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「さわちゃーん!」

 青い青い夏空の下。待ち合わせ場所で風太くんが手を振っている。

「こんにちは、ふうちゃん! 元気だった?」

「うん!」

 駆け寄ったわたしに笑いかける風太くんは、会うたびに大きくなっているような気がする。

「こいつ元気すぎるんだよ。幼稚園が夏休みに入ってから、うるさくてしょーがねぇの」

 風太くんの隣でそんなことを言うのは由井くんだ。真っ白なTシャツと、久しぶりに見る笑顔がまぶしくて、わたしはそっと視線をそらす。

 約束をしたわけでもないのに、わたしと風太くんと由井くんは、一か月に一度、こんなふうに会うようになっていた。

「今日はどこ行く?」

「どうぶつえん!」

「お前、そればっかだなぁ」

 笑顔の風太くんが手を差し出して、わたしはその手をきゅっと握る。そしてその反対側には、風太くんと手をつないだ由井くん。

 緑の生い茂った並木道を、いつものように三人で歩く。

 高校三年生になったわたしは、相変わらずおばあちゃんと暮らしていて、別のクラスになった由井くんも、やっぱり風太くんたちと一緒に暮らしていた。

 雪に覆われていた街が鮮やかな緑に染まった以外、変わったことはなにもない。

 わたしの気持ちも、たぶん、由井くんの気持ちも……。


「由井くん、ひとつお願いがあるの」

 手すりにもたれて、サル山に夢中になっている風太くんを眺めながらわたしが言う。

「なに? ソフトクリームならこの前おごってやっただろ?」

「そういうんじゃなくて……」

 隣にいる由井くんがわたしを見る。その視線がなんとなく照れくさくて、わたしは空を見上げて言った。

「今度ね、わたしのお母さんに会ってくれないかな?」

「お母さんに?」

「うん。一番初めに仲良くなってくれたお友達として」

 ふっと笑った由井くんが、わたしと同じように空を見る。

「いいよ。おれも沙和ちゃんのお母さんに会いたいし」

 お母さんはまだ入院している。そしてお母さんの病状がよくないことを、由井くんも知っている。

 こんなこと、思いたくはないんだけど……お母さんと面会ができるうちに、どうしても一度由井くんに会って欲しかった。


「さわちゃーん、ぼくのど乾いちゃった!」

「なんか飲もうか。なにがいい? ふうちゃん」

「ぼくソフトクリームがいい!」

「じゃあ、こうちゃんにおごってもらおう」

「はぁ? なんでおれ? てかソフトクリーム飲み物じゃねーし」

「わーい! ぼくチョコレートがいいなー」

「わたしはバニラ。よろしくね、由井くん」

「お前ら、話聞けよ!」

 こうやってたわいのない話をするのが好き。

 この先どうなるのかなんてわからないけど。この先のこと、考えていないわけではないんだけど。

 蝉の大合唱を聞きながら、木陰のベンチに座ってソフトクリームを食べた。

 目の前の池を、真っ白な白鳥が二羽、気持ちよさそうに泳いでいる。

「ねぇ、赤ちゃんが産まれたら、一緒に連れてきてもいい?」

 無邪気な顔で風太くんが言う。もうすぐ風太くんの弟か妹が生まれるんだ。

「そうだね。そうしたら四人で来ようか?」

「ママも連れてきていい? いいでしょ、こうちゃん」

 口の周りをソフトクリームだらけにして、風太くんが由井くんを見上げる。

「お前、ママ好きだなぁ」

「こうちゃんだって、好きでしょ? ママのこと」

 少し頬をゆるませた由井くんが、黙って池の向こうを見る。わたしはさりげなく、そんな由井くんの横顔を見つめる。

 蒸し暑い風がわたしたちの間を吹き抜けて、どうしても埋められないその距離がもどかしかった。


 数日後。由井くんとふたりでエレベーターに乗って、お母さんの病室へ向かった。

 消毒の匂いが漂うこの廊下を、もう何回歩いたことだろう。

「お母さん……」

 窓際のベッドの上で、今日もお母さんは眠っていた。最近のお母さんは、うとうとと眠っていることが多い。

「お母さん」

 ベッドの脇でささやくように呼んだら、お母さんはうっすらと目を開けてわたしを見た。

「ああ、沙和ちゃん、お帰り。お腹すいたでしょう?」

 ベッドに横たわったままのお母さんが、か細い声で言う。

「ごめんね。まだお夕飯できてないの」

 わたしは黙って首を振る。

 夢を見ているのか、記憶が混乱しているのか。お母さんは最近いつもこんな感じだ。

「お母さん。今日はね、お友達を連れてきたの」

 お母さんの耳元でささやいてから顔を上げる。部屋の入口にいた由井くんが、ゆっくりとわたしの隣に立つ。

「同じ学校の由井くんだよ」

「こんにちは」

 由井くんの声にお母さんが目を細めて、静かに微笑んだ。

「お母さん……」

 そんなお母さんを見たら、どうしようもなく切なくなって……。

「あのね、由井くんはね、わたしの一番大切なひとなの」

 言うつもりもなかった言葉を、わたしはお母さんに告げている。

「わたし……由井くんのことが、好きなの」

 お母さんの手がゆっくりと伸びて、わたしの頬をそっとなでる。その手は力がなく弱々しかったけれど、わたしにはお母さんの言いたいことがわかる気がした。

「お母さん……」

 声にならない声でつぶやく。お母さんの痩せた手を握って、ただ涙を流すわたしのことを、由井くんは何も言わないで見守ってくれていた。


「今日はごめんね……へんなこと言っちゃって……」

 由井くんと一緒に病院を出た。空は茜色に染まっている。

「べつに大丈夫だよ。おれは」

 隣に並んだ由井くんの声を聞いていたら、なんだか無性に恥ずかしくなった。

 夏の終わりの空の下を歩く。好きな人と歩いているのに、ひとりでいるよりもずっと寂しい。

「沙和ちゃんさ、前におれに言ったよね」

 国道わきの歩道を歩きながら由井くんが言う。

「自分ひとりで生きてるなんて思わないで、って」

 乾いたと思った涙がまたあふれそうになって、それをわたしはぐっとこらえる。

「沙和ちゃんはひとりじゃないよ。おばあちゃんがいるし、茜も江里もいるし……それにおれだって……」

 由井くんの声がじんわりと胸に沁みこんだ。

 わたしは――ひとりなんかじゃない。

「おれでよければそばにいるよ。だから元気出しなって」

 由井くんがそう言って、わたしの頭をふわふわっとなでる。

 そんなことされたら……わたし、勘違いしちゃうじゃない。

 届かない想いを抱えて歩いた夏の日。

 大好きなお母さんと永遠のお別れをしたのは、それから一週間後のことだった。

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