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 あれはたしか、まだわたしが小学生の頃。クリスマスイブの夜に、横浜にも雪が降った。

 ホワイトクリスマス、なんて、この街では珍しくはないだろうけど、横浜ではめったにないことだったから、今でもなんとなく覚えている。

 わたしはお母さんと手をつないで街を歩いていて、イチゴの載ったケーキを買ってもらった。

 いつもより華やかな街。家の窓からもれる灯りはどこもあたたかそうで、街灯に照らされた雪はすごく綺麗で……わたしはお母さんの手をぎゅっとにぎって歩いた。

 お父さんはいなかったけれど、わたしはいつだって幸せだった。


「沙和……」

 ふわりとわたしの頭に触れた手のひら。ゆっくり顔を上げると、お母さんが優しい表情でわたしを見ていた。

「あ、やだ……わたし寝てた?」

「ええ。もう、ぐっすりとね」

 眠っていたお母さんの布団に顔を伏せて、わたしもいつの間にか眠ってしまったらしい。

「外、まだ雪が降ってるのねぇ……」

 お母さんが薄暗くなってきた窓の外を眺めながらつぶやいた。

「ねぇ、お母さん、覚えてる?」

「ん?」

「クリスマスの夜に、雪が降ったことあったよね」

「ああ……沙和が五年生くらいの頃ね」

 やっぱりお母さんも覚えていたんだ。

「クリスマスケーキを買おうとしたけど、売り切れちゃってたのよね」

「え、そうだっけ? でもイチゴのケーキ買ったよね?」

「あれはお誕生日用のケーキ。ケーキ屋さんにひとつだけ売れ残ってたの。ハッピーバースデーのプレートが飾ってあったでしょう? 味は変わらないんだけどね」

 そう言ってお母さんが懐かしそうにくすくすと笑う。

 お誕生日のケーキ……ふとなぜか、ひとりで雪に向かって手を伸ばした、由井くんの後ろ姿を思い出した。

 由井くんは小さい頃、ちゃんとお誕生日を祝ってもらえたんだろうか。


「クリスマスには……家に帰りたいな」

 ぽつりとつぶやくお母さんの声。

「わたし、クリスマスケーキ作るよ」

「いいわね。食べたいわぁ、沙和の作ったケーキ」

「外泊許可もらえないか、先生に聞いてみようよ、ね?」

 そう言いながら、わたしにはわかっていた。

 会うたびに痩せていくお母さんの病状が、あまりよくないってこと。

 もしかしたら、もう二度と、家には帰って来られないんじゃないかってこと。

「じゃあ……また来るね」

「気をつけて帰るのよ。もう暗いから」

「うん」

 ベッドの中のお母さんに手を振って、病室を後にする。

 静まり返った廊下。消毒の匂い。ひとりで乗るエレベーター。

 こんな時、誰かにそばにいて欲しいと思ってしまうわたしは、きっとまだ甘えている。


「さわちゃん!」

 病院を出て少し歩くと、背中に幼い声が聞こえた。じんわりとにじみ出た涙を、あわてて手の甲で拭う。

 振り返ると、今一番会いたくない人たちに会ってしまった。

 風太くんと――貴子さん。

 そんなに広くない街だもの。大通りで偶然ばったりなんてこと、何度あってもおかしくはないけど……だけど今は、この狭い街を恨んだ。

「こんばんは。今日はひとりなの?」

 買い物帰りらしい貴子さんが、風太くんの手を引きながらわたしに言う。

「はい……」

 どうしてだか無性に後ろめたい気持ちになって、思わず貴子さんから視線をそらす。

 ――仲良くして……あげてくださいね?

 あの日の貴子さんとの約束。わたしはもう、守れそうにない。

「あ、あの、この前は手袋……ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。いつも風太と遊んでくれて、どうもありがとう」

 そう言ってから貴子さんは、にっこり微笑んで付け加える。

「でもあの手袋ね。こうちゃんが選んだのよ」

「え……」

「沙和ちゃんの手は、いつも冷たいからって」

 心臓が小さく音を立てる。

 あの日。由井くんが嘘をついて貴子さんに会った日。由井くんはわたしの手袋を選んでくれた。


 胸にこみ上げてきた想いを打ち消すように、わたしはバッグの中に手をつっこむと、さっき由井くんに渡しそびれた小さな袋を貴子さんに差し出す。

「これ……プレゼントのお礼です。わたしの作ったクッキーなんですけど」

「まぁ……いいの?」

 こくんとうなずいてから、少し強引に貴子さんにそれを押し付け、隣にいる風太くんの手にも同じものを握らせる。

「そ、それでは、これで……」

 逃げるように背中を向けたわたしに、風太くんが無邪気な声で言った。

「さわちゃん! これ、こうちゃんにもあげた?」

 ゆっくりと振り返って風太くんを見る。風太くんはにこにこした顔で、わたしのことを見上げている。

「ううん。あげてない」

「じゃあぼくの半分あげるね。こうちゃん絶対、よろこぶよー」

 わたしは風太くんの前にしゃがみこみ、そっとその頭をなでる。

「風太くんは……こうちゃんのことが、好きなんだね?」

「うん! だいすきだよ!」

 だいすきだよ――。

 こんなに素直に、自分の気持ちを口に出せる小さな子が、うらやましい。

「さわちゃんは?」

 わたしの心の奥をのぞきこむかのように、風太くんが首をかしげる。

「さわちゃんも、こうちゃんのこと、すき?」

 風太くんの声を聞きながら考える。

 わたしは……わたしは、誰が好きなんだろう。

「わかんないの……ごめんね」

 もう一度、やわらかな髪をなでてから、わたしはすっと立ち上がった。

「じゃあね、風太くん」

「うん! またね、さわちゃん!」

 またね……その言葉に胸がちくりと痛む。

 顔を上げたら、穏やかな表情でわたしたちを見ている貴子さんと目が合って、わたしは頭を下げ、足早にその場を立ち去った。

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