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 昼休みの教室は、今日もあたたかくて賑やかだった。

 窓側の席に座るわたしは、お弁当を広げながら、さりげなくその姿を目で追っていた。

 男の子たちと悪ふざけをしている由井くん。おかしそうに笑っているその笑顔は、いつもとなにも変わっていなくて……。

 由井くんがなにを考えているのか、わたしにはわからない。


「プレゼントはもう買った?」

 茜ちゃんの声が耳に聞こえて、わたしははっと我に返る。

「由井に。誕生日兼クリスマスプレゼント」

 わたしは黙って首を振る。

「いいなぁ、茜も沙和も、彼氏がいてさぁ」

「江里だって買ったでしょ? 橘くんに、クリスマスプレゼント」

「え、橘くんに?」

 わたしが口をはさんだら、茜ちゃんが耳打ちするように言ってきた。

「イブにコクるんだってさ、橘くんに」

「キャー、もうやめてよ。恥ずかしいから!」

 目の前で江里ちゃんが、頬を赤く染めている。

「江里ちゃんは……好きなんだ、橘くんのこと」

「あーもう、沙和までやめてー。そんなふうにあらためて言われると照れるわ」

 江里ちゃんが両手でぱたぱたと、自分の顔をあおぐようなしぐさをしてから、わたしに言う。

「そういえばさ、今日は一度も来てなくない?」

「え、なにが?」

「由井」

 胸がちくりと痛む。

「そうだねぇ、あいつ毎日、沙和にまとわりついてくるくせにねぇ」

「ケンカでもした?」

 どうしよう、言わなきゃ。わたしと由井くんはもう……。

「なんかお前らさぁ、おれの悪口言ってね?」

 突然声が聞こえて驚いた。いつの間にかわたしの隣に、由井くんが立っている。

「わ、やっぱり来たよ、こいつ」

「あんたあたしらの話、聞いてたでしょー?」

 茜ちゃんと江里ちゃんが騒ぎ出す。わたしはうつむいたまま顔を上げられない。

「あ、言っとくけどおれたち、もう別れたから」

「は?」

「おれがふったの、沙和ちゃんのこと。な? 沙和ちゃん」

 驚いて顔を上げ、由井くんを見る。由井くんはそんなわたしに、いつものように笑いかける。

「はぁ? なに言ってんの、由井。あんたあんなに、沙和ちゃん沙和ちゃんって付きまとってたくせに」

「先に付き合おうって言ったの、あんたのほうでしょ?」

「そうだけど。でもおれ、一途にひとりの女の子を愛するのとかって、やっぱ無理」

「うわ、サイテーだわ、こいつ」

「沙和ー、こんなあきっぽい男とは、さっさと別れて正解」

 茜ちゃんたちの前で、ふざけたように笑っている由井くん。

 嘘ばっかり。なんでそんな嘘つくの? 誰よりも一途なのは、由井くんでしょう?

「……うそつき」

 深い息と一緒に吐き出した言葉。

 由井くんは何も言わないで、ふっと冷めた表情で笑う。

 そしてその日から、この狭い教室の中で、由井くんと目が合うことはなくなった。


「ただいま……」

 ふうっと息をつき、買い物袋をぶら下げたまま台所へ向かう。

 今日は学校帰りに、夕飯の買い物をしてくる約束をおばあちゃんとしていた。

「おばあちゃん、買い物してきた……」

 台所に入りかけ足を止める。おばあちゃんは薄暗い台所で電気もつけずに、ぼんやりと椅子に腰かけていた。

「おばあちゃん?」

「ああ、沙和ちゃん。お帰り」

 すぐ笑顔になるおばあちゃん。だけどその笑顔はどことなくぎこちない。わたしの胸の奥がざわざわと騒ぎ出す。

「もうこんな時間なんだねぇ。お夕飯の支度しなくちゃね」

 おばあちゃんは立ち上がり、テーブルの上の風呂敷を抱えて洗濯機へ向かう。

 あれはお母さんの洗濯物。

「おばあちゃん、今日病院行って来たの?」

 洗濯物を風呂敷から取り出して、それを洗濯機へ入れているおばあちゃん。

「行ってきたよ。先生に呼ばれてね」

「先生に? なんて?」

 背中を向けたおばあちゃんの動きが止まる。

「……クリスマスに家に帰るのは、やっぱり無理だねぇ」

 わたしは小さく息を吐く。

「だけどね、年末年始は一時帰宅してもいいって。よかったね、沙和ちゃん」

 おばあちゃんはわたしに振り返ってそう言ったけれど、全然うれしそうじゃない。

「おばあちゃん……お母さん、よくないの?」

 ため息をついたおばあちゃんが、洗濯機のスイッチを押す。

「最後のお正月くらいは、家族一緒に過ごしてあげてくださいって……先生が……」

 静かな部屋の中に、洗濯機の回り出す音が響く。

 最後のお正月――その言葉がなにを意味するか、わからないはずはない。

 横浜で働きながら、たったひとりでわたしを育ててくれたお母さん。自分の体のことなんて、いつも後回しにして。

 だから体調が悪くなって病院に行った時、病気はもう、手遅れなほど進行していた。

 すぐに入院を勧められたけど、お母さんはひとりぼっちになってしまうわたしのことを心配して。悩んだ末、お母さんの実家があるこの街の、一番大きな病院へ入院することを決めたのだ。

「おばあちゃん、ごめん。お醤油買ってくるの忘れちゃった」

 涙が出そうになるのを隠すため、わたしはおばあちゃんに背中を向ける。

「ちょっと買ってくる」

 おばあちゃんが引き止めるように、わたしの名前を呼んでくれたけど、わたしはそのまま靴を履いて外へ出た。


 雪の積もった街は、音を吸い込んで静まり返っていた。まるで知らない世界へ、たったひとりで迷い込んでしまったように。

「……お母さん」

 耐え切れなくなって、白い息と一緒に言葉を吐き出す。

「お母さん」

 いやだ。いやだ。お母さんがいなくなってしまうなんて……。

 こらえようと思えば思うほど、涙があふれて止まらない。

「わたしを……ひとりにしないでよ……」

 悲しくて、寂しくて、苦しくて、つらくて……。

 頭の上から足の先まで、凍えるほど寒いのに、頬を流れる涙だけが熱い。

 ふと肌に触れた冷たい感触に顔を上げる。

 空から落ちてくるのは白い雪。

「誰か……たすけて」

 甘えていると言われてもいい。たったひとりで乗り越えられるほど、わたしは強くない。

 寒さに震えながら、そっと右手を開いてみる。

 手のひらにのった雪はすぐにとけて、冷たい水滴だけがただ残った。

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