姉川の濡れたくない戦い
【登場人物】
[浅井・朝倉軍の面々]
・浅井…浅井軍を率いる。浅井家当主。
・磯野…浅井家家臣。浅井軍の先頭。
・阿閉…浅井家家臣。
・新庄…浅井家家臣。
・景健…朝倉軍を率いる。朝倉家の一族。
・新八郎…朝倉家家臣。
[織田・徳川軍の面々]
・坂井…織田家家臣。織田軍の先頭。
元亀元年六月二十八日(新暦:1570年7月30日)、浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が近江国を流れる姉川を挟んで相対していた。
磯野&阿閉「……………」
(姉川の川辺でしゃがんでいる磯野と阿閉)
浅井「おーい!おーい!」
(背後から駆け寄ってくる浅井)
磯野「あ、殿。」
阿閉「殿、どうされましたか?」
浅井「それは、こっちのセリフじゃ!」
磯野「何かあったんですか?」
浅井「な、何かあったって…お前たちはここで何をしとるんじゃ!」
磯野「…川を…」
阿閉「…見つめてます。」
浅井「……軍動かせよ!!」
磯野&阿閉「……………」
浅井「軍を動かせよ早く!」
磯野&阿閉「はぁ…」
浅井「ため息じゃねんだよ!おい磯野。お前先鋒だろう。お前が動かねば、何も始まらんではないか!!」
磯野「はぁ…それ本気で言ってるんすか?」
浅井「本気じゃなかったら、わざわざ殿様が最後尾からここまで来ねぇよ!」
磯野「殿、殿は今回の戦場となるこの場所を見て、一体どう思われますか?」
(川が広がる眼前の景色を示す磯野)
浅井「な…そのようなことを考える暇は今は…」
磯野「どう思われますか??」
浅井「…川を血で汚すことになる…近くの民や川に棲む魚には…申し分が立たんな…。」
磯野「は~~~やっぱり殿は能天気ですな~。」
浅井「な、なんじゃと!?」
磯野「殿、民を思うのは良いですが、現場で戦う我々のことももっと思いやってほしいですね。」
浅井「お、お前たちのことを蔑ろにしているつもりは…」
磯野「ふんっ、やはり本陣の指揮者には現場の人間の気持ちはわからないか…。」
浅井「磯野!人にはそれぞれ役割というものが…」
磯野「じゃあその役割を全部経験してから言ってくださいよ!!」
浅井「わー何をする!」
阿閉「おっ!磯野殿!私も加勢いたします!」
(磯野と阿閉に腕を掴まれ川に向かって引っ張られるのに必死に抵抗する浅井)
浅井「や~め~ろ!」
(なんとか二人の手を振り払う浅井)
阿閉「うわっ!」(バシャーン!)
(阿閉が川に向かって背中から転ぶ)
阿閉「あーもう!最悪!」
磯野「大丈夫か!阿閉殿!阿閉殿ー!」
(阿閉に手を貸す磯野)
浅井「何やってんだお前ら!」
磯野「これを見ても何も思いませんか!」
浅井「何を思えばいいんだ!強いて言うならちょっと面白いって思ったよ!」
阿閉「あーあ濡れた最悪だ!もー!」
浅井「俺は一体、いい歳した武将の何を見せられてんだ!」
磯野「殿!ご覚悟!」
(浅井の腕を掴み、川に向かって振り回すように引っ張る)
浅井「おーーーっと!」
(浅井は川の寸前に出たところで逆に磯野を川に向かって振り回す)
磯野「あーーーーっ!!」
(磯野は勢いのまま川に走りながら入ってしまう)
磯野「ぎゃーーーっ!!最悪だ!草履が!草履が!足が!足が気持ち悪いー!」
浅井「合戦の直前に何をやってんだ俺らは!」
阿閉「殿!これでわかりましたか!現場の人間が直面する惨状を!」
浅井「何が惨状だよ!惨状の本番はこれからだろうが!」
磯野「もー濡れたー!もう!!濡れるの嫌なんですよ!!」
浅井「…はあぁぁぁあっ!?」
磯野「水が草履にしみて気持ち悪い!」
