15
さっき先輩に会うため、急ぎ足で駆けてきた道を、ゆっくりと歩く。
だけどこのまま、真っすぐ家に帰ることも、お母さんの病院に行くことも、どうしてだかしたくなかった。
気づくとわたしは何度か来たことのある、コンビニの前で立ち止まっていた。
自動ドアの向こうに見えるレジの中を何気なく見つめる。するとそのドアが開いて、ふたりの人影が見えた。
「沙和?」
「茜ちゃん……と、梅田くん」
わたしの前に立つふたりは、照れくさそうに苦笑いしてから、つないでいた手をさりげなく離した。
「何やってんの?」
茜ちゃんに声をかけられて戸惑ってしまう。そんなわたしに梅田くんが言う。
「由井ならいないよ。今日はバイト入ってないってさ」
梅田くんに言われてやっと気がつく。
ここは由井くんがいつもバイトしているお店で、わたしは中をこそこそとのぞきこんでいたりして……わたし、由井くんを探していたんだ。
「あいつ、どこ行ってんだか。朝から電話にも出ねぇし、メッセージ送っても既読にもならねぇし」
梅田くんはコンビニの袋の中からペットボトルを取り出して、ため息をつきながらふたを開ける。
「由井ってさ、たまにわけわかんなくなる時あるんだよ。いつも一緒にいるおれたちにも、なんて言うかさ……一線引いちゃってるっていうか」
ペットボトルに口をつける梅田くんを横目に、茜ちゃんも口を開く。
「あたしはもしかしたら、沙和と会ってるんじゃないかって思ってたんだけど」
わたしは黙って首をふる。由井くんとはあの日以来、しゃべるどころか視線さえ合っていない。
「そっか。じゃあどこ行っちゃったんだろうね。こんな日に」
店の前に立つわたしたちの脇を、手をつないだ親子連れが歩いて行く。
お父さんとお母さんと、ちょうど風太くんくらいの歳の男の子。ショッピングセンターの袋と、大きなケーキの箱を持って、幸せそうに笑っている。
きっと今ごろ風太くんたち家族も、こんなふうに笑っていて……。
――あの家で、幸せそうな三人見てるの……けっこう……つらい。
あの日聞いた由井くんの言葉が頭に浮かぶ。
「ま、べつにいいけどさ。どうせあいつ暇してると思って、カラオケでも誘ってやろうと思ったのによ。結局こいつとふたりで行っちまったし」
「ちょっと、なによぉ。あたしとふたりじゃ不満だっていうの?」
言い合いになりそうな、茜ちゃんと梅田くんの間に入って笑顔を作る。
「ご、ごめんね。なんかわたし、ふたりの邪魔しちゃったみたいで」
「そんなことないよー。だってこいつ、あたしへのクリスマスプレゼント、コンビニで済ませようとするんだよー」
「なんだよ、もらえるだけ感謝しろや」
「ひどっ。もうあたし、あんたにプレゼントあげないからっ」
そんなことを言いながらも、茜ちゃんがすごく嬉しそうに、梅田くんへのプレゼントを選んでいたのをわたしは知ってる。
「と、とにかく、仲良くしてね。わたしは帰るから」
「あ、ちょっと待って、沙和ー」
茜ちゃんの声に手を振って、わたしはふたりの前を去る。
午後の街は賑わっていて、聞こえてくるのは数年前にヒットしたクリスマスソングと、人々の笑い声。
「メリークリスマス!」
突然声をかけられて立ち止まる。
ケーキ屋さんの前でサンタクロースの格好をした人が、にこやかな笑顔でなにかを差し出してきた。
手のひらに受け取ったそれは、ケーキ屋さんのチラシと、小さな袋に入ったふたつのキャンディー。
「よかったら、あとでケーキ買いに来てね」
人の良さそうなサンタクロースが、わたしに向かってそんなことを言う。わたしは手のひらでキャンディーを包み込んでから、そっと空を見上げた。
どんよりと曇った空からは、今にもまた雪が降り出しそうだ。
由井くん、どうしているのかな……。
あのあたたかな手を振り切ったのは、わたしのほうなのに。さっき先輩に会って、懐かしい手をつないで、だけどその時気がついた。
もう一度、由井くんと一緒に歩きたい。由井くんと手をつなぎたい。
もしもその願いが叶うなら、わたしの冷たい手をあたためてもらうだけじゃなく、今度はわたしがその手をあたためてあげたい。
立ち止まるわたしの脇を、女の子を肩車したお父さんが追い越していく。女の子の明るい笑い声が耳に響いて……。
――でもそれって、いい思い出なんだろ? お父さんとの。
ふと、動物園で聞いた由井くんの声を思い出す。
そしてわたしの足は自然と、あの日由井くんと風太くんと三人で行った、動物園に向かっていた。
閉園時間が近くなった動物園は、この前来た時よりも、もっと真っ白に染まっていた。
こんな寒い日に来るお客さんはまばらで、しかもすれ違う人はみんな、帰り道へと向かっている。
だけどわたしの足は、不思議と止まろうとしなかった。
こんなところに由井くんがいるなんて確証もないけれど……でもどうしてだか、ここに来れば由井くんに会えるような気がしていた。
はしゃぎながら駆けていた、風太くんの背中を思い出しながら動物園の中を歩く。
やがてひと気のないベンチに、見覚えのある背中を見つけて、わたしは足を止めた。
やっと――会えた。
今日一番会いたかった人に、わたしはやっと、会えた。