* Walking In School
翌週月曜、昼休憩の時間。
なにを考えているのかよくわからない一年生たちの好奇の視線を感じながら、紙袋ふたつを肩のうしろで持った私は、第一校舎二階、一年C組の教室に乗り込んだ。
中央列、前から二番目の席にいたケイはすぐ私に気づき、机からおりてこちらに来た。
「おみやげ?」
「あんたにはないよ?」と、私。
「は? オレに渡さなきゃ誰に渡すんだよ」
「マルユトとサイニとか」
教室後方、窓際列。女子四人グループの中に彼女たちを見つけ、彼女たちに向かって手招きした。
「そういう冗談マジでいらねえって」ケイが言う。「なにしに来たんだよ」
「うるさいな。おみやげくれってせびるの、あんたくらいだよ」
私はクラフトの紙袋をひとつ、こちらに駆け寄ってきたマルユトとサイニに差し出した。
「おみやげ。お菓子だけど。四種類一箱ずつ。配って友達と食べてもいいし、家に持って帰ってもいいし、お好きにどうぞ」
「ありがと!」
彼女たちは笑顔で声を揃えた。紙袋を受け取ったサイニは中を覗きこんで箱のひとつを取り出すと、物欲しそうな顔で私に訊いた。
「今食べたら怒られるかな?」
「たぶん平気。修学旅行のおみやげを教室で食べるのなんて、暗黙のルールだと思うし。私も教室に戻ったら食べるし。一応ここに来る途中で生徒指導主事に会って、一年が食べるかもって言ったら、無駄に散らかさないよう言っとけって言われただけだから。先生に怒られたら、私のせいだって言っていいよ。一応個数は多めだけど、種類は違うし数もバラバラだから、モメないようにさえしてくれれば」
「わかった」マルユトに言う。「食べよ」
彼女も同意した。「食べよ。みんなにも分けるけど、うちらは全種類食べる!」
「オレのぶん残しとけよ!」教卓へと向かう彼女たちにそう言うと、ケイはしかめっつらでこちらに視線を戻した。「で?」
私は黒い紙袋を彼に差し出した。
「おみやげいろいろ。あんたの趣味がよくわかんないから、記憶にあるマルコ路線で選んでみた。お菓子は二十個近く入ってるのが三箱ある。友達と分けてもいいけど、最低でも一箱は家に持って帰って」
彼は受け取った紙袋の中を覗きこんだ。
「──なんか、いっぱいなんだけど」
「小遣い、三万じゃ足りなかった」声を潜めて彼に言う。「多めに持ってったのに、むこうでもさらに金おろした」
「マジで? どんだけ?」がさごそと音を立て、小ぶりな黒い箱をひとつ取り出した。「持て」紙袋をこちらに差し出す。
なぜ偉そうなのだと思いつつも従うと、彼は取り出したその箱を開けた。
「──すげえ」笑顔を見せる。「かっこいい!」クロスモチーフのペンダントだ。
「わりとそんな系統ばっかり。ウォレットチェーンとか、ブレスレットとか。最終日に行ったサンダー・ゲート、いろんなのがすごく安かったの。シルバーアクセサリーもたくさんあって、あれもこれもって買ってるうちに、すごいことになってた」
ケイは笑いながらペンダントを取り出し、箱を紙袋に入れてペンダントをこちらに渡した。
「つけて」
応える。紙袋を持ったまま、こちらに背を向けた彼にペンダントをつけた。背が伸びている気がする。でも言ってやらない。
「できた」
ケイがこちらを向く。
「あ、似合う似合う。ちょっと早いかなとは思ったんだけど」
彼は照れくさそうな笑みを浮かべている。「兄貴もこういうの、わりと多かった。パンク寄りだけど」
「盗まれても責任はとらないから、今のうちにぜんぶつけといたほうがいいかも」紙袋を彼に返す。「で、早くしないと」彼の後方、わらわらと教卓に集まる一年を見やった。「お菓子、なくなっちゃいそうだよ」
「え」彼は振り返った。「ちょっと待てこら!」
おもしろい。「じゃーね」
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第一校舎から第二校舎へと戻る途中、第三校舎──一年D組の教室前フロアで、不可思議な光景を目撃した。前方左側にある階段からアニタが出てきたのだ。
彼女は私に気づかず、そのまま二年フロアへと戻っていった。スキップをしているわけではなかったが軽快な足取りで、その後姿になんとなく、かなりの違和感を感じた。
