* Midnight Call
「──何時だと思ってんだ」電話越しに、アゼルは不機嫌声で言った。「明日仕事だぞ。殺す気か」
私は今、自分の部屋があるフロアの、エレベーターホールの前にある薄暗いソファーコーナーに、ひとりで居る。腰窓ひとつの特に広くはないこのスペースの壁には、キャンドルモチーフの照明ふたつにはさまれた大きなアンティークの鏡と絵画が飾られていて、デザインやカラーの違ういくつかのチェアと丸テーブルが置かれている。カーテンが取りつけられた腰窓に少しかかるよう、背の低い横長のシェルフがあり、私はその逆サイドに置かれた窓脇の丸テーブルの隣、ヴェール・ポワ・シシュカラーの布製アームチェアに座って、アゼルに電話した。このスペースと廊下を区切るドアはないものの、誰もおらず、周りは静かで、カーテンが開かれた窓からは、十一階からの都会の景色が眺められる。ベネフィット・アイランド・シティでは考えられない、無数のネオンが街に散らばっていた。
ちなみに今、午前二時を過ぎています。
「私だって朝早いっつの」
「なに。寝れねえの?」
「んなわけないじゃん。むしろ超眠い」
「じゃあなんだよ」
「なんとなく。普通に寝たんだけど、起きたから。ついでに電話してやろうかなと」
「ただの嫌がらせだろ」
そうとも言う。「おみやげ、なにがいい?」
「んー。避妊具」
思わず笑った。「あんた最低」
アゼルも笑う。「いや、あれな。いつもブルがネットでまとめて注文してんだよ。それを三人で分けてんだけど、俺だけ消費量が半端ない。しかもブルがあればっか、大量に注文することになってる」
どこから出てくるのかなど、考えたこともなかった。「コンビニで買えばいいじゃん。そしたら出すよ」
「近くにあるコンビニだと、俺もお前も顔割れしてるだろ。ヤッてんのは当然だけど、しょっちゅう買ってたら、お前ら一日に何回ヤッてんだって話になる。しかもコンビニは値段が高い」
普通に泊まっただけでも、三度くらいはする。泊まらなくても二度、する時はする。
「じゃあ今度、どこかに買いに行こうか」私は言った。「ドラッグストアとか。大量に買うの」
「使用期限が──あ、二年か三年か」
「二年ぶん? 何箱くらいだろ」ほとんどは一箱十二個入りだという話。
「二週間で一箱として──月に二箱。一年で二十四箱? もっとヤる時もあるから、単純に考えれば一年で二万以上」
「──を、まとめ買い?」
「どんなだよ。さすがにそんだけ売ってねえだろ。しかも一年後もお前と続いてるとは限らねえ」
そうですね。「──別れたいなら、別れればいいのに」
「お前は? 別れたら、なんかいいことあんの?」
「ないよ。なんにもない」ただ、一緒にいればいるほど、失う怖さが大きくなる。「一年ぶんとまではいかなくても、半年ぶんとか──」ああ、そうか。「あるだけ買えばいいんじゃないの」電話して、監視してるみたいになるのが、イヤなんじゃない。「ドラッグストアなら、十二箱くらいは余裕で買えそう」電話して、また“裏切り”を告白されるのが、怖いんだ。
「──そんなにヤりてえか」
バカ。「なんならブルに言って、注文やめてもらうけど。そしたら健全なおつきあいができる」
ちなみに少女漫画の中には、“真剣な交際”という証明のため、つきあっても三ヶ月は手を出さないという、おかしな暗黙のルールがあるという。
