* Compensation
「ホテル行くか」
たたんだブランケットを紙袋に戻した私に、アゼルが言った。彼はビーチにしゃがみこんでいる。
雪は、私たちが事を終えるのとほとんど同時に降り止んだ。焚き火の炎も、私たちがやっと帰る準備をしようかと思った頃に消えた。つまり今、かなり寒い。
「やだっつってんじゃん」私は彼の前にしゃがんだ。「マブのなにがダメなの」
「帰んのめんどくさい」
「歩いて帰るわけじゃないし」
「お前の嫌がることを考えてんだけどな。どっちがいいんだろと思って。お前がホテルはイヤだって言ったら、そっちに行ってやりたい。けどどうせ空いてねえだろうし」
「っていうか、そんな突然で入れるもんなの?」
「あたりまえ。それが普通。どんなホテル想像してんだよ」
「だからこう、予約制の」
「アホ」
私が知るわけがない。「私は財布を持ってきてないからダメです」
「金なら俺が持ってる」
「やだよ。貯めてって何度言えばわかんの」
アゼルは笑った。
「だからな、それも微妙なとこ。お前の言うことなんか聞きたくねえ。けどお前のために金使うのもどうなんだっていう」
「タクシーのお金はあとで半分払う」
「それも微妙」なにを言っても口ごたえするらしい。「なんでお前に金出してもらってるみたいになんなきゃいけないんだっていう」
文句の多さに、さすがに呆れるしかなかった。「タクシー呼んでいい?」
「んー」
彼はなにかを考えながら視線をそらした。数秒後、なにか思いついたらしく、突然立ち上がった。
「呼べ。さっさと呼べ。寒いわ」
「なに」
「さっさと呼べっつってんだろボケ」
またそのセリフか、と思いながらも従うことにして、タクシー会社に電話してタクシーを呼び寄せた。
「十五分くらいかかるって」
「そりゃいい。来い」
アゼルはウッドデッキへと向かった。私も荷物を持ってあとに続く。
なにをするのかと思ったら、私をウッドデッキの柵にうしろ手をついて立たせ、また嫌がらせをはじめた。
寸止めの嫌がらせ。しかも救いがない。
タクシーが来るまでのあいだ、彼はずっとそんなことを続け、私に地獄を味わわせた。
頭がおかしくなりそうだった。
タクシーに乗り込むと、嫌がらせの延長だといわんばかりにキスを続けた。さすがに運転手から見えないようにだが、コートの中にまで手をすべりこませた。ラジオの音量が上げられても、この時は文句を言わなかった。むしろもっと音量を上げろと言い、運転手がそれに従うと、私の身体をじかに撫でまわしはじめた。
私がなにを感じていたかなど、言うまでもない。
最悪の地獄だった。これ以上の地獄などない気がした。
だけど、そうではなかった。
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マブに戻ると、ふたりでシャワーを浴びた。そこでも当然、嫌がらせは続く。救いのない地獄。だけど不思議と、拒もうとは思わなかった。
抱いていたのは期待で、私は何度も彼に懇願した。懇願することに慣れたわけではない。そこは正直、わりとイヤだ。復讐心が残っているわけではなく、頼むというのがまず苦手だ。カマトトぶってるようで落ち着かない。
だけどもう、頭がおかしくなっていた。気を失いそうだった。今度こそは、今度こそはと、私は何度も彼に期待し、そのたびに落胆させられた。
シャワーを終えると、いつものように部屋に戻った。
そこで、アゼルは、本物の悪魔になった。“普通じゃないこと”を、想像を絶することを、話にも聞いたことがないことをした。
彼によると、完全な“異常”ではないらしい。そういうのがあるらしい。だけどそんなことはどうでもよかった。
わけがわからず、気づけば私は泣いていた。
だけどアゼルは気にしなかった。むしろ楽しそうだった。期待させは落胆させ、“普通じゃないこと”を織り交ぜながら、私がおかしくなるのを楽しんでいた。
その後やっと完全な“普通”に戻り、彼はやっと私を赦した。
私はやっぱり泣いた。
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「なにむくれてんだ」
再度シャワーを浴びたあと、アゼルの部屋のベッドの上。真っ暗な部屋で彼に背を向けて横になった私にアゼルが言った。
「最後はちゃんとイかしてやっただろ」
犯された。私は犯された。“普通”ではない。普通などつまらないとは思うが、あれはない。“異常”だ。ムカつく。死ぬかと思った。死んだかと思った。あんな状態で死にたくなどない。なにあれ。最悪だ。悪魔だ。もうやだ。
「寝る」と、私は言った。南京錠の代償がこれなのか。もういやだ。本気でイヤだ。
「感じてたくせに逆ギレかよ」
笑える。けど笑えない。
なにがいちばんイヤだったかって、“それ”だ。私は“普通”じゃなかったり“異常”だったりすることに、それほど抵抗はない。だがこれは違う。こんな“異常”はイヤだ。それなのに、もちろん“普通”ほどではなかったものの、違和感を感じながらも、イヤだと思いながらも、ほんの少しでも、あんなことが快感だと思ってしまった自分がイヤだ。私は変態になんてなりたくない。
背後にいるアゼルは私の頬に自分の頬を乗せ、腰に腕をまわした。
「お前がもう二度とアホなことしねえって誓うなら、あれはやめてやる」
ほんとかよ。
「あ、疑ったな、今」
ばれた。
「なんか喋れ。喋らねえとまたやる」
脅された。もういやだ。「──誓う」
「こっち向け」
気力が残っていたら、大暴れしてるところだ。
従うことにし、アゼルと向き合った。
私の顔を見て、彼は笑った。
「涙目」
もうやだこいつ。
クッションに自分の頭を乗せ、アゼルは私に腕枕をした。これでもかというくらいに身体を引き寄せる。こうしてると、寒さは感じない。といってもさっきまでの私は、寒さなどどうでもよかったが。
「もう一回誓え」彼が言う。「ちゃんと眼見て」
従って、彼のグレーの瞳をまっすぐに見た。
「一生今日のことを根に持って、一生あんたを恨み続けるって誓う」
彼が微笑む。「もう一回やられてえのかてめえ」
「絶対イヤですごめんなさい」
私は視線を落とし、アゼルのつけた南京錠を左手指にとった。
似合っている。冷たい重みが、重量感のあるチェーンが、似合っている。
私たちとってこれは、お互いの存在そのもののような気がした。はずしたくてもはずせない、やめたくてもやめられない、鎖のような愛。シンプルな南京錠に刻まれた“TWD”の文字は、私たちにしかわからないだろう暗号。アゼルが解ってくれた時は、嬉しかった。




