* Under The Rain
水曜の放課後。
一度祖母の家に帰ってシャワーを浴び、着替えると、アゼルとふたりでバスに乗って、アロウ・インレットという町にあるショッピングセンターに行った。
そこでドラッグストアで避妊具を大量──在庫分の十一箱を買い占めると、またナショナル・ハイウェイ沿いにある屋根つきのバス停まで戻った。
白枠の屋根つき三人掛けベンチの上、横向きに座ると、私はアゼルの左肩にもたれた。
「店員のあの顔、写真に撮りたかった」ソフトクリーム片手に、私は笑いながら言った。「最高」
アゼルも笑う。「ビデオのほうがいい。カゴに入れてレジに行くまで、ぜんぶ撮る」
「それもいい。ふとカゴの中見たヒト、ぎょっとしてたもんね。特にうしろに並んでたヒトとか。しかも二度見する」
「なんの罰ゲームだって思っただろな。しかもお前、わざわざ店員呼んで、在庫こんだけかって訊いてるし」
「だって十一箱って半端なんだもん。二十箱はあるかと思ってたのに。買い溜めするヒトのために三十箱くらいは置いとくべきだと思う」
「いくらまとめ買いっつったって、そんだけ買うアホがどこにいんだよ。三十箱に十二かけてみろ。何個になると思ってんだ」
まさかの計算問題に、私は少々考えた。
「十二がみっつで三十六だから──三百六十?」
「小学生か」
「え、間違ってんの?」
「いや、合ってる」彼は私の手からバニラチョコレート・ソフトクリームを取った。「計算の仕方が小学生かっつってんの」
「暗算無理だから」前に向きなおり、ベンチに両脚を立てる。やたらと車が通る四車線のナショナル・ハイウェイをはさんだ向こう側は、買い物客で溢れる大型ショッピングセンターの駐車場だ。「割り算とかもっと無理」
彼はソフトクリームを食べた。「15を6で割ったら?」
「割りきれないじゃん」
「ミドル・ドットを使えアホ」
一瞬なにを言われているのか、本気でわからなかった。が、私はまた考えた。
6──2──で、12。あまりが──3──で? 「2.3?」
彼はまた笑う。「お前、マジでアホ」
「え、なに?」
「2.5だアホ」
「え」2.5? が、ふたつで5。いや、違う。じゃなくて、6だから──。「6がふたつで12」わかっているのかわかっていないのか、私はとりあえず指を動かしている。「で──で?」
「よくそれでミュニシパル行くとか言ってるよな。どう考えても落ちるだろ」
むっとした。「だから暗算は無理っつってんじゃん」
「指動かしながら喋ってる時点で、暗算て言えるのかも微妙なとこだけどな」そう言ってまたソフトクリームを食べる。ワッフルコーンも。「15割る6で、最初に2が出てくんのはわかるよな」
私はうなずいた。「わかる」
「したら3があまる。けど6では割れねえ。でもちょうど二倍。だから0.5」
理解しようとした。6を一個じゃ3が割れないから──でも、倍。
「ああ」納得した。「わかった。一個じゃダメだから半分ずつなのね」
「意味わかんねえ」
「わかったからアイス返せ」
微笑む。「アイス返すのとキスすんのとどっちがいい?」
「両方」
「はい不正解」そう言うと、彼はまたひとりでアイスを食べた。
「いやいや、買ったの私。アイスを欲しがったのは私」
「28割る8は?」
「はい?」また問題だ。28割る8? 「8──3──24。で──」なんだ。「あまりが──4。8──で──あれだから──」また0.5。「最初のが3だったから──3.5?」
「遅いわ」
アゼルは左手を私のうしろにまわし、キスをした。甘い。ソフトクリームの味がする。
「──ビール味のキスより、こっちのほうがぜんぜんいい」
そう言うと、顔を近づけたまま、彼はまた微笑んだ。
「んじゃキスしたからアイスいらねえな」
「それとこれとは話がべつ──」
アゼルのジーンズのポケットの中で携帯電話が鳴った。
「電話ってマジでうざい」
ソフトクリームをこちらに渡すと、ポケットから携帯電話を取り出した。画面を確認したかと思ったら、またポケットに戻した。でも音はまだ鳴っている。
「まさかの無視?」
「まさかの無視」
私の手首を掴んでソフトクリームを口に運び、食べた。
電話に出ないといえば。「マナーモードにしとけばいいのに。私みたいに」
「それすらめんどくさい。っつーか電源落としとくのがいちばんだけどな」今度はポケットから煙草を出す。「どうせロクな話じゃねえ」取り出した一本の煙草に火をつけて吸い、勢いよく煙を吐き出した。
