〇 Overture
二年D組の教室。
「──もう無理」自分の席に座り、両腕を机に寝かせて顔を伏せたタスカがつぶやいた。「動けねえ」
「私も無理」椅子に座った私は机をめいっぱい前にやってそこに脚を乗せ、椅子から落ちないギリギリのところに座って、これでもかというくらいに身体を反らしている。目を閉じたまま、両腕は力なく垂らしているし、まとめた髪の一部はタスカの頭に触れていた。「脚が悲鳴をあげてます」
「お前のそれ、女のする格好じゃないよ」
「もう今、そんなのどうでもいいよ。なんなら床に寝転びたい気分だよ。なにこれ。ぜんぜん嬉しくない」
彼が力なく笑う。「優勝したのにな」
ドッジボール決勝、二年D組対一年C組──ケイたちは途中でマスティを投入したものの、最後には私とタスカ、そしてケイとアゼルとブルが残り、ブルは私が投げたボールを取り損ね、アゼルはタスカが投げたボールを取り損ね、私はケイを本気でコートから追い出した。勝ったのだ。
次の瞬間、私たちの身体を容赦ない疲れが一気に襲った。表彰式だの閉会式だのというアホらしいことを無視し、重い身体を引きずりながら、一足先に二人で教室に戻った。
勝ったのに。「やっぱ私らが最強だよねっていう実感しかない」
「悪かったな、アゼル倒しちまって」
「んーん」両手をおなかの上に乗せた。「そりゃできるなら自分でやりたかったけど、私、とりあえずブルをやることしか頭になかったんだよね。すぐアゼルをやってくれてよかった。ケイも一発でしとめられたし、なにより、二人で最後まで残ったってのが嬉しい」
「だな──決まりきったパターンだと思ってたけど、変わらなくてよかった」
「ね」この無敵感は好きだ。「敵になりたくないから、来年クラス離れたらサボろうか」
タスカは笑った。「そしたら今日を伝説にできる。こんだけ疲れるなら、もうやりたくないし」
「そういうこと」私、帰れるのかしら。「なんか私ら、アニタを守ることに必死になってるし。あいつ完全に姫だし。私までナイトになってるし」けっきょく、グループでは最初に脱落したけれど。
「あいつも黙ってりゃ顔はいいからな。喋ったらアホ丸出しで台無しだけど」
「ひどいな。アニタはあれでいいのよ。アホっぽいけど、性格は年相応で可愛いんだから。乙女すぎなくていいじゃん」
「まあ。その点お前はなんだろうな。喋ったらアホっぽい時もあるし、大人っぽい時もあるし、怖い時もあるし、自己中でめちゃくちゃだし、とりあえずうるさいし。けど絶対的ななんかがある」
思わず笑った。「なんかってなんだ」
「さあ」
アニタがクラスメイトたちを引き連れて戻ってきた。優勝を讃えた賞状と、優勝商品のケーキ──チョコレートケーキとショートケーキを一切れずつ、ワンセットにして小さなケーキボックスに入れたものと、ペットボトルのスポーツドリンクを持って。
どうやら、準優勝組には缶ジュースと、チョコレートケーキもしくはショートケーキの一切れが配られ、その他のクラスには缶ジュースのみが配られたらしい。だけど男子サッカーの準優勝分は、私たちのクラスはかぶるからと配られず、繰り下げられた。そんなことすら、私はもうどうでもよかった。
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遅すぎるLHRを終え、クラスメイトが帰るのを見送りつつアニタに脚のマッサージを手伝ってもらい、ゲルトたちと別れたあと、私とアニタは、第一校舎三階にある生徒会室へと向かった。閉会式のあと、副会長にあとで部屋に来るよう、アニタがさりげなく呼ばれたらしい。
