* The Way To Clear The Brain
マスティたちが帰ると、アゼルは、なおもソファで沈黙を続ける私が組んでいる腕と脚をほどき、私の脚上にまたがった。
それでも私がうつむいて目を閉じたままだから、吐息をついて背中に両腕をまわし、私の額を肩にあてて、抱きしめるようにして口を開いた。
「ここでヤるか。リーズの席」
違うと思う。
私の脚に軽く体重を乗せる。「喋らねえとマジでヤるぞ」
「ヤです。そして重いです」
「今日の予定は、また学校に忍び込んでどっかで、だと思ってたのに。仕事入るわリーズがアホなことするわで、泊まるどころじゃなくなったな」
一年前の今日、私とアゼルは始業式をサボッて、学校で、した。
「そんな予定を立てた覚えはない」
「けどそろそろまたやってもいい気がする。狂った状態で狂ったこと」
「物足りないの?」
「いや」彼は右手指で、私の右の耳のあたりにある髪に触れている。「けど去年は九月の一日だろ。次がクリスマス。今年の三月、俺らの卒業式の日。そのあとお前の終業式。三月は二回あったから、六月はまあいいかと思ってたけど。もう半年経った。そろそろまたなんかあってもいいんじゃね」
「そんなのにバランス重視しないでよ。そんなの計算してするもんじゃないじゃん。特に用がなきゃ、家に呼ぼうかとは思ってたけど」
「あれ、マジか」
「そっち目的じゃない。おばあちゃんがいつでも連れてきていいって言うから。それに今月は、文化祭の準備があるし──アニタが引っ張ってくれる予定だし、私はそういなくてもいいことになってるけど、A組のもちょっと協力してって言われてるから──夏休みも、私が遊びに行ったりあんたが仕事に行ったりで、去年ほど一緒にいられなかったでしょ。なんか──」
「なに。いつからそんなこと気にするようになった」
わからない。不安が大きい。この時期はダメだ。自分勝手にアゼルを傷つけて、傷つけられて、けっきょく別れた時期。
「まえにも言っただろ」彼が言う。「とりあえず今はそんな気ないって。仕事で覚えることがありすぎて余裕ねえんだよ。お前の相手すんので精一杯」
そんなことを言われると、期待する。
「俺がなんかやらかす時はなんかあるはずだろ。お前が暴走したとか迷走したとか逃走したとか」
思わず笑った。「ぜんぶ同じに聞こえるし。ぜんぶ私のせいじゃん」
「他になにがあんだよ。ぜんぶお前のせいだし」
「生クリームを私の背中に乗せて、それをあんたが食べるってどうよ」
「なにそのエロすぎる状況。すげえやりてえ。けど生クリームが好きなのは俺よりお前だろ」
「じゃあそれをくれればいい」
「めんどくさいわ」
「──部屋に行って、壁使って、あの時と同じようにすればいい。リアルに思い出せるよ、きっと。九月一日だもん」
そう言うと、彼は私の耳にキスをした。
「あそこには? 行ってんの?」
「行ってない」私は答えた。「去年、もう来ないって、あんたに言った時から。あそこは、あんたと二回目のキスして、はじめて深いキスして、去年の今日、した場所でもある。ダメなことしたのに、神聖な場所みたいになってた。そのあと別れて、あんたに完全に突き放された場所でもある」別れた直後にひとりで行って、キスする夢をみた場所でもある。「最後のキスだって思った場所。あの場所を意識すると、いつもあんたのこと考える。ひとりで階段までのぼっちゃうのは、なんかダメな気がするから、行かない」
行ったら私の負けだ。ベッドの上じゃないのに、アゼルに支配されているのと同じことになる。
「俺は行きたくても行けねえのに。──お前が卒業する時は、もう一回、あそこでヤりたいな」
「無理」
今度は、私の首筋にキスをした。
「──十二時間ズレてるけど、あん時と同じ時間帯にヤることはできる。時計の針的にな。けどそれまで時間あるから、その前に一発、普通にヤってやる」
「おとなしく時間まで待てばいいじゃない」
「それまで焦らしまくってやろうか? また地獄だけど」
「イヤです」
「あ、ナイトテーブル使うか。いや、痛いか」
「あんな小さいの、使いようがないじゃない。っていうかなんの話よ」
「お前のストレスを消してやるって話」
「こんなので発散できるわけない」
「ウサ晴らしって意味じゃねえ。お前は素直に感じてればいい。俺にヤられてれば、他のことなんか考えられなくなるだろ。そのあと帰ってシャワー浴びて寝てみろ。明日には今日イラついてたことなんか、ぜんぶどうでもよくなってる」
確かに、そんな気がする。アゼルの腕の中は、安心する。
顔をあげ、彼と目を合わせた。
「連れてって」
彼が微笑む。「フルで仕事したあとだぞ。わりと疲れてんだよ。自分で歩けあほ」
