難易度が一番高く、攻略も難しい王子様。

 選択肢を一つ間違えれば、クリスの場合、即、死だ。

 キャラのDEAD ENDがあるのもクリスのみ。

 他の皆はBAD ENDなのに、クリスだけはDEAD ENDしかない。

 異母兄弟に殺される殺人エンド。

 この世に嫌気がさして自ら命を絶つ自殺エンド。

 お互いの誤解から狂ってしまう心中エンド。

 メインキャラクターなのでクリスだけエンドが多い。

 

 ゲームでは学園の礼拝堂でのシーンだった。


 まるで結婚式のように誓いの言葉を立てるのだ。

 しかしこれは恋愛エンドのルートだから。

 誓いの言葉も、証もあげられないけれど。

 そこを上手く省略して、クリスが死んでしまうルートだけはどうしても潰しておきたい。


「……なんだ、急に。……泣き過ぎだ」


 頬に添えていた手を外され、逆に両手で頬を包まれる。

 何時の間に手袋をとったのか温かな指先がこぼれる涙を何度も払う。

 クリスの死んでしまうシーンを思い出して、あれがもし現実になってしまったらと怖くて、涙が、震えが止まらない。

 ……あんな真っ暗な世界をこの人に見せたくない。

 世界から見放され、置いていかれるような、そんな喪失感を味わって欲しくない。

 

「な、なんでクリス様わらってるんですかぁ」


 震える声で答えればクリスはまた笑った。

 礼拝堂でのシーンではクリスが一筋の涙を流してそんなクリスを背伸びして主人公が抱きしめるのだ。

 

「うう……これ、逆ですぅぅぅ……」

「何を言っているんだお前は」


 クリスのように絵になる泣き方ではないが泣いているところを抱きしめられ慰められている。

 何故だ。

 そんなことはどうでも良いが、これでクリスが死ぬ運命を変えられることができたのだろうか、と不安げにクリスを見上げる。

 目があえば蕩けるように顏を笑ませ、泣きじゃくる美琴の額に口付けた。

 額から伝わるじんわりと広がる熱に、ぼけっとクリスを見上げていた美琴だが数秒経ったところで、ぼん! と茹で蛸になる。

 

「な、ななななななにするんですか!」

「ついな」


 ばくばくと心臓がうるさい。

「心配して損した」とぷくと頬を膨らませれば苦笑したクリスに頭を撫でられる。


「いや、悪い。今更な事を言うから。……誰もお前の事を敵だとは思っていない」

「へ?」


 首を傾げれば、クリスはまた蕩けるような顏をする。

 クリスのこの顏には見覚えがある。

 クリス唯一のHAPPY ENDで王となったクリスの隣でウエディングドレスを着た主人公を抱き寄せたとき、確かこの顏のイラストがアップであった。

 クリスが見せる、嘲笑でも苦笑でもない……本物の笑顔……笑顔?

 どちらかと言えばクロードの表情に似ている気がする。

 親ばかならぬ後見人ばかのクロードの、あの愛しくて愛しくてたまらない、といったあの顏に。


(まさか、クリス様……) 


「……確かに昔の俺ならば頑にお前達を拒んだだろう。しかしお前達は……お前は」

「ま、まさかクリス様……私の事……」

「……ん?」

「っ!」


 甘さを含んだ「ん?」にかっと体温が上がった。

 まるでその先を言ってご覧とでもいうようにクリスが甘々な顏で美琴の言葉を待っている。

 美琴はぷくっと頬を膨らませた。


「クリス様まで私の事、子供扱いしないでください───!」


 きっと睨んで子犬のごとくきゃんきゃん吠える美琴は、クリスの目がすっと座った事に気づかない。

 がしっと頭を片手で鷲掴みされ、その手をどかそうと美琴は暴れた。


「あ。あ! いたたたた! 何するんですかぁぁ!」

「……馬鹿が」

「ふぎゃぁー!」

「………………こんな阿呆が敵な訳あるか」

「はーなーしーてーくーだーさーいーぃ! むー!」

「はは」

「! …………」

「……どうした?」 


 急に固まった美琴をクリスが訝しがる。

 しかし、美琴にはクリスの声が聞こえていなかった。

 だって。

 クリスが、笑っている。

 いつもの冷笑でも呆れた笑いでもなく、年相応の自然な笑顔。

 じわり、と涙が浮かぶ。

 

