* The Beginning Of New Days
始業式の翌日は新入生の入学式で、新三年生は式に出席したものの、私たち新二年生は一部のサポート組を除いて休みだった。
そして翌週月曜、ウェスト・キャッスル中学には新一年生が加わっていた。当然のように全員、学校指定のセーラー服だ。教諭たちに釘をさされていたこともあり、先日入学式に出席した在校生たちは皆セーラー服を着ていたとのことなので、この日学校に来た新入生たちは当然、驚いただろう。アニタを含む新二年生女子の一部も加わり、今では二年と三年の女子の半分ほどが、私と似たり寄ったりなオリジナル制服を着ているのだから。
私は切った前髪を、一部の女子たちからは似合うと言われ、一部の男たちからは幼く見えると言われた。幼く見えるから似合わないとも言われた。
マーニはゲルトと席を替わったものの、三時限目が終わったあとに根を上げた。早すぎるとゲルトが文句を言うので、ジャンケンで負けたタスカがゲルトの席に移動し、マーニが私のうしろの席に来た。
昼休憩の時間、私はひとり職員室へと向かっていた。アニタは置いてきた。というより、職員室に行くと言ったら一緒に来るのをやめた。オリジナル制服を着ているので、さすがに気まずいと思ったらしい。
けれど私は、職員室に入る必要はなかった。第一校舎の正面玄関ホールで、目当ての人物を見つけたのだ。職員室側から歩いてきた彼も私に気づいた。
「なんだ。もう第一校舎が恋しくなったのか」
ボダルト教諭は、この学校の生徒指導主事だ。背が高く、がっしりとした体格の色黒の男性教師で、短い髪も眉も黒い。三年の体育の授業を担当していて、去年の二学期の終業式あたりまではほとんど話したことがなかったものの、去年二学期に一部の生徒だけで小さな打ち上げパーティーをしたいと申し出てから時々、会えば立ち話をするようになった。一部の生徒を除き、ほとんどの生徒からは怖いと言われている。面倒見がいいのかなんなのか、普通の教諭たちとは逆で、不良生徒たちと仲がいい。
「そんなバカな」と私は言った。「今のクラスメイトのほうが楽しいんで、今のままでじゅうぶんですよ」
主事は腕を組んだ。「言ってた奴らとは同じクラスになれたか?」
「え、知らないんですか? なりましたよ、見事全員。いらないのもついてきましたけど」
「いらんとか言うな。校長には、二年は修学旅行があるし、できるだけ仲のいい人間を集めたほうがいいって意見が出たってことと、お前たちが書いたリストは渡したけどな。あとは知らん。今年もお前らの学年には修学旅行以外、特に関わらんし」
つまり。「ホントに関与してないんですね。ってことは、校長は私の存在を認識してるってことですか?」
「当たり前だろ」彼は呆れた様子で答えた。「お前が最初にその格好をしてきた生徒だってのも、校長は知ってる。お前はめったに職員室に来ないし、来たとしても、ちょうど校長がいない時なんだろうけどな。卒業式の花道の時だって、お前らを見てた。面と向かって話したことがないだけで、向こうは知ってる」
花道の時。つまりアゼルたちの卒業式ということで、アゼルと私がキスをしたことも知っている。そういえば、当然のようにいた気がする。こちらはやはり学校に釘をさされて学校指定のセーラー服を着ていたので、気にもしていなかったけれど。
「わお。つまり校長公認? 学校公認? 私、すごい」
軽い調子で言うと、彼はさらに呆れた顔をした。
「あんま調子に乗るなよ。制服のことは今さらだが、ヘッドフォンは完全な校則違反だ。なにしても許されると思うな」
そう言いながら、主事は去り際に持っていたファイルらしきもので私の頭を軽く叩き、正面玄関から外に出ていった。
一方私は腕を組み、少々考えた。どうなっているのだろう。
制服は今さら。確かに今さら。ヘッドフォンはダメ。わかっている。なんなら携帯電話もダメ。でも今さら。さすがに全員ではないにしろ、みんな隠れてコソコソと使っている。私は特に隠れてもいないような気がする。というか、それほど使いもしない。
考えてもよくわからなかった。そしてどうでもいいことに気づいた。目をつけられていないのならラッキーだ。
「ベラ!」
前方にある階段から、見覚えのある顔がおりてきた。ひとつ下、新一年生のマルユトだ。隣にサイニもいる。彼女たちは小学校の時、バドミントンクラブで一緒だった。
駆け寄ってきた、真新しい冬用のセーラー服に身を包んだ彼女たちのハグに応えながら、ひさしぶりと挨拶をした。
「どうなってんの? これ、制服?」