ベッドの上では、アゼルが疲れているとは思えなかった。
私の中に残っていたモヤモヤした気持ちは、彼とキスをするたびに薄れていき、じきに消えた。
去年の学校でのあの行為から、一年と十二時間遅れた時間帯。
今日二回目のそれを、私たちはあの状態を再現するよう、だけどあの頃よりももっとたくさんのものを抱えながら、たくさんのことを受け入れたまま、過去の過ちから逃れるよう、夢中になって愛し合った。
アゼルとのつきあい方は、一年前とは大きく変わっている。
端から見るぶんには、それほど変わっていないだろう。嫉妬はしないしそれほど喧嘩もしない。友達のようにふざけ合って、言いたいことは言い合って、それほどイチャつくこともなく、デートなんてこともしない。
だけど実際は、お互いに口にしたくない過去を知っていて、ほんの少しの血を分け合って、他に誰が知ってるかわからない二度目の彼の浮気もあって、だけど別れなくて、傷つけ合って憎しみ合って、外からはわからないほど、濃密に愛し合うようになっている。
私たちはふたりきりになると、密室に閉じこもる。
誰にも邪魔されたくない、誰にも邪魔できない、赤くて赤い、真っ赤な空間に。そこにお互いのすべてと一緒に閉じこもり、全力で愛し合う。
息つく暇もないくらいのそれは、いつだって、お互いへの愛を、憎しみを、お互いの中に、深く深く、刻みつけていく。
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家でシャワーを浴びて部屋に戻るまで、バッグの中に入れた携帯電話はずっとマナーモードにしていて、気づかなかった。アドニスとルキアノスからメールが届いている。どちらも同じような内容だ。“暇になったらメールしろ”、と。この流れはおそらく電話になる。
今現在、話したくないと思いつつ、私はベッドの上にあぐらで座り、携帯電話を見つめてる。
どっちだよ。どっちにだよ。もういいよ。疲れてんだよ。勘弁してよ。ムカついたことなんかすっかりどうでもよくなって、疲れすぎてフラフラの状態で送ってもらって帰ってきたのに、まだ続くの? もういいじゃん。私のことなんか放置でいいと思う。リーズとの仲が壊れないならそれでいいんだよ。わざわざ新しい人間関係築く気なんてないんだよ。めんどくさいな。
そんなことを思いながら、携帯電話を手にして寝転び、アドニスに電話した。彼は二コール目の途中で電話に出た。
「かけなくていいのに」
やりとりが面倒なので。「なんか用ですか」
「一回切るぞ。かけなおす」
どんだけ長話する気だよ。「そんなのいいか──」
電話が切れた。
投げてやろうか。ぶっ壊してやろうか。水に落とす? 火つける? 燃えるの? 溶けるか。ああ、折ればいい。窓から投げ捨てる? 屋根の上に? 落ちるだろ。
と、見慣れない固定電話の番号から着信が入った。どれだけ長電話になるの? もうやめて。あんたのそれ、嫌がらせでしかないから。私とニコラに対する嫌がらせでしかないから。
応じるしかなかった。「はい」
「ふと思ったけど、あれだな」彼は突然切りだした。「さっきの電話、切っちまえばよかったんだな。出ちゃったらけっきょく、ちょっとの通話料がかかることになるもんな」
「そんなのどうでもいいよ。私が払うんじゃないし、使いすぎてもなにも言われないし」
「へー。羨ましい。で、まだ機嫌悪いの?」
「疲れてんの」
昼間のことを、彼に対して怒ってるわけではない。それは本当だ。
私は続けた。「この夏はどうかしてるの。どこに行ってもなんか起きて、色々ありすぎて、頭使うことも多いし──面倒なことばっかり」
「お前は遊ぶことすら面倒そうだよな。夏休みの花火のことも、なんかすげえ面倒そうに話してたし。今日のこともイヤイヤなんだろうなとは思ってた。実際あんま喋んなかったし、インゴとリーズがやたら盛り上がってるし。そのうちニコラとエルミがテンション下がっていくし。けどインゴたちは爆走し続けるし。なにが起きてんのやらさっぱり」
彼、実はぜんぶわかっているのではと思えてきた。
「私もよくわかんない。ごめんね邪魔者で」
「いやいや。言っとくけど、オレとルキは、最初にあいつらとカラオケ行った時と同じテンションだからな。インゴとリーズが盛り上がってただけ。けどインゴが気にしてた。お前にすげえ嫌われた気がするって」
もしも今、目の前にインゴそっくりの人形があったら、私は迷わず側頭部に回し蹴りを食らわせていると思う。
「キライもなにも、彼のことなにも知らないし。そうやって気にされることがイヤ。私は気にしてない。興味がないから。空気を悪くしたのは悪いと思ってるけど、彼に弁解する気はない。もう会う気もない」
「あ、やっぱ苦手?」
