表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/30

22

「失礼しました」

 職員室のドアを閉めると、わたしは廊下を走り出した。

 朝降っていた雪はもう止んでいたけれど、空はまだどんよりと曇ったままだ。

 音楽室から流れる楽器の音に背中を押されながら、昇降口に向かう。

 ひっそりとした玄関に見えたのは、一年前と同じ由井くんの背中だ。

「遅いよ、沙和ちゃん」

 声をかけたわたしに、由井くんが振り向いて笑いかける。

「来てくれないかと、思っちゃったじゃん?」

「進路のことで……先生に呼ばれてて」

 上がってしまった息を、気づかれないように整える。だけど職員室からここまで、ずっと走ってきたこと、きっと由井くんにはバレてしまっているだろう。

「進路、まだ決まんないの?」

 由井くんの声に、わたしは靴を履き替えながら答える。

「うん……おばあちゃんは進学を勧めてくれてるんだけど……いつまでもおばあちゃんちで、甘えてるわけにはいかないし」

 お母さんがいなくなった今、頼れる人はおばあちゃんしかいないけど、いつまでも頼ってばかりじゃいられないってこと、わたしにだってわかる。

「甘えたっていいんじゃない?」

 そんなわたしに由井くんが言った。

「沙和ちゃんがいたほうが、おばあちゃんだって喜ぶと思うしさ。沙和ちゃん今まですごく頑張ってきたんだから、少しくらい誰かに甘えたっていいと思う」

 顔を上げて由井くんを見た。由井くんはほんの少し笑って歩き出す。わたしはその後を追いかけるようについて行く。

 なんだか――涙が出そうだ。

 色のない空はどこか寂しくて……わたしは決してつながれることのない由井くんの手を、ぼんやり眺めながら歩いた。


「でも……突然おじゃましちゃって、いいのかな?」

 国道沿いの歩道を歩きながら、由井くんにつぶやく。

 風太くんに会いたいのは本当だけど、貴子さんに会うのは、やっぱりなんとなく気まずい。

「いいんだよ。でも本当は風太さ、沙和ちゃんに会いたいっていうより、妹を見せたいんだよ、きっと」

「妹……」

「そう、かなちゃん。すっげぇ、かわいいんだよ、マジで」

 風太くんに奏子ちゃんっていう妹が生まれたことは、由井くんからもらったメッセージで知っていた。だけどこんなに嬉しそうに、由井くんからその話を聞くのは、今日が初めてだ。

「由井くん……」

「うん?」

 空を見ている由井くんの横顔につぶやく。

「大丈夫なの?」

 由井くんの視線がゆっくりとわたしに移る。

「……なにが?」

 そんなことを言われて言葉に詰まる。だってなんて言っていいかなんて、わからなかったから。

 由井くんはいつもみたいに軽く笑って、また空を見上げて言った。

「おれさ、なんか謝られたりしちゃってんの。『こうちゃん、ごめんね。あなたのことは家族としか思えない』なんて、あの人から。悪いのは、おれのほうなのにさ」

 冷え切った空気に由井くんの声が響く。

「それ以外はなんにも変わらない。おじさんのおれに対する態度も、貴子さんの態度も。大人の余裕なんだろうな。ジタバタしてるのは、子どものおれだけってこと」

 いつまでたっても変わらない気持ちも、決して変えることのできない気持ちも……あるんだ。

「由井くんはまだ……貴子さんのこと、好きなの?」

 頬に当たる風が冷たい。わたしの吐く息が白い。

「よく……わかんね」

 空に向かってつぶやいた由井くんの声は、どことなくかすれていた。

「家族だなんて言われちゃったら……好きだとか嫌いだとか、そういうの、なんだかもうわかんなくて……ただ、卒業したら、あの家は出ようと思ってる」

「あの家出て、どこに行くの?」

「さあ……」

「また突然いなくなったりしたら、わたし嫌だよ?」

 わたしの声に由井くんがほんの少し笑う。

「その時は一番に、沙和ちゃんに言うよ」

 わたしたちの脇を車が通り過ぎる。わたしは黙ったまま、由井くんの隣を歩く。

 空からは今にもまた、冷たい雪が落ちてきそうだ。


「洸介?」

 その時、並んで歩くわたしたちに、女の人の声がかかった。

「ああ、やっぱり洸介だ」

 由井くんが声の方向に顔を向けて、わたしもその視線を追う。歩いている人を押しのけるようにして駆け寄ってくるのは、わたしの見たことのない女の人。

 そしてその瞬間、由井くんの動きがぴたりと止まった。

「洸介、あんた大きくなって……当たり前かぁ、あんたと別れたの、小学生の頃だったもんねぇ」

 目の前に立つ人の目元は由井くんにそっくりで……わたしはすぐに気づいてしまった。

 この人、由井くんのお母さんだ。

「何しに……来たんだよ?」

 絞り出すように声を出した由井くんは、お母さんの顔を見ようとはしなかった。

「何しにって……あんたに会いに来たんじゃない。この街にいるって聞いて捜しまわってたら、まさかこんなところでばったり会えるなんてねぇ」

 黒いワンピースに真っ赤なコートを羽織って、派手なメイクをしたお母さんは、由井くんのことなんかお構いなしのように勝手に続ける。

「一目見てすぐにわかったわよ。もう高校生なのよねぇ……お母さん好みの男に成長してくれて嬉しいわ」

「ふざけんなよ」

 由井くんがゆっくりと顔を上げてつぶやく。

「おれに会いに来たとか、なに考えてんだか全然わかんねぇ。今さらお母さんだって? 笑わせんな。自分の子ども人に育てさせておいて、あんたバカじゃねぇの?」

「洸介……」

 振り返った由井くんが、ぐっとわたしの腕をつかむ。

「行こう。沙和ちゃん」

「え……」

 そのまま由井くんにひっぱられるように歩き出す。そんなわたしたちの後を、由井くんのお母さんが追いかけてくる。

「ちょっと待って、洸介。怒んないでよ。お母さんにだって、いろいろ事情があったんだから」

「事情?」

 立ち止まった由井くんが、ほんの少し口元をゆるめる。

「へぇ……息子を捨てるほど大事な事情があったんだ」

「洸介、ちゃんと聞いて」

「聞きたくない」

 お母さんが伸ばした手を振り払うようにして、由井くんが歩き出す。わたしの腕を、強く強く握りしめたまま。

「洸介! ごめんね! お母さんが悪かったわ」

 わたしたちの背中に、お母さんの泣きそうな声が響く。

「もうあんたしか頼る人がいないの! わたしにはあんたしかいないの! だから……」

 その後の声は聞き取れなかった。由井くんは振り返らずに進んで、わたしはそんな由井くんに引かれるままに歩くだけ。

 ふと頬に冷たいものが触れた。空を見上げたら、白い雪がちらちらとまた舞い落ちてきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