「そしたらナマでヤッてやる。っつーか頼むから、あんまそういう話すんな。するなら戻ってきてからにしろ」
アゼルに、会いたい。「──明日、解散したら、行っていい?」出発する前日に会ったから、まだ二日しか経っていない。「長居はできないけど」いつもならなんとも思わないのに、すぐに会える距離じゃないから、なんだか寂しい。「五分だけ」“会えない”という状況は、好きではない。
「──五分じゃ、ヤれねえよ」
「そっち目的じゃないもん」
電話の向こうにいるアゼルは、静かに吐息をついた。
「ブルとマスティが、迎えに行くかっつってた。俺は拒否した」
「なんで」
「会ったらヤりたくなるから」
「じゃあ土曜に泊まりに行くのもやめようか」
「やめたらお前の家に行ってやる」
「来れるもんなら来てみろ」ナチュラルに来る気がするけれど。「あ。リーズのこと、聞いた?」
「聞いた。マスティとブルが電話したけど、出なかった。相当沈んでるっぽいって」
「やっぱ泊まりに行くの、やめようか」
「あいつ、フラれたのははじめてじゃねえよ。あんだけアホになったのははじめてだったけど」
「でもなんか、リーズが失恋したのに、あんたに会うってのも、なんかなと」
「今さら気にすんなよ」電話越し、オイルライターの蓋を閉める音がした。そしておそらく、彼は勢いよく煙を吐き出した。「しょうがねえから迎えに行ってやる。家に送って終了」
「うん。空港に着いたら、バスの中でメールする。ブルに」
「あいつら、本気で監視モードだぞ。俺をソファで寝かせようとしねえ」
夜中に抜け出す可能性があるからだという。「夜コンビニ行くのも一緒なんでしょ?」
「そう。しかも昨日の夜中、どっちかわかんねえけど、一回部屋覗きにきた。たぶん俺がいるかどうか確かめに。半端なくうざい。さすがにうざい」
笑える。「ある意味修学旅行だよね。違うか。監視合宿?」
「そんな感じ。だから今日──もう昨日か。ビール飲ませまくってやった。朝まで静かに寝るはずだった。けどお前が電話してきた。意味なし」
あらららら。「ごめん」私は笑いながらあやまった。「話すこといっぱいあるよ。や、いっぱいってほどでもないか。抜き打ち持ち物検査事件とか、囚人解放事件とか、席取り合戦とか」
「どんどんネーミングが大げさになってる気が」
「そうね。席取り合戦はちょっと違うかも。っていうかかなり違う。これはどうでもいい」言ったところで、ふとひらめいた。「クリスマスのプレゼント、今決めた」
「あ?」
間違いなく、アゼルが嫌がるモノだ。「二ヶ月近くかけて、かっこいいの探す」
「決めたんじゃねえのかよ。つーかなんだ」
「それはまだ内緒」私にとっても、いいモノとは言えない。「見てのお楽しみ」“執着”を、深めるモノ。
「あっそ。もう切る。明日の仕事、朝から夕方までなんだよ」
「うん。明日ね。おやすみ」
「ん」
電話を切った。だからおやすみって言えよアホ。
立ち上がり、窓から夜景を見下ろした。
アニタは絶景だと喜んでいたけれど、こんなものに心揺らされるほど、私は純粋では──。
ビルの隙間を縫うように伸びる、オレンジ色に照らされたキャピタル・フリーウェイ。ネオンで照らすいくつもの大きなビルと小さなビル。奥に見える観覧車。
こんな景色を、見たことがある気がする。
でもこのホテル、有名だというし。老舗だし。テレビかもしれない。テレビは観ないけれど。パンフレット?
川があって、海がない。
──海。
海が、なに?
