21
「おばあちゃん、行ってくるね」
マフラーを首に巻き、玄関を出る。その途端、冷たい風が吹いて、空からちらりと白いものが落ちてきた。
「あ、雪」
この冬初めての雪。そういえば、わたしが初めてこの家から学校へ行った日も、今日と同じ初雪が降った日だった。
――あれから一年がたつんだ。
「ああ、もう雪? 今年は少し早いねぇ」
玄関先に出てきたおばあちゃんが、寒そうに両腕をさすりながら空を仰ぐ。
「沙和ちゃん、手袋はちゃんと持った?」
「うん。いってきます、おばあちゃん」
「いってらっしゃい、気をつけてね」
一年前と同じようにそう言って、手を振ってくれるおばあちゃん。わたしは笑顔で手を振り返し、ゆっくりと歩き出す。
お母さんが亡くなって数か月。わたしはやっぱりこの街で、おばあちゃんとふたりだけで暮らしている。
「おはよー、沙和」
「おはよう、茜ちゃん」
三年生になって、茜ちゃんとはクラスが離れてしまったけれど、今でも一番仲の良い友達だ。
「まさかの初雪だね」
廊下を並んで歩きながら茜ちゃんが言う。
「去年、初雪が降った日を思い出しちゃった。あの、沙和が転校してきた日のこと」
茜ちゃんがいたずらっぽく笑って、わたしを見る。
「アレ、運命だったと思うんだけどなぁ……」
茜ちゃんが言う「アレ」っていうのが、わたしと由井くんがした「アレ」だってわかるから、わたしは耳まで赤くなる。
「だからさぁ、あんたと由井見てると、なんだかもどかしいんだよねぇ。もう、さっさとくっついちゃえばいいのにって」
「そ、そんなわけにはいかないよ」
「由井に好きな人がいるからって言うんでしょ? でもあたし絶対、あんたたちは両想いだと思うけど?」
そう言った後、茜ちゃんは腕でわたしのことをつついて、「ほら」って言うように廊下の先を見る。
その視線を追いかけると、そこには仲良さそうに話をしている、男の子と女の子の姿があった。
「あの子だよ、美菜の彼氏」
茜ちゃんが小声でささやく。
美菜さんは最近、下級生の男の子と付き合い始めたらしい。廊下の片隅で彼氏と笑い合っている美菜さんは、とても幸せそうに見えた。
「まぁ、人の気持ちは変わることもあるってわけ」
廊下に響くチャイムの音と、茜ちゃんの声が重なる。
「あんなに由井、由井言ってた美菜の気持ちも変わったし、もしかしたら由井の気持ちも変わったかもよ?」
茜ちゃんはそう言って笑って、わたしの顔をのぞきこむ。
「もう一回聞いてみたら? いまの由井の気持ち」
「いまの……由井くんの気持ち?」
「あいつ最近おとなしいよね。前より落ち着いたって言うか……少しは大人になったんじゃない?」
茜ちゃんの声を聞きながら、廊下から見える窓の外を見た。
空を覆った雲から落ちてくる、真っ白な雪。
一年前を思い出し、なぜだか少しだけ胸が痛くなる。
「大丈夫だって! 絶対、運命なんだからさっ!」
茜ちゃんがおどけた声でそう言って、わたしの肩をぽんっと叩く。
そうなのかな……そうだったら、いいなって思うけれど……だけどわたしと由井くんの関係は、もうずっと変わらないまま。
学校ではほとんど話すこともなく、なのに風太くんを交えて、時々三人で会ったりする。
友達よりもちょっと深くて、けれど付き合っているわけでもない。
由井くんはわたしとのこんな関係、どう思っているんだろう。
「じゃあ、またあとで」
茜ちゃんがそう言って、自分の教室へ入っていく。
そんな茜ちゃんに手を振って、わたしも教室に向かおうとしたとき、背中に声をかけられた。
「おはよ、沙和ちゃん」
「由井くんっ」
「元気?」
「う、うん」
思わずうなずいたわたしに軽く笑いかけると、由井くんは何事もなかったように教室へ入ろうとする。
わたしのお母さんのお葬式が終わってから、由井くんはたまにこんなふうに、一言だけ声をかけてくれる。
特にわたしに話しかけるわけでもなく。なにかを聞いてくるわけでもなく。
「あ、沙和ちゃん」
ぼうっと立ち尽くしていたわたしに、由井くんが振り向いた。
「今日、放課後ひま?」
「え、あ、うん」
「だったら、うちに来ない? 風太が沙和ちゃんに会いたいってうるさくて」
考える間もなく、わたしは反射的に答えていた。
「うん、いいよ」
「じゃあ、一緒に帰ろうか。久しぶりに」
どうしよう……なんだかすごくドキドキしてきた。
「放課後、沙和ちゃんのこと、待ってる」
由井くんの声が、周りの生徒たちの明るい笑い声にかき消される。
教室の前に立ったまま、わたしは黙って由井くんの背中を見送った。
――アレ、運命だったと思うんだけどなぁ……。
さっきの茜ちゃんの言葉が頭の中を離れなくて、その日は勉強どころではなかった。