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 年が明けたばかりのよく晴れた日。お正月気分の抜け切れない街で、由井くんとふたりで映画を観た。

「なーんか、映画なんて観たの久しぶりだなぁ」

 映画館から歩道に出た由井くんが、空に向かって大きく伸びをする。

「そうなの?」

 わたしが聞くと由井くんは少し考えてから答えた。

「いや、夏休みに観たか。ふうと一緒に、なんとかレンジャーってやつ。まわりいっぱいガキだらけでさぁ、うるさいのなんのって。全然観た気しなかった」

 ふたりで顔を見合わせて、なんだかおかしくなって笑い合う。

「今日の映画はどうだった?」

「うん? ああ、おもしろかったよ?」

「うそばっかり。始まってすぐに寝てたくせに」

 茜ちゃんたちがチケットをくれた恋愛モノの映画は、由井くんにとって気持ちよく眠れる絶好のジャンルだったみたいだ。

「すぐには寝てないって。三十分はちゃんと観てた」

「十五分でしょ?」

「はい。沙和ちゃんのおっしゃるとおりです」

 ふざけた調子でそう言って、由井くんがわたしに笑いかける。

 どうしよう……わたし今、すごく幸せそうな顔してるのかも。

 わたしたち、付き合っているわけでもないのに。

 あと少ししたら、由井くんはこの街からいなくなってしまうのに。

「次、どこ行く?」

「え?」

「もう少し、大丈夫でしょ? 時間」

 由井くんの言葉に、わたしはうなずいて答える。

「お腹、すいたかも」

「よし。じゃあ飯食いに行こう!」

 さりげなく差し出した手で、由井くんはわたしの手を握る。

 手袋をはめた由井くんの手と、やっぱり手袋をはめているわたしの手。

 手袋越しにつながれた手は、どうしてもつながることのできない、わたしと由井くんの気持ちみたいだ。

 由井くんに手をひかれながら街を歩く。

 こんなふうにふたり並んで歩けるのは、今日で最後かもなんて思ったりしながら……。


 遅めのランチをふたりで食べた後、家の近所にある小さなお寺に寄った。そこはわたしのお母さんが眠っている場所。

 由井くんと一緒にお墓参りをしてもらって、お寺の隣にある、寂れた公園のベンチに腰掛ける。

 古い滑り台がぽつんとあるだけの公園には、足跡のない雪が積もっていて、遊んでいる子どもなんてひとりもいなかった。

「ごめんね。なんか、由井くんにまでつき合わせちゃって」

「大丈夫だよ。おれも沙和ちゃんのお母さんに挨拶したかったし」

 由井くんはそう言って、近くの自動販売機で買った缶コーヒーをひとつ、わたしに渡してくれた。

 お正月にはそれなりに人が集まる場所だけど、今日はわたしたちの周りに人影はない。

「由井くんは初詣に行った?」

 横浜にいる頃は、毎年お母さんと鎌倉までお参りに行っていた。お母さんが亡くなったばかりのわたしたちの家に、今年お正月は来なかったけど。

「行ってないよ。だけど今、ご先祖様にちゃんと祈ってきた」

「なにを?」

 隣に座る由井くんがいたずらっぽい顔でわたしを見る。

「沙和ちゃんが無事、志望校に合格しますようにって」

「うそでしょ?」

「なんでうそなんだよ」

「由井くんの言うことは、全部うそっぽい」

「ひどくね? それ」

 由井くんが笑って缶コーヒーを開ける。そしてそれを一口飲むと、気持ちよさそうに空を見上げた。

「……うそじゃないよ」

 由井くんのつぶやくような声を聞きながら、わたしも晴れ渡った空を見る。

「おれはいつだって、どこにいたって、沙和ちゃんの幸せを祈ってるんだから」

 また調子のいいこと言ってる……。


 見上げた空に一羽の鳥が飛んで行く。

 どこまでも続く空。遠くの街まで続いている空。

 あの鳥は、一体どこまで飛んで行くんだろう。

「沙和ちゃん……」

 耳元で聞こえる由井くんの声は、いつもとなんだか少しだけ違った。

「おれが横浜に行っても……待っててくれないかな……」

 ゆっくりと視線を移し、由井くんの横顔を見る。

「今は、まだ、沙和ちゃんの手のひらくらいしかあたためてあげられないけど……そのうち絶対、沙和ちゃんの全部をあたためてあげられるような男になるから……」

 冷えた両手を膝の上で握りしめる。由井くんはそんなわたしを静かに見つめて言う。

「だから待っててくれないかな。おれが沙和ちゃんのこと、迎えにくるまで」

 雪に反射する午後の日差し。少し吹く冷たい風。鳥のさえずる声。隣にいる由井くんの体温。

 わたしはきっとこの日のことを、ずっとずっと忘れない。

「あんまり長くは待てないから」

 涙が出そうになるのを隠すため、精一杯の強がりを言う。

「他に好きな人ができたら、その人と付き合っちゃうから」

 わたしの隣で由井くんが笑った。その笑顔を見たら、わたしも自然と口元がゆるむ。

 泣きながら笑っているわたしは、すごくヘンだ。

「沙和ちゃん」

 そんなわたしに由井くんが言う。

「キス、しようか?」

 返事の代わりに、わたしはゆっくりと目を閉じる。

 由井くんとした三度目のキスは、甘いコーヒーの味がした。

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