〇 Judgement
二日後、終業式前日の木曜日。
アニタと一緒に中央階段前のホールから、掃除が終わった教室に戻ろうとしていた時。ありきたりなよっつの音の効果音ではじまった校内放送をとおし、それは起こった。
「二年D組、イザベラ・グラール。LHRが終わりしだい、校長室に来なさい」
私とアニタは固まった。廊下にいた十数人の同級生たちの視線が、一気にこちらに集まったのがわかった。
「繰り返します──」
校内放送のその言葉を聞き、私は後方戸口からD組の教室に飛び込んだ。教室の中にいた生徒たちはみんな私を見るか、前方右側、連絡用ブラックボードの上部にある灰色の四角いスピーカーを見ている。私もスピーカーを見上げた。
「二年D組、イザベラ・グラール。LHRが終わりしだい、校長室に来なさい。部活動のない生徒の皆さんは速やかに下校してください。以上、校内放送を終わります」
またありきたりなよっつの音が鳴り、校内放送を終えた。静まり返った教室内、中にいたクラスメイトが一斉にこちらを見る。
「──なんか、したの?」左隣でアニタが訊いた。
「してないけど」なぜだろう。すごくわくわくしてきた。「いや、してるといえばしてるよね」
「ご愁傷様」ゲルトがにやついて言う。「さて、なに言われるのやら」
私は口元をゆるめた。「なんだろうね。この中途半端な状態が終わるなら、怒られようとなにしようと、なんでもいいんだけど」
「なんでそんなに楽しそうなんだ」マーニが呆れ顔で言った。「校長室だぞ」
「っていうか」タスカが口をはさむ。「アニタはともかく、リーズたちも呼ばれないわけ? ベラひとり?」
カーツァーがつぶやく。「主犯だしな」
スカートのポケットの中で携帯電話のバイブレーションが震えたので、私はそれを取り出して画面を確認した。リーズだ。席に戻って応じる。
「はいはい」
「校内放送、聞いた!?」
「うん、聞いた。なんだろうね」
彼女はあたふたしている。「なんでそんな余裕!? ニコラと一緒に行こうか? あやまろうか?」
「なんであやまるの。や、状況によってはあやまるだろうけど。呼ばれたのは私ひとりだもん。ひとりで行くよ。先にブルたちのとこに行ってて。たぶんアニタは待ってるって聞かないだろうし」不安げな表情のアニタを見やりながら言い、また電話に注意を戻した。「いつ終わるかわかんないし、あんまり待っててもらっても、逆に先生たちに目つけられる可能性があるから」
「ええ──」電話越しにリーズがたじろぐ。「──じゃあ、わかった」こちらも不安げな様子だ。「マブで待ってる」
「ん」
電話を切ると、ガルセスはけらけらと笑っていた。
「張本人がいちばん余裕ぶっこいてるよ」
ゲルトも笑う。「そりゃベラだもん」
「悪事の数を数えたら──」と、カーツ。
「悪事言うな」そう言って、私はまだ不安げなアニタに向かって微笑んだ。「だいじょうぶ。なんなら先に帰ってればいい。夜電話するから」
「無理!」アニタは声をあげた。「先生に怒られても待ってる。どこでかわかんないけど、とりあえず待ってる」
心配しすぎだと思う。「はいはい」
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LHRが終わると、二年の視線と不安げに心配する声を浴びつつも、ひとり校長室へ向かった。第二校舎一階から第一校舎正面玄関ポーチへと続く屋根つき通路で、ケイに会った。怒られるのかとにやつきながら訊いてきたから、そうかもねと答えた。
そして第一校舎一階、職員室の手前にある校長室のドアを二度ノックし、ドアを開いて中に入った。
「失礼します」
縦長の部屋、正面奥には腰窓があったその手前、高級そうなエグゼクティブチェアにこちらを向いて、男性──ウェスト・キャッスル中学校校長が座っている。両肘を、やっぱり高級そうなブラウンの木製デスクにつき、組んだ指にあごを乗せて微笑んでいた。
去年、祖母と一緒に“保護者”名義を書き換えに学校に来た時、校長は不在だった。そのため、話をしたのは教頭と学年主任、担任との三人だった。その時の私は学校指定の制服を着ていたし、特に注意されるようなこともしていなかった。
向かって右側奥にはガラス戸つきの背の高いシェルフがふたつ、中にはトロフィーや賞状、盾。その手前に半分ほどの高さの棚があって、上にはやっぱりトロフィーや賞状盾が乗っている。上部の壁には額に入った賞状の数々。それらの家具はすべてダークブラウンで統一されていた。
そして校長室の約三分の二は、ソファコーナーで埋められていた。校長デスクの手前にこちらを向いた黒いシングルソファ、センターに少し明るいブラウンの長方形テーブルがふたつ並んでいる。右側にはシングルソファがふたつと二人掛けソファがひとつあり、左側には二人掛けソファがふたつ。手前のテーブルの上には大きめの白い紙袋がみっつ置かれている。戸口から左方向には校旗が飾られていた。
