* Course
一週間後──七月二十七日、金曜日。
リーズが、壊れた。
「高校行くって──」マスティはどうにかこうにか口を開いた。「なにしに?」
リーズが真剣な表情で答える。「勉強に決まってる」
曇り空なりに蒸し暑いこの日、午後のマブ。アゼルとブル、マスティと四人でランチから戻ると、リーズとニコラが来ていた。そしてリーズ、突然とんでもないことを言いだした。
「嘘つけ」ブルが言う。「いくら惚れた男がイー・キャス行ってるからって、さすがにそれはないだろ。あそこは偏差値、かなり高めだぞ。お前らじゃ無理」
彼女は反論した。「誰もイー・キャスとは言ってないじゃん! 高校なんか興味なかったから、ぜんぜん話聞いてなかったけど。どこだっけ、ほら、三人が主事に勧められた──」
「インディ・ブルー!?」マスティが言った。「お前、それはさすがに、行っても意味ないだろ」
「意味ないことはない! 高卒資格もらえるもん」どうやら彼女は本気らしい。
だがブルは呆れている。「卒業したらの話だろ。普通科なら、中学みたいにはいかねーぞ。単位落としたら、あんな学校でも留年はする。確かにオレらやお前らみたいなのは大量にいるけど、だからって──」
数秒、沈黙がリビングを包んだ。
アゼルが沈黙を破る。「──で。ニコラはどうすんだ」
彼女は吐息をついた。「リーズが行くって言うなら、行く」
マスティとブルは同時に天を仰いだ。マスティが私に言う。
「どうなんだ、これ」
「どうと言われても」
真剣な表情でリーズが私に言う。「正直に言っていい。変なのはわかってる。アホらしいってのもわかってる」
そんな眼で見られても困るのですが。とはいえ、なにかは言わなければならない状況らしい。
「高校に行くってのは、悪いことじゃない。私は行くし。でもリーズが欲しいのは、“受験勉強してる”って言葉じゃないの? 高校に行くつもりだっていう姿勢を見せて、不良じゃないって思われたいだけなんじゃないの? どこに行くつもりなんだって訊かれたら、“勉強できないからインディ・ブルーくらいしか行けない”って答えるんだよね。それでも一応、受験勉強してることにはなるから。“受験生”とか“高校生”とかいう称号が手に入るから。本気で行く気があるならともかく、そんなことの為の一時の気まぐれだとしたら、さすがにどうかと思う」
「気まぐれじゃ」リーズの声は弱々しい。「ないんだけど──」言葉を濁してうつむいた。
「いや、気まぐれだろ」と、ブル。
「っていうかリーズ、もう言っちゃったんだよ」ニコラが説明した。「昨日、ルキとのメールで高校の話になったらしくて、志望校はまだ決めてない。でも頭悪いから、行けるところは限られてる──って」
マスティとブルがあからさまに大きく溜め息をついた。赤いソファの上、リーズは両脚を抱えて顔を伏せた。
「だって、なんか、好きなんだもん。メールしてたら、どんどん好きになってったんだもん。はじめて会った時、ずっと煙草吸わなかったのに、普段なら煙草欲しくてしょうがなくなるのに、それすらどうでもいいくらい、好きになっちゃったんだもん」
これが噂の恋の病。
「お前、フラれたらどうすんだ」アゼルが訊いた。「そもそも脈あんのかよ」
顔を伏せたまま、彼女は頭を横に振った。
「完全トモダチ状態。メールしたら返してくれるだけ。それもちょっとしか続かないし、むこうからはない。遊びにも誘われない」
まだ一週間だ。エルミは、インゴと仲良くメールだの電話だのしてるらしい。と、二日前に報告があった。
「そんであれか」マスティが言葉を継ぐ。「フラれたら、やっぱ高校なんか行かねえとか言いだすのか」
「っつーか、本気で行く気があんのかどうかも微妙だよな」ブルも言った。「言っちまっただけで、内心行きたくないようにも思える」
