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鬼灯の実  作者: ロースト
19/20

終幕の真実

いつのまにか、見失っていたのかもしれない。

そこは暖かで優しい場所だから。穏やかで、落ち着いて。――そんな平穏な日々は僕が憧れていたもの。


けれど、違った。


それは夢だ。

いつか遠い日に望むものであって、少なくとも今じゃない。

僕がいるべき場所はここじゃなかった。そこに僕はいない。

本当に望んでいた場所――昔から知っていたじゃないか。昔からいた。誓ったじゃないか。

暗く淀んだ闇の底に這いつくばってもいい。僕は救いたい。

沼から泥を掻き出すような際限ない世界で、それでも僕は諦めないと誓った。望み続けようと約束したんだ。


「 っ」

 夢から覚める。

 同時に痛みが走った。腹部から全身にかけて、身を起こしたために身体を衝撃が突き抜けたのだ。夏梅はそれに低く声を漏らした。

「はやく……行かなきゃ――」

 急かすように焦燥を言葉にしても、効果はなかった。

(この程度のことで――!!)

「動け、動けよっ!僕の身体だろっ!」

 直ぐに動けなくなるこの弱い身体が恨めしい。早く大人になれ、と命令しても意味はない。けれど大人と子供は身体の出来が違うのだ。どれだけ鍛えたところで、子供の身体が脆いのは変わらない。だからこそ、厳しい訓練に耐え、技術を磨いてきた。なのに、こんなところで一人寝そべっているわけには行かない。今にも、戦いはあるのだ。

「こんなところで、寝てる場合じゃないんだ……っ!」


「なぜ無理するの」


 透き通った声がその部屋に響く。

 見渡して、漸く現状が分かった。たった今まで、夏梅は医療ベッドで眠っていたのだ。医務室だろうか、簡素ながら白く清潔を保たれた部屋には小さな机とパイプイスが一つ展開され、そこに彼女は座っていた。

「――っ!なんでって……当たり前だろ」

 驚きのままに、反論をする。けれど、鬼灯は自身で問いかけながらも答えには興味がないようだった。第二の質問を繰り返すように述べる。

「痛みは感じるのでしょう?」


「……普通の奴らには戦わせられない。僕は平気だ」

 そう、一般人には戦わせられない。これは、人知を超えた戦いなのだ。“異界”――人の力量を遥かに超えた存在。そんな異界(ばけもの)と戦い方も知らないような者を戦わせるわけには行かない。

「人の盾になるためにいて、戦いに集結をもたらす存在として生み出された。物に心も感情もいらない。不要なだけだ」

 ――ここは、僕にとっては大切な場所。

 それだけが事実だ。彼らのいる場所を守る。この育った地を守る。

 そのためには自分がどうなったっていい。

「なら、なぜ戦うの。もう、あの戦いは終わった。事後処理は残っているし、各地で異界が動いているのは否定しない。けど、頭が捕まったの。……時間の問題だわ」

 気絶をしている間に、あれは終わったというのか。自分のいないままに、人は反逆者どもと決着をつけたと?

 一撃。気配すらも探れず、安易に安堵して、傷を負った。

 それだけなら未だしも、戦いの発端となった自分が気絶し、戦わないままにすべては終わってしまった。――果てしのない喪失感に、揺らぐ。

(僕の存在価値は戦うこと、なのに……っ!!)

 そのために、夏梅は生きてきた。そのために、博士に拾われた。彼らの盾となるべく、彼らの敵を討つ為に。

 けれど、それさえも叶わなかった。では己の存在価値とは?生きている意味とは?

 立ち位置がぐらつく。思考が纏まらない。夏梅は肉体的に痛む腹部とは別に、精神的に痛む脳へと手をやった。

「あなたが本当に物で、心も感情もないのなら、守りたいものなどないでしょう?」

「命令がある」

 ――命令こそ至上。

 夏梅は戦うための兵士。命令をこなす人形。殺戮兵器。そうやって訓練されてきた。そうして生きてきた。だから、この度も変わらない。

(僕は、生きる価値すら、失ったのか)

 ――命の価値はない。生きる意味もない。


「それ以上だわ。圧倒的強さがあるのならわかるの。でもそうじゃない」

 ――何が言いたい。

 鬼灯に意志だけの瞳を向ける。けれど、敵意にも似た悪意を彼女は微笑みで受け止める。

(……ああ、随分自然な表情になってきたではないか)

