5
朝の日差しが、ベッドに寝ているわたしの顔に差し込んでくる。
ゆっくり起き上がってカーテンを開けると、白くて眩しい世界が、寝起きの目に飛び込んできた。
「積もってる……」
昨日の夜に降った雪が、あたり一面を真っ白に覆ってしまった。
「沙和ちゃーん、起きてるー?」
わたしを呼ぶおばあちゃんの声。
「お友達が迎えに来てくれたよー」
「お友達?」
そんな約束してたかな? いったい誰と? 首をかしげながら部屋を出て、階段を降り、玄関をそっとのぞきこむ。
「ゆ、由井くんっ?」
「あ、おはよー、沙和ちゃん」
調子よく片手を上げる由井くんの隣で、おばあちゃんもにこにこと笑っている。
「な、なんでっ?」
「なんでって……朝早く風太に起こされてさぁ。学校行くには早すぎるし、ヒマだったから沙和ちゃん迎えに来た」
嘘でしょう?
――でも由井ってさ、ちょっとわけわかんないところあるよね?
軽くパニックになりかけながら、茜ちゃんたちが言っていた言葉を思い出す。
「迎えに来たって……そんな急に……」
「いいだろ? お友達なんだから」
そう言って由井くんが、いつものずるい笑顔を見せる。
「まぁ、外は寒いし。沙和ちゃん、中で待っててもらいなさいよ」
「あ、いいんすか? じゃあ、遠慮なく」
「ちょっと! おばあちゃん!」
あわてるわたしの前で、おばあちゃんはにこやかに微笑む。
「だって沙和ちゃん、パジャマのままでしょ? 早く着替えて来なさいな」
気がつくと、わたしはパジャマ姿のまま、由井くんの前に立っていた。
ぷっと吹き出すような由井くんの顔。わたしは恥ずかしくなって、自分の部屋に逃げ込んだ。
雪の積もる通学路を、由井くんと並んで歩く。
朝ご飯を食べていなかった由井くんは、ずうずうしくおばあちゃんの作ったご飯を食べて、「おいしい、おいしい」と、おかわりまでしていた。
どういう神経してるんだろう、この人。
わたしだったら会ったばかりの人の家で、とてもそんなことできないけど。
「いいなぁ、沙和ちゃんには、やさしいおばあちゃんがいて」
わたしの隣を歩きながら、由井くんが言う。わたしは昨日会った、風太くんと風太くんのお母さんの顔を思い出す。
「由井くんちのおばさんだってやさしいでしょ?」
「貴子さん? やさしいよ、あの人は」
ふっと微笑んだような由井くんが、晴れ渡った空を見上げる。わたしはそっと由井くんの横顔を眺めて、静かにつぶやく。
「由井くんは……どうしておばさんたちと暮らしてるの?」
なんでかな……なんとなく由井くんにも、わたしと同じような事情があるような気がしたから。
「由井くんの、お父さんと、お母さんは?」
わたしの声がキンっと冷たい空気に浮かぶ。
足もとに積もる雪。頬に当たる風。流れる雲……空を見ていた由井くんが、ゆっくりとわたしに視線を落とす。
「たぶん……横浜にいるんじゃないかな?」
「たぶんって……」
「親、離婚しちゃって、それきり会ってないんだ。だけど、横浜にいると思う。おれも小学生まで、沙和ちゃんと同じ横浜に住んでたから」
由井くんがそう言って、いたずらっぽい顔でわたしを見る。
「だからおれ、こんな街好きじゃないんだよ。寒いの嫌だし、雪なんか大嫌い」
「わ、わたしもっ……」
立ち止まって、お腹の底から一気に声を吐き出す。
「こんな街来たくなかった。転校もしたくなかった。友達と離れたくなかったし、彼とも別れたくなかった」
なんでわたし、この人の前でこんなこと言ってるんだろう。
「寒いの、嫌だし……雪だって……嫌いだし」
「うん……」
「こんなところ……来たくなかったの」
冷たい頬に温かいものが流れる。自分が泣いていることにやっと気がつく。
「沙和ちゃん」
由井くんの指先がわたしの頬に触れた。ぴくんっと体が震える。
「おれたち、やっぱり付き合おうよ」
止まろうとしない涙をぬぐいながら、由井くんはわたしに笑いかける。
「おれたちきっと、うまくいくと思うんだ」
遠くに聞こえる救急車のサイレン。由井くんの少しかすれる声がそれに重なる。
「沙和ちゃんだって……そう思うだろ?」
初めて会った日から気になっていた。
いつも楽しそうに笑っているくせに、ふとした瞬間に見せる、彼の切なくなるような表情が――。
それはきっと、わたしたちがどこか似ていたから。
学校へと続く雪の道で、立ち尽くしたままのわたしの手を、由井くんはいつものようにさりげなく握りしめた。
「で、結局、由井と付き合うことになったわけ?」
「うん、なんとなくそうなっちゃって……今度の日曜日、動物園行こうって」
「動物園ねぇ……由井ってそういうキャラだった?」
わたしの前で江里ちゃんが首をかしげながら、茜ちゃんに聞く。
「さあ……でもあたし、ウメに聞いたんだけどさ。ウメにとって一番わけわかんないヤツって、実は由井なんだって」
「えー? だって梅田と由井って中学から仲良かったんでしょ? いつも一緒に大騒ぎしてるし」
「そうなんだけど」
茜ちゃんはちらりと、わたしの顔色をうかがうようにしてから言う。
「由井ってあんなふうにへらへらしてるけど、自分のことは一切話さないらしくて……好きな子の話とか、ウメでさえ、一度も聞いたことないって」
「あは。ウメちゃん、由井に信用されてないんじゃないのー?」
わたしの前の席で笑う、江里ちゃんの朗らかな声を聞きながら、昼休みの教室を眺める。
お菓子を食べながら、スマホをのぞきこんでいる女の子たち。教室の後ろで、小学生みたいにふざけ合っている男の子たち。
わたしは無意識のうちに探していた。そんなざわついた教室の中で、由井くんの姿だけを探していた。