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「実は今、沙和のいる街まで来てるんだ」

 麻野先輩からそんな電話を受けたのは、学校が冬休みに入ったクリスマスイブの日だった。

「え……ほんとに?」

「ごめん。先に連絡したら、断られるんじゃないかって思って……来ちゃった」

 ――沙和に……会いに行ってもいいかな?

 この前の電話で先輩にそう言われた時、わたしははっきり返事をすることができなかった。

 「会いたい」「好きなんだ」なんて言われて、嬉しいはずなのに。

 「別れよう」って言われた時、あんなに泣いたのに。

「少しでもいいから……会えないかな?」

「う、うん……もちろん」

「よかった」

 先輩の安心したような声が聞こえて、いつも見ていた優しい笑顔を思い浮かべる。

 先輩がわたしに会いに来てくれた。

 こんな遠い街まで、わたしに会うためだけに来てくれた。

 窓の外に積もった雪を眺めながら、先輩と付き合い始めた頃のように、胸がドキドキと高鳴っているのがわかった。


 クリスマスカラーに彩られた街を、何度か転びそうになりながら、急ぎ足で駅へ向かう。

 雪道の歩き方は、やっぱりまだ慣れない。

 駅に着くと麻野先輩が、少し照れくさそうな顔つきで、わたしに向かって手を上げた。

「久しぶり、だな」

「うん」

「突然、ごめんな?」

 先輩の前で首を横に振る。そんなわたしを見て、先輩は息を吐くように静かに微笑む。

 先輩はなにも変わっていなかった。やさしい表情も。おだやかな声も。

「よかった。沙和に断られたら、どうしようかと思った」

「そんな……でも、驚いた」

「どうしても沙和に会いたくなって……」

 そこまで言って、先輩が照れたように顔をそむけるから、わたしまで恥ずかしくなる。

「どこかお店でも入る?」

「いや、沙和の住んでる街、案内してよ。一緒に歩きたい」

 横浜にいた頃、先輩とはよく並んで歩いた。

 映画を観たり、遊園地で遊んだりするよりも、ただぶらぶらと公園や街を歩いたりすることが多かった。

「雪、ほんとに積もってるんだな」

 改札から白い街を眺めて、先輩がつぶやく。

 わたしはその声を聞きながら、ふたりで歩いた横浜の街を思い出す。

 先輩とよく出かけた、港の見える公園。手をつないでのぼった坂道の途中、振り向いた時に見える夕陽がすごくきれいで……わたしたちのお気に入りの場所だった。

 それなのに……そこへ戻りたいとは、どうしてだか思えない。


 雪の積もった街を先輩と歩いた。

「そういえば今日はイブだったな」

 街はクリスマスのデコレーションがされていて、周りを歩くカップルも家族連れも、なんとなく幸せそうに見える。

 イブか……。店先に並べられたケーキの箱を横目に、わたしは由井くんのことを思い浮かべていた。

「沙和」

 ぼんやりとしていたわたしに、先輩が声をかける。

「手、つないでもいい?」

「え」

 突然言われて戸惑ってしまった。数か月前まで先輩と歩く時は、どちらともなく自然と手をつないでいたのに。

「やっぱ、無理かな?」

「そんなことない」

 わたしの声に先輩が小さく微笑む。そして静かに手を伸ばすと、壊れ物を包むように、そっとわたしの手を握った。

 あの頃と変わらない懐かしい感触。だけど感じるこの違和感はなんなんだろう。

「沙和。『別れよう』なんて言ってごめん。おれがこうやって、会いに来ればいいだけのことだったのに……」

 先輩がそう言って、ぎゅっと握った手に力をこめる。

「もう一度、元に戻れないかな? おれたち」

 このままこうやって、先輩と一緒に歩けたら……。

 ――別に嫌いで別れたわけじゃないんだしさ。

 ほんの少しの距離さえ乗り越えられれば、わたしたちはまたやり直せる。

「沙和」

 耳元で聞こえる先輩のやわらかい声。

 ああ……そうか。

 隣に並んだ背の高さも、歩く時の歩幅も、わたしに話しかけてくれる声のトーンも、先輩はなんにも変っていないはずなのに……変わってしまったのはわたしのほうなんだ。


「ごめんなさい……先輩」

 つながれた右手を、わたしから離した。

 さっきから感じていた違和感。この街に来てからずっと、わたしの隣にいたのは由井くんだった。だからわたしは……。

「ごめんなさい。わたしはもう、元へは戻れない」

「沙和……」

 先輩の前で頭を下げた。

 街に流れる明るい音楽。人々の笑い声。走り去る車の音。そんな雑音の中に、先輩のため息混じりの声が聞こえる。

「変わっちゃったんだな……お前」

 顔を上げたわたしの前で、先輩があきらめたように笑って言った。

「おれはずっとお前のこと忘れられなかったのに……こんな短期間で気持ち変われるんだ、女って」

「そんな……」

「もういい。『別れよう』って言ったの、おれのほうだし。こんな所までのこのこ来たおれがバカだったよ」

「待って……先輩……」

 引き止めようとした手を、強い力で振り払われた。先輩はわたしに背中を向けたまま、ひとり言のようにつぶやく。

「ずっと……こうなるんじゃないかって、不安だった。一佳に沙和の様子を、さりげなく聞いてみたり、何度も電話をしようと思いながら、怖くてできなかったり……」

「先輩……」

 ゆっくりと振り返った先輩がわたしを見る。

「あの時、沙和のこと、離すんじゃなかった」

 振り払われた手よりも、胸が痛い……ううん、わたしよりもずっと、先輩のほうが傷ついている。

 あの日、離してしまった手。その手は二度と、つながることはない。

「ごめん。もう会いに来たりしないから」

 先輩がそう言って寂しそうに笑う。誰よりも爽やかな笑顔が似合うこの人に、こんな顔をさせてしまったのはわたしだ。

「先輩……わたし先輩のこと……」

 その声を遮るように、先輩がわたしの頭にぽんっと手を置いた。

「好きだったよ、おれ、沙和のこと……本当に」

 わたしも。わたしも、先輩のこと、本当に好きでした。

「じゃあ」

 ふわふわとわたしの頭をなでた後、先輩が少し微笑んで背中を向けた。わたしはその背中を見送りながら、ぎゅっと唇を噛みしめる。

 泣いたらだめだ。あの人を傷つけたのは、わたしのほうなんだから。

 だけどこらえようとすればするほど、熱いものがこみあげてきて……コートの袖で目頭をぬぐって、先輩の姿が見えなくなるまで、わたしはその場に立ち尽くしていた。

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