 美しすぎる、完璧な笑顔ではない。人間的な、温かみのある顔だ。


「勝てない相手に、傷を圧してまで、立ち上がらない足を立ち上がらせてまで向かう戦場は、命令なんかではない。動かなければ、動かないものよ」

「……動けるから動けるんだろう」

 皮肉に返す。けれど、彼女は表情を歪めたりはしなかった。

「いいえ、あなたは既に許容値を越えている」


 それは事実を事実として伝える声だった。

「機械なら過重労働で強制終了、動作自動解除、回線の遮断までして充電に走る状態」

 的確に教えられた自分の状態に夏梅が表情を歪めた。悔しいのだ。そして、無様だと思う。連日任務が続いていたとはいえ、その程度のことで敵に遅れを取ったことが情けない。

「あなたは恩義を、あの人に感じている。けれど、それは利用されてるだけ」

「だからっ!?そうだったら、なんだっていうんだ――!!」

 ――そんなこと、初めから、

(知ってる)

それでも、あの人に育てられた……。博士が最初から、自分を実験動物として、替えの利く兵士として、育てたのだと知っていた。それでも、あの人が拾ってくれなければ塔の昔に無くなっていた命だ。失わなかったのはあの人のおかげで、だから、どんなことがあっても、彼だけは、大切で、守り通す。

「親なんだ。家族なんだ。たった一人の、失いたくない人なんだ――」



「夏梅、あなたは、間違ってるわ」

 ――間違っている。そう、なのかもしれない。

 愚かな選択だという事は、分かっていた。けれど、引き返せないほどに、彼が好きなのだ。“今”の居心地がよいのだ。命の危険と隣り合わせでも、戦いの日々が続いても、待っていてくれる人がいる。一緒に歩んできた時がある。「おかえり」と言ってくれる人たちが、ここにはいる。――この温かみを失いたくなくて、だから自分が犠牲になってもいい。自分だけ助かっても、意味はないのだから。

(せめて、この人たちが生きてさえいれば、自分が居なくなっても……)


「あなたを見てくれている人も、いっぱい、いるでしょう?」

 促されて、ベッドの下を見た。陰に隠れて見えていなかった人物が小さく丸まって眠り込んでいる。


「り、ん」

 ――心配してくれる人がいるという。

 戦いしか知らない夏梅のために、涙を流してくれる人がいるという。

 任務で外に借り出される事はあっても、基本的に戦闘タイプじゃないリンには夏梅の気を失った後の戦いは初めての経験だった。戸惑いと恐れで一杯一杯だったろう。自分のみを守ることさえ、大変な幼子が、けれど、夏梅のために疲れた身体を引き摺って看病し、見ていてくれたというのだ。涙の跡が痛々しい。

 それに、よく見れば鬼灯――いや、珠洲も。

「珠洲、泣かないでよ……。お姉さんだろ?」

 ちゃかすようにして乱暴に頭の上に手を乗せ、撫でた。

「夏梅さん――よかったです、本当によかったです」

 涙声で告げて、少女は夏梅に縋りつくように身を寄せた。首元に埋まる頭を見て、思う。

 ――鬼灯は異界で、本来なら敵だ。

 けれど、彼女は、“人”だ。感情を持ち、人の痛みに共感できる。人のために涙を流すことが出来る。彼女は異界で、けれど、どんな人よりもよっぽど人間らしい。



   ***      ***      ***      ***


「なぁ、何で風穴開けられて生きてんだ?」

 男は言った。


「確かに死んだと思ったんだぜ?俺」

 軽い口調で、なんでもないことのように話す、金髪の男。これが、敵のトップ――ヴェルゼであるらしい。郵便屋として組織内部に己の身体を潜り込ませ、迎の身体に精神を寄生させていた。そして、迎の兄弟。闖入者により、拘束された後、組織に引き渡された。現在は術者の監視つきで異界の力を封じる結界を張った牢に閉じ込めている。

(迎と同じ顔。でも、正反対だ)


「でもなーんでか生きちゃってんのね。――人間ってそんなに強い生きものだっけ?もっと、脆かった気がするけど」

「さぁ。生きてるんだからしかたないだろう?」

 夏梅は人間だ。けれど、普通の人間ではない。子供という脆い部分もあるが、基本的にはもっと頑丈な存在だ。普通の人間の致命傷一つでは夏梅を殺せない。気を失いさえしなければ、あの場で戦闘の補助につけるぐらいはできた。術式は行使者の意志と血に反応する。遠距離攻撃や補助術式、守護の術式を身につけている夏梅は動きさえしなければ十分に戦闘に参加できたのだ。だからこそ、余計に悔やまれるのだが。