「っていうか、彼と私は友達じゃないでしょ? これ以上友達を増やす気、ないの。私は人間関係を広く築くほうじゃない。いちいち自分の性格を説明するのが面倒だから。私がイライラしてる時、不機嫌な私の言動を、さらっと流して別の話に切り替えてくれるようなヒトじゃないと、私はやっていけないの。あなたとルキはわりと、そうしてくれるけど。初対面でぜんぶぶちまけるほど、私は無防備じゃないのよ」
「ああ──無防備じゃないどころか、ガード堅すぎだもんな。んじゃインゴには、もう気にするなって言っとく。──で、ひとつ訊きたいことがあんだけど」
やだ。「なに」
「ニコラもリーズもエルミも、いつもあんなか? ナンパされて、ひとりの男とだけメールするような。いや、さすがに恋愛感情があんのかとかは聞かないけど」
リーズはひとりではない。
アドニスが続ける。「お前はさ、オレともルキとも連絡とってんじゃん。けどあいつら、なぜかひとりにしか送ってこねえだろ。ニコラはオレに、リーズはルキに、エルミはインゴに。ナンパしたら他の女にも時々、そういうのはいるんだけどさ。もっとこう、みんなでトモダチみたいなの、できないの?」
「エルミはナンパ、はじめてだから、よくわかんない。けど、恋愛目的でナンパしてきたのはそっちでしょ?」
「ああ、いや、さっきそう言ったけど、厳密に言えば、オレらがナンパしたのはあいつらじゃない。お前だから。けどお前にその気がないってわかって、だからすぐ友達路線に切り替えたじゃん。友達路線でお前をとおしてあいつらと会って、なのにむこうは、全体でトモダチするような気がないっていうか。さすがにやりにくい」
アドニスはニコラからメールを送られてる。ニコラが自分に恋愛感情を持っているとすれば、リーズにメールを送ると、二人の仲が悪くなるかもしれない。だからといって彼には今、その気がなくて、自らニコラにメールを送ると、変に期待させることになりかねない。だからメールを送れない。
少し考えれば、わかること。
「それを私に言って、どうしろと?」
「んー」彼は悩ましげに唸った。「どうもできねえんだろうけど、今さらなんだろうけど──なんかなと」
冷たい花。「ねえ、どれだけ自信過剰なの? 彼女たちは確かに、ひとりにしかメールを送ってないみたいだけど」嘘。「どこに恋愛感情があるのかは、私はよく知らないけど」嘘。「単に気が合いそうだなって思っただけかもしれないじゃん」嘘。「そんなこといちいち気にしてたら、そのうち脳細胞が破裂するわよ」え。「全体でトモダチしたいなら、リーズにでもエルミにでもメール、送ればいいじゃない」正論。「ちょっとメールがきたくらいで勘違いするほど、彼女たちはバカじゃないわよ」たぶん。「それに友達が言ってた。そんなくだらない嫉妬でダメになるようなら、そんなの友達じゃないって」
ほんの数秒沈黙したと思えば、彼は笑った。
「全員お前みたいなのだといいのにな。自信過剰なわけじゃねえよ。ただあいつらの関係がおかしくなんのかなって思っただけ。仲よさそうに見えても、うわべだけみたいなの、あんだろ。ニコラとリーズにエルミがくっついてたみたいに」
「そんなこといちいち勘ぐらなくていいわよ。面倒なだけだもん。でも言っておく。私はもう、みんなで会う気はない。もう懲りた。ニコラとリーズにもそう言ったから」
「ああ、それはかまわねえよ。オレとルキと三人で遊べばいいもん。あれがいちばん気楽だった」
私はそうでもないのだが。「あと、全員私みたいになったら、えらいことになるわよ。喧嘩売りまくりになるから、それはやめたほうがいい。私がおとなしくしてるのがいちばんなの」
「おとなしく?」彼は嘲笑うように言葉を繰り返した。「今日おとなしくしてて、ああいうことになったじゃん。おとなしくしてるのが得策とは思えない」
ああムカつく。ムカつくけど当たっている。「そうね。存在そのものが面倒なのよ。なにしても睨まれる。普通にしてても面倒事に巻き込まれる。とりあえず、ルキに電話しといてくれない? メール入ってたんだけど、もう疲れたから寝たいの」
「やだ」アドニスは即答した。「オレももう寝るもん。面倒なら明日にすりゃいいだろ」
「この時間て、非常識になんないのかな」
「さあ。けどあいつ、わりと夜中の一時くらいまで起きてるぞ。朝と夜中に勉強するタイプだから。気遣ってるつもりなら、メール入れりゃいいじゃん」
「メールが面倒だから電話したのよ」
「ああ。オレもめんどくさい。好きにしろ。とりあえずオレは明日、さっきお前が言ったように、なんにも気にしないことにして、リーズにもメール送ってみる。あ、勘違いすんなよ。ただの友達路線だから。んじゃな」
なんなのこいつ。




