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 次の日は朝から良い天気だった。土曜日の今日は、午前中からお母さんの面会に行ける。結局昨日は病院に行けなかったから、今日はできるだけお母さんと一緒にいたい。

「沙和ちゃん、お母さんによろしくね」

「うん」

 足の悪いおばあちゃんは、雪が積もってからあまり外へは出られない。

 だからお母さんの洗濯物を取りに行ったり、買い物をしたりするのはわたしの役目だった。

「じゃあ、いってくるね」

「いってらっしゃい。気をつけて」

 おばあちゃんに見送られて外へ出る。吹き付ける風は冷たくて、白い雪が眩しい。

 玄関を閉め、小さな庭を抜けて門を開くと、わたしはその場に立ち止まった。

「由井くん?」

 お向かいの家の塀に寄りかかるようにして、寒そうに立っているのは由井くんだった。


「何してるのっ」

 思わず叫んで駆け寄ってしまう。

「沙和ちゃんを待ってた」

「なんでうちに来ないのよ?」

「だって沙和ちゃん怒ってるだろ? おばあちゃんの前で追い返されたら、おれ、カッコ悪いじゃん」

 そう言ってかすかに笑う由井くんの手にそっと触れる。

 手袋をしていないその手は、思った通りひんやりと冷たくて、わたしは自分の手を由井くんの背中に回した。

「……怒ってるんじゃないの?」

 わたしより背の高い由井くんを、抱きしめているのか、抱きしめられているのかよくわからない格好で、わたしはその声に答える。

「もういいよ。また風邪ひかれたら、責任感じちゃうもの」

「よかった」

 由井くんの手が背中に回り、わたしの体がぎゅっと引き寄せられる。

 こんな道端でこんなことして、近所の人に見られたら恥ずかしい。

 だけど、先に手を伸ばしたのはわたし。

 こんな寒い中、いつからここで待ってたんだろうって思ったら、どうしようもなくもどかしい気持ちになって……由井くんのこと、あたためてあげたくなってしまった。


「あ、そうだ。これ」

 そっとわたしから離れた由井くんが、ポケットの中からリボンのついた紙袋を取り出す。

「ちょっと早いけど、クリスマスプレゼント」

「……わたしに?」

 由井くんの手からわたしの手に、紙袋が渡される。かすかに触れた指先の感覚に、とくんと胸の奥が震える。

「そう、沙和ちゃんに。貴子さんから」

「貴子さんから?」

 わたしを見ている由井くんが、小さく笑う。わたしの頭に、昨日のふたりの姿が浮かんでくる。

「そんな……悪いよ。もらえない」

 一度受け取った紙袋を、由井くんの胸に押し返す。

「いいからもらっとけよ。風太と遊んでくれたお礼だってさ」

「でも……」

「開けてみな?」

 由井くんにそう言われて、仕方なく袋を開けさせてもらう。

 中に入っていたのは、桜色のふんわりとあたたかそうな手袋。

「つけてみなよ」

 由井くんが手袋を手に取って、わたしの手にはめてくれる。

 心臓がすごくどきどきする。

「どうもありがとう……って、貴子さんに伝えて」

 由井くんが笑って、手袋をはめたわたしの手をにぎる。

「沙和ちゃん、どこ行くの?」

「え、ああ、お母さんの病院に」

「そこまで送る」

 由井くんに手をひかれて歩き出す。

 だけど、手袋越しにつないだ手と手は、なんだかいつもと違って中途半端で……。

 それはわたしと由井くんの関係に、よく似ていた。


 お母さんの病院へ行った帰り、わたしはひとりで駅前のショッピングセンターを歩いた。

 華やかに飾られたクリスマスの商品を眺めながら、ふと手にはめた手袋を見つめる。

 貴子さんにお返ししなくちゃ……風太くんにも、なにかあげたいな。

 耳に聞こえるクリスマスソング。楽しそうな人たちの笑い声。そんな中を、ひとりで歩きながら、茜ちゃんたちから聞いた言葉を思い出す。

 ――由井の誕生日って……クリスマスイブなんだよ。