 ――実際に死んだ者は数多い。

戦う力を持たない研究者だけでなく、元々が少ない異界の所有者もさらに減った。

(戦況を有利にすることは出来た。それだけの実力が、僕にはある)

 ――悔しい。憎い。

 けれど、その想いを押さえ込み、この男と対面している。


「聞かれたって僕にもわからないね。僕自身、完全に死んだと感じましたし」

――そう、あれは錯覚なんかじゃない。

身体が動かなくなって血が止まる感覚。次第に冷えていく身体。

自身さえも朧な意識を落としていった。頭が何も考えられなくなって、ぼんやりとしたまま名残惜しさを感じた。

生きることに、世界に思いを馳せて、今までのことを思い出した。

くだらなくて思い出そうともしなかった些事から、思い出したくもなかった出来事も、楽しかったことや恥ずかしかったこと、悲しいこともつらいことも忘れていたことも全部、今に至まで。

どこから始まったのだろう、どうして決まってしまったのだろう、どこで間違ったのだろう、と繰り返した。


「それに、僕は脆弱な人間とは、違います」

 認めるのが怖かった、自分が、化け物だということを。

 人よりも頑丈な身体は身につけた技術だ。けれど、それは人という枠から抜け出すことにも似ていて、……異界という存在からして人とは違うものとはまた別の、人としての“異端”――人外となってしまったのだ。

繰り返された実験。それは大好きな、たった一人の家族から受けた。

(僕はそれを、受け入れた。後悔は、してない)

 だからこそ、今ここに入れるのだ。今生きていられるのだ。皆に会えたのだ。


「そ。どうでもいいけどさ、ガキなんて」


「ならなぜあなたはそんな顔をしているの?」

 鬼灯の声が部屋に響く。瞬間、ゾワッと背筋の寒くなる殺気を感じ、入ってきた鬼灯に向けていた視線をヴェルゼに向けた。ヴェルゼは強い視線を鬼灯に投げかけ、けれど彼女は凛とした姿を変えず、威圧する。脅しではない、けれど誤魔化しを許さない。

――鬼灯はヴェルゼに本心を問いかけていた。


「嬉しそうに、みえるわ。――被害が少なくて、夏梅が死ななくて、よかったという風に」

(ヴェルゼは妹を救いたいと願い、異界を利用していた)

彼の願いは些細だ。けれど、大きくことを動かす。犠牲も多く出る。

「大量殺人を目的としているわけではないが、人にかける情けもない」

 色のない声。そこには何の感情もない。先ほどまでの軽薄さはどこかに消えうせ、敵意ばかりが、冷えた感情が浮かび上がっている。

(失敗。いや、目的が潰えたから、かしら)

「――何故、私だったの?そして何故、夏梅だった?」



 ――始まりは何だった?

 そう、鬼灯に問いかけたあの男。そして、それと酷く似通う鬼灯の“何故”。

 ヴェルゼは二人を重ねて見た。よく、似ているのだ、鬼灯は。

「……そっちのガキはただ、姫さんを傷つけるのに相応しい“近しい者”だったから、だ」

「嘘ね。郵便屋さんは夏梅が見かけ通りの子供でないことを知っていた。あなたもでしょう?だから、生き残る可能背が高い夏梅を、利用したんだわ」

 その子供がただのガキではないことは知っていた。けれど、

「それはいくらなんでも買いかぶりというもんだぜ、姫さん」

 ――ああ、この何でも見通してますって眼があの(おやじ)と同じで、胸糞悪ィ。

「もう一つの方は?」

 けれど、鬼灯は尋ねた。己であった意味、その選ばれた理由を。



「……世界(いかい)に通じ、受け継ぎし者――世界樹(ユグドラシル)。それがあんたの正体だからだ、鬼灯」



 ――鬼灯は、鬼灯の木の子兵なんかじゃない。

そんな認識は端から間違っている。


「――私が、鬼灯の木の子供じゃないって、言ってたわね。本体だって。けれどそれは……」

「突拍子もない話だ。だが、姫さんはもう、分かっているんじゃないのか、本当は」

 ――君はもう、知っているでしょう?

