〇 Booty
黒っぽい灰色の低いコンクリート壁の内側に植えられた木々を両脇に抱えたブルーの裏門。アニタはそこで待っていた。ゲルトたちも一緒だ。
「ベラ!」こちらに気づいたアニタが声をあげた。ものすごく心配そうな表情をしている。
「勝った」彼女たちに近づきながら、私は右手に持ったLサイズの制服紙袋を差し出した。「戦利品」
「ええ?」
紙袋を受け取ると、彼女は中を覗いた。そして私同様、目を丸くした。
「え」中から透明の袋に入ったカッターシャツとベストを出し、紙袋の持ち手を左手首にかけると、右手にシャツ、左手にベストを持った。「──うそ」
彼らも中を彼女を囲み、それを見る。
「マジで」マーニがつぶやいた。
「本気か」カーツァーもつぶやいた。「しかもベストまであるし」
「すげえ」と、ガルセス。
そんな彼の隣で、タスカは呆気にとられていた。
荷物を右肩のうしろで持ったゲルトが口元をゆるめてこちらに言う。「どうよ、今の気分は」
「よくわかんない」私は苦笑って答えた。「怒られるような悪い予感はあんま、してなかったんだけどさ。どっちにしても、状況がはっきりするならいいや、みたいな。でもとりあえずびびった。さすがに制服くれるとは思ってなかったし」
「なんにも注意されなかったの?」アニタが訊いた。
「や、ヘッドフォンと冬のジャケットはなしだって言われたから、もうしませんて約束した。それは守る。詳しい説明はまた明日、終業式の時にある。でね、その終業式での説明の時に、それ着てステージに立てって言われたのよ。しょうがないからそれもするんだけど、リーズとニコラを巻き添えにすることにした。Lサイズが二枚だから、一枚をニコラに着てもらうと思う。もちろんそれはもらうけど。んでこっちにも」左手に持ったふたつの紙袋を示す。「新品があるから、ひとつをリーズに着てもらって。それが終わったら、ジョンアとナンネにあげようと思ってる。いい?」
アニタは思いきり口元をゆるめた。「いいに決まってる。あたしも速攻買う!」
「うん。明日午後から来週水曜まで、学校で早期取り寄せ分の注文受け付けるらしい。それに申し込めば、八月に入る前に受け取れるんだって。つっても春秋用だから、夏休みが終わっても、暑くてすぐには着れないけど」
「わかった。ママに話しとく──あ。ペトラたちになんて言えばいい? あたしら、学年主任にさりげなく言われて、こっちに来たんだけど。まだ二年の一部は正面玄関にいると思う」
「ヘッドフォンとジャケットを注意されたってのと、新しい制服が取り入れられることになって、その受付が明日から始まるってのは言ってもいい。でも制服をもらったことは──私のぶんはいいけど、みっつってのはやめて。ナンネとジョンアに矛先が向くのはまずいから」
「わかった、そうする」アニタはやっと制服を紙袋に戻し、紙袋を持ったままで私にハグをした。「よかった。生徒全員分怒られたらどうしようかと思った」
笑える。「全員じゃないわよ。全員は着てないんだから」
「わかってるっつの」彼女が笑顔で身体を離す。「次はリーズたちだ」
「うん、行ってくる」
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マブの玄関ポーチ。リーズとニコラが並んで座っていて、私に気づくなり、即座に立ち上がった。
私は彼女たちに説明した。新しい制服のこと、終業式でステージに立たなければいけないこと、終わったらナンネとジョンアに制服をあげたいけど、とりあえずこの制服を着て明日、一緒にステージに立ってもらいたいこと。
彼女たちは安心し、ステージの件はふたつ返事で引き受けてくれた。そのまま二人だけで立ってくれればいいのにと思いつつ。
三人でマブの中に入り、アゼルとマスティとブルにもまた、同じように説明した。マスティとブルは笑いながら褒めてくれ、なぜかハイタッチをした。アゼルは彼らにさっさと帰れと言ったけれど、彼らに拒否された。祝いにピザを注文して酒を飲むと言って。私はさっさと家に帰って祖母に報告したかったのだが、それも止められた。でもビールは拒否し、ピザはマスティとブルに奢ってもらった。
午後八時すぎ、ひとりさっさと家に帰った。制服のことを話すと、祖母はとても喜んでくれた。