二年フロアには向かわず、私はE組の前にある折り返し階段をのぼった。
踊り場には誰もいない。
さらに上──折り返し部分から壁越しにそっと上を覗いて、私は自分の目を疑った。
元生徒会長だ。三階の踊り場で、小ぶりな紙袋片手に、その中身を見ている。
とっさに顔を引っ込めて壁に背をあずけ、隠れた。
もしかするとアニタは、あの男にみやげを渡したのか。
いや、変ではない。変ではない。だって文化祭が終わってから、さらによく話すようになっていた。私は無視し続けていたけれど──それは、いいのだけど。
なんだろう、この違和感。半端ない違和感。とてつもない違和感。
「──ええと」
はっとして右側を見た。気まずそうな表情で、眼鏡をかけていない元生徒会長が立っている。ばれた。
言葉に困った。だが特に話すことなどなにもないということに気づいた。
「じゃ」
とりあえず私は立ち去ることにして、彼に背を向けてステップをおりた。
「修学旅行」
後方で彼が切りだし、私は階段を三段おりたところで立ち止まった。
「──楽しかった?」
天を仰ぎたい気持ちをぐっとこらえ、振り返って彼の視線を受け止めた。
「それなりに」
「そう」彼は気まずそうな笑みを浮かべた。「よかった」
その瞬間、わかった。
階段から出てきたアニタの、妙に軽快な足取りに違和感を感じたうえ、相手が元生徒会長だとわかり、さすがにオトコがいる女にちょっかいを出すような奴だとは思っていなかったから、そこにいちばん、違和感を感じたのだ。
「──文化祭が、終わって」私は、静かに口を開いた。「あなたは生徒会を引退したはずなのに」苦い笑みしか出てこない。「私はやっぱり、あなたが苦手なまま」
彼は一瞬、表情を歪めた。
「──それは」冷静に言葉を継ぐ。「僕が完全なブレインタイプだからってこと?」
“完全”なのか。
私は否定した。「違う──頭のいいヒトが苦手なんだと思ってたけど、夏休みになって、そうでもないことに気づいた。イースト・キャッスル高校に通ってる、頭のいい男友達ができたから」
といってもリーズがフラれてから、ルキアノスともアドニスとも連絡をとっていないが。
彼が質問を返す。「──じゃあ、なに?」
なんなのだろう。「生理的に、無理なんですかね」“自分”がないヒトのような気がすると、思っていた。「でもどうでもいいです。あなたは生徒会を引退したし、もう関わることはないですから」
たった二、三秒の沈黙ができたがそれは、現実の倍以上に長く感じられた。
「まだ」と、彼は言った。「卒業式がある。“関わる”ってことが“話す”ってことなら、関わりはないかもしれない。けど“話す”ってことに直結させなければ、卒業までは、関わることになる」
なにを言っているのか、よくわからない。「だから?」
元生徒会長は眉を寄せ、真剣な表情を見せた。
「あと四ヶ月──会ったら、普通に話してくれないかな。君は球技大会の時からいつも、僕を無視するか、毒のある態度をとるかだ。もちろん文化祭のスピーチの件は、完全にこっちが悪いけど──このまま卒業じゃ、後味が悪すぎる」
あとあじ。
私は視線をそらして鼻で笑い、再び彼の視線を受け止めた。
「あなたの“あとあじ”がどうだろうと、私には関係ない。あなたにどう思われようと、私はどうでもいいから。どうがんばっても、あなたのことを普通の友達として受け入れられる気がしない。生徒会長だったからとか、真面目だからとかじゃない。文化祭のことなんて、気にもしてない。でもあなたと話す気も仲良くなる気も、まったくといっていいほどありません、今後も。ってことでサヨウナラ、元生徒会長さん」
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後方戸口から二年D組の教室に入り、私は呆気にとられた。トルベンが私の席に座っている。しかも私の机には、修学旅行先で私が買って今日持ってきたお菓子が、包装紙が無残にも破かれ、箱が開けられた状態で広げられていた。
「私に気づいたカルロがクッキーを食べながら言う。「あ、やべえ。見つかった」
アニタもやはりクッキーを食べている。「マジでごめん」