 親父の声が耳から離れない。

 鬼灯は知っているはずだ。だからこそ、繰り返した。彼女は聡い。だからこそ、解っているはずだ。知識が与えられ、自分がどういう立場なのか。



「――鬼灯」

 隠し事はするな、と立会人であり監査官である夏梅が言葉なく厳命する。

フゥッ――小さな吐息。

心の整理と共に知識を解放する。言葉は紡ぐ、鬼灯の只管溜めて来た世界を。


「歪の始まりは一つの出会いからだった」


一人の孤独な女をその存在が見つけたことに始まる――。

『ねえ、そんなところで何してるの?』

彼女は問いかけた。

彼女の病室の向こう、空の風景に混じっている青年。後姿しかわからないが、いつの間にか映りこんでいた。……ここ、10階なのに。

『ねえ、聞いてる?ていうか聞えてます、君』

『……それは我のことか?』

青年は振り返る。その容姿に彼女は驚いたが、けれどカラカラと笑って見せた。

『そうよ。私と貴方以外ここにいないじゃない』

『我が見えるのか。声も聞こえる?』

 青年は“不思議”だった。地上から随分離れた10階の窓に平然と顔を晒している青年は地に足がついていないことは確実だ。その言葉でさえも、まるで自分が幽霊だというような口ぶりだ。けれど彼女にとって“不思議”は身近にあった。彼女の仕事は何と言っても、“不思議”を体現したようなものだ。――術士。人外の力を扱う職種。

『あたりまえじゃない。見えなくって話せないなら誰も話しかけないわ』



――ソレは生物とは言えなかった。命を持ち意志を持ち、けれど人でも動植物でもない、生命体。そんな二人は出会った。


『ねえ、名前ないの?――なら、私がつけてもいい?』

 彼女は笑った。

とても幸せそうに、世界中のすべての幸福を体験したというように青年へ笑いかけるのだ。青年は無感情から徐々に表情が出てくる。青年は彼女に色々なことを教えられた。彼女に会って、初めて笑顔を浮べることができたのだ。

『あなたの名前は……     』


運命に導かれるようにして愛し合った。すると子供が出来る。

「“異界”と人間の女が愛し合い、ヴェルゼと迎が生れた。でも、異界の血を引いた二人は普通の人間とはいえなかった」

三人になり四人になり五人になり、――家族として成り立つことはなかった。

二人と一人と二人。


「異界と女。迎。ヴェルゼと“妹”――そこにあった家族はそんな塊でしかなかった」


ソレは家族も子供も定義が曖昧で父の実感もなく、母も母足り得なかった。

だから子供は孤独だった。それだけに留まらず歪みは子供を侵食する。


「迎くんはね、信じられなかったの。自分の生い立ちが、自分が人外だという事が。……だから、いつしか見えなくなった。より人外(ばけもの)である兄妹を否定した」


ソレのソレが故に妹は眠りにつき、弟はソレを嫌った。

子供は愛を探した。五人は二人と三人で、三人はそれぞれ独りぼっちだった。


「そして子供と弟はいつしか敵になった」

 ――それが二人のモノガタリ。


「……身体の弱い妹さんは人の世には適合しなかった。だから、眠りについた。ヴェルゼは彼女を眠りから覚ますために異界をこの場に呼び寄せようとした。――異界でありながら人の身体を持つ彼女は純粋な異界には連れて行けない、から」


「――ッ!?それって……」


「私と同じ。だから彼らは似てるって言ってたのよ」

そしてヴェルゼの言うとおり、鬼灯が世界樹の異界ならば“異界”を引き寄せる道具となる。

(ヴェルゼは“異界”に彼女を救ってほしかった。けれど)

 実際、“異界”は鬼灯に誘き出された。けれど、彼はヴェルゼに協力するでも自らの娘を救うでもなく、――鬼灯の保護だけをした。

 鬼灯を犠牲にしようとしたヴェルゼは彼に異界を制御されて抵抗もできずに拘束された。

「でもなんで“異界”は鬼灯を保護したんだ?」

 夏梅の質問には答えられない。空白の知識は奪った当人が返した。

けれど、知識にないものは答えられない。


――額を指で押すのは彼の唯一の癖だ。

 けれど、それはつまり弱点に触ることでもある。記憶を操り、映像を奪って、与える。彼の、彼だけの特権行為。……異界を超えた能力。



「――妻だから、だろ」



「は――っ」

 夏梅は否定しようとしたが、言葉は出なかった。

 否定する材料が何一つないことに気付いた。考えてみる。

(ありえない話じゃない――)

 時系列に問題はない。問題があるのはその関係性だ。

 人の、術士だった者が異界となる?――そしてまた、人の身体に宿った?


(そんな馬鹿な話、あるはずがない……)


「……わからない。その知識は私にはない。知っているのはあの人だけ」


「母さんは術士だった。だからこそ、死の危険は常にあり、親父と会った時も死の病に冒されていた――母さんを、親父は救った」

 方法は知らない、と最後に紡ぎ、以後ヴェルゼは沈黙を保った。


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