25
クリスマスイブの夜。茜ちゃんや由井くんたちと食事をして、カラオケに行った。
茜ちゃんと梅田くんは相変わらず、夫婦漫才でもやっているかのように仲がよくて、去年のクリスマスに付き合い始めた江里ちゃんと橘くんも、見ているほうが恥ずかしくなるほどラブラブなカップルだった。
そして由井くんは梅田くんとふざけたり、橘くんをひやかしたり、とにかく楽しそうに笑っていた。
そんないつもと変わらない由井くんを見ていたら、ほっとしたような寂しいような、自分でもよくわからない気持ちになって、なんだか泣きたくなった。
ダメだな、わたし……最近情緒不安定かも。
茜ちゃんが熱唱しているアイドルの歌を聞きながら、ぼうっとそんなことを考えていたら、いつの間にか隣に由井くんが座っていた。
「沙和ちゃんは歌わないの?」
「え、わたしは……下手だから」
わたしの隣で由井くんが笑う。肩が触れ合いそうで触れ合わない、微妙な距離。
「由井くんこそ、歌わないの?」
「おれの歌聴いたら、絶対沙和ちゃん幻滅するから」
「なんなの? それ」
思わず笑って由井くんを見る。由井くんはそんなわたしを見て言った。
「やっと、笑った」
「え?」
「なんか最近、沙和ちゃんずっと暗かったからさ」
由井くんがテーブルの上のグラスを手に取って、ストローで意味もなくかき回す。氷がカラカラと音を立てて、わたしはそれをぼんやりと見つめた。
「もしかして、おれのせいなのかな、なんて……思ったりしちゃうじゃん?」
由井くんの声が、スピーカーから流れる音楽にかき消される。
顔を上げたら、由井くんもわたしのことを見ていて、無性に恥ずかしくなった。
「ちょーっと! そこの見つめ合ってるおふたりさん! お邪魔しますよぉー」
突然わたしたちの前に茜ちゃんが割り込んできた。いつの間に歌い終わったんだろう。その隣では江里ちゃんがにこにこと微笑んでいる。
「由井っ、お誕生日おめでとう! これ、あたしたちふたりからのプレゼント!」
茜ちゃんと江里ちゃん、わたしの知らないうちに、プレゼントなんて用意してたの?
「え、おれにくれんの?」
「どうぞ。開けてみて」
江里ちゃんに言われて、由井くんはもらった封筒を開いて中身を取り出す。
「わ、映画のチケットじゃん。しかも二枚?」
「そ! 受験生もたまには息抜きしたほうがいいかと思って」
「おれ受験生じゃないけど?」
「違う違う、あんたの隣にいる女の子。誘ってもらいたそうな顔してるでしょ?」
茜ちゃんがいたずらっぽく笑ってわたしを見る。
「え! わたし?」
思わず声を出してまわりを見ると、梅田くんや橘くんまでがにやにやと笑っている。
「じゃあ、行く? 沙和ちゃん」
わたしの隣で由井くんがあっさりと言った。
「い、いいの? わたしで?」
「だってこの状況で、梅田を誘うわけにはいかないじゃん?」
梅田くんがすかさず由井くんの頭をぽかっと殴る。
「お前なー、いい加減真面目にやらないと殺すぞ?」
「わかった、わかった。冗談だって」
由井くんはそう言って笑ったあと、わざとらしく咳払いなんかしちゃってから、体をくるりとわたしのほうへ向けた。
「えーっと。沙和ちゃん」
「は、はい」
思わずわたしまで背筋を伸ばして、両手を膝の上に置く。
「ぼくと一緒に、映画でも観に行きませんか?」
わたしの前にすっと差し出された一枚のチケット。目の前に見える由井くんの真っ直ぐな視線。
わたしは小さくうなずくと、静かに右手を伸ばしてチケットを受け取った。
「はい。わたしでよければ」
キャーっと悲鳴のような茜ちゃんたちの声と、梅田くんたちのひやかしの言葉。
由井くんはわたしに笑いかけ、わたしもそんな由井くんに笑顔を見せた。
「じゃあね、由井。ちゃんと沙和を家まで送るんだよ?」
「はいはい、わかってるって」
「沙和ちゃんのこと、襲ったりするなよな?」
「ウメ。その言葉、沙和ちゃんを茜に替えて、そっくりお前に返す」