阿閉「着物が体に張り付いて不快千万!」
浅井「俺の家臣こんなにか弱いのかよ…。よく今まで持ったよ。」
磯野「殿、私たちは新しい着物と草履を用意して参りまする!」
浅井「おいおいおい!行くな行くな!退くな!」
(制する浅井を川に張り倒そうとする磯野)
浅井「だぁぁぁぁっ!おーっと!」
(またしても川の寸前で耐える浅井)
浅井「ことあるごとに濡らそうとするんじゃねぇよ!」
磯野「下々を動かす前に動かされる下々の心中を理解しなければならないのでは!?」
浅井「軽すぎるんだよ!命かけた合戦に出る前に、家族のことでもケガや討死のことでもなく、濡れる濡れないを引き合いに出すとか軽すぎるんだよ!こんなところまで理解しなきゃいけないとか思わなかったよ!俺ら武家だぞ!」
磯野「ふんっ!普段、濡れない人にはわからないか…。」
浅井「お前ら普段、返り血で滅茶苦茶に濡れてんじゃねぇか。」
磯野「それくらいはマシです。」
浅井「十分に戦場耐性鍛えられてんじゃねか!なんで川の水に濡れるのが嫌なんだよ!」
景健「おいっ!何してんだそっちは。なんだこのザマは。」
浅井「こ、これは朝倉の…」
(朝倉軍を率いる景健が配下の新八郎と共にやってくる)
景健「共に織田・徳川に立ち向かおうと手を組んでここまで軍を進めて待っていたが、そちらが全然動かないどころかなんかバカ騒ぎしてるから思わず来てしまったわ。いつ兵を進めるのじゃ?」
浅井「もちろん今すぐ!今すぐ浅井軍先鋒のこの磯野の隊を前進させまする!」
磯野「は!?まだ嫌ですよ!?殿が川に落ちるまで!」
浅井「斬新だな!殿が川に落ちるのが突撃の合図って!聞いたことあるか!?」
景健「何をわけのわからぬことを抜かしておる!戦うならさっさと軍を動かせ!おい新八郎!軍を進めるぞ!」
新八郎「お待ちください景健様。」
景健「なんじゃ?」
新八郎「…小船を使えませんか…?」
景健「……は?」
新八郎「小船で敵側の陣地に行かせてもらえませんか?」
景健「このクソ浅い川で?」
新八郎「はい。」
景健「このクソ幅の狭い川で??」
新八郎「はいっ!」
景健「元気よく返事すんじゃねぇよ!なんで小船を使う必要があるんだ?」
新八郎「正直、濡れたくないんです。」
景健「………は!?」
磯野&阿閉「おぉ!我が同志!」
浅井「とんだ軟弱同盟だよ!」
景健「ふざけたことを言うな!何が濡れたくないだ!さっさと軍を率いて進め!」
(新八郎を肩を押して川に押し出す景健)
新八郎「あぁつ!」
(川に足を突っ込んでしまう新八郎)
新八郎「ひぇあぁぁぁっ!殿!」
景健「うわっ!何をするんじゃ!斬り捨てるぞ!」
新八郎「現場の人間の気持ちを~~~!」
景健「やめろぉ~~~!」
(景健を川に入れようとする新八郎と抵抗する景健)
浅井「歴史は繰り返されるなぁ…。」
景健「ぬうぅ…浅井殿!すぐに兵を進めよ!こっちはちょっと遅れて参る。」
浅井「…承知しました。磯野、阿閉、もう情けない姿を見せるな。すぐに川を越えて織田・徳川と戦うぞ。」
磯野「…殿、そもそも我々はなぜ織田を相手に戦うことになったとお思いで?」
浅井「な…なんじゃ急に…。」
磯野「元々織田は我らと同盟関係にございました。しかし、その同盟は崩れ、今やこうして刃を交えようとしています。それはなぜでしょうか?」
浅井「それは…織田が我ら浅井と古くから付き合いのある朝倉を攻めぬという取り決めを破ったからであろう。」
磯野「あー約束を破られたってことですねー。」
浅井「そうじゃあちらが約束を破ったのじゃ。」
磯野「殿の願いを無碍にされたということですねー。」
浅井「何が言いたいんだ!」
