28
「じゃあね、さわちゃん! また来てね」
風太くんと貴子さんに見送られて玄関に立つ。
「さよなら、ふうちゃん。お邪魔しました」
ぺこりと頭を下げたわたしに、風太くんはぴょんっと駆け寄ると、内緒話でもするように耳元に顔を近づけて言った。
「さわちゃんが泣いちゃったこと、こうちゃんにはナイショにしてあげるからね」
苦笑いをして、風太くんの頭をなでる。
「ありがと。でももう大丈夫だから」
風太くんがにっこりと笑う。
ごめんね、ふうちゃん……風太くんにまで気を使わせちゃってるわたしは、ものすごく情けないけど、泣いたら少しだけすっきりしたの。
「沙和ちゃーん」
外で待ってくれている由井くんがわたしの名前を呼ぶ。
わたしは風太くんと貴子さんに手を振って、由井くんの家をあとにした。
空は青く晴れていたけど、風が冷たかった。
もう三月になるというのに、春はまだ遠い感じだ。
だけど長い冬が終われば必ず春が来ることを、わたしたちはちゃんと知っている。
「由井くん!」
つけていた手袋をはずして、少し前を歩く由井くんの背中に駆け寄る。そして由井くんが手を入れている上着のポケットに、わたしの右手を滑り込ませた。
「横浜もまだ寒いかな?」
ちょっと驚いた顔をした由井くんは、わたしを見てすぐに笑顔になった。
「ここよりはあったかいんじゃないの?」
「春になってあたたかくなったら……遊びに行ってもいい?」
由井くんがポケットの中でわたしの手をぎゅっと握る。
「山下公園散歩して、中華街で豚まんでも食おうか?」
「観覧車も乗ろうよ」
握られた右手を握り返す。由井くんはそんなわたしに笑いかけて言う。
「楽しみに、待ってる」
ほんの少しの距離に負けて、もう後悔なんてしたくないから……自分から手を伸ばして触れればいい。自分から足を伸ばして会いに行けばいい。
「沙和ちゃん、見て」
由井くんの声に誘われて、空を見上げる。
青い空から花びらのように舞い落ちてくるのは、真っ白な雪。
由井くんはそれを手のひらでつかんで、わたしに見せるようにそっと広げる。
淡い雪はすぐにすうっと、由井くんの手のひらの上で溶けていった。
「おれ、沙和ちゃんに出会えて初めて思えた」
視線を上げて由井くんの顔を見つめる。
「あー、なんかおれ、生まれてきてよかったかもって。おれが生まれてきたのは、間違いじゃなかったんだって」
「……うん。そうだね」
由井くんが幸せそうに笑うから、わたしも嬉しくて笑顔がこぼれる。
「わたしも、よかった。生まれてきて、この街に来て、由井くんと出会えて……本当によかった」
照れたような顔つきの由井くんが、わたしの頭をくしゃっとかきまぜて、晴れた空を見上げる。
わたしも同じように空を仰いで、わたしを見守ってくれているお母さんに話しかける。
――お母さん、ありがとう。わたしを産んでくれて、本当にありがとう。
お母さんが元気だった時には言えなかった言葉。いまなら心から言えるのに。
「やっぱりさっき言った言葉、撤回しよう」
しばらく空を眺めていた由井くんが、いたずらっぽい顔をしてわたしを見た。
「さっき言った言葉って?」
「続きは、おれが迎えに来た時にって言ったけど、そんなに待てそうにない」
急に恥ずかしくなって、顔が赤くなるのがわかる。
「あの続きは、春に沙和ちゃんが遊びに来た時に、ってことで」
「し、知らないっ」
ポケットから手を引っ張り出して、少し早足で歩き出す。おかしそうに笑っている由井くんが、そんなわたしを追いかけてくる。
花びらのような雪の舞い散る街を、由井くんと歩く。次にこんなふうにふざけながら歩けるのは、いつになるんだろう。
その時、わたしは、由井くんは、少しでも成長できているのかな?
由井くんに握られていた右手があったかくて、わたしはそのぬくもりを逃さないように、左手でそっと包み込んだ。