イルミネーションの灯った街の中で、みんなと別れる。茜ちゃんと梅田くん、江里ちゃんと橘くんは、二組に別れて、それぞれの場所へ散っていった。
「まったく、なんなんだろな、あいつら。ヘンに気を回したりして」
みんなの背中を見送ってから、由井くんはふうっとため息をつく。
「でも、楽しかったよね?」
わたしはそう言って由井くんの顔をのぞきこむ。
「うん、まぁ。ちょっとおれ思っちゃったもん。横浜行くの、やめようかなぁなんて」
由井くんの言葉に、とくんと心臓が音を立てる。
「こんな街好きじゃなかったけど、けっこうおれ、まわりの人間に恵まれてたのかもとか、今ごろになって気づいたりしてさ」
「……うん」
由井くんのまわりの友達も、おじさんも貴子さんも風太くんも……みんな由井くんのことを、ちゃんと想ってくれているから。
「それに……沙和ちゃんがうちのクラスに転校してきてくれて……本当に良かったって思ってる」
「え?」
由井くんがわたしを見て少し笑って、そしてゆっくりと歩き出す。
「沙和ちゃんがいなかったらおれ、たぶんずっとこの街で、自分が生まれた意味もわからないまま生きていたと思う」
由井くんが生まれた意味……そしてわたしがこの世に生まれた意味。
「由井くんっ」
その背中に駆け寄って、そっと隣に並ぶ。すると由井くんが前を向いたまま、吹き出すように笑い出した。
「え、なに? どうしたの?」
「いや、去年のイブを思い出して……」
「去年のイブ?」
「沙和ちゃんにおれ、突然唇奪われた」
わたしはその日のことを思い出して、体中の血液が頭に上ってしまったようにくらくらしてきた。
「や、やめて。あれは、その……とにかく忘れてっ」
「やだ、忘れない」
意地悪な顔つきでわたしを見て、由井くんはもう一度笑いかける。
「おれは忘れないよ。あの日のキスも、沙和ちゃんと初めて会った日のキスも……絶対に」
わたしの隣でそう言って、由井くんはまた前を向いた。
街を彩るイルミネーション。耳に聞こえる華やかな音楽。
わたしはただ黙って、由井くんの歩幅に合わせて隣を歩く。
わたしも忘れない。絶対忘れない。忘れられるわけなんてない。
「じゃあ……」
由井くんの声にはっとして顔を上げると、いつの間にかわたしの家の前まで来ていた。
おばあちゃんの待つ窓の灯りが、暗闇の中にぽっかりと灯っている。
「あ、ちょっと待って、由井くん」
あわててバッグの中をかきまぜて、リボンのかかった小さな包みを由井くんに差し出す。
「えっと、今さらだけど、わたしから……お誕生日おめでとう」
由井くんは少し驚いた顔をした後、すぐに笑顔になってわたしに言った。
「ありがと、沙和ちゃん。開けてもいい?」
「うん」
わたしからのプレゼントはあたたかそうな手袋。去年プレゼントしようと思って、結局できなかったから。
由井くんは嬉しそうにそれを自分の手にはめてくれた。
「どう? 沙和ちゃん」
「うん、いい感じ」
「すっげぇ、あったかいよ、これ」
満足そうな由井くんは、手袋をはめた手でさっきのチケットを取り出して、それをひらひらとなびかせてみせた。
「沙和ちゃんとのデート、楽しみにしてる」
信じていいのかな……その言葉。
「わたしも……」
由井くんがわたしに笑いかけ、背中を向けて歩き出す。
どこかで吠える犬の鳴き声。遠くから響く救急車のサイレン。
暗い空の下を歩いて行く由井くんが、ふっと空を見上げて立ち止まった。
「……雪?」
由井くんと一緒に空を見上げる。
イブの夜に舞い落ちる白い雪。
由井くんは夜空に手を伸ばし、雪をつかむように握りしめてから、そっと手のひらを開いた。
「由井くん……」
本当は手袋なんかじゃなくて、わたしが由井くんをあたためてあげたい。
それが――わたしの生まれた意味なんじゃないかって、思うから。
背中を向けたままの由井くんの手が、ゆっくりと左右に動く。わたしもそれに応えるように、夜空に向かって大きく手を振る。
今夜由井くんがつかんだ雪が、どうかあたたかなものでありますように。
心の中で、そう願いながら……。