そのあとはメールラッシュだった。ケイや話の伝わってない二年女子が、かまわずなんの話だったのかと訊いてきたのだ。ケイとナンネにはとりあえず、女子用に新しい制服が取り入れられることを話し、面倒すぎるからとあとは投げた。どんどん気が重くなっていった。
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翌日。
特に二年フロアにおいて、私は注目の的だった。なんたって校長室に呼び出された翌日、みんな夏服セーラーなのに、ひとりだけリボンをつけたカッターシャツ姿なのだ。しかも校章入り。あれこれ話しかけてくる奴がいたから、両手で耳を塞ぎながらフロアを歩いた。今こそヘッドフォンを使うべきだと思いながら。
二年D組の教室に入ってもそんな状態で、嫌気がさしてずっと耳を塞いで机に伏せていると、代わりにアニタがある程度説明してくれた。しかも私のカバンからわざわざベストまで出して。状況を理解した女子たちは一斉に、親にメールだの電話だのをした。注文してもいいかという許可をとるためだ。スカートは夏用か冬用、それぞれに手持ちのものを選んで使うことになる。私は基本、夏服だけれど。
そのあと、終業式に出た。私とリーズとニコラは列の端に控え、そのうちステージに立った。私もニコラも打ち合わせることなく、当然のようにリーズを真ん中にして。
そこから見えたのは、なぜか体育館の入り口に立つアゼルとマスティ、ブルの姿だった。
少し場所は違うけれど、三月の卒業式のことを思い出した。追い出された短ラン、長ラン組とアゼルたちが一緒になり、卒業式に乱入した時のことだ。あのやさしい校長にステージに呼ばれ、彼らが同期から少し遅れて卒業証書を受け取った時のこと。外のバーム部分に立った私は、解放された窓脇からそんな光景を、ひとり笑いながら見ていたこと。場所と立場は違うけれど、こんな感じだったらしい。イヤでイヤで仕方ない目立ちがほんの少しだけ、ラクになっている気がした。
受付の方法としては、担任に受付用紙をもらい、自分のクラスと名前と希望サイズ、そして親直筆のサインをもらって学校に提出し、受け取りと共に代金を払うということらしい。受付は日曜を除く一週間のみで、通常より少し安く手に入れられるという。それからは制服取り扱い店での販売のみで、少々高くついてしまうのだとか。すばらしい商売戦法だと思った。そして二学期からは、この校章の入った制服以外、完全な校則違反となることを肝に銘じるようにと釘がさされた。私たちがステージを降りると、アゼルたちはそのまま帰っていった。
壇上に上がった校長は、私の記憶に一生残りそうな言葉を話した。
「気に入らないなら、変えてみよう。そこにないなら、作ってみよう──もちろんこれは、すべてにおいて許されるわけではありません。覚えきれないほどの規則や法律がある中で、自分を表現するのはとても難しい。それを守ることが、社会そのものだから。だけどその規則や法律は、誰にとっても常に正しくあるというわけではないでしょう。常にそれが、公平な正義とは限らないでしょう。規則や法律が常識や伝統と共に義務化していく中でも、人間たちは変わっていく。時には変えなければならないことが、時には新しく取り入れなければならないことが出てくる。それを実行に移す力そのものが、“勇気”なのでしょう」
「今回、それはひとりの生徒から始まった。それが二人の生徒に伝わり、やがて少しずつ広がって、多くの生徒たちに伝わった。決してひとりでなく、三人でもなく、すでに卒業した生徒たちを含め、多くの生徒たちが、私たち教育者と保護者を動かした。君たちには可能性があるはず。本当に変えたいと思うなら、本当に作りたいと思うなら、本当にそれが正しいことだと思うなら、迷わずやってみるべきです」
もちろん運の強さもあるだろうけれど、私は間違っていなかったのだ。
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終業式のあとは学校中の女子が賑わっているらしかった。教室に戻るまでのあいだ、教師に注意されながらもまた親に電話したりメールしたり──LHRで新制服取り入れの件を詳しく説明するプリントと申込用紙我が女子に配られ、私はやっと解放された。
放課後、二年女子の騒ぎがやっと鎮火し、アニタを含むクラスメイトが帰ったあと。私とゲルトたちはまだ教室に残っていた。
「マジで暑い」机にうなだれるマーニが言った。「帰りたくない」