サイニが訊いた。彼女は栗色の細い髪をショートカットにしている。肌の色は白く、いい意味で透明感があるから、黙って真っ白な服を着て病院のベッドの上にいれば、病弱な少女を完璧に演じられるだろう。それとは対照的に性格は明るく、声もハスキーだけれど。
「どうなんだろうね」私はすっとぼけた。「みんな勝手に着てるの。セーラーに飽きちゃったのね。裏の制服みたいな? とりあえず、入学おめでと」彼女たちの頭を同時に撫でる。「二人とも、ちょっと見ない間に大きくなった」
「そりゃね」
少々自慢げにそう答えたサイニと一緒にマルユトも笑った。
「でも私はやっぱり、思うように背が伸びない。サイニは背伸びてくのに」
マルユトは小さい。黒髪ショートカットで丸顔、いつもほんのり赤い頬や唇はややふっくらしている。サイニのような透明感はないものの、やはり色白だ。
私はまた両腕を組んだ。
「身長なんて気にしなきゃいい。厚底ブーツ履けばいくらでもごまかせる。それにあんたは、チビでも優秀なセッターじゃない」
二人は小学校の、生徒全員が授業の一環として入るクラブではバドミントンクラブに所属していたものの、放課後はバレーボールのクラブチームに入っていた。サイニはセンターでマルユトがセッター。弱小なりにがんばっていたらしい。
「チビだからセッターなの」と、マルユトはふてくされた様子で反論した。
サイニが笑う。「まだわかんないよね。あたしら、中学でバレーボール部に入るんだ。担任に話聞きに行こうと思って。先輩たちに訊こうにも、校舎違うし、むこう行くの怖いし。どんなか知ってる?」
「顧問がすごく厳しいってのは聞いてる。三年に社会科教えてる男の先生で、ピザの配達人みたいな三輪バイクに乗ってて、ヘビースモーカーで、教師の中では顔はいいほうだってみんな言ってるけど、なんていうか、すごく香水くさいって」だけど私はその香水のニオイが好きだったりもする。話したことはないけれど。
二人は顔を見合わせた。マルユトが不安げな表情をこちらに返す。
「ホントに?」
「とりあえず行ってみればいいんじゃない? 私はその先生とは話したことはないし、部活も見たことないから、よくわかんない。でも小学校の監督だって厳しかったんでしょ? だいじょうぶよ」知らないけど。
彼女たちは苦笑い、とりあえず話を聞いてくると言って職員室へと向かった。
「ホントに後輩いるんだな」
声がして振り返ると、正面玄関口の窓ガラスにもたれるマーニがいた。
「いるわよ」パーカーのポケットに両手を戻し、彼に近づきながら答えた。「それほど仲がいいってわけでもないけどね。会ったら挨拶してちょっと話す程度」
「へー」
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マーニも私と一緒に、第一校舎正面玄関のポーチから第二校舎昇降口へと続く屋根つき通路を歩きだした。校舎外では二年生や三年生が数人のグループになって歩いたり、体育館のバーム部分に座って話をしたりしている。
「なに? 職員室に用があるんじゃないの?」
私が質問すると、彼は「まさか」とあっさり答えた。「報告。クラスじゃアレだから。春休みのあいだに妹と遊びつつ、ちょっと話してみた。ママハハと」
彼は実の父親とその再婚相手である義理の母親、そしてそのあいだに産まれた妹と一緒に暮らしているらしい。そのママハハが遠慮がちでオドオドしていて、それが気に入らないと先月、話していた。
「へー」と、私。「で、反応は?」
「まだぎこちない。オレは妹と遊びながら、すげーそっけない返事してる。二、三言でオレが会話終わらせて、ちょっと黙ってオレらを見てて、思いついたらまたなんか言うみたいな。途切れ途切れ。けどそれ以上におもしろいのが親父。オレはちょっとずつ妹と遊ぶ時間増やしてんだけど、このあいだ親父が家に帰ってきた時、オレらが揃って三人で普通にリビングにいたから、ぎょっとしてた。なにが起きたんだ、みたいな」
笑える。「で? そのあとは四人で仲良く食事?」
「まあ、仲良くってほどじゃないけど──」フェンス越しに、右側にあるテニスコートのほうを見やる。「まえはオレ、あとで食べるってのが多かったからな」視線をこちらに戻し、少しだけ口元をゆるめた。「けどその日は一緒に食った。でも会話はやっぱ、あんまない。なに話せばいいかわかんねーし。ってゆーか妹の食べ散らかし度が半端ないから、みんな意識はそっちに向かってるわけで」
私は思わず笑った。「でもなにしても可愛いだろうね、小さい女の子は特に──」
「ベラ!」