マスティがニコラに訊く。「お前はどうなんだよ。行く気あんの? リーズが行くならって、そこにお前の意思はないの?」
彼女は眉を寄せて彼の視線を受け止めた。
「あたしは、中学出たら仕事するつもりだった。行こうと思えば行かせてもらえるかもしんないけど、十八になったら車の免許も欲しいし、それは自分で貯めたいから。でもそれだって、高校行きながらでも、額が違うだけで、できるし──」やはりこちらの言葉も弱々しい。
なんというか、なんといえばいいのか。
「正直に言え」アゼルが言った。「行く気があんのかないのか、行きたいのか行きたくねえのか、どっちだ」ニコラに訊いている。「リーズがどうこうじゃなくて。お前の意思だよ」
彼女は困惑の表情で身構え、リーズを見やり、ソファにもたれて視線を落とした。
「──行きたくない」
リーズは顔をあげた。涙目で彼女を見ている。
アゼルが続けて、今度はリーズに訊ねる。「お前は? 本気で行く気あんのか。ニコラは当然、そいつに言っちまったこととか関係なく、そいつにどう思われたいとかじゃなくて、本気で行きたいと思ってんのか。そいつにフラれたとしても、受験して高校入って、ちゃんと卒業する気あんの? 高校は中学とは違う。いくら私服のバカ校っつったって、入学だけでもそれなりに金はかかるぞ。気まぐれで行くとか行かないとか決めてたら、親に迷惑がかかる」
彼女の困惑は、表情に思いきり出ている。
「──行きたく、ない。絶対無理。今は中学、楽しいけど──勉強、キライだもん。新しく友達つくるのとか、苦手だし──勢いだった。どうしていいかわかんなかった。もう──」言葉を濁し、また顔を伏せた。
リーズも苦手なのか。意外だ。
「くだらない見栄張るなよ」呆れ顔のマスティが彼女を咎める。「なんでお前、そうなの? どんだけ周りに流されりゃ気が済むわけ?」
ブルは溜め息をついた。
「っていうか、ニコラもだから。リーズに気遣ってるつもりなのかもしんねえけど、お前はそれなりに意思あるんだから、自分で決めたこと簡単に曲げんなよ。イヤイヤついてくのがダチだと思ってんなら、勘違いもいいとこだ」
たじろぐニコラはうつむいた。
「──ごめん」
彼らは呆れていたが私には、もちろん呆れはあるものの、感心もあった。恋愛にこんなカタチで没頭する感覚というのは、私にはわからない。これが普通なのか。
「ちなみにお前、どこ行くかって決めてんの? 高校」マスティが私に訊いた。
「ミュニシパル」
「こういうのが普通だ」ブルが彼女たちに言う。「さすがに二年のこの時期にとは言わないけど、三年になってすぐ、進路調査があっただろ。志望校がはっきりしてなくても、あれで進学希望って出してるのが普通なの。お前らそれすらしてねえじゃん」
アゼルがつぶやく。「ミュニシパルって確か、制服じゃないよな」
「うん」と、私。「でも私も、偉そうなこと言える立場じゃないのよ。動機は不純なの。今年の一月、それほどレベルが高くない私服高校がどこかって主事に訊いてね。いちばんにミュニシパルって答えが返ってきたから、そこに決めた。インディ・ブルーも言われたけど──どれくらいのアタマが必要なのかは知らないけど、どこにあるかも知らないけど、がんばれそうならミュニシパル、がんばろうかなと」
「お前のアタマの悪さだと、わりと微妙なとこだよな」
「うっさい黙れ」
「とりあえず」ブルはソファの上であぐらをかき、脚に両手をついて背筋を伸ばした。「本気じゃねえなら、そいつに正直に言えよ。嫌われたら嫌われた時だけど、しょうがねえじゃん」
リーズはなにも言わない。顔を伏せたままだ。
脇に置いていたハンドバッグから携帯電話を出し、私は立ち上がった。
「電話してくる」
「チクッたほうが早いか」と、マスティ。
どう早いのだ。「それはさすがにしない」
