11
放課後、職員室の前で由井くんを待つ。
転校してきてから今まで、わたしは待ってもらってばかりだった。由井くんに待ってもらうばかりで、自分から何かすることはなかった気がする。
カラリと職員室のドアが開いた。中から出てきた由井くんがわたしを見て、少し驚いた顔をしている。
「……梅田くんから、由井くんは職員室にいるって聞いたから」
「あー、うん。林センセーに呼び出されて説教。遅刻が多すぎるって」
そう言って由井くんは、いつもみたいに笑顔を見せる。わたしはそんな由井くんから、そっと視線をはずす。
「由井くんに……話したいことがあるの」
「なに?」
「うん……」
廊下の向こうで生徒たちの笑い声が聞こえた。やがてそれが通り過ぎると、あたりはまた静まり返る。
「わたしたち……なにか間違えてないかな?」
由井くんが黙ってわたしを見ている。
「わたしたち……大事なこと、間違えてないかな?」
だってそうでしょう? 由井くん。
わたしたちはキスもしたし、手もつないだけれど……肝心な「気持ち」は、ここになかった。
「好き」って気持ちが、わたしたちの間にはなかった。
「わたしね、引っ越したばかりで友達もいなくて、とても不安で……そんな時、由井くんに声をかけてもらってすごく嬉しかった。嬉しかったんだけど……」
自分の声がかすれる。心臓がドキドキ音を立てて、指先がふるえる。だけど言わなきゃ。言わなきゃわたしたちは変われない。
「わたしはきっと……由井くんじゃなくてもよかった」
思い切って顔を上げて、由井くんのことを見上げる。
「誰かに……そばにいて欲しかっただけなの」
遠くでまた生徒たちの声がした。けれどこの廊下だけは、別世界に迷い込んでしまったように静かだ。
「それでもいいじゃん」
耳に聞こえる由井くんの声。
「沙和ちゃん嬉しかったんだろ? おれだって嬉しかったし。だからそれでいいじゃん」
由井くんが、いつもみたいに少し笑ってわたしを見る。
「……だめだよ」
「なんで?」
「だって……」
白い息と一緒に言葉を吐いた。
「由井くんには好きな人がいるんでしょ? その人と付き合えないから……だからわたしと付き合ったんでしょ?」
由井くんだってわたしと同じ。
「誰かにそばにいて欲しいだけで……それだけで付き合ってるわたしたちって、おかしいよ」
わたしの前に立つ、由井くんの肩の向こうに窓が見える。
降り続ける雪は、あたりを美しく染めてくれるけど、それは冬の間だけの幻想の世界。現実の景色を、白く覆って隠しているだけ。
好きになったつもりでいた、わたしたちの関係と似ているのかも。
「……そうだよな」
しばらくの沈黙のあと、かすれるような声で由井くんがつぶやいた。
「沙和ちゃんは元彼のところに戻ったほうがいいよ。おれみたいなやつと付き合ってないでさ」
「そ、そんなこと言ってない」
「おれも沙和ちゃんじゃなくてもよかった。たまたま転校生が沙和ちゃんだっただけで。他のやつだったら、そいつとキスして付き合ってた」
胸がぎゅっと痛くなる。そしてわたしの手をにぎってくれた、由井くんのあたたかな手を思い出した。
あの手も、あの言葉も、あの笑顔も……全部、わたしのために向けられたものではなかったんだ。
うつむいたわたしの前で由井くんが言う。
「だけど……沙和ちゃんとだったら、うまくいくと思ったのは本当」
その声に、ゆっくりと視線を上げる。
「沙和ちゃんとだったら、いろんなこと忘れて……うまくいくんじゃないかって思った」
いつもみたいに、少しいたずらっぽく笑う由井くんの顔を見たら、どうしてもそれを言わずにはいられなくなった。
「由井くんの好きな人って……貴子さんなの?」
由井くんが貴子さんのことを、愛しそうに見ている目を、わたしは知っている。
「貴子さんのこと、好きなの?」
わたしからすっと目をそらして、由井くんは窓の外を見た。
冷えた廊下に、由井くんの吐く白い息が浮かぶ。
「バカだよなぁ……おれ」
やがてため息をつくように、由井くんが笑った。
「おれさ、人からやさしくされることに慣れてなかったから……だからあの人にやさしくされて、なんか勘違いしてた」
バタバタと生徒たちの足音が聞こえてきた。明るい笑い声が近づいてくる。
「そういう意味じゃないのに……あの人がやさしくしてくれるのは、おれがかわいそうな親戚の子だからってだけなのに」
立ち尽くしたままのわたしに向かって、由井くんはひとり言みたいにつぶやいた。
「だけどあの家で、幸せそうな三人見てるの……けっこう……つらい」
冷え切った体は冷たいのに、喉の奥がものすごく熱くて……背中を向けた由井くんに、わたしは何も言ってあげることができなかった。