「ミズ・グラール」遠慮なく室内を観察している私に、校長が声をかけてきた。「どうぞ、座ってください」
校長は丸顔だった。正面から見ると、頭の上に銀色の髪をちょっと乗せただけなのではというほど髪がなく、それでもハゲだと悪口を言われるようなタイプではないほど、とても穏やかな顔をしている。薄いフレームの眼鏡をかけていて、目は垂れ気味、髭もなく、紺のスーツに真っ白のシャツという姿に、ブルーのネクタイを合わせていた。
「はい」
ソファとテーブルのあいだを抜けて、向かって左側の二人掛けソファに座った。慎ましく脚を揃えて、両手を脚に添えて。
「こんな方法になってしまってすみません」と、校長は苦笑うように言った。「担任のゲルハラ教諭から伝えてもらうのでもかまわなかったのですが、数人の先生方が少し、なんというか──」言葉を濁した。
「“脅しをかけてもいいんじゃないか”、みたいなことですか?」
遠慮なく代わりに答えると、校長は今度こそ苦笑った。
「まあ、そうです。けん制の意味も少し含めて、ですね」
「他の生徒たちにはずいぶん効果があったようです」私は答えた。「わりと心配されました」
「でしょうね──」口元をゆるめて言い、私の向かいのソファを示した。「座っても?」
「ええ、どうぞ」
校長は私の向かい、端のシングルソファに腰をおろした。おそらく身長は私と変わらないか、少し高いくらいだろう。
「さて」脚の上で手を組み、ソファに背をあずけて切りだす。「まずは球技大会の件、ありがとう。生徒たちもずいぶん楽しんだようで、好評だったと、二年や三年の担任の先生方から報告を受けました。一年も楽しんだようだと」
「いえ。あれは単に、体育祭をやりたくなかっただけなので」私はとても正直で。
校長が笑う。「そうですね。一時の、体育祭そのものを中止にするほどの荒れていた状態から少しずつ、生徒たちがそれほど問題を起こさなくなり、そろそろ大丈夫なんじゃないかと言ってたところでした。文化祭はどうにか続けてきましたが──球技大会という形は考えたことがなかったようです、前校長も」
「私もそれほど知識があったわけではありません。借りて読んだ漫画に、そういう話があっただけです。ただ運動会とかいう、一致団結的なものは苦手なので。同じ身体を動かすのなら、より気軽なものがいいかと。義務的になってしまうんです、運動会とか体育祭っていうのは。スポーツは楽しむものなのに。──というか、こちらこそ、卒業生たちの件、ありがとうございました。とんでもない無理を聞き入れてくださって」
彼は微笑んで答えた。「いえいえ。ボダルト教諭をはじめ数人の先生方が、彼らの変化に気づいていたので」ボダルト教諭は生徒指導主事のこと。「問題を起こさなくなったのも、ミズ・グラール──あなたが入学してきてからなんじゃないかと。あなたがいれば大丈夫なんじゃないかということで、他の先生方も納得されました」
「なにもしてないんですけどね。彼らもちょっとは成長してるんじゃないかと」
彼はまた笑う。「そうですね。ではそろそろ、本題にうつりましょうか」身体を起こす。「あなたをはじめとする生徒たちが春、秋、冬に着てくる制服のことです」
やっぱりそっちですよね。今は夏服ですけどね。「はい」
彼はやわらかくも真剣な表情で話しはじめた。
「以前から時々ですが、女子生徒から制服──特に冬の制服に関しての苦情は、あったようです。私が赴任してくる前からも。ですが学校側はずっと、どうすることもできませんでした。製作を請け負う会社は変われど、制服は何十年も今のデザインのままです。それが伝統というものです。学校に限らず、組織は特に、変わることを避けたがる。それ以前に、どんな制服がいいのかもわからない。今まで不満を耳にしてきた教師の中には、どんな制服がいいのかと訊いた方もいたそうです。ですが返事は“わからない”のみ。それではこちらもどうしようもないわけです」
「はい」
「ですがあなたは、不満を教師に口にする前に、あの姿で学校にやってきた。そうですね?」
「はい」
微笑んだ校長が、再びソファに背をあずける。
「他の生徒たちの様子も見せてもらいました。約九ヶ月ほどですか。最初の二人の生徒以外、最初はあまり変化が見られなかったものの──徐々に、主に卒業生たちの中であの姿が増え、現三年の中にも少し増え──今や二年と三年の女生徒のうち、半数があの姿になってる。今さらながら、これでよかったんだと思えました」
私はぽかんとした。「はい?」
口元をゆるめたまま、彼は隣のテーブルにある紙袋を示した。
「どれでもひとつ取り、中を見てください」
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私は立ち上がって、紙袋の脇に立った。サイドにM、L、LLと書いた小さく丸いシールがそれぞれ、ついている。
