眠りの時、目覚める時
「妹さんを、目覚めさせたいのよね――?」
ヴェルゼに確認を取った。
それは最終のものだ。それ以上は、何もない。コレで終わりなのだ。
ヴェルゼは頷く。
「なら、いいの。やるわ」
それだけで済むのなら、……それでいい。
「場所を、教えて」
監視の術士を気絶させ、鬼斬で拘束を切り離した。そして異界で、“郵便屋”の異界で空間と空間を繋ぐ。そして、鬼灯はその場所へと足を踏み込んだ。
「――また君は、そんなことを言い出すんだね」
男はいつの間にか背後にくっつくようにして歩いている。けれど鬼灯は煌びやかで暗く暗鬱としたその場所へと足を進めた。空間は歪みが至る所にある。方々に反射する光が眩しいのに重々しい雰囲気が取り囲み、幻想的な色合いに影を落とす。足跡が色をつけるように残っていく。足下が崩れるように色は罅割れ、他の色に混ざっていく。神秘的で、神懸り的で、……けれど、どうしても胸が締め付けられる。
「どうするの?君一人で。融合でもする気?」
「手出しする気がないなら、気が散るからあっちに行ってなさい」
踏み出すのさえとても不安定なその空間の中央に据えられた豪奢な椅子。大きく、頑丈な作りのそれに一人眠る小さな少女。――それはとても寂しい光景だった。
彼女の事だけを気にしたいのにそうはさせてくれない存在がいる。
「他の異界を取り込んだように、自分が身体の所有権を受け渡せばいい話だとでも?」
「……それ以外、手がないのなら」
静かに、木霊する。
「――理想だね」
「そう、理想よ」
「でも、人とは理想を見続けるものよ」
――人は、そうでないと進めないから。
希望がなければ人は人生を歩むことが出来ない。不安で、直ぐに崩れてしまいそうな自信を抱えているから。脆く、弱い存在だからこそ、進むために人は夢を見続ける。
「だから、彼女も生きる“夢”を見ている」
生きている夢を。生きるための夢を。――彼女は、そしてヴェルゼはそれを願い続けた。
――眠り続けるのは個人の意思で、他人の意志。
でも、それももう終わりだ。
「肉体を留めておくのは、難しい。だからといって、死人のそれを用意しても意味はない。――生きた人の身体を用意する必要がある」
それも、異界に耐性のある身体でなくてはいけない。
鬼灯はそんな意味でも都合が良かった。ヴェルゼにとって、異界を呼び寄せる撒餌であり、彼女への供物でもあった。
「……君は、昔から人に愛されていたね」
ぽつり、男が言葉を漏らす。
「そんな記憶はないわ。私はいつも、」
(一人きりだった)
けれど、いつの間にか、変わっていたのかもしれない。
「……そうね、努力のおかげかしら」
一人で長い時を過ごした。ずっと、人が訪れるのを待っていただけの鬼灯の木。
けれど、加奈がやってきて、彼女のために珠洲がやってきた。
迎がずっと傍にいた。夏梅は分け隔てなく扱ってくれたし、リンは懐いてくれた。ヤイールとも気があった。――フィアやマリネ、郵便屋だって、偽りの関係だったが過ごした時は同じだった。嘘偽りなく、時間を共有してきた。
いつの間にか、自分の周りには色んな人がいて、守りたいと思う存在が出来た。壊したくないと思う空間が出来た。
「――けれど、それをすべて、自分から捨てるんでしょう?」
……そうだ。今やろうとしていることはそういうものだ。そして、身体を奪われた珠洲たちの尊厳さえも踏みにじろうとする行為だ。
(けれど――)
「彼女はもう他人じゃないの。知らないフリなんて出来ない」
「――僕に、もう一度愛せと言ったのに、その機会を失くしてしまうつもりなのかい?」
それが彼の本音なのだと思う。正直な心。
「……彼らを愛して。迎くんを、ヴェルゼを、彼女を、異界を、この世界を、全てを――」
「我におまえを愛させてはくれないのか――?」
自我意識のなかった“昔”に戻った彼の口調に、彼女は微笑んだ。
立ちどまった彼はどうしようもなく情けない、歪んだ笑みを浮べている。眉を下げて涙を溜めながらも微笑むしかない彼を、彼女は
「しゃきっとしなさい!」
叱った。
「あなたは、もう昔と同じじゃない。自分というものを知った。愛することも知った」
「なら、しゃんとして、一人前に、胸張っていなさいよ。子供たちに、尊敬されるように。子供たちに、愛されるように」
その高い頭に手を伸ばして、小さい子にいい子いい子、とするように撫でた。伸ばされる腕を拒絶することもなく、受け入れる。
――温かい。愛に溢れた、陽の優しさ。
「きっと、また会えるから」
寿命のない彼。寿命のある人間。なら、また会える。
覚えていなくても、また最初から始めればいいのだ。また出会って、また話して、……好きになるかは分からなくても、傍にいる事は約束できる。
――この愛しさは、変わらないはずだから。
「見つけてよ。また、絶対。――一人ぼっちの私を見つけたのは、あなたなんだから」
もう、寂しい想いはしたくないから。一人でいるのは悲しいから。
――だから、彼女にも目覚めて欲しい。
夢は楽しく、苦しみはない。でも、それは一人ぼっちだ。辛く、悲しいことがあっても、一人じゃなければ乗り越えて行けるはずだから。こんな場所に一人いるのは、寂しい。淋しい。
「じゃあ、また―― 」
さよならは言わない。
迎くんたちに挨拶できなかったのは、残念だけれど、けれど、……最後じゃないから。
――また会う日まで。
「ここ、どこ――?」
少女は目覚める。
キラキラの空間に、少女はいた。幻想的で美しい。けれどどこかちょっと悲しい場所だ。
「おはよう」
いつのまにか目の前にいた男は少女に目覚めの挨拶をした。
「お父さん――!!」
少女は抱きつく。無邪気に。
だからこそ、男の胸はきつく、軋んだ。
「おはよう!」
男は自らの子供を抱きしめた。少女は優しく、元気よく挨拶をする。
「ああ、おはよう……」
男は繰り返す。けれど、
(また、また――次会うまで。また――)
再び会う約束を、胸の中で誓った。繰り返し、忘れないようにと、ずっと、ずっと。
頬から涙が零れ落ちることも気にせず、少女の背に回した腕に力を込めて。
「兄さんたちのところに、行こうか」
「うん!」
「……友だちも、たくさんできるよ」
男は少女と手を繋ぎ、歩き出す。壊れ始めた空間を後にして。