(そうだ、ここはゲームの世界じゃないって一年半前に分かってたはずなのに)


 この人は、自分の力で運命を変えていたんだ。

 だってこんなに綺麗に笑っている。


「クリス様の笑顔……素敵です!」

「な……」


 今度は頬を紅く染め、照れている。

 そんなイラスト、ゲームでもなかった。

 ぱちぱちと目をしばたかせてクリスの顏を良く見ようと背伸びをする。

「この馬鹿が!」と顔面を押さえつけられて妨害されてしまったが。 

 

 このあと二人を見つけた四人が見たのは、神聖な証をたてる十字架の前で顔面を鷲掴みにされて嬉しそうに飛跳ねる美琴と、そんな美琴に顏を見られまいと美琴を片手で押さえつつもう片方の手で自身の顏を覆い隠しているクリスの姿だった──。





+++




「ラザフォードなんてどうでもいいよ。美琴ちゃん、こっち。はやく」

「え、え? 颯太君……どこに」

「こらこら、引っ張るとまた転けちゃうでしょ。……そーた君、聞いてる?」


 ぐいぐいと美琴を引っ張る颯太とそれを長い足でゆっくり追う大地を後の三人がさらにゆっくりと付いていく。

 クリスは隣に並ぶカイルと伊織にふっと笑みを零した。

 学園に入学した当初からは考えられなかった光景だ。

 共に同じ場にいることは許し合っていたが、それはお互いに害がないから。

 会話など必要最低限の連絡事項のみでこのように五人一緒に行動した事などないのだ。

 前を行く大地はともかく、伊織とクリスは考え方が少し似ており一応認めてはいるが同族嫌悪を抱いていた。

 基本的に人を信じておらずクリスは全てに冷たくする事で拒絶し、伊織は甘いマスクで全てを偽ってそれを隠している。

 お互いの考えている事がなんとなく分かってしまうだけに、傍にいることを裂けていたのに美琴を巡るライバルとして隣に立った。

 カイルについても従者のようにいつも一歩後を歩いていたのに、今では肩を並べ歩いている。

 守る対象がプリンスだったはずの騎士は、護りたいと思うプリンセスに出会ってしまった。

 色々悩んだに違いない。

 これは融通の利かない不器用男だ、とクリスは自分の事を棚に上げて思う。

 カイルが後を着いてこなくなったのは半年前から。

 美琴に相応しい男になるべく、各々が行動し始めた頃。

 ……カイルだけではない。

 あの薔薇園で五人が揃う事は無くなった。

 怠惰に、時が流れるままに過ごすだけのあの頃とは違う。

 しかし、国を追い出されている今クリスに後ろ盾は無くカイルとともに過ごしていた。

 何ヶ月か経った頃、クリスはカイルと話をした。

「……俺は、王になる。力を貸してくれないか……友として」。

 喉から水分が全て無くなり、嫌な汗が出た。

 この言葉を言うのにどれだけの勇気が必要だったか。

 

 産まれた時から、全てが敵だった。

 クリスにとって、人を信じると言う事がどれほど難しいか……どれほど、怖いか。


 青ざめて今にも崩れ落ちそうなクリスの手を、カイルは取った。

 ただ「はい」と答え、笑った。

 友の肩に顏を埋め、産まれて初めて掠れた声で礼を言った。

   

 そのことを思い出しクリスは赤くなった顔を片手で隠した。

 それを治め、ふっと笑う。

 