くだらない用なのだろう思えば、出ないのは私も同じだ。「デートの誘いかもしれないじゃん」
着信音が鳴り止んだ。
「七十のジジイにに誘われたって嬉しくねえよ」と、アゼル。
おじいちゃん。女ではなかったらしい。「アニタなんか、おじいちゃんとかおばあちゃんが来たら、あれこれ買ってもらうためにショッピングに繰り出すのに」
「金だけくれりゃいいわ」また電話が鳴り、彼は不機嫌そうな顔をした。「うざい」
そのうちバスが来る。でも電話は鳴っている。
「出ればいいじゃん。そのあいだにソフトクリーム食べといてあげる」
「バスが来る」
「いくら田舎だっつっても、次が最終ってわけじゃないから。なんならタクシー呼んであげる」私は空を見上げた。買い物をしているあいだに、空を覆う雲がずっと黒くなった気がする。雨のニオイもする。「雨降りそうだし」
数秒考え、アゼルは溜め息をついた。
「ちょっと待ってろ」
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バスが来るのとアゼルが戻ってくるの、どっちが先だろう。なんてことを、ひとりソフトクリームを食べながら考えた。待ち時間は二十分ほどだったので、あと十分は来ないような、来るような。
私は夏休みに使ったタクシー会社に電話した。バス停でタクシーを呼ぶ中学二年生というのは、なんなのだろう。その前にアゼルが戻ってこなければどうするのだろう。などと思いながら。ばっくれるか。呼んだだけならお金はとられないし。
去年、祖母の家に引っ越した頃は、自分からは絶対に、あの人たちに電話したりしないと思っていた。話さないと思っていた。だが実際には話をする機会など、この一年と半年、まったくなかった。本当に、一度もだ。
ひとりは、生きているのか死んでいるのかもわからない。口座には相変わらずお金が振り込まれているけれど、それだけでは生きているという証明にはならない気がする。もうひとりは、死んだら祖母のところに連絡が入るはずだけれど。
でも、祖母が気を遣ってくれたら──さすがにそれはないか。いや、連絡などいらないけれど。
もしもあのヒトたちが危篤状態ですなどという連絡が入ったら、私はどうするだろう。行かない。絶対に行かない。だって行ったら、命を繋ぎとめている管をぜんぶ、取ってしまいそうだ。
あの音が聴きたい。心電図の──数字がゼロになって、あれが平行線に変わる音。あれを自分の手でやりたい。どんな顔をするのかが見てみたい。私は泣いたりもしない。平然とやってのける気がする。傷口があるなら、えぐってやるだろう。もちろんナイフで刺すのでもかまわないけれど、死にかけているならもう、直接でもいい気がする。ベッドが真っ赤に染まる。あのヒトのベビーブロンドヘアにはきっと、真っ赤な血がよく似合う。それどころか、病室を真っ赤にしてやればいい。
そこでアゼルとする、というのはどうだろう。死体の上で。
さすがにこれは変態か。イカれてるにも程があるか。
右方向からアゼルが戻ってきた。
「なにニヤついてんだ」
隠してはいるけれど、おそらく不機嫌だ。彼はまた隣に座った。
ニヤついた覚えはないが、さすがに言えない。「ちょっとね」
左手で私の首に触れたアゼルは、こちらが目を閉じる暇もないほどの勢いでキスをした。衝動で、私の左手からは残り少ないソフトクリームのワッフルコーンが地面に落ちた。だけど気にせず、目を閉じて応えた。
バス独特のエンジン音が聞こえた。でも反対車線だ。東に行くほう。私たちが乗りたいバスではない。
激しすぎるキスに、自制心を保つのがやっとだった。これ以上は、まずい。
「──もうちょっと、待てばいいのに」
「黙れ」
唇が触れたままそう言うと、またキスをはじめた。なにか気に入らないことを言われたらしい。アゼルがこうなるのは、ほとんどそういう時だ。
私は訊かない代わりに、キスに応える。こういう時のアゼルのキスには、憎しみがこもってる。それが不思議と、私には心地いい。
「──よかったな、水曜で」視線を合わせないまま彼が言う。「土曜だったら、あいつらが来てるだろうし」
端から見れば、そのままここではじめるんじゃないかと思うほどのキス。
「──タクシー、呼んだ。そのうち来る。続き、できる」
「タクシーん中でヤんのか」
「んなわけないじゃん──でも直接マブに行ける。そのあいだに、キスできる」