生徒会室といっても、たいした場所ではない。普通教室の半分くらいだろう広さで、使われているのはダークブラウンの木目柄長テーブルがコの字型に置いてある。ドアの逆向かいに中庭兼テニスコートを見下ろせる窓があるものの、その前には可動式のホワイトボードがある。右側の壁沿いには背の低い書類棚がみっつ、左側の壁沿いには低いロッカーがむっつ、二段にして並べられているだけだ。生徒会長用のデスクなんてものは存在しないし、役員は生徒会長の男と副会長の女、書記の女、会計の男の四人しかいない。みんな私とは違う、真面目側の人間だ。
細いフレームの眼鏡をかけた生徒会長は奥の長テーブルについていた。生徒会長の右隣に会計の男、右のテーブルに副会長、そして書記の女。
副会長に促され、荷物をテーブルに置いて生徒会長と向き合うよう、私は左の、アニタは右のパイプ椅子に腰をおろした。
「とりあえず、おつかれさま」生徒会長が控えめに微笑んで言った。身体はすらっと細長く、子供ながらに大人びた顔立ち、眼鏡のレンズの向こうにある瞳はライトブラウン。癖のあるゴールドブラウンの髪が耳を半分隠している。「ドッジボール、君たちがあんなに強いとは思わなかった。見てて楽しかったよ」
あっそ。
「ありがとうございます」アニタは微笑みを返した。「三年E組の女子もすごかったですよ、バレー」三年E組は生徒会長のクラス。「ベラがドッジボールのために体力温存してたせいで、こっちは三回戦であっさり負けちゃいましたけど」
はいはい、ごめんなさいね。でもクラスの中じゃ点取ったほうだっつの。
会計の男が苦笑う。「サッカーは君たちのクラスにあっさり負けたてたけどな」会長よりも少し暗めのゴールドブラウンの髪で、顔は丸型。優秀なりに無邪気そうな一面が顔に出ている。「もちろん僕のD組も一回戦で、しかも一年に、見事に負けたわけだけど」
ケイのクラスにね。
「二人とも」書記の女が口をはさんだ。ウェーブがかったブロンドの髪は首元まであり、前髪は後方に流してゴムで留めている。「彼女たちはきっと疲れてる。早めに本題に入ったほうが」
私たちをというより、副会長を気遣っているのだろう。副会長はブルーの大きな瞳の持ち主だ。短い前髪はなく、胸元まであるくすんだブロンドの髪を中央より少し左で分けている。彼女はなんでもない表情をしているけど、今すぐ生徒会長を責めたそうにしているようにも見える。
会計の男はテーブルの上で両手の平を広げて彼女に見せた。
「ああ、ごめんごめん」
「じゃあ本題に」喉を鳴らすと、会長はテーブルの上で手を組んで切りだした。「この球技大会での君たちの件──君たちの協力があったってことは、他の生徒には明かさない方向で話を進めていたけど──やっぱり、明かしたほうがいいと思ってね」
私はぽかんとした。
彼が続ける。「もちろんここにいる四人全員の意見だ。大成功だったからってことだけじゃない。君たち二人が所属する二年D組は、ドッジボールで優勝もした。あれだけ目立ったんだし、もうかまわないと思う。そうじゃなくても校長先生からなにか、褒められることがあってもいいと思うんだ。もちろん君たちの制服の件は知ってる。校長先生と会うのがためらわれるってことも知ってる。だけど、僕たちがどうにか言えば──」
「冗談じゃない」私は口をはさんだ。腕と脚をそれぞれに組んだまま、彼に向かって言葉を継ぐ。「校長と会うのがためらわれる? 当然じゃない。私が校長と真正面から会うことを避けたいのは、どんな顔すればいいかわからないからよ。怒られることが怖いんじゃないの。今さらだかなんだか知らないけど、怒られないとすれば、どんな顔して会えばいいかわからないから。怒る目的で呼び出されでもすれば、いつだって応じる覚悟はあるわよ。去年の文化祭の日、校則違反をわかったうえで、あの格好でひとり学校に来た日からね」
生徒会役員四人全員、丸くした眼でこちらを見ている。
