* Broken Promise
ふと目を覚ました。
薄暗い室内──なにかと思えば、ナイトテーブルに置いている携帯電話が鳴っている。目をこすりながらそれを手に取ると、画面を確認した。
ブルからだ。
そこで、気づいた。
アゼルがいない。
瞬時に身体を起こし、部屋を見渡した。ナイトテーブルにあったはずのアゼルの携帯電話が、鍵がない。自分が眠っていた場所の隣は、シーツが冷たい。温度がない。
携帯電話はまだ鳴っている。
デスクの上には小さな紙が置かれていた。そんなものを置いた覚えはないのに。
鳴り続ける携帯電話を持ったまま、ゆっくりとベッドから降りた。
デスクの前に立ち、ペンと一緒に置かれた紙を見る。
“鍵はポストに入れとく”
それだけ。
寝起きだからか、頭が働かなかった。なにも考えられなかった。
呆然とメモを見つめながら、意識したわけではないと思うけれど、気づいたら電話に出ていた。
「あ、ベラ?」ブルの声だ。「起きた?」
この質問は、どういう意味だろう。
よくわからないまま、「起こしたのはそっち」と答えた。
「そうだけど──って、そうじゃなくて。頭働いてるかって訊いてんだよ」
私はデスクに置かれたメモをまだ見つめていて、左手指は紙に触れていた。
「わかんない」
私は携帯電話を、サイレントモードにしていたはずだ。
「ああ──」彼は一度言葉を切ると、静かに切りだした。「──落ち着いて、聞けよ」
私は、答えなかった。
「──アゼルが、捕まった」
電話越し、ブルが言った。
“アゼルが捕まった”
ブルは確かに、そう言った。
私は、動けなかった。なにも言えなかった。
彼は続けた。
「さっき、アゼルのじいさんから電話があった。原因は喧嘩だけど、詳しいことはよくわかんねえ。教えてもらえんかった。取り調べがひととおり終わって、今留置所に入ってるって。今わかんのは、相手が何人かいて、アゼルはひとりだったってこと。あいつもちょっとやられてて、状況は正当防衛だけど、それ以上に相手のほうが傷受けてるらしい。気絶してたり骨やられたりで、病院で手当て受けてるって。夜中の三時頃、オル・キャスを見回ってたポリ公が喧嘩してるとこ見つけて、応援呼んで全員捕まえたらしい。じいさんいわく、相手のほうにもわりと非はあるし、おおごとにする気もあいつを少年院送りにするつもりもないけど、更生施設には入れるって言ってる。──それが、わりと長い期間」
私の頭の中に入ってきた言葉。
“喧嘩”
“アゼル”
“捕まえた”
“更生施設”
“長い”
それだけ。
考えたくても考えることができていないのか、それとも、脳が考えることを拒んでいるのか、もしくは、考えていることに気づきたくないのか、自分が今どんな状態なのか、さっぱりわからない。
「ベラ? 聞いてんのか?」
自分がなにを感じればいいのか、なにを思えばいいのか、さっぱりわからない。
「──ここに、居たの」私はつぶやくように言った。「あいつ──ここに、泊まってた」
つまりアゼルは、ここから喧嘩しに行ったってこと。
少し間を置いて、「聞いた」と、彼は答えた。「お前が悪いんじゃねえよ」
その言葉に、私は思わず笑った。
「私が悪いんじゃない? あたりまえじゃない。出て行ったことにすら気づかなかったんだから」
ああ、そうか。
“あれ”は、“行く前”だったんだ。
「──夜中に、起きたの」
考えなくても、これだけはわかる。
「たぶんあいつ、起きてて──」
あいつは、電話で呼び出されて行ったんだ。
「よくわかんないけど、ベッドに戻ってきて──」
寝てるとこ、電話で呼び出されて、行ったんだ。
「でも私、寝ぼけてて──」
私は気づかなかったけど、それだけは、確実だ。
「したことだけ、覚えてる」
なにか、言われた気がする。
「わけがわかんないまま、終わって──」
アゼルは私に、なにかを言った。
「──寝ろって言われて、寝たの。すぐに。笑えるくらい眠くて、疲れてて──」
あいつは、なにかを言った。
「──時間は確かめてないけど、たぶん、そのあとなんだと思う」
“俺のもん”
「──デスクの上に、メモがある。“鍵はポストに入れとく”って、それだけ」
“お前は俺のもん”
そうだ、そう言った。
アゼルは、確かにそう言った。
“お前は俺のもん”
────笑える。
「──ねえ、ブル」
「──ん」
「去年、じゃない──、一昨年──あいつと別れたあと、やりなおす時──約束、したの」
“約束しても、信じないってことだよな”
「“喧嘩しない”って、約束した」
“今守る気で約束してくれるなら、私はその気持ちを、信じる”
「“施設に戻るようなことはしない”って、約束したの」
“んじゃ、キスしたら約束する”
「──慰めじゃなくて、本音を教えて」
“約束したらキスする”
「あいつ──守る気で行ったのかな」
“ふざけんな”
「最初は、喧嘩なんてする気なかったのかな」
“ふざけてない”
「それとも──喧嘩はしても、捕まる気は、なかったのかな」
“こっちもふざけてない”
「──最初から、喧嘩する気で行ったのかな」
“約束する?”
「捕まるのわかってて、施設に戻ることわかってて──約束、破る気で──喧嘩しに、行ったのかな」
“約束する”
「──慰めなんか要らないから、どう思うか、本音教えて」
数秒、沈黙があった。
そして溜め息をつき、ブルは答えた。
「──喧嘩する気で、捕まるのわかってて、行ったんだと思う」
私はまた、笑った。
だって。「私も、そう思う」
あれだけ、なにも信じようとしない私を、嫌がってたのに。
「──どのくらい入るかは、わかんないの?」
ああ、でも、“信じろとは言わねえ”って、言われていたっけ。あとからだけど。
「──たぶん──半年以上」
半年以上。
ブルはまた少し沈黙を作り、つけたした。
「アゼルは、一年くらい入る覚悟はしてるって」
──覚、悟。
笑える。
──私に殺される覚悟も、できてるのかな。
「正確に、どれくらい入るかが決まったら、それだけ教えて」
私は、“地獄を見せて”なんて、言った覚えは、ない。
「眠いから、寝る」
「おい──」
私は、電話を切った。




