- Prologue
白い雪が深々と降る中、少女は白い砂浜に立ち、蒼い海を眺めていた。
少女は二歳、少しウェーブがかった癖のある赤っぽい黒髪で、髪は肩下まである。
穢れを知らず、純粋に海を見つめるその瞳の色は、ヴァイオレット──世界的にも、出現率は極稀だと言われている。
少女の右手は、隣に立つ母親がしっかりと握っていた。母親はブルーの瞳を持つ二十一歳──ベビーブロンドヘアで、かつてハードウェーブだった髪は、二年前からストレートにしている。
母親は娘に訊いた。「海は好き?」
少女が笑顔で答える。「すき!」
母親は娘のほうを向いてしゃがみ、ふたつの小さな手をとった。
「じゃあ、雪は好き?」
「ゆき?」
「そう──ほら」
自分の手の上で少女の手の平を広げた。そこに、次々と白い雪の粒が落ちては消え、落ちては消えていく。
「今あなたの手に落ちてくるのが、ゆき。白い雪」
「つめたい?」
「そうね、冷たい。でも、キレイなのよ。おうちのあるあたりじゃ、あまり積もらないけど──ここは夜になったら、積もるかもしれないわね。そしたら、すごくキレイなの。道も木も山も、真っ白になるのよ」
少は悩ましげな表情で首をかしげた。
「つもる? みられる?」
母親は、申し訳のない表情を返すしかなかった。
「残念ながら、見られないわ。もう帰らなきゃいけないから」
少女は不満そうに唇を尖らせた。
「みたい!」
「そうね──じゃあ、本屋さんに行こうか。写真を探すの。木が真っ白になった写真をね」
「うみもしろくなる?」
その質問には、首を振った。
「いいえ、海はいつも蒼いまま。雪は、海には勝てないの。誰も海には勝てないのよ」
一度言葉を切ると、母親は少女の背中に手を添えて促し、海のほうを向かせた。
「海はね、全国に繋がってるの。いろんな場所に──世界にだって繋がってる。とても大きいわ。私たちの大切な人も、ここにいるの。この海で、私たちをいつも見守ってくれてる。寂しくなったら、海を見なさい。海は川にも繋がってるから、私たちのすぐそばにあることになる。ベネフィット・アイランドは、川が多いからね。私たちの大切な人は、いつだって海にいる。家の前を流れる川に来て、私たちを見てる。あなたの笑顔を見て、大好きだよって言うの」
少女は再び首をかしげて母親に訊いた。
「うみは、わたしのことがだいすき?」
母親は微笑みを返す。
「そうよ。大好きなの。あなたは天使だって言ってる。可愛い可愛い天使だって」
そしてまた少女を促し、自分のほうに向かせて両手をとった。
「今日海を見たことは、ママとあなただけの秘密。誰にも言っちゃダメ。わかった?」
「ゆきは?」
「ああ、雪もダメね。今日はおやつをたくさん食べる日よ。アイスクリームとケーキとドーナツ。どれがいい?」
少女が無邪気な笑顔を見せる。
「ぜんぶ!」
母親は苦笑った。
「そうね、ぜんぶね。でも海と雪のことは、内緒にするの。パパにも言っちゃダメよ。わかった?」
「わかった」
「よし、いい子」愛情を込めて少女の頭を撫でた。「じゃあ、海にバイバイできる?」
「できる!」
元気よく答えた少女は海のほうに向かって小さな左手をめいっぱい広げ、左右に振った。
「ばいばい、うみさん」
「はい、よくできました」再び少女を褒めた。「じゃあ──」
「だめ、まだ」
「うん?」
空を見上げると、少女は空に向かって両手を伸ばし、その手を振った。
「ばいばい、ゆきさん」
その姿に、母親は胸が締めつけられる思いがした。
手をおろし、少女はまた笑顔を見せる。
「あのね、うみもゆきも、ないしょっていった。パパにもないしょ。きょうは、ママとケーキをたべるひ」
母親の喉元まで、なにかが込み上げた。思わず泣きそうになった。
それを必死にこらえ、微笑んで、また少女の髪を撫でた。
「そう。あなたは本当にいい子ね」
少女は嬉しそうに笑った。「パパにもあげるの、どーなつ」
「そうね。ちゃんとパパのぶんも買って、夕食のあと、三人で食べようね」
「うん!」