 全て一人の少女に出会った事で変わった。

 変わる事が出来た。


「……恋とは、不思議なものだな」


 思わず出た言葉に、聞こえたであろう二人は笑わなかった。


「ええ、そうですね」

「ふん……まぁ、そう言う事なんでしょう」


 産まれたての赤ん坊のように、汚れの無い真っ白な彼女。

 穢れて真っ黒になった自分たちとは正反対の存在。

 

 眩しくて、羨ましくて。


 羨望と言う名の憎悪を感じた事もあった。

 しかし、彼女はあまりにもまっすぐで。

 それが愛しさに変わるのに時間は掛からなかった。 

 

『私は、あなたの敵じゃないよ』、そう言った彼女。

 今更何を、と心の底から思った。

 そんなこと一年半前から知っている。

 クリス達にその生き方を見せつけ、魅了し、変えてしまった張本人がまるで気づいていない。


 本当は会いに来るつもりではなかった。

 でも、手の届く場所に彼女がいると知ってどうしても会いたくなった。


「う、わぁ……!」


 大きく目を見開き、興奮に頬を赤く染める彼女。

 颯太と大地に笑顔で語りかけ、クリスとカイルと伊織に大きく手を振って「早く!」と叫んでいる。


 ああ、やはり君の笑顔は眩しい───。







 見上げた空に掛かるのは玉虫色に輝くオーロラ。

 クリスは何度も見た事がある。

 今更だ。


 他の四人は美琴と共に少なからず感銘を受け、オーロラに見入っている。

 キラキラと輝く笑顔がオーロラよりも美しいとクリスは思った。

 ずっと美琴の横顔を見ていたら、またぼろりと涙を零した。

 瞬きもせず、ただひたすら空を見上げ涙を拭う事もしない。

 それを拭ってやろうと手を伸ばすが、涙を掬う前に美琴が大きな口を開けた。


「うわぁぁぁぁぁぁん!」

「「「「「!?」」」」」


 大声で、泣き始めたのだ。

 オーロラを見たいたはずの他の四人も一斉に美琴を見た。

 手のひらで滝のように流れる涙を何度も拭い、何度もしゃくり上げ、子供のように声をあげて泣き続けている。


「!? !? み、美琴ちゃん!? どうしたの!?」

「美琴ちゃん? そんなに擦っちゃ駄目だよ。どうしたの、何があったの」

「!? え、あ!? み、美琴、どうか泣き止んでくれ! どこか痛いのか?!」

「……うるさいですね。早く泣き止みなさい」

「今度はどうして泣いている」


 それぞれが美琴の背を撫でたり、頭を撫でたりしてなんとかあやそうとするが、美琴は泣き止まない。


「き、れい……だからっ!」


 またそれか……と誰もが思った。

 

「小父さま……小父さまにも見せてあげなくちゃ!」

「え? 美琴ちゃん!?」

「美琴ちゃん、どこ行くの!?」

「美琴! 走るな、また転ぶぞ!」

「この、お馬鹿っ」

「美琴!」


 突然走り出した美琴に誰もが驚くが、美琴は使命感に満ちた顏で振り返り「今日はありがとうございましたー!」と手を振ろうとして盛大に転けた。

 逸早くカイルが駆けつけ、立たせた美琴に着いた雪を丁寧に払ってやっている。

「カイル様、ありがとうございます」と至近距離で笑顔を向けられたカイルが大きくぐらついた。 

 そんなカイルをしらけた目で見る四人。

 誰もがカイルだけは安全圏だと思っている証拠だ。

 ……こいつだけは美琴が嫌だと一言言えば何もしない、と。

 しかし両手でカイルの手を取って立たせる美琴を見てすこし苛ついたのも確かだ。

 カイルの両手を握ったまま。


「カイル様、クルーズ楽しかったです。素敵な船ですね! 小父さまに色々な国に連れて行って頂きましたが、海での旅行は初めてだったのですごく楽しめました。それに、今回の旅行では皆さんにもお会いできて、とても嬉しかったです。またお会いできるかもしれませんが、今日はここで失礼致します。小父さまにもオーロラを見せてあげたいですし」

