人魚姫と不老不死は嘆きの歌を呼び
なぜ彼女は水魚であったか。
鬼灯は考える。
組織から貰った自室だ。とはいっても寛ぐことはできない。日中は勤務時間として割り当てられ、常に要請待ち状態。ぶっちゃけ仕事が入れば夜でも関係なく行われるのだが。
これでも人間の身体だ。
多少の無理が利くとはいえ睡眠を取らないわけにも行かないし、生前彼女が肌やらに気を使っていたことを考えればそれを尊重しないわけにもいかないのだった。
初仕事。それは異界『唄う水魚の噴水』の制圧。
それはこなした。問題もなかった。しかし鬼灯に宿る能力は彼女に知識を与えていた。
人魚姫、少なくとも人魚であったら違っていただろう。
形は人魚。ならばどうして水魚と名付けられた?今になって暴れだした?
製作から80年以上が経過し、何の問題もなく大人しくしていた。
異界の力が人へ害をなすよう振るわれ始めたのは最近だという。
もともと深夜に歌声が聞えるというの噂だったのが、いきなり被害が出た。
それで組織が乗り出した。―――切欠は何だったのか。そこまでの知識は吸収出来ていない。
封入された概念は憎しみ。
そこに秘められているのは一つの伝説からの創作物語だ。
人魚姫のように、人に恋をして、人の姿を得る。
けれど彼女が姿の変わりに失ったものは声でなく、選択肢であり、未来。
『人魚の肉を食べると不老不死になる』
そんなものを鵜呑みにした愛しい者は彼女の身体を引き裂いた。
彼女はただの水魚だ。人魚ではない。
そして愛しい者のために自ら命を絶つという運命でなかった。選択肢など最初から用意されておらず、愛しい者に身を喰われるという選択以外になかった。
言葉に惑わされ、真実が見えなかったその結果。
「余りにも陳腐な響き。」
呟いた言葉を聞いたように、扉が開く。迎だ。
「お、おはようございます……。」
「ああ。」
戦闘以外の時間は珠洲だ。異性や年上を近寄りがたく感じてしまう、平凡で控えめな少女。
鬼灯は演じる。自然で、その少女は本物の偽物。作り物の存在だ。
仕事上、加奈でいることが多いにしても鬼灯自身に好悪の感情はない。
けれど水魚にはあったのだろう。その記憶として封入された歴史が。自身を食べた者を愛しく、そして憎く思っていた。踊らされて、こんなところまで来てしまった。
(愛していたのなら、許してしまえばいいのに。)
それとも、愛していたから憎いの?
答えはない。
皆が交ざり、解け合って、水魚の異界は意志なき異界へと変貌した。
彼女はもうここにはいない。別れの言葉はなかった。ただ、鬼灯の一部となって存在する。
「―――か?」
「聞いてるわよ。」
問いかけは意識とは別のところで脳内に伝えられた。
実際には聞いてなどいないが、きちんと指令は送られている。だからこそ、再び加奈としての存在になったのだ。仕事。そう、次なる仕事が入ったのだ。しかし、
「でも何故?人の捜索人なら人の範囲でしょ。」
人の捜索など、鬼灯一人にどうにかなるものではない。
それこそ組織の下部を使って人海戦術をでも使えばいい。相手は文化人で今は情報化社会だ、色々操作も出来るだろう。
「異界なんかにさせて、まずいんじゃなぁい?」
わざとらしい猫なで声を出す鬼灯に迎は気分悪くなったとでも言うように顔をしかめ、向きを変えた。そうして話の続きを話し始める姿には呆れが出ていそうだった。
「アレは異界に寄り付く。今回もそう言って出て行ったんだ。」
「ふぅん?」
納得がいって(まあそういう人も居るだろうが、珍しい。)、仕度を始める。
異界好きだなんて、そちらこそ異界じゃないのかしら。
首を傾げるような疑問がわいて、しかし口に出すことはなかった。
「で、何を見に行ったの?」
「学校の怪談だ。」
「……馬鹿にしてるわ。どれも嘘っぱちのデタラメよ、そんな」
鬼灯の言葉に資料を机に放り出す迎。パサッと音を立てて置かれた内容に眉をひそめて眺め、
「あら。」
発見する異界。
理屈じゃない、説明できない現象。人を飲み込む部屋。
「……危険よ。ドアの見つからない空洞、空かずの間。開いてはいけない領域よ。」
随分と古い。400年近く昔。
私は良くて100歳程。圧倒的な差だ。時間は異界の強さを変化させる。
(私だけでは太刀打ちできないでしょうね。)
「これじゃあ、助けられない。」
敵の懐に潜り込むようなもの。
実力差に地の有利。異界に異界を重ねた今の鬼灯にもう一つの異界である剣を加えても足りない。……迎くんがどうするか、だわね。
「私が、食べられちゃうわ。」
「拒否権はない。」
苦笑して冗談気味に本当のことを告げても迎はそっけなく返す。
パートナーがこんな態度で、人選ミスなんじゃないかと思う。
最も、迎の仕事は私と人探しでなく、私が仕事をちゃんとこなすか、その監視に当たるのだから仕方ないだろうと思う。
「そうね。組織にいる人間なら、そうでしょうね。」
肯定する。その含みに迎が瞳を向け、そして苛立たしげに立ち上がる。話の終了を示す行為。
「でも私は異界。いくらでも、どうとでも、なる。―――ねぇ、異界が死ぬことはないのよ。」
唄うように呼びかけ、その後を追う。
「あるのは滅び。なくなること。在るか無いか。」
くすくすと笑い、扉を閉じようとする。
「そこに自主性は欠片もない。存在しえない。わかったかしら?」
「……ああ識ってるよ。だがな、」
鬼灯が瞳を向け、迎も真正面から瞳を合わせてくる。
閉じてゆく扉の隙間の光のようにその言葉が漏れる。
「俺は律を破り、壊すことが出来る。概念を、―――殺すことができる。」
「……行きましょうか。」
なんてことのない。向けるべき感情があるはずなのに、それを向ける事はできない。
子どもが傷ついたような、母を捜すような愛の渇望。
温もりを欲しがる、小さな男の子のような、達観した雰囲気を持つ青年。
大きな背に大きな身体で、人からの愛を願う異界に侵食された人間。
激しく感情を灯す瞳。それを羨ましく思えればよかったのに。
感情を持てず、言葉も持たないことに、悲しむことすらできない私はやはり人形なのだ。
「入る前に捕まえられたらいいわね。」
「人みたいなことを言うな。」
だって、じゃないとその人死ぬじゃない。
そんな言葉が思い浮かぶのに、鬼灯は足を止め、息を飲むしかなかった。
好意な感情の全くこもらない、迎のその言葉はそれほどの破壊力を持っていた。




