感情の揺らぎ
「……詳しく説明してもらおうか。」
待機所のテーブルに対面で座る迎と鬼灯。
軽くリン、森にいた少年の健康診断をして一息ついたところだった。とはいっても健康診断に含まれるのは通常のもの以外に異界用のものである。
現在はその結果待ちだ。博士がそのまま持ってきて詳しい話をすることになっており、三人でこの場に止まっている。
「えっと……調書に書きますよ?」
「いい。」
話せ、ということだろうか。相も変わらず口下手で無口なんだなぁ、とホッとした心地で思う。
(でもなんでこんなに機嫌悪いんだろ。)
珠洲も相変わらずの鈍さで疑問に首を傾げつつ、リンを膝の上、抱き締めて答えた。
「この子、食べちゃったんです異界。」
あっけらかんと言い放つ鬼灯に迎は呆気に取られた。その素直な表情は惜しげもなく晒され、珠洲は微かな色に頬を染めた。
(迎さんが素直だなんて、なんか照れますね)
それはズレた乙女思考であった。
「だから力が使えて、寝てる時とかは無効で、意識があるとこの子の許可なしに森の出入りができなくなってるんです。この子自体の出入りは、……出来るんだよね?」
「うん、僕が離れたら森は戻るよ。」
珠洲の言葉は最後にはリンへの問いかけとなった。リンも直ぐに答える。
「……なら、いい。」
「えっ?は、はい……。」
若干ふてくされたようにも思える、素っ気無い返事。自分から聞いたのに、と思う。
そんな子どもみたいな動作が目に付くのだ。やはり今日の迎さんはいつもと違う、と思った。
そして沈黙が場を支配した。迎が無言で紅茶を飲み、珠洲は伺うように迎をチラチラと見てそわそわする。リンは三人の中で一番大人っぽく、冷静に二人を観察していた。
「面白いことになってるようだねぇ。」
「ひゃわぁっ!?」
急に声をかけられて珠洲が意味不明な奇声を発した。
「博士、結果でたんですか?」
新たに増えた客人にお茶の用意をして鬼灯は尋ねた。
声をかけられたのは急なことだったが、彼が来たのは全くもって急ではなかった。だから驚いたのはポケポケしている珠洲だけだった。
実はリンも驚いてはいたのだが、感情は余り表情に出ない性質である。そのことを自覚したのも珠洲のころころ変わる表情と照らし合わせての結果なのだが。
「うん、普通に普通の子だったよー。」
のんびりと答える博士は十分寛いでいるようで、珠洲も綻ぶように笑顔を浮べた。
「分離は吸収されて体になった以上、できないけどね。木の実でも食べたのかな?」
博士の問いかけはリンにされたのだが、珠洲の膝の上にいるリンは眼を合わせようともせず、逆にその視線を避けるようにして珠洲に抱きつく。
「嫌われちゃったのか反応がつれないんだけどねー。」
笑いながら迎の反応を面白げに観察する博士。迎は眉をひそめていた。
その先にはオロオロと対処に困る珠洲、鬼灯がいた。
「そういや鬼灯ちゃん最近その性格ばっかりだね、どうしたの心境の変化かい?」
頑固な様子のリンを頭を撫でて宥める珠洲に次の話題が博士から投下される。
しかし、膠着した現状にはありがたいはずのそれはあまり珠洲に歓迎できる話題でもなかった。
「あ……、なんだか最近力が安定しなくて、リンに影響を受ける今の姿が楽なんです。制御を預けられるから……。」
少しばかりの説明をして濁す。
最近、調子が悪い。けれどそれは珠洲自身にも余り説明の出来る状態ではないからだ。
要領を得ない説明よりか現状をどうするかの対策を練った方がいい。つまり、事態の把握。
それには暫し、時間が掛かりそうだった。
だから、調子が悪い、という不安要素だけを告げておく。
「それで始終へばりついてるわけなんだ。」
「そうでもないのよ?」
言葉と同時にそれを体現してみせる鬼灯。眼鏡を取っただけで雰囲気が変わった。そのことを察してリンも席を隣に移す。話が本格的に仕事へと移ったのを敏感に感じ取ったのだろう。
「無理に変化しようと思えば出来るの。それに、いつも一緒ってわけでもないわ。」
リンは加奈へと変わった鬼灯に興味を移すでもなく、お菓子を摘む。
二人は会話を続ける。迎は始終沈黙を保っていた。
「けどね、問題は他の人格にも影響が出てるの。いきなり凶暴化するかも知れないから、気をつけてね?」
冗談めかした言い方で虚言とも言い切れないことを言う鬼灯。その手はリン捕獲任務の報告書に動く。そして書類として明確には書けない、極最近に始まった自身のことについての会話を行う。報告義務に従って、また周囲に多大な被害を出さないために、警告を発した。
「それに、力の制御もしにくい。手加減を間違えるかもしれないから。あんまり近寄らないほうがいいわよ。」
「だが、仕事だ。」
合いの手を入れたのは迎だ。博士の持ってきたリンの資料の中に任務書類も入っていたのだろう。こちらへ寄越されるそれに軽く目を通す。
「『踊り続ける紅い靴』『透明な姿見』『加護の腕輪』『干渉の耳飾』……沢山あるようね。」
「童話シリーズのオンパレードだ。どれも大したことのない。集めたものはそのまま自分のものにしていいそうだ。」
童話シリーズとは童話に登場する物を素材にした異界。異界として発見・確認しやすいのが特徴で民間に広がっている場合が多い。持ち主の好悪は激しいと聞くが、利用に関しては誰でも手の出しやすいタイプ。
確かに、数は多い。しかし、それだけに利点がある。
「……それは、気合が入るわね。」
鬼灯の精神は異界の傍にあった方が力は安定するだろう。付加の分、縛られる。
力が干渉しあい、制御が利きやすくなるだろう。
「そうそう。僕はこれから調査があってね、出かけるんだけど、君らに夏梅をお願いしたいんだよ。」
立ち上がり、出かけようとした鬼灯と迎に言葉をかける。
「夏梅はね、今、定期検査中だから、後で合流すると思うよ?よろしくね。」
バイバーイとにこやかに手を振る博士。その手にはティーカップがあり、紅茶が残っている。それを飲んでからこの場を後にするのだろう。
リンは無反応にお菓子を食べている。二人だけを残すことに躊躇いを憶えたが、特に言うこともなく、ただ頼まれた、と頷く鬼灯だった。




