30
歩く人をよけながら、駅に向かって全力で走る。
すぐに息が切れてきて、体育の授業でもこんなに本気で走ったことないって思った。
茜ちゃんたちとおしゃべりしながら歩いた道。
風太くんと並んで歩いた動物園への道。
由井くんと手をつないで歩いた雪の降る道。
誰も知っている人のいない、寒いだけの街だったけど、今ではこんなにたくさんの思い出ができた。
駅の改札を抜け、上りホームの階段を駆け上る。
制服のまま、乱れた髪で、泣きそうな顔をして、まわりをきょろきょろ見回しているわたしは、きっとヘンな女の子だ。
「沙和ちゃん!」
声が聞こえて振り返る。停車中の電車から飛び降りた由井くんが、わたしに向かって駆け寄ってくる。
「早えぇ……ほんとに来た」
ふざけた調子でそう言った由井くんに、言い返すこともできないくらい、わたしは息を切らしていた。
「沙和ちゃん……大丈夫?」
「由井くんの……せいだからね」
「ごめん。でも本当におれ、沙和ちゃんに会ったら……」
わたしはすっと両手を差し出し、由井くんの手をぎゅっと握った。
「いってらっしゃい。由井くん」
いまできる、最高の笑顔を由井くんに見せる。
「待ってるからね。浮気しちゃダメだよ?」
ホームに響く、まもなく発車のアナウンス。わたしは手を離して、由井くんの肩をそっと押す。
「ほら、早く乗って。発車しちゃう」
わたしにうながされた由井くんが、荷物を肩にかけ直して背中を向ける。
さよならなんて言いたくないから。そんなこと言ったら、本当にさよならになっちゃうから。
電車に足を入れかけた由井くんが、振り返ってわたしを見た。
わたしは――どんな顔をしていたんだろう。笑っていたのか、それとも泣いていたのか……。
「だからこういうの嫌なんだよ」
ひとり言のようにつぶやいた由井くんが、わたしの前にやってきて……そのあとはなにが起きたかよくわからない。
ただ唇がすごくあったかくて、頭の中がぼうっとして、発車の合図のメロディーが耳に聞こえて……。
「お別れのキスなんかじゃないからな?」
額と額をくっつけて、ささやくようにそう言うと、由井くんはわたしからぱっと離れていつもみたいに笑った。
「じゃあ、また!」
由井くんが電車に飛び乗るのと同時に、ドアが静かに閉まる。
「うん! またね!」
窓越しに手を振る由井くん。両手を上げて、左右に思いっきり、子どもみたいに。
そしてわたしもそれに応えるように、高く高く手を振った。
駅の改札を出て、帰り道を歩く頃、日はすっかり暮れていた。
あんなに人のいるホームでキスをしちゃった自分を思い出すと、それだけで顔がほてってしまうけれど、心もぽかぽかとあたたかかった。
歩き始めて足を止める。街灯の灯りに照らされたそれは、キラキラと輝きながらわたしの手のひらに落ちて、一瞬のうちに溶けていった。
春の始まりのあたたかな雪。
そういえば夜風も前より冷たくなくなったな……。
そんなことを思いながらまた歩き出そうとしたとき、わたしのスマホが震えた。
「え……由井くん?」
画面に映るのは由井くんからのメッセージ。
別れの余韻に浸っていたのに、すぐに送ってくるなんて……全然女心のわからない人。
それでもやっぱり、嬉しいけれど。
スマホの画面には一言だけ「早く会いたい」って書いてある。
たったいま別れたばかりなのに、もうそんなこと言ってる……へんなの。
ふっと笑って、返信しようと思ったら、またメッセージが届いた。
――今度会った時、絶対続きしような?
「もうっ……」
返信なんかしてあげない!
スマホをコートのポケットにつっこんだ時、なにかが触れた。手に握って取り出してみると、それはふたつの小さなキャンディー。
「由井くん? いつの間に」
そういえば一昨年のクリスマスイブ。街角でもらったキャンディーをふたつ、由井くんにあげたっけ。
包みを開いて口の中へキャンディーを放り込む。甘い味が広がって、それだけで幸せな気分になれる。
もうすっかり歩き慣れた道を、一歩ずつ踏みしめるようにゆっくりと歩いた。
この雪が桜の花びらに変わる頃、電車に乗って、由井くんに会いに行こう。
口の中でキャンディーがころんと転がる。
由井くんと出会えた、あたたかな雪の降るこの街は、わたしの大好きな街に変わっていた。