通路を半分ほど過ぎたところで、前方にある第二校舎昇降口から、真新しい学ランに身を包んだケイが現れた。後方には同じ新入生と思われる数人の男たちを引き連れている。
「ケイ。ひさしぶり」
ケイ・モンタルド──彼はひとつ下の学年で、クソ生意気というか、マセガキだ。耳が隠れる長さまで伸ばしたストレートの髪はマニッシュ・ベージュカラーで、男のくせに細くてサラサラしている。私は以前、彼と同じニュー・キャッスルのウェスト・アッパー・ストリートに住んでいた。
彼は躊躇なく、腕ごと私にハグを──というか、抱きついた。最後に会った時よりもずいぶん身長が伸びているものの、私よりはずっと低い。同級生の男の中でも小さいほうだ。私の腰に手をまわして上半身だけを離すと、生意気な笑顔で私を見上げた。
「もう処女じゃなくなったか?」
ケイの唐突なそのセリフに、マーニは笑いそうになったのをこらえた。
私は冷たく微笑む。「お前、殺されたいの?」
彼はにやつくのをやめない。「いや、質問に答えろ」
相変わらずだった。彼は小学校三年の頃から、キスがどうこう、煙草がどうこうと言っていた。歳の離れた兄貴がいるせいか、しかもそれがけっこうな不良ということもあってか、とにかくマセている。
「くだらない本でしか女を知らないくせに生意気言ってんじゃないわよ」と、私。
彼は顔をしかめた。「うっせーな。一年のうちに卒業してやんよ」マーニを見やってからまた視線をこちらに戻す。「お前のオトコか、これ」
マーニは今度こそ笑った。
「違うわアホ。私のオトコはね、あんたなんか指一本でひねり潰せるくらいの男なの」
私が答えると、彼は小首をかしげた。
「デブ?」
「違うわアホ」なぜそうなる。
ケイはまた質問を変えた。「っていうかお前、いつのまに引っ越したんだ。なんで言わねえんだよ。去年ふと思いついてお前の家行ったのに、知らねえババアが出てきたから、マジでビビッたんだぞ」
なぜと言われても困るけれど、また突然コンドミニアムに押しかけるなどという非常識なことをしたのか。というかあの部屋は売れたのか。それすら私は知らなかった。
「はいはい、ごめんね」右手で彼の頭を撫でた。「また学校で会えばいいでしょ」
「新しい家、今度連れてけ」
「笑えるけどイヤ」
「あっそ」彼はやっと私の身体にまわしていた手をほどき、にやりとした。「んじゃ、入学祝いくれ」
「なに? アイスとか?」
「んなもんいらねえよ」
そう言うと、ケイは私の首に左手をまわし、私の顔を引き寄せて唇にキスをした。私は目を閉じる暇がなかった。いや、閉じる必要はないけれど。
昔あったことを思い出し、唇が離れて、私は思わず笑った。
「お前、マジでいつか殺す」
彼も悪びれることなく笑っている。
「やれるもんならやってみろ。そのうちお前の身長なんか追い越すから、そしたらお前は二度とオレに勝てなくなる」
「身長はどうでもいいけど、先に腕相撲強くなれ。それで私に勝ってからアレコレ言え」
「うるせえよ。まだ校内見学して回るから、もう行く。じゃーな」
「ん、またね」
ケイは呆気にとられたり苦笑ったりしていた五人の男の子たちを連れ、体育館のほうへと歩いていった。
こちらも再び歩きだす。マーニはまだ笑っていた。
「もしかしてファーストキス、あいつに奪われてた?」
「ないない。一度されそうになって、その時思いっきり蹴飛ばしてやったから。それからはしなくなった」
私が五年、ケイが四年の時の話だ。それで彼を泣かせたことをさっき、思い出した。なのにされてしまった。油断した。
「それでアレってすごいな。どんだけ打たれ強いんだ」
「バカだからね」私は遠い目をして答えた。「あれも相当な遊び人になるわ。可哀想に」
ゲルトたちにケイの話をしてもいいのかとマーニに訊かれ、会ったことは言ってもかまわないけれど、それ以上は言わなくていいと答えた。彼はキスのことは話さなかった。
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五時限目の授業が終わってすぐ、アニタに教室から連れ出され、三年D組の隣にある空き教室に入った。机の上に椅子が逆さにして置かれ、後方から窮屈そうに詰め並べられている。
アニタは教室前方の窓際にある灰色の教師用チェアに座ると、デスクに両肘をついてうつむき、長い栗色のストレートヘアを両手でかき上げながら口を開いた。
「やりなおさないかって言われた、先輩に」
こちらはデスクに腰をおろす。
「は? あの嫉妬王子?」
「そう」視線を合わせず答えた。「どういうつもりなのかさっぱりわかんない」
「もうどうでもいいんじゃなかったっけ」