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リビング奥右側にあるマスティの部屋は、アゼルの部屋と同じ広さだ。といっても間取りや家具の配置は違うし、こちらにはマンガ本を並べた棚もあるのだが。
ドアを閉め、ルキアノスに電話をかけながらベッドに腰かけた。
私も散々アゼルに振りまわされているけれど、アゼルも私に振りまわされているらしいけれど、こういうのは、ちょっと違う。
二回目の呼び出し音が鳴ってすぐ、彼は電話に出た。「もしもし?」
「ハイ」愛想よく、愛想よく。「今平気?」
「ぜんぜん平気。電話なんて一生ないと思ってたからびっくりしたけど」
「私もするつもりはなかったんだけどね。ちょっと高校のこと、訊きたくて」
電話越し、彼は苦笑った。「正直すぎ。うん、なに?」
「ミュニシパルって、どれくらい勉強できれば入れるのかなと」
「ああ。どの中学でも同じこと言ってんのかはわかんないけど、俺の中学では確か、五教科の合計が二百五十点って言われてたと思う」
合計が、二百五十。「それはつまり、どの教科も五十点以上取らなきゃいけないってこと?」
「うん、まあそういうことになる。一概には言えないけど」
やばい。急に無理な気がしてきた。「ちなみに、キアの行ってる──イースト・キャッスル高校? は──どのくらい?」
「うち? うちは三百五十」
さらりとした答えに愕然とした。三百五十そいうことは、つまり。
「七十以上、ですか?」
「そう。単純に言えば、だけどね」
これは、さすがに──。「じゃあ、インディ・ブルーは?」
「インディ・ブルーは──百五十くらいでも大丈夫なんじゃなかったっけ。あそこは、過去に高校卒業資格を取れなかった大人たちも多いとこだから。ぜんぜんできないってわけじゃないなら、大丈夫だと思うけど」
百五十? だと? 「平均三十点?」
「うん。私服高校がいいんだよね」
「そう」
答えながら、私はベッドに仰向けに寝転んだ。目を閉じる。衝撃的だ。インディ・ブルーがとんでもなく魅力的に思えてきた。ミュニシパルには、挑戦する前に諦めなければいけないのか。
「私服が絶対なら」と、ルキアノスが言う。「市内にある私服高校はあとひとつ。ノース・キャッスル高校。合計三百点」
「無理!」私は声をあげた。三百なら平均六十は必要だ。
彼は笑った。「ちなみに、ずっと南のほう──南西かな。の、山のほうにあるシーニック・インレット高校なら、平均三十六の合計百八十くらいって言われてたと思うよ、私服で」
平均三十六の山にある高校。「それ、どうやって行くの? 電車ないよね」
「ないな。センター街からバスで行くことになると思う。もしくはリトル・パイン・アイランド・シティまで電車で行って、途中からバスか。そっちのほうのバスのルートがよくわかんないから、センター街を使うならだけど」
どちらにしても面倒そうだ。「なんか、どうでもよくなってきた。高校行かなくても暮らしてけるような気がしてきた」本音だ。
「まあ、行ってないヒトもいっぱいいるし、べつにいいと思うけど。うちなんかは親がうるさいからってだけだし。行って辞める奴もいるけど、それはさすがにもったいないと思う。だったら最初から行かないほうがマシ」
意外な言葉だった。「勉強できるヒトは、高校行かないのとか、なんか偏見あると思ってた」
「え、なんで? 地元の友達にも、そういうのはいるよ。ケイネル・エイジは市内でもわりと大きいほうの町だし、色々いる。インディ・ブルー高校に入って三ヶ月で辞めた奴もいるし、受かったのにやっぱり面倒だとか言って、最初から行かなかった奴もいるし。毎日羨ましいくらい遊んでる」
そこで気づいた。高校で選別すれば彼は真面目な秀才で、そういう類の人間に囲まれたそういう枠に入っている。だが中学で考えれば、そうでもない。最初から秀才のみが集まる町などないからだ。