 店の中で目についたのは、男物の手袋。今朝触れた、由井くんの冷えた手を思い出しながら、ひとつの手袋に手を伸ばす。

 だけどその手は、別方向から伸びてきた誰かの手とぶつかった。

「あ、ごめんなさい」

 触れ合った手を引っ込めて顔を向けると、わたしと同じ学校の制服を着た女の子が、同じように手を引いたところだった。

 なんとなく気まずくて、あわててその場を立ち去ろうとしたわたしに、彼女が言った。

「それ、由井にあげようと思ったの?」

 驚いてその子の顔を見る。やわらかなウェーブがかかった髪の、可愛らしい顔立ちの女の子。制服を着ているから、部活帰りなのかもしれない。

「新庄沙和さん……よね?」

「……はい」

 少し戸惑いながらうなずいた。

「わたし、隣のクラスの木下美菜です」

 美菜……その名前は知っている。

 だけど、何を話したらいいのかわからなくて……黙っているわたしを見て、美菜さんが小さく笑った。

「由井のこと、本気で好きにならないほうがいいよ?」

「え」

「だって由井は、あなたのこと、本気で好きになったりしないから」

 わたしの目の前で、どこか自信ありげな顔つきをして、そんなことを言う美菜さん。

「由井には好きな人がいるの。だからその人以外、誰も好きになったりしない」

 胸に、何かが突き刺さった気がした。

 ――由井くんだって……好きな人、いるんじゃないの?

 いつか聞いたわたしの言葉。あやふやだった由井くんの答え。ずっと抱えていた不安な気持ち。

 ああ……やっぱりそうなんだ。

 じっとわたしを見つめていた美菜さんが視線をそらし、背中を向けて去って行く。

 残されたわたしはうつむいたまま、手につけていた手袋をそっとはずした。


「それで? 沙和はあたしに何を答えて欲しいわけ?」

 その日の夜、横浜にいる一佳に電話をかけて、転校してから今日までの出来事を全部話した。

 悩んで、行き先がわからなくなった時、いつも相談に乗ってくれたのは一佳だったから。

「このままその彼と付き合うか、麻野先輩とよりを戻すか……あたしに答えて欲しいわけ?」

「そんなこと……言ってないけど」

 はあっと一佳がため息をつく。

 さっぱりとした性格で、なんでも決断の速い一佳からすれば、わたしは優柔不断で、いじいじ悩んでばかりの鈍い子なんだろうな。

「あのね、沙和。あたしはあんたのこと親友と思ってるから、はっきり言わせてもらうけど」

 わたしは一佳の声だけに耳を傾ける。

「沙和は……甘えてると思う」

 ちくんと胸の奥が痛んだ。

「引っ越しして転校して、先輩とも別れて……寂しい気持ちもわかるけど。でも沙和は、誰かにそばにいてもらいたいだけなんじゃないの?」

 少し息を吸い込んで、一佳が続けてわたしに言う。

「先輩の代わりは、その彼じゃなくても……誰でもよかったんじゃないの?」

 知らない街の知らない学校で、いきなり男の子にキスされて……雰囲気に流されて、手をつないで一緒に帰って……。

 もしも、それが由井くんじゃなくても……わたしはきっと、よかった。

「うん……そうだね」

 一佳の言うとおり、わたしは甘えていたのかもしれない。

「明日、由井くんとちゃんと話す。こんな気持ちで付き合うのは、もうやめる」

「先輩はどうするの?」

「先輩は……」

 ――まだ……好きなんだ。

 その言葉を思い出し、じんわりと胸が熱くなる。

「少し……考えてみる」

「先輩とよりを戻すんだったら、沙和、もっと強くならなきゃだめだよ?」

 もっと強く、か。

 そうだね。誰かに頼ってばかりじゃだめだよね。これからは一佳にも。

「うん、ありがと。一佳」

「がんばりな、沙和。あたしはいつでも沙和の味方だから」

 一佳の声を聞きながら、そっと目を閉じる。

 窓の外には音もなく、今夜も雪が降り続いていた。

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