ゲルトはダヴィデの机に座り、セテはカルロの机に座ってる。四人ともクッキーを食べている。
衝撃だった。
「私のおやつが──」チョコチップクッキーとバニラクッキーが一枚ずつでワンセット、三十個包装入りのそれが、残り数個というところにまで減っている。「戻ってから食べようと思ってたのに──」
唖然とする私に向かってアニタが言い訳する。「ここまで食べたのはあたしじゃないよ。ちょっと席はずしてて、戻ってきたらわりと減ってた。これ、まだふたつめだし」
「今日のはイヴァンとダヴィとトルベンだからな」カルロは説明した。「ダヴィが昼飯、物足りなかったとか言って、イヴァンがベラのカバンにお菓子が入ってるっつって、トルベンが開けた」
イヴァンが反論する。「トルベンより先に手つけたのはお前だろ。箱開けた瞬間飛びついたくせに」
「開けたらもう一緒だろ? 食うつもりで開けたんだから」
セテが笑う。「あとはもう、ほぼ同時。アニタ以外な。全員が一気に取って食って、かなりうまくて、やたら食ってる」
「いや、マジでうまい。お前好みの味」と、ゲルト。
ダヴィデも続いた。「チョコチップクッキーが半端ない。今まで食った中でいちばんうまいかも。ってことで」また個包装されたクッキーをひとつ手に取り、そそくさと机の左側にかけた自分のカバンに放り込んだ。「小学四年生の妹へのみやげに持って帰るわ」
アニタは怒った。「あ、ずるい。食べすぎ!」
あと六つ。「私のぶん──」
私の後方から、カルメーラを連れたペトラが現れた。
「あれ、お菓子食ってる。なに? おやつ?」
イヴァンが応じる。「ベラが持ってきたやつ。すげえうまい」
「マジで? もらお」
ペトラは悪びれる様子もなくクッキーをふたつ取り、ひとつをカルメーラに渡してフィルムを開け、彼女と一緒にクッキーを食べた。
「ん! うまい!」
カルメーラも同意する。「おいしい。なにこれ、どこの?」
「シーズ・ファイアフライの」アニタが答えた。「買えばよかった」
あと四つ。
トルベンもまたクッキーをひとつ取る。
「さっさと食わねえとなくなるぞ。“お前のお菓子”」
はっとした。「もう食うな。お前ら食うな」
「え」アニタが言う。「あたし、まだふたつしか食ってないよ」
「知るか」
私はやっとクッキーをひとつ、手に取った。フィルムを開け、チョコチップクッキーを一口食べる。なにこれ。すごいうまい。ソフトだ。濃厚だ。なにこれ。
「うまいだろ」にやつくゲルトが言った。「お前の好きな味じゃね?」
大好きだ。「っていうか、私が好きな味だってわかってて、あんたら何個食ったの?」
アニタがしかめっつらで答える。「だからふたつ!」
「俺はよっつ」ゲルトが言った。
「オレはみっつ」セテが答えると、イヴァンも同じだといった。
「俺はみっつだけど、ひとつ持って帰るからよっつ」とダヴィデ。
カルロはけろりとしている。「よっつ食った」
「あたしはひとつ」ペトラはわかりきったことを言った「カルメーラもね」
「計算できるもんならしてみろ」と、トルベン。
マジでムカつく。「ナメんなよ」私はチョコチップクッキーを口に放り込んだ。「家にもう一箱、同じのがあるもん」マジで。
アニタとペトラ、セテとイヴァンが声を揃えた。「は?」
「んじゃ、いいよね」身を乗り出し、アニタもまたクッキーをひとつ取った。
「ここは──」セテがイヴァン、ペトラ、カルメーラを見やる。「ジャンケン?」
「だね」ペトラは賛成し、私の手からバニラクッキーをフィルムごと取り上げた。「負けたらこれ」
「は?」私は口ごたえした。「ちょっと待って。私がおやつに持ってきたのに、なんで私が一枚しか食べられないわけ?」
「明日も持ってこい」トルベンが言う。「食ってやる」
なんだお前。「っていうか今さらだけど、なんであんたは私の席で堂々と私のお菓子食ってんのよ」
「あったから」
「マジでふざけんな」
けっきょく、セテとイヴァンとカルメーラがジャンケンに勝ち、ペトラは私が食べられなかったバニラクッキーを食べた。私には空き箱と、ずたずたに破られた可哀想な包装紙だけが残った。
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「別れたんだよね、一昨日」