「……そうか、よかった。気をつけて。良い旅を」


 何をすんなり帰そうとしているんだ、この根っからの従者気質めっ! と思ったのはクリスだけではないだろう。

 時々見える耳と大きな尻尾が垂れ下がっている幻覚に襲われる。

 本当は行ってほしくないけれど、主人が決めた事には我慢してでも従おうとしているただの大型犬だ。

 こいつのように「いい人どまり」には決してなるまいと誰もが思っている。

 しかしそのいい人が定着しているカイルには美琴は無防備に触れる傾向にあることが気に食わない。

 未だ繋いだままの両手をずばっと切ったのは颯太だ。

 愛らしい顏を膨らませて美琴をぬいぐるみにするように抱きしめた。

 

「やだよ、美琴ちゃん。もっと遊びたい」

「や、颯太君! 私には使命があるのです! 離してー!」


「オーロラ消えちゃう!」と颯太だけには半分敬語、半分タメ口と気安い態度をとる美琴。

 同い年なのもあるだろうが、颯太の顏が女の子のようだったことにも要因はあつだろう。

 美琴は女の子友達に憧れを抱いているから。

 颯太の腕から藻掻き出て、美琴は今度こそ走って行ってしまう。

 クリス達が美琴を追う資格は、まだない。


 自分が優先されない事が笑えた。

 一生懸命走り去る美琴の後ろ姿を見て、俺も頑張ろう、クリスはそう思った。





+++ 

 

  

「小父さま! オーロラです! 外に行きましょう! ……小父さま?」


 部屋に戻るとクロードが毛布に包まった状態で美琴を待っていた。

 美琴が興奮して要点だけ叫んでいる間に美琴の目の前まで歩いてきて、毛布をばさりと足下に落とした。

 ……瞬間。


「きゃ! お、小父さま? え? え?」

「……」


 すぽっと帽子をとられ、手袋を剥がれる。

 ダウンジャケットを脱がされてその中に着ていたカーディガンも脱がされて薄着にされてしまった。

 クロードの急な行動に美琴はわたわたと動揺し、真っ赤になるがクロードは無言のまま美琴をその肩に担ぎ上げた。


「え!? お、小父さま?」

「……」


 毛皮の敷かれた氷のベッドに横たえられ、上にクロードが覆い被さってきた。

 心臓が飛び出しそうなほどばくばくと脈打つ。

 首筋に顏を埋められ、クロードの柔らかな黒髪が美琴の頬をくすぐった。

 はぁ、と生暖かい息が首筋に掛かり「ん!」と無意識に艶めいた声が漏れた。


「お、おおおおお小父さま……?」

「………ぃ」

「は?」

「さむい」


 寒いと言うクロードは確かに小刻みに震えていて、美琴の体温を少しでも分けてもらうべくぎゅうぎゅうと美琴を抱きしめて離さない。

 クロードの厚い胸板に胸を押しつぶされ、脚の間にクロードの右脚が……。


「お、小父さまぁ……あ、あの」

「……」


 密着し過ぎでは……と抗議しようとすれば無言で寝袋のファスナーを後ろ手に閉められた。

 しばらくして、「はぁー」とクロードが幸せそうに息を吐き出した。


「温い」

「温いって……もう、私湯たんぽじゃないです」

「寒かった……美琴が帰ってくるのをずっと待ってたんだ」

「私じゃなくて湯たんぽを、でしょう。……お酒飲むんじゃなかったんですか?」


 まさかずっとここで毛布に包まっていたのかと聞けば、さも当たり前のことのように「そうだよ?」と言ってきた。

 と言うかずっと美琴の首筋に顏を埋めたままなのだが……。

 

「美琴、動かない。隙間ができたら寒い」

「あ! ……小父さまっ」


 ぎゅうぅ……と隙間なく抱きしめられれば、いくら鈍い美琴でも恥ずかしい。

 