「どうでもいいけど」困惑した表情のまま顔を上げた。「言われたら、わかんないよ。もう好きじゃなくなってたことは確か。見かけてもなにも思わないし、向こうが女の子と歩いてても、なにも思わなかった。けどさっき、昼休みに電話で呼び出されて、嫉妬しすぎるようなとこはなおすから、やりなおさないかって言われた。んなこと言われたら、なんか──」弱々しく言葉を切り、またうつむいた。
私は肩をすくませた。
「好きじゃないならつきあうべきじゃないとは、私には言えない。私もそういうの、わかんないうちからつきあったから。やりなおすとかってのも同じだと思う。だからどうしろとは言えない。けど──私がひとつ知ってるのは、ヒトはそう簡単に変わらないってこと。悪い癖ってのは、治ったように見えても、なにかの拍子に再発することがあるから。
それに私からすれば、あの嫉妬王子の場合、問題は嫉妬だけじゃない。嫉妬からくる疑り深さなんだろうけど──エデたちに言われたことを、あっさり信じた。あんたは違うって言ったのに。ヒトの疑り深さってのも、そう簡単に治るもんじゃない。
あんたがどうしようとなにも言わないけど、やりなおすなら、それ相応の覚悟でいたほうがいい。こんなこと言いたくないけど、また傷つくかもしれないって身構えてないと、またなんかあった時、きついよ」
静かに話を聞いていたアニタは、額から後頭部へと髪を撫でつけながら、ゆっくりと顔を上げた。
「──やっぱ、信じられないよね」
「一度なら、信じられるかもしれない」私は経験から答えた。「けど今言ったように、再発することがある。ホントにタチの悪い癖だってあるから。治るかどうかなんてきっと、本人にもわかんない。理性が働いてるうちはだいじょうぶなんだろうけど、時間が経ってそれが爆発とかしたら、また再発するんだと思う。それでもよくて、信じる信じないはともかく、またやりなおそうって思えるなら、つきあってもいいと思う。自分の気持ちがよくわからなくても、傷ついてもいいって思えるなら、やりなおせばいい」
視線を落とし、少し悩んだ表情で灰色のデスクを見つめると、数秒強く目を閉じてから、顔色を伺うようにこちらを見た。
「──はじめての相手だからって理由でやりなおすのは、やっぱナシだよね」
これには呆れた。「あたりまえでしょ。なにバカなこと言ってんの。そんなのにこだわってたら、もし悪い癖が治らないままだったとしても、好きじゃなくなっても、一生それに我慢してつきあってきゃならないってことじゃない」
「だよね」
苦笑ってそう言った彼女は身体を起こしながら、首まで下りていた両手を背伸びするようにデスクの上に伸ばした。
「やっぱないわ。言うとおりだ。あんな流されやすいヒト、いらないよね」苦味のある表情で、だけど口元をゆるめて続ける。「番号とか消してたけど、誰かわかんなくて、つい出ちゃったんだ。もう着信拒否する。アドレスも。でもその前に捨て台詞吐かなきゃいけない。なにがいいと思う?」
「“あんたみたいな嫉妬王子は願い下げ”」
即答すると、彼女は笑った。
「それにする。おとなしく、あんたと一緒にセンター街歩いてた時にナンパしてきた子とメールする」
春休み、私はアニタと一緒に、センター街のファイブ・クラウド・エリアにある“ゼスト・エヴァンス”という小さなCDショップに行った。その店は冬休み前の私の発言をきっかけとして、今年の年明けに部分リニューアルした。そのおかげでCDは様々なカテゴリに分けられ、ジャケット買いをするにしても、好みの音楽を探しやすくなった。店長のサイラスも、客に好評だと喜んでいた。
そのあとファイブ・クラウドをあとにして散歩がてらセンター街を歩いていた私たちを、中学三年生の二人組がナンパしてきた。アニタが興味を示したのがわかったので、私はとりあえず、彼女と一緒にその二人の相手をした。アニタはそのうちのひとりと少々意気投合し、メールアドレスを交換した。私もつきあいでもうひとりと交換したものの、メールも来たものの、面倒なので返していない。
「不思議だよね」アニタは続けた。「あんたといると、なぜかいつもナンパされる。他の子といる時はナンパされないのに。しかもたいてい、実際の歳より上に見られる。やっぱあたしたちが飛び抜けて可愛いから?」
笑える。「“おとなっぽい”とは言われるけどね。年上に見られることもナンパされることも、特に嬉しくない」
曲げた両腕を机の上で交差させ、彼女は身を乗り出して微笑んだ。
「あたしが誰ともつきあってない時は、ナンパされにつきあってね。もうあんまり、同じ学校の子とつきあいたくないから」
「暇だったらね」