頬を撫で、視線を合わせて微笑む。
「俺にヤられないように気つけろよ」
「さすがにそれは──」
雨が降りだした。バス停の屋根に大きな雨粒が、ひとつふたつ、みっつよっつと落ち、音を立てて降ってきた。
アゼルは雨を見上げた。
「あーあ。最悪」
「西行きのバス停のそばって言っただけだから、どこに停まるかわかんない。でもちょっと雨にやられるかも」
「帰ったらまたシャワーだな──あ、タクシー来た」
イエローカラーのタクシーがバスカットに停まった。私はバッグと避妊具の入った紙袋に手をかけた。
「走れば平気よ、たぶん」
タクシーに乗り込んで行き先を告げると、運転手のシートのうしろ、私たちは夢中でキスをした。唇が腫れそうなほどのそれに、運転手はスピードを上げるだけでなくラジオのボリュームまでも少し大きくしたものだから、私たちは思わず笑った。あやまって、またキスをした。
マブの前に着くと、首筋にキスをされながらも料金を払って、お釣りはチップにして、雨の中歩いて玄関ポーチに向かった。どっちが鍵を開けるかで軽くモメた。
けっきょく鍵はアゼルが開けて、マブの中に入ると、そこからはまた、夢中でキスをした。薄暗い部屋の中、窓越しに雨の音を聴きながら、私たちは夢中で愛し合った。
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《暇になったらメールして。電話してきても、切ってかけなおすからな》
マブから家に帰り、シャワーを浴びて部屋に戻ったあと、やっと届いていることに気づいたメール。アドニスからだ。ひさしぶりの面倒感が漂う。リーズがルキアノスにフラれてから一週間、連絡をとっていなかったのに。
メールを送ると、固定電話から着信があった。
明るい口調でアドニスが切りだす。「よ。ひさしぶり」
「ひさしぶり」ベッドヘッドに並べたクッションにもたれたまま、私は答えた。「なに?」
「相変わらずだな。今日バス停にいた? アロウ・インレットの、ハイウェイ沿いの」
「いたけど」
「ああ、やっぱり。インゴが学校帰りにバス乗ってて、反対車線で見たかもって。すげえ勢いでオトコとイチャついてたっつって」
反対方向に走っていたあのバス。「キスしてただけ」すごい勢いで。
「そんなレベルじゃないっつってたけど。ってかなんであんなとこ? マーケットならウェスト・キャッスルにもあるだろ。チック・ノーティドのショッピングセンターにもあるじゃん」
「大型のがよかったから。っていうかドラッグストアが」
「へー、変な奴。なに買ったの?」
「避妊具」
「──は?」
「だから、避妊具」私は繰り返した。「買い占めるつもりで行ったの。十一箱しかなかったけど」
「え、なんの罰ゲーム?」
「そんなんじゃない。単に買い溜めしようと思っただけ」
そう答えると、彼は笑った。
「よくそんな恥ずかしげもなく言うな。普通隠すぞ、そういうの」
“普通”って、なに。「悪いことじゃないじゃん。つけないほうがおかしいんだし」どの口が言っているのか。
「まあそうだけど──」
「話はそれだけ?」
「ああ──いや。聞いてる? リーズとルキのこと」
「聞いてるけど」
「だよな。で、なんか連絡とりづらくなったなーとか思ってて。そっちはどうなんだろうとか」
私は淡々と答えた。「どうもないけど」
「え、けどやっぱ、さすがに気まずくね? ダチがダチをフッたとかなったら」
「特に」
「え、マジで? けどこっちがお前とトモダチ続けてたら、リーズは嫌がる気がするし。オレはなんか、ニコラからどんどんメール来なくなってたし。そのままお前も消える感じなんかなと」
消えるというほど、大きな存在でいるつもりはない。
「私にそういうの、期待されても困る。っていうかそう思うなら、メールなんかしてこなきゃよかったじゃない」そのままフェード・アウトでもぜんぜんかまわない。
電話越し、アドニスは苦笑った。
「いや、せっかくお前みたいなのと知り合えたのに、リーズとルキのことでまた他人になるってのも、なんかもったいないなと」
どういう意味だろう。「もったいないの意味がわかんない」
「いや、オレもよくわかんねえけど。こういうの、イヤなんだよな。誰かが誰かに告白してフラれたり、つきあっても別れたりしたら、その相手グループ全体とダチでいられなくなるじゃん。そのたびにこうやって、なんか気まずい思いしてるわけで」