かまわず続けた。「疲れきってるところに呼び出されて、なにを言いだすかと思えば、私たちのことを公表するって? 冗談じゃないわよ。何様のつもり? 言ったはず、私は目立ちたくない。確かにドッジの決勝、勢いであんなことを言ったけど、目立ちたかったわけじゃない。私なりに日常生活でいろいろと、気に入らないことがあったからよ。そのストレスをぶつけただけ。
球技大会のことは、主事との話の流れで答えて、ついでに案を伝えただけなの。生徒会を手伝ったのは、主事にそうしろって言われたから。あなたたちのためじゃないし、全校生徒のためでもない。私は善人じゃないし、褒め称えられるような人間でもない。好き勝手やってるだけの自己中な人間なの。周りがそれに乗ってるだけよ。完全な悪役としてならいくらでも目立つけど、そうじゃないならお断り。
だいいち、目立ちたくないって散々言ったのに、なぜまたここに呼び出すようなことをするわけ? あなたたち生徒会に話しかけられたり呼び出されたりするたびに、こっちが周りへの言い訳を考えるのをすごく面倒に思ってるってこと、ちょっとは考えてくれない? 詮索されたくないし、嘘つくのも好きじゃないし、面倒事はお断りなの。善人ぶるのはかまわないけど、やるなら他でやって。私を巻き込まないで」
言いたいことを言い終え、席を立って荷物を両手に持つと、私はドアのほうに向かった。
続くように席を立って荷物に手をかけたアニタが微笑んで彼らに言う。
「そういうことなんで、公表はやめてください。またベラが主事に言われたら、生徒会を手伝うこともあるかもしれませんけど──そうじゃなければとりあえず、あたしはともかく、ベラにはできるだけ近づかないでください。ホントに、詮索されるのも嘘つくのもキライなんですよ。善人側の先輩方と話してたりしたら、ベラの場合、なんでって話になるんです、同期の中で。彼女はそれを訊かれるのがキライ。最初の話どおり、球技大会は生徒会と学校側主催ってことでよろしくお願いします。おつかれさまでした」
勝手を言ったことを、アニタは怒らなかった。クラッシャーはともかく、たまには悪役側に立ちたいと言って。
第一校舎正門前ポーチでアゼルたちとリーズたち、少し離れたところでペトラを含むニュー・キャッスル組が待っていて、私はアニタやペトラたちを見送り、自転車で来ていたらしいアゼルのうしろに乗せてもらって、彼らの見送りで祖母の家へと帰った。
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その日の夜、ナンネからメールが入った。カーツァーと話せるかどうかはわからないけど、話せそうな時はファーストネームで呼んでみる、と。他の女子たちからも、男として好きかどうかはともかく、ほとんどは提案に賛成、感謝する内容だった。
ケイは球技大会が楽しかったとメールを送ってきていた。アゼルたち三人のことも気に入ったと。私がアゼルにキスのことを話したと言うと、そんなことをアゼルは一度も言わなかったらしく、さすがだとなぜか褒めてた。
ケイが特に仲のいい男友達数人は、最初こそ彼らにビビッていたものの、思ったよりやさしいから、みんなそれなりになついて、グラビアの話で盛り上がっていたらしい。
一年女子は三人のことをかっこいいだのなんだのと、やたらうるさく言っているのだとか。女子はタスカやゲルトたちのこともかっこいいとも言っていて、男子は私やアニタを美人だと言っていて、ドッジボールの半端ない強さに少々ヒきつつも、男子はタスカに、女子は私に憧れるという発言も出ていると教えてくれた。アゼルのような男とつきあいつつ、マスティやブルのような友達がいることが羨ましいとも。
私はとにかく疲れ果てていて、夕食のあと祖母と一緒に賞品のケーキを食べると、シャワーを浴び、死んだように眠った。