なんだっけ。
──思いだした。
去年のクリスマス──夢にみた。誰だかわからない、親子連れが海を見ている夢を。アゼルの話を聞いたあとで、そのあとすぐ、あの痛々しい光景に変わったから、まったく気にしてなかったけれど。
ブラウンの丸テーブルに腰かけ、右側頭部を窓ガラスにあずけて目を閉じた。
今週月曜、学校が終わったあと銀行に行った。両親は五万フラムずつ、私の口座に振り込んでいた。おそらく二万が月の小遣い、三万が修学旅行用の小遣い。祖母からも修学旅行用にといって、一万五千フラムをもらったのに。さらに十万フラムももらっても、そんだけ持って行かねえよっていう。とかいいつつ、一万フラムが上限なのに三万フラム以上持ってきたけれど。
誰と誰がどう連絡をとっているのかは知らないが、もしかすると張り合っているのかもしれない。それだけ振り込むつもりなら、こっちも同額を、と。だとすれば、アホなの? と言いたくなる。それでこちらの貯金額が増えることを考えれば、多いぶんにはけっこうだけど。
思わず、溜め息が漏れた。
だめだ。起きるべきじゃなかった。というか、さっさと部屋に戻ればいいのだけれど、今ベッドに入ると、なんだか──。
左手の中で、携帯電話が震えた。
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電話をかけてきたのは、アゼルだった。
「なに」
「あれ。寝てねえのかよ」
「なにそれ。仕返しですか?」
彼は無視した。「お前、部屋じゃねえの?」
「エレベーターホールの前にあるソファコーナーにいる」
「なにやってんだよ」
「だって、アニタ寝てるし」
「電話切ったのになんで部屋に戻ってねえんだって訊いてんの」
「夜中って、動きたくならない?」座っていますけど。
「それはわかる。できれば昼間は動きたくねえ。けど寝ろよ。土曜にやたら寝まくるようだったら、マジでキレるからな」
変な奴だ。「んじゃ今から戻る」
そう言うと丸テーブルをおり、私は部屋に向かって歩きだした。このフロア、テーマは“クラシカル”らしい。
「そっちこそ、明日迎えにこなかったらキレるからね」
「それより朝寝坊しないかが心配」
「こっちの場合、寝坊したら朝食抜きなんだよね。っていうか時間制限があるから、遅れたぶんだけ食べられない可能性が」
「飯はうまいの?」
「うん、うまい」
白い壁、空色に柄の入った絨毯は、廊下のむこうまでまっすぐに伸びている。右側、エレベーターホールの隣はレストルームになっていて、その向かいの部屋には学年主任と美術の先生が泊まっている。
「おばあちゃんの料理には負けるけどね」と、私はつけたした。
彼は笑った。「ホテルの料理って、病院食みたいなイメージがある。味がうすいというか、ダシがきいてないというか」
「そういうの想像してた。でもそうでもなかった。味は濃いってわけじゃないけど、しっかりしてる。でもさ、普段食べないような料理が、普段使わないような食器の上に、普段しないような盛りつけで出てくるんだよね。だからうまいって感じるだけかなとも思ったり」
レストルームと教師部屋を通り過ぎると、次はC組とD組女子のいる部屋が続く。五部屋だ。右側にはもうひとつ、六個めの客室があり、その向かいは自販機コーナーになっている。さらにその隣がドアつきの非常階段、向かいはレストルームだ。
「そういうのキライ」とアゼルが言う。「庶民料理のほうがうまい」
「私もそう思う」ニュー・キャッスルよりも、オールド・キャッスルのほうが居心地がいいみたいに。「でも今度、気取ったレストランに食べに行こうか。普段どおりのチャラチャラした格好で」
「なにしに? ランチオネットの五倍の額は取られそうなんだけど。んなことするくらいならホテル行くわ」
「高級ホテル?」
「なんでだよ。金貯めろっつったのはお前だろ」
「今月十万入ってた」
「は? マジで?」
「うん。あ、二人合わせてね。たぶん修学旅行の小遣いプラスで、五万ずつ」
「ウェスト・アッパー・ストリートって恐ろしいな。特例とはいえ、月に十万もらう中学生なんてはじめて聞いたわ」
私もだ。「“ウズ”に住んでたってだけ。今は関係ない」
「また変な略語使ってんのか」
「“ワズ”って言いたいところだけどね。W、U、Sだから、“ウズ”。過去形“ワズ”の親戚みたいな」
アゼルはまた笑った。
「けどウェ・キャスを出たら、この町そのものが過去になるだろ。一回出たら、もう二度と戻ってこねえ気がする」