磯野「舐められてるんですよ殿は。」
浅井「な…」
磯野「殿がもっと織田の前で堂々として、『朝倉を攻めたら我々はどうなるかわからないですよ?』とか『朝倉と我々が組んだらどうなるかわからないですよ?』とか、もっといかつく、どっしりと、圧かけといたらこうはならなかったんじゃないですかぁ!!」
浅井「他責が過ぎねぇか!?お前!」
磯野「なんでもっと織田に強く出なかったんですか?」
浅井「そりゃ、織田は単なる同盟相手じゃなくて俺の義兄だよ?織田の妹がうちにいるんだよ?そんな状況でさ、あんな真っ向から対立するような事を仕掛けられるなんて思うわけないじゃん?」
磯野「『思うわけないじゃん?』っていう同意を求める問いかけが気に食わないです。もっと堂々と『仕掛けてくるわけがない!』とか言い切ったらどうですか?それが頼れる殿様の振る舞いではないんですか?」
浅井「まさか合戦前に家臣から川のほとりでこんなにも理屈の通った説教をされるとは…」
磯野「で、どうするんですか? 織田と話し合いますか? 仲直りしますか?」
(浅井にジリジリと詰め寄る磯野)
浅井「朝倉の手前、そう簡単に…」
磯野「じゃあ、川に飛び込みますか? 現場の人間の気持ち知りますか?」
浅井「まだそれを…」
阿閉「えーい!!」
浅井「うわー!」
(後ろから迫る阿閉に気づかず、川に向かって倒される浅井)
浅井「ぎゃーっ!冷たい!濡れた!着物が、草履が、鎧が、髷が、全部濡れた!」
磯野&阿閉「よぉーし!」
(肩を組みあう二人)
浅井「はぁ…わかったぞお前たちの気持ちが。」
阿閉「おぉ!ようやくおわかりになりましたか!」
浅井「それではこの気持ちを主君と家臣で共有したところで、川の先の織田・徳川に向かって…」
新庄「申し上げますぅ~!」
浅井「おお!新庄いかがした!?」
新庄「徳川軍の榊原隊が側面から攻撃を仕掛けてきましたぁ~!」
浅井「なんじゃと!?」
磯野&阿閉「なじゃとぉ~!?」
(浮きたつ二人)
浅井「なんで嬉しそうにしてるんだ!」
阿閉「だって側面ってことは川が無い方でしょ!?」
磯野「つまり確実に濡れることはない!」
浅井「この状況で塵みたいな事言ってんじゃじゃねぇよ!!」
磯野「というわけで磯野隊!側面に突撃ぃ~!」
阿閉「阿閉隊も磯野隊に後れを取るなぁ~!」
新庄「新庄隊も行って参りますぅ~!」
新八郎「景健様!この機を逃すことはできません!行って参ります!」
景健「こら待てー!正面から堂々と行けー!」
浅井「ぞろぞろとアイツら……あ…」
(浅井が横を向くと既に織田軍の坂井隊が足を濡らしながら川を渡って間近で武器を構えていた)
坂井「………」
浅井「………足袋も草履も濡らして、大変でござるな…。うんうん…。」
坂井「………物凄く…頑張って、頑張って、頑張って…渡って参りました…。濡れるのが…嫌で、嫌で、嫌で…仕方ありませんでしたが…。」
(見つめ合う浅井と坂井。やがて空を見つめる浅井。)
浅井「………飛べたらいいのにな~」
その後、浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が姉川の周辺で激しい戦いを繰り広げ、あれほど濡れたくないと騒いでいた諸将は結局、大量の汗で全身を濡らすこととなった。
この戦いで浅井・朝倉連合軍は、敗北して戦場から離脱。浅井と朝倉の領域は織田の色に濡れるように塗りたくられていくこととなった。
「姉川の濡れたくない戦い」ー完ー
※史実を基にしたフィクションです。
※登場する歴史上の人物の人格・行動・言動はすべて作者の空想であり、ご本人様とは関係ありません。