「こ、これキツくないですか」

「うん? ああ、一人用の寝袋に二人で入ってるから当たり前だよ?」


 なぜきょとんとした様子で言うのですか、なんで決定事項みたいに言っているんですかと考える暇はない。

 確かに美琴もぬくぬくだが、クロードの厚い胸板やら自分の身体を包み込む大きな身体やらクロードの体温やら鼓動やらをダイレクトに感じてしまい、クロードのように温かさに浸れる余裕など無い。

 

「……今度は私の母国にでも行こうか。こことは真逆で暑い国だから私が案内できるよ」

「ん!」

「美琴? どうし……」

「首元で話さないでくださいっ」


 クロードの頭を掴み、首筋からどかそうと持ち上げるとクロードの青色の瞳と目があった。

 にっと意地の悪い笑みを浮かべた大好きな小父が少し身体をずらして耳元で「……感じちゃったのかな?」と掠れた低音の色気たっぷりな声で言われて美琴は本気で暴れた。

 何故かはわからない。

 本能が告げている。

 逃げろ、と。


「み、美琴! 私が悪かったから、落ち着きなさい!」

「うー! うー!」

「あああ、泣くな、泣かないでくれ……ふざけてすまない。……もうしないから。な?」

「うー……」


「ごめんごめん」と言って美琴を抱きしめ額にキスを落とす。

 物騒な空気を引っ込めた途端大人しくなりされるがままになった美琴にクロードは苦笑するのだが、美琴はそのことに気づかない。

 

「いやです」

「もうしないから」

「……オーロラ」

「ん?」


「悪いと思っているなら今すぐオーロラ見に行きましょう」と言えばクロードは悲壮な顏をした。

「悪魔が……」と呟いている。

 オーロラはすぐ消えてしまうかもしれないので早く行きたいと言えば、何時の間にか体勢が逆になっていたクロードが天井を見上げて「あ」と声を出した。


「……美琴、こっちにおいで」


 ファスナーを少し開けて美琴が上に向けるスペースを作ってやる。

 クロードの胸を枕にするように上を見上げると……。


「うわぁ……すごい」

「ああ、綺麗だな」


 雪の天井越しにオーロラが見えた。

 

「はは、また泣いてる。美琴はすぐに泣く……分かってる? 行く先々で号泣してるの。ハンカチがいくらあっても足りないよ」

「だ、って」


 えぐえぐと泣けばクロードは何も言わずに子供にするように揺すってあやしてくれる。


 だって。

 自分の姿すら見えない暗闇にいた。

 手を動かしているはずなのに、何にも触れなくて、自分の身体すらここにあるのか分からなくて。

 次第に、手を動かしているのかさえ分からなくなった。

 お母さんも、お父さんも、お兄ちゃんもいない。

 看護師さんもお医者さんも来てくれない。

 外の世界を見てみたかったのは本当。

 でも、それ以上に、誰かに一緒に居て欲しかった。

 ”色のある世界”で、一緒に。

 

 ぎゅっとクロードの肌触りが良すぎるカシミアのセーターを握る。

 

「……小父さま」

「なに?」


 この世界は、何なんだろう。

 確かに美琴の知るゲームのキャラクターが存在して、イベントもこなせば起きる。

 でもゲームのシーン以外でも日常は続き、今もこうしてゲームには存在していなかった人と一緒にいる。

 一年半前にゲームと一緒にしては駄目だと意識したと言うのに、ここ数日のことを振り返ればゲームの記憶に引きずられて、勝手に決めつけてクリスに偉そうな事を言ってしまったと反省する。

 友達って難しい、そう思う。

 転入先で友達は出来た……と思う。

 どういう関係になれば友達と呼んでいいのか境目が分からない。

 いつ「友達になってください」と言えば良いのかタイミングを見計らっているところなのだが、これが中々に難しい。

 ……むろん、美琴がずれているだけでそんな事を言えば相手は怒るだろう。

 