放課後の、ドアを閉めたD組の教室。ダヴィデの席で越し窓に背を向けるアニタが言った。私が元生徒会長のことを持ちだしたわけではない。ただ帰ろうとしたところを彼女に引き止められ、教室から誰もいなくなるのを待っただけだ。
ようするに二股ではないと。「へえ」
彼女はこちらの顔色を伺った。
「ヒかない? っていうか、怒んない?」
「本題を持ちだす前にそう訊くの、卑怯な気がする。わかるわけないじゃん」
「だよね」
彼女は苦笑って視線をそらすと、椅子に背をあずけて小さく深呼吸した。
「──文化祭のあと、あたし、ネストール──元生徒会長と、よく話すようになったじゃん。最初はぜんぜん、そんな気なかったんだけど。彼が眼鏡をやめてコンタクトにしたこともあってか、あんま真面目とか、違う人種みたいなの、感じなくなって──話すのが楽しくなってきたんだよね。けど彼氏いるし、どうなんだろ、みたいな」
どうもこうも。
彼女が続ける。「で、よくわかんない状態が続いてて──修学旅行に行って、冷静に考えてみようって思った。どっちのことを考える時間が多くなるかって。──で、結果は、元生徒会長だった」
「へえ」
「んで修学旅行でおみやげ買ってたから、メールで呼び出して渡したんだけど──」また顔色を伺うようにこちらを見る。「やっぱヒいてる?」
「どうでもいいよ」と、私は視線を合わさず答えた。「むこうはオンナと別れたんでしょ? で、あんたも別れた。障害なし。べつにいいんじゃないの」
顔をしかめる。「ホントにキライなんだな、元生徒会長のこと」
「なんだろうね。なんか無理」
文化祭のスピーチのことは、アゼルにしか話していない。今日見たことも話したことも、誰にも言っていない。もしかすると、アゼルにはそのうち話すかもしれないが。
「ま、私はあんたの恋愛には関与しないんだし、今までどおりでいいでしょ。私は無視してあんたが話す。落とせばいいよ」
私がそう言うと、アニタはまた苦笑った。
「落とすって言いかたはちょっと違う気がする。夢中ってほどでもないんだ。まだ気になるってレベルだと思う。知りたいというか、興味があるというか。新鮮な感じもあるし──元カレもいることだしもう三年とは、つきあうどころか、そんな仲良くなることすらないと思ってた。けどよく話しかけてくれて、ちょっと嬉しいってのもある。生徒会が終わってからは、元副会長ともそんな、話してないみたいだし。だから気にしなくていいんだろうし」
そういえば嫉妬王子と別れてから、同じ学校の人間とはもうあまり、つきあったりしたくないとアニタは言ってた。そのうち卒業だからいいのか。
「むこうが生徒会に入ってる時だったら、すごい気まずかっただろうしね。睨まれないように気をつけなよ」
「睨まれても気にしない」そう言うとアニタは左肘を私の机につき、手にあごを乗せた。「たださ、いろんな子とつきあうって宣言したはいいものの、あんたとアゼルみたいなの、尊敬したりもするんだよね。もう一年以上じゃん。しかも仲いいし。友達みたいにふざけてるし。期間はともかく、ああいう仲がいいなって思う。あたしはどっちかっていうと、火がついたらヒートアップして、そのうち冷める。二人ともそうだった。盛り上がるの、最初だけなんだよね」
盛り上がるってなんだ。「よくわかんないけど、私はそうやって気持ちの切り替えがうまいほうが、羨ましい気はする。他の男を好きになる自分が想像できないもん」
私がそう言うと、彼女は笑った。
「あんたの場合、アゼルみたいな完璧? すぎる男が最初だからね。アゼルは、手放しちゃったらもったいない気はする。あれが彼氏だったら、たぶん誰でも、一生別れようとしないと思うよ」
「そういうのはちょっと違う。完璧だとは思わないし、むしろ欠陥だらけだし」さらりと酷いことを言っている。「ただ──」
あんなふうに似た境遇にいて、浮気はともかく、こんなふうにつきあえる相手というのは、毎回毎回世界の終わりみたいに愛し合える相手というのは、他にはいない気がする。
続きを言わずにいると、アニタは続きを促した。
「ただ?」
私は苦笑い、はぐらかした。
「なんでもない。帰ろ」




