13
昼休みの教室は、今日もあたたかくて賑やかだった。
窓側の席に座るわたしは、お弁当を広げながら、さりげなくその姿を目で追っていた。
男の子たちと悪ふざけをしている由井くん。おかしそうに笑っているその笑顔は、いつもとなにも変わっていなくて……。
由井くんがなにを考えているのか、わたしにはわからない。
「プレゼントはもう買った?」
茜ちゃんの声が耳に聞こえて、わたしははっと我に返る。
「由井に。誕生日兼クリスマスプレゼント」
わたしは黙って首を振る。
「いいなぁ、茜も沙和も、彼氏がいてさぁ」
「江里だって買ったでしょ? 橘くんに、クリスマスプレゼント」
「え、橘くんに?」
わたしが口をはさんだら、茜ちゃんが耳打ちするように言ってきた。
「イブにコクるんだってさ、橘くんに」
「キャー、もうやめてよ。恥ずかしいから!」
目の前で江里ちゃんが、頬を赤く染めている。
「江里ちゃんは……好きなんだ、橘くんのこと」
「あーもう、沙和までやめてー。そんなふうにあらためて言われると照れるわ」
江里ちゃんが両手でぱたぱたと、自分の顔をあおぐようなしぐさをしてから、わたしに言う。
「そういえばさ、今日は一度も来てなくない?」
「え、なにが?」
「由井」
胸がちくりと痛む。
「そうだねぇ、あいつ毎日、沙和にまとわりついてくるくせにねぇ」
「ケンカでもした?」
どうしよう、言わなきゃ。わたしと由井くんはもう……。
「なんかお前らさぁ、おれの悪口言ってね?」
突然声が聞こえて驚いた。いつの間にかわたしの隣に、由井くんが立っている。
「わ、やっぱり来たよ、こいつ」
「あんたあたしらの話、聞いてたでしょー?」
茜ちゃんと江里ちゃんが騒ぎ出す。わたしはうつむいたまま顔を上げられない。
「あ、言っとくけどおれたち、もう別れたから」
「は?」
「おれがふったの、沙和ちゃんのこと。な? 沙和ちゃん」
驚いて顔を上げ、由井くんを見る。由井くんはそんなわたしに、いつものように笑いかける。
「はぁ? なに言ってんの、由井。あんたあんなに、沙和ちゃん沙和ちゃんって付きまとってたくせに」
「先に付き合おうって言ったの、あんたのほうでしょ?」
「そうだけど。でもおれ、一途にひとりの女の子を愛するのとかって、やっぱ無理」
「うわ、サイテーだわ、こいつ」
「沙和ー、こんなあきっぽい男とは、さっさと別れて正解」
茜ちゃんたちの前で、ふざけたように笑っている由井くん。
嘘ばっかり。なんでそんな嘘つくの? 誰よりも一途なのは、由井くんでしょう?
「……うそつき」
深い息と一緒に吐き出した言葉。
由井くんは何も言わないで、ふっと冷めた表情で笑う。
そしてその日から、この狭い教室の中で、由井くんと目が合うことはなくなった。
「ただいま……」
ふうっと息をつき、買い物袋をぶら下げたまま台所へ向かう。
今日は学校帰りに、夕飯の買い物をしてくる約束をおばあちゃんとしていた。
「おばあちゃん、買い物してきた……」
台所に入りかけ足を止める。おばあちゃんは薄暗い台所で電気もつけずに、ぼんやりと椅子に腰かけていた。
「おばあちゃん?」
「ああ、沙和ちゃん。お帰り」
すぐ笑顔になるおばあちゃん。だけどその笑顔はどことなくぎこちない。わたしの胸の奥がざわざわと騒ぎ出す。
「もうこんな時間なんだねぇ。お夕飯の支度しなくちゃね」
おばあちゃんは立ち上がり、テーブルの上の風呂敷を抱えて洗濯機へ向かう。
あれはお母さんの洗濯物。
「おばあちゃん、今日病院行って来たの?」
洗濯物を風呂敷から取り出して、それを洗濯機へ入れているおばあちゃん。
「行ってきたよ。先生に呼ばれてね」
「先生に? なんて?」
背中を向けたおばあちゃんの動きが止まる。
「……クリスマスに家に帰るのは、やっぱり無理だねぇ」
わたしは小さく息を吐く。
「だけどね、年末年始は一時帰宅してもいいって。よかったね、沙和ちゃん」
おばあちゃんはわたしに振り返ってそう言ったけれど、全然うれしそうじゃない。
「おばあちゃん……お母さん、よくないの?」
ため息をついたおばあちゃんが、洗濯機のスイッチを押す。
「最後のお正月くらいは、家族一緒に過ごしてあげてくださいって……先生が……」
静かな部屋の中に、洗濯機の回り出す音が響く。
最後のお正月――その言葉がなにを意味するか、わからないはずはない。
横浜で働きながら、たったひとりでわたしを育ててくれたお母さん。自分の体のことなんて、いつも後回しにして。
だから体調が悪くなって病院に行った時、病気はもう、手遅れなほど進行していた。
すぐに入院を勧められたけど、お母さんはひとりぼっちになってしまうわたしのことを心配して。悩んだ末、お母さんの実家があるこの街の、一番大きな病院へ入院することを決めたのだ。
「おばあちゃん、ごめん。お醤油買ってくるの忘れちゃった」
涙が出そうになるのを隠すため、わたしはおばあちゃんに背中を向ける。
「ちょっと買ってくる」
おばあちゃんが引き止めるように、わたしの名前を呼んでくれたけど、わたしはそのまま靴を履いて外へ出た。
雪の積もった街は、音を吸い込んで静まり返っていた。まるで知らない世界へ、たったひとりで迷い込んでしまったように。
「……お母さん」
耐え切れなくなって、白い息と一緒に言葉を吐き出す。
「お母さん」
いやだ。いやだ。お母さんがいなくなってしまうなんて……。
こらえようと思えば思うほど、涙があふれて止まらない。
「わたしを……ひとりにしないでよ……」
悲しくて、寂しくて、苦しくて、つらくて……。
頭の上から足の先まで、凍えるほど寒いのに、頬を流れる涙だけが熱い。
ふと肌に触れた冷たい感触に顔を上げる。
空から落ちてくるのは白い雪。
「誰か……たすけて」
甘えていると言われてもいい。たったひとりで乗り越えられるほど、わたしは強くない。
寒さに震えながら、そっと右手を開いてみる。
手のひらにのった雪はすぐにとけて、冷たい水滴だけがただ残った。