だから、なに。「つまり、告白なんかするなよってリーズに言いたいわけね」
「うーん? いや、どうだろ。あれはルキも悪い。知らないけど、告られるってことは、それなりに思わせぶりな態度とったんだろうし」
思わせぶりな態度。脈なしだということは、リーズもわかっていた。ルキアノスは誰にでもやさしいのだろうと、彼女はわかっていた。
私は鼻で笑った。
「思わせぶりな態度ってなに? ルキのやさしいところ? それで勘違いするのが悪いってこと?」
彼は慌てて否定した。「いや、そうは──」
「そういうことでしょ? あんたが気まずくならないように、他の誰かは惚れた相手に告白することを、脈なしだからってつきあうことを諦めなきゃいけないの? なんでそこまでしなきゃいけないの? なんでリーズやルキが悪いみたいになってんの? 気まずくっていうのは、あんたの勝手な思い込みでしょ? ニコラの気持ちを勝手に勘違いして、文化祭でやたらと男友達紹介するような奴より、脈なしだってわかってて告白したリーズのほうが、よっぽどまっすぐで勇気あるじゃない。ニコラも勘違いされて、ホントいい迷惑よ。だから連絡しなくなったの。リーズよりもあんたのほうが、よっぽど痛い奴だから」
言いたいことを言いたいだけ言うと、アドニスの言葉を待たずに電話を切った。せっかくのいい気分を台無しにしてくれたお返しだ。おかげですっきりした。
──とか言ってる場合では、ないような。
まっすぐで勇気あるってなんだ。なんの青春ドラマだ。いや、そうではなくて。
私はニコラに電話した。アドニスとのやりとりを簡単に説明すると、彼女は天を仰ぐ勢いで笑った。
私はあやまるしかなかった。「ごめん、勝手言って」
「んーん。ちょっとがっかりしたってのも本音だし。そういうことにしとく」
たまに暴走する私のこの性格、どうにかならないのか。
「ん──悪気はないんだろうけどね。今学校でも同じような状況に陥ってる奴はいるから、なにが言いたいのかはわかるんだけど」
「うん、わかるよ」ニコラは穏やかに同意した。「気持ちもわかる。たとえばあたしがアドニスのこと、ただの友達としてしか見てなくて、リーズとルキと四人で遊んでて、やっぱり同じようにリーズが告白したら、アドニスとあたしも、気まずくなると思う。ベラと四人で遊ぶとしても、リーズの心境は微妙だろうし、わりと悩むと思う。けどそれを言っちゃうってのは、ちょっとね」
小さな溜め息が漏れた。
「だよね──世の中の女に対する本音っぽいこと、よく話してたんだよね。今までは平気だったけど、あれはちょっとムカついた。一般的に告白する勇気がどれだけのものかは知らないし、実際アドニスが内輪で気まずい思いしたのもホントなんだろうけど、私に言われても困るし、みたいな」
彼女は苦笑う。
「その本音っての、聞きたいな。とりあえず、リーズには言わないでおこっか。ベラが怒ったってのは喜ぶかもしれないけど、説明に困るし。アドニスがすごくイヤな奴みたいになるうえに、リーズもまたヘコむ可能性があるし」
喜ぶところではないのだが。「それがいいと思う。愚痴のほうは、聞きたいなら今度話すよ。ゲルトたちにも訊いてみて、普通の男の意見として話す。マブの遊び人とはまた違った意見──アドバイス的に」
「うん、それならリーズも一緒に聞けるし。──終わってからもあとに引くんだよね、こういうの。やっぱベラが友達として関わってる時は、恋愛に発展させるの、やめたほうがいいね。ごめん」
やめようと思って、やめられるものではない。
「ううん──私も懲りたから、もしまたナンパされても、もう相手にしないことする、まえみたいに。あれはさ、ひとりでクレープ食ってる時に声かけられて、エルミあたりが来るかと思ったんだよね。それで話して、番号交換して、進学の件とかもあって、ずるずるで──切るタイミングがわかんないまま。あいだにはさまれる状況の面倒さもわかったし、いい勉強になったと思ってる」
「だね。あたしもリーズも、いろいろ勉強したし──リーズはすぐ忘れるから、どの程度わかってるか知らないけど。リーズが完全に吹っ切れるの待って、またナンパ待ちに行く。なんならベラにもつきあってもらうけど」
ナンパしか出会いがないという。「うん。去年の感じで、ひとり性悪でノリの悪い女としてつきあう」
ニコラは楽しそうに笑った。
「頼むよ」