どれ? “L”。
口を留めたセロハンテープを剥がし、中のものを取り出した。
自分の目を疑った。
透明の袋に入ったカッターシャツが二枚、紺のベストも二枚。胸ポケット部分には、この学校の校章が入っている。
え。え。え。
そのよっつを左手に抱えたまま、紙袋の中をさらに見た。底に、やはり透明の袋に入った赤いリボンがひとつ。それを取り出した。
ショートサイズだ。すごい。
「九ヶ月かかってしまいましたが」と、校長がやさしく切りだす。「この学校に新しい制服スタイルを取り入れることになりました。制服すべてを変えるのではなく、君を含め生徒たちがしているように、冬のセーラー服もなくさない方向で。四月と五月はその新しい制服を、六月から九月までは夏のセーラー服を、十月と十一月にまた、その新しい制服を着てもらい、十二月から三月までは冬のセーラー服を──といったところでしょうか。もちろん衣替えの時期は、生徒たちに任せますが──その制服は、春秋用ということです。なのでカッターシャツはロングスリーブのみですし、ロングスリーブのセーターはありません。あなたが一学年の三学期に着ていたようなジャケットも、なしということにしてください。それから、冬に新しい制服を着て上着を羽織るということも、登下校時以外はあまり。冬には冬の制服を着てくること、体調が悪いわけでなければ、登下校時以外はできるだけ上着を羽織るのをやめること、それが新しいルールです」
マジで。マジで。マジで。
彼は続けた。「もちろんこれから、その制服を強制するようなことはしません。生徒の家庭の負担になることもあるでしょうから。ですが君がつくったスタイルの制服を、他の生徒たちも気に入っているというのも事実ですし、これからまた現一年生、さらに来年入学してくる生徒たちというふうに続くようなら、取り入れてしまえばいいということになりました。ただし──」
言葉が途切れたことに気づき、彼の視線を受け止めた。
「はい」
さらに口元をゆるめると、彼はまるで少年のように悪戯に微笑んだ。
「君にはその制服を着て明日、ステージの上に立ってもらいます。終業式の時に」
私はぽかんとした。「え?」
「この制服は明日から来週の水曜まで、学校で早期受付を開始し、八月一日から各制服取り扱い店で販売を開始します」校長が説明した。「来週水曜までに申し込みをすれば、八月に入る前に確実に受け取れるということです。少しですが、費用も安く済みます。春秋用だということや新しいルールを含め、そういった説明を明日、終業式で行います。新しく取り入れる制服がどんなものかというのを、生徒たちに見てもらわなければいけません──話す必要はないですが、ほんの数分のあいだ、前に立ってもらいます。もちろん暑いでしょうから、カッターシャツのみで登校し、あとからベストを着るのでもけっこう。君が目立ちたがらないということはボダルト教諭から聞いていますが、制服を取り入れたとはいえ、球技大会の恩もあるとはいえ、一応は校則違反なので──あなたにとっては罰でしょうから、その罰として」
どうしよう。「それ、は──」えーと。「ひとりじゃなくてもいいですよね。私のようなふざけた二年生だけじゃなく、三年生にも混ざってもらってかまいませんよね」ふざけた三年生ですけど。
校長が笑う。「あの二人ですね。ええ、かまいません。ついでといってはなんですが、その紙袋すべて、持って行ってくれてもかまいませんよ。それぞれのサイズ、二組ずつ入っています。あまり公にすると、もらった相手は責められるかもしれませんが──君なら大丈夫かと」
M。ジョンア。LL。ナンネ。
「ええ、ぜんぜん大丈夫です」
「そうそう、修学旅行は冬の制服を着てもらうことも条件になります」校長は立ち上がった。「こちらの話は以上です」
おお。私は急いで制服を紙袋に戻し、前で手を組んで彼と視線を合わせた。
「はい、ありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそありがとう、ミズ・グラール」
手を差し出され、握手をした。
「こちらこそ」“どういたしまして”と言う言葉は、さすがに変なわけで。
「あ、それから」手を離し、校長がまたも悪戯に微笑んで補足する。「ヘッドフォンは完全に校則違反です。やめてください」
そういうオチつき!? と思い、私は笑った。
「はい、すみません。もうやめます。約束します」
あらためて挨拶し、紙袋みっつを両手に持って校長室を出ると、正面玄関ホールで生徒指導主事を含む教師数人が、野次馬にきた生徒たちをフロアから追い出そうとしていた。
「ミズ・グラール」
声をかけられ、私は振り返った。職員室の戸口に学年主任が立っている。
「職員室を通って裏門から出てください。紙袋みっつはちょっとまずいので」
たまには気の利いたことをしてくれるらしい。「そうします」




