表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/30

16

 日の暮れかけた空。閉園間近な動物園。賑わっていた街とは対照的に、ここはひっそりと静まりかえっていた。

「沙和ちゃん?」

 黙って由井くんの隣に座る。少し驚いた顔をして、由井くんがわたしを見る。

「梅田くんたちが心配してたよ? 電話してもメッセージ送っても、返事がないって……」

「ああ……ケータイ家に忘れた」

「うそ」

 ふっとかすかに口元をゆるませ、由井くんはわたしから目をそらす。

「ウメはいいヤツだよ。あいつらといると本気で楽しい。だけどさ、時々全部、面倒くさくなる時がある」

 由井くんがそう言って、はぁっと白い息を吐く。わたしはそんな由井くんの横顔を眺めながらつぶやく。

「いつから、ここにいたの?」

「沙和ちゃんこそ、なんでこんなところにいるんだよ? おれら別れたんじゃなかったっけ?」

「わたしは……」

 言いかけて言葉を切る。だってなんて言ったらいいのかわからない。

 ただ……ただ由井くんに会いたかったなんて……そんなこと恥ずかしくて言えないし。

 由井くんの髪に、白いものがふわりと落ちた。

 雪。イブに降る雪。お母さんと歩いたクリスマスの夜を思い出す。

「まだ横浜にいた頃さ、こんなふうに雪が降ったんだよ。イブの夜に」

 はっと顔を上げて由井くんを見る。前を向いたままの由井くんは、きっとわたしと同じ日のことを思い浮かべている。

「うちの母親はさ、その日もおれに五百円くれて……これで好きなもの買って食えって。ひとり息子の、誕生日の夜なのにだぞ?」

 あきれたように笑って、由井くんがやっとわたしを見た。

「行くあてもなく近所歩いてたら、やけによその家の窓があったかそうに見えて……空見上げたら雪降ってくるし……なんかもう、おれが生まれた意味あるのかなぁ、なんて思っちゃって」

 由井くんが顔を上げ、空に向かって手を伸ばす。

「結局その夜、母親は男と一緒に出て行って、父親もどこで何してるかわかんない。サイテーな親だろ? おれがよくここまでまともに育ったかと思うよ、ほんとマジで」

 雪をつかむような由井くんの手を、わたしはぼんやりと見つめる。

「でもたまに、なにもかもがどうでもよくなる。おれがこのままいなくなったって、きっと誰も困らないだろうし」

「そんなことないよ」

 絶対に、そんなことはない。少なくともわたしは……わたしは由井くんのことを、捜し続けると思う。


「由井くん……」

 園内に閉園を伝えるアナウンスが響く。冷たい風と一緒に流れてくるのは、どこか懐かしくて寂しげなメロディー。

 わたしはゆっくりと顔を近づけ、隣に座る由井くんにキスをする。

 その唇は、とてもとても冷たくて……。

「沙和ちゃん……なんで?」

「……わかんない」

「わかんないのに、こんなことしちゃだめだよ」

「由井くんだってしたじゃない。初めて会った日に。わたしのこと、なんにも知らないくせに」

 由井くんが黙ってわたしを見た。

 恥ずかしくて逃げ出したかったけど、わたしも目をそらさずに由井くんのことを見つめた。

「沙和ちゃん……ごめん」

 夕暮れの冷え切った空気に、由井くんの声が響く。

「おれ、好きな人がいるんだ」

「……知ってる」

 そんなこと知ってる。知ってるけど……なんだかすごく胸が痛い。

「わたし……由井くんのこと、好きみたい」

 白い息を吐きながらつぶやく。

「好きみたい……なの」

 どうしてもっと早く、気がつかなかったんだろう……ううん、気づいていたのに気づかないふりをしていたんだ。

 由井くんに好きな人がいるから。自分が傷つくのが怖かったから。

 だから「好き」って気持ちを胸の奥に閉じ込めて、気づかないようにしていた。

「沙和ちゃん」

 由井くんの声が聞こえる。うつむいてしまった顔をゆっくり上げると、いつもみたいに由井くんがわたしに笑いかけた。

「ありがと。すっげぇ、うれしい」

 そしてゆっくりと立ち上がると、わたしに背中を向けてこう言った。

「だけどもう忘れて。おれのことは全部」

 どうして? 由井くんが貴子さんのことを好きだから?

 振り返って少し笑って、そして由井くんはわたしに言う。

「帰ろう。風邪ひくよ」


 白い雪の舞い落ちる中、由井くんの背中を追いかけるように歩く。

 由井くんは何もしゃべらなくて、もちろん手をつなぐこともなくて。

 イルミネーションの街角まで来て、由井くんが立ち止まる。

「じゃあ、ここで……」

「あ、あの……」

 咄嗟にポケットから取り出したのは、さっきもらったふたつのキャンディー。

「こんなので悪いけど……お誕生日おめでとう」

 由井くんはわたしの前で笑って、それを大事そうに受け取る。

「ありがと。沙和ちゃん」

 かすかに指先が触れ合ったあと、由井くんはわたしに背中を向けた。

 わたし……フラれちゃったのかな。フラれちゃったんだよね……。

 イブの街の中にまぎれていく由井くんの後ろ姿。肩に落ちる冷たい雪。わたしの吐く白い息。

 冬休みに由井くんの姿を見たのはこの日が最後で、そして三学期が始まっても、由井くんは学校に来なかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