うん、わかる。「──お金、溜まったら」一一〇八号室の前に辿り着き、ドアに背をあずけて目を閉じた。「ウェスト・キャッスル、出るよね」
「さあ──とりあえず家出て自立するってことしか考えてなかったからな。けどこの町、アパートもあんまねえし。けっきょく、出るしかない気はしてる。ここにいたら、いつまでも金せびっちまいそうだし。つってもブルやマスティは、家出る必要はないわけだから。だったら近く──グラナリー・イシューとか、アロウ・アイレットとかになるだろ。グラナリーだと、家賃もわりと安い。けどまともに働いたとしても、いつクビになるかわかんねえから、クビになってもしばらく食っていけるくらいは金、貯めとかねえとだし」
ついこのあいだまで中学三年生だったアゼルは、仕事をはじめて、急に大人びた気がする。物件情報を集めていることすら、私は知らなかった。
「やっぱセンター街に近いと、家賃も高いの?」私は訊いた。
「そりゃな。ケイネル・エイジだと、西に行くほど安くはなるけど。つってもあれだわ、ナショナル・ハイウェイに近いと、やっぱちょっと高い。今のままじゃ無理。資格がありゃ給料も上がるけど」
「年齢関係あるんだっけ」
「ある。十六になったらちょっとは資格とれるけど、十八になってないとダメっつーのもあるし。まあ知り合いは、資格があろうとなかろうと、技術がモノいうんだって言ってるけど。そういうの、うるせーとこもあんだよ。ちゃんと給料もらおうと思えば資格はいる。じゃないと正規としては雇えねえから。ブルもマスティも、もうとっくに十六になってんのに、資格とるの待ってる」ブルの誕生日は七月だ。マスティは九月。「そこまでしなくてもいいのに」
「やさしいよね、なんだかんだで」左肩でドアにもたれた。「できるんならあんたの誕生日、私の誕生日と変えてあげたいけど」
「お前がいちばん早いもんな。ついこないだ十四になったとか言ってたのに、あと半年もすりゃもう十五だ」
「性格的には冬だって言われるんだよね。冬が好きだって言ったら、性格が冷たいからなとか言われる」
「俺に喧嘩売ってんのか」
「まさか。でも私は、冬生まれのほうがよかった。寒いほうが好き。冷たいほうが好き。性に合ってる」
「まあ──選べるもんなら、みんな好きな季節選ぶんだろうけどな。っつーかお前、まだ歩いてんの? 部屋どんだけ遠いんだよ」
「や、もう部屋の前ですけど」
「は? 言えよアホ。二時半過ぎてるわアホ。殺す気か」
私にも撃沈フラグが立っている。「それはこっちのセリフです。この電話はあんたがしてきたんだから」
「もう寝ろよ。部屋入ったらすぐベッド入って目閉じろ。五分後には俺もお前も夢ん中」
夢の中。「なんの夢、みる?」
「みようと思ってみれるもんじゃねえよ」
「じゃあみたい夢はなに?」
彼はまた質問を返した。「お前は?」
目を閉じたまま、ドアに額をあずける。
「──まえに、話したでしょ。真っ赤な空間。音楽流して、そこにふたりだけでいる」会いたい。「──棺も、赤にしないとね」
「──赤い棺って、すげえな。通るんかな。常識破りにも程があるよな。けど墓は黒だろ?」
口元がゆるむ。「うん、黒だね。絶対黒」会いたい。「棺の中でもいいや」
──私は、異世界に来たわけじゃない。
「地獄でもいい」
──空は、ひとつ。
「どこなのか、どんなとこなのかは知らないけど」
──今夜は、同じタイミングで眠れば、一緒に眠ってるように感じられる気がする。
「めずらしく、あんたのこと考えながら寝てあげる」
「あげるってなんだ。なんで偉そうなんだ」
「じゃあブルとマスティのこと考えながら寝てあげる」
「知るかよ。なんでもいいわ。さっさと寝ろ」
「おやすみって言ったら寝る」
「あ?」
「聞いたことないんだよね、あんたがおやすみって言うの」
「──いや、言わねえよな。なんか不気味だわ」
「普通の言葉ですけど」
「違う。絶対違う。俺の辞書にそんな言葉はねえ」
「アホなの?」
「うっさいわ。さっさと寝てさっさと起きて、さっさと戻ってこい」
心臓が揺れ、思わず目を開けた。
“戻ってこい”、だって。
また口元がゆるんで、目を閉じた。「うん、戻る」
──執着がまた、強くなる。
「十数時間、待ってて」
──失う怖さが大きくなるとわかっているのに、別れたくない。
「がんばって、あんたの夢みる」
アゼルは、静かに答えた。「──ん。じゃな」
「うん」好きすぎて、怖い。「おやすみ」