「お前の隣に長袖シャツの奴がいるわけだけど」私を見やりながらそう言ったガルセスは、アニタの机に遠慮なく、あぐらをかいて座っている。「どうなんだ」
「ベスト着てなきゃ暑くない。長袖も半袖もたいして変わらないし」と、私。
「夏がキライとか言うわりに、いつも元気だよな」ゲルトが言った。
元気なつもりはないのだが。「っていうか、こういう会話そのものが無駄なのよ。さっさと帰れば涼しい部屋でアイス食べられるのに、暑いから帰りたくないとかなんとか。けっきょく帰ることになるんだから、さっさと帰ればいいと思う」
カーツァーは笑って同意した。「それは言えてる。一時過ぎたら外、もっと暑くなるぞ」
うなるマーニにタスカも苦笑う。「俺らまだマシなほうだぞ。もっと遠い奴もいるんだから」
「そりゃそうだけど──」
私は呆れるしかなかった。「こうしてるうちにもどんどん気温が」
「そういやお前、帰んなくていいの?」ゲルトが私に訊いた。「アゼルと約束あるんじゃねえのか」
「約束なんかしてないわよ。や、行くけどさ。その前に、リーズたちが持ってくる制服を届けるつもりだから、まだ平気――あ、夏休み、絶対暇だって日、ある? 八月で」
ガルセスが応じる。「基本暇だってわかってて訊いてるだろお前。もう家族旅行とか行く年じゃないし」
「どうせ俺ら、ほぼゲーム三昧だよな」ゲルトが言った。
「そうそ、アイス食べてゲームして漫画読んで寝て起きて、みたいな」
中学生の夏休みなど、そんなものだ。「ダヴィは?」
「こっちも変わらんと思う。十二日から十五日? の、ミッド・オーガスト以外なら」
私はタスカにも訊いた。「一緒?」
「だな」彼が答える。「また姉貴とババアと喧嘩三昧の日々がはじまる」
「ニュースペーパーで剣作って応戦すればいいよ」
「どんな喧嘩だよ」
「なんなら盾も──じゃなくて。日は決めてないけど、花火しよーって電話するかも」
「お前花火好きだな」カーツァーは呆れ顔。「それしかないのか」
「え、じゃあアイス食べよーって電話する」
「なにが違うんだよ」
「じゃあ両方ね。アイス食べて花火する」
「つまり花火を買っとけと?」ゲルトが訊いた。
「そうね。八月に入ったら買っといて。適当に」
ガルも私に質問を返す。「どこ? 場所によって量とモノが変わる」
「キャッスル・パークでいいじゃん。めんどくさい」
「あれ、こっちでいいのか」
「だってみんな、そっちだし。他にも何人か誘うつもりだけど、多数決で言えばそっちだし。私は大丈夫だけど、そっちはあんま遅くなれないでしょ」
「キャッスル・パークなら、わりと遅くなれるよな」タスカがカーツァーに言った。「十一時までに帰れば大丈夫な気が」
「ちゃんと言えばな。場所変わって、それがバレたら殺されそうだけど。なんなら電話きたら、お前ん家に泊まりに行くほうが安全」
「あ、んじゃそうするか」ゲルトとガルセスに言う。「お前らもそうする? また雑魚寝だけど」
ガルセスは微妙そうな顔をした。「またあのむさくるしい状態? いや、いいけどさ。お前ん家すぐそこだし」
かなりむさくるしいらしく。「カルは?」私は彼に訊いてみた。「そういうの出来んの? っていうか起きてんの?」
「んー」彼は机に伏せって目を閉じている。「親に挨拶の連絡入れますとかがなくていいなら」
タスカが笑う。「んなもんいらねえよ。したこともされたこともねえよ。ニュー・キャスの適当さナメんなよ。姉貴にうるさいって怒鳴られるのだけ覚悟しといてくれりゃ、あとは放置だし」
苦笑ったカーツァーが補足する。「マジで怖いからな。男なら誰だろうと遠慮なくキレるうえに、すぐヒト蹴ろうとするからな。ある意味ベラより怖いからな」
マーニは彼を見上げた。「マジで」
「オレらはギリギリ蹴られたことはないけど、何回も怒鳴られたぞ」ガルセスが言った。「学校ではベラにキレられるわ、家では姉貴にキレられるわ、イヴァンが可哀想で可哀想で」
ゲルトが笑う。「一時期マジで同情したよな。五年の時なんかストレス全開っぽかったし」
タスカは視線をそむけて力なく笑った。
「ほんとにな。あの頃──姉貴が高校生の時がいちばん地獄だった。オトコと喧嘩したり別れるたびに、八つ当たりが半端ない」
「だからそれこそニュースペーパー剣でですね」
そんなことを言った私に彼はすかさずつっこみを入れる。「だからなんの話だよ」