 美琴はクロードに何でも話す。

 隠し事など一つもない。

 ほとんど笑われてしまうのでいつも美琴は怒るのだが。

 

 美琴が涙を流すとき、「きれい」だと言って自分の手を見て、もしくは一緒にいる者の顏を見て自身の存在を確かめていることを知っている。

 それを分かっているクロードは、涙を流す美琴をいつもあやしてくれるのだ。

「怖くないよ」「大丈夫だよ」「ここにいるよ」……。

 いつも魔法の言葉を美琴にくれる。

 見返りを求めず、ただ甘やかしてくれるから。

 ……全力で甘えてしまうではないか。


「……小父さま、ずっと一緒にいてくださいね」


 徐々に色が薄くなって行くオーロラを見つめつつクロードのセーターを握る手に力がこもる。

 薄れゆくその景色に、息苦しさを覚え胸が痛んだ。

 いつ訪れるかも分からない暗闇が、また美琴を襲うのではないか。

 ……そう思えて仕方ない。

 いつも、いつでも誰かに傍に居て欲しい。

 

 一人は、怖い。


 旋毛から伝わる熱でクロードにキスをされていることに気づく。


「大丈夫だよ。美琴が止めてって言うぐらい傍にいてあげよう。いろんな世界を二人で見よう」


 優しく言われた言葉に、顏をあげるとちょうどクロードの喉元でそこに顏を擦り付けた。

 擽ったかったのかクロードがくすくすと笑みを零す。


「……でも」

「?」


 声音が萎れた事に気づきクロードを見れば情けなく眉が下がっていた。


「……寒い国はこれっきりにしないか」

「……ほんとに、寒いの駄目なんですね」

「そろそろ締めてもいいか?」

「もーいいです。大人しく湯たんぽしてあげます」


 美琴が許可した瞬間ファスナーがまた締められた。

 ごそごそと動き美琴がいい位置で収まると満足げな息を吐いた。

 

「暑い国……」


 母国は暑い国だと言うがそう言えばクロードの出身国を知らないし、もちろん家族にも会った事が無い。

 確かに日に焼けた肌をしているが褐色と言うほどでもない。

 どこだろう、と思うが思うだけでそんなに気にならない。

 クロードが傍にいてくれる。

 それだけ分かっていれば、美琴には十分だった。

 

「小父さま……」

「……んー?……」


 もう睡魔が襲ってきているのかクロードの返事は小さい。

 身体から力を抜いてクロードの胸に頭を預ける。

 とくん、とくんとなる鼓動は目を閉じてもずっと聞こえていて、美琴にその存在を伝え続けていた───。  

 

 

 



 

 


 

 

 


  



  


まだまだ子供達は子供のままで、クロードは大人過ぎます。

完璧人間クロードの弱点をテーマに書いたつもりだったのですが、クリスの話がメインになってしまったような。

乙女ゲーム何度かした事があるのですが、ハーレムエンドがあるゲームってそんなにないですよね? 

いえ、微々たる量しかしたことがないので私の経験だけですが。


数々のご意見・感想をありがとうございます。

皆様のリクエストに応えられているかはわかりませんが、続編を出してみました。

社畜となった今は短編が精一杯であります。申し訳ありません。

それでもこつこつ書いて入るのですが……時間の使い方はとても難しいです。


私の作品が少しでも皆様の娯楽になることを祈って。


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[気になる点] 久しぶりに読み直していたら誤字を発見しちゃいました。 教会のシーンで「いつからそこに?と首を傾げれ馬」となっていました。 [一言] 何度読み直しても面白いです。 気が向いたらでかまいま…
[一言] とても面白かったです。 宵闇さまの作品はどれも魅力的なものばかりですが、今回のお話も素敵でした。 文字数が多く重厚で、また文章がとても丁寧で上品なので、じっくりと読み耽ることが出来ました。 …
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