紅い舞台
――命を刈り取ることを恐ろしいと思ったことはなかった。
それは直接的ではなかったからなのか、それともそう思う“心”がなかったのか。執着さえもなかった、今は、そのどれもが条件を満たしている。
「 っ」
崩れ落ちる、小さな体が前にある。
その体躯を屈ませて、患部へ、広がり続ける血の噴出すところへ手を当てる。
それは心臓だ。自分と対峙した小さな体の、胸に、禍具が突き刺さり、湿らせている。
――それが何処の誰のものか、その禍具を扱うものは誰なのか。
鬼灯は自らを見下ろし、視線を下げて、その“腕”を視た。腹から突然生えたそれはゆっくりと引き抜かれる。
いつも生意気で、上から目線のような口だって聞く。幼いながらもその瞳は明確な意思と覚悟の上にいつもあって、自分より年下なのに頼れるって思っていた。一つのことだけに集中する性質で、固執して、その対象が博士だけに絞られると、途端に借りてきた猫か何かのように従順に忠実に、使命感に溢れていて、真っ直ぐ立っているのに憧れた。典型的なツンデレで、喜怒哀楽は激しいけれど、大人顔負けの冷静な判断を下すことも出来る。一緒にお茶を飲んで、威嚇した動物のようだったのが、段々と他の人たちとも打ち解けて、気軽い掛け合いのような喧嘩の様な話を一杯した。
「――夏梅?」
返事はない。けれど身体は倒れ、鬼灯に寄りかかり血に染め上げていく。
「あーあ、鬼灯のせいだからね」
余計な死人が出た、とフィアが呟く。血塗られた刃を確かめる様に触り、退屈そうな顔で、何気ない風に仲間を切り捨てた。
「 」
なんと言ったのだろう。その表情はやっぱり小生意気な、幼いもので、声も聞き取れないほどに小さな、小さな紡ぎ。
「――鬼灯」
呼びかける声はいったい誰のものだったろう。諌める為のものだというのに、気遣いがある。
けれど鬼灯は――音もなく。ただ、ただ立っていることしか出来ない。
「夏梅さん、どうして……」
急に口調の変わった鬼灯に迎は凍った表情を見せた。それは人格入れ替えの証拠だった。
動揺して理性が飛んだ為か、制御不能の為かは迎には判断のしようが無かった。それに、どちらにしても状態は似たものでしかない。理由はいみない。現状――今が危険なことには変わりない。
「そんなの、告げ口しようとしたから」
告げ口――謹慎中の鬼灯がこの場へ来たのはついさっきだ。用件も何も聞いていない。けれど、“彼女ら”が告げ口、と呼び、このように組織を構成する人物を手に掛け、殺人を意とするからには、組織への反抗の目的のある意志グループとみなせる。
鬼灯がその仲間だというのか。いや、裏切ったということか。夏梅を襲ったのは、鬼灯に対しての見せしめか、罰か。どちらにしろ仲のよい人物を目の前で刺されること、何も出来なかった事実というのはどうしようもなく心を抉る。それが鬼灯に対しても適用されるのかは別だが。この様子では効果があると見える。心がないはずなのに、感情のないはずなのに。ただの現象のはずなのに。――ヤイールに会った時を思い出す。感情が宿っているように見え、一度は否定した可能性がこの場で、こんな時に浮かび上がってくる。
……鬼灯は、どうしようもなく人間的だ。
切り捨てることが出来るのか。自分は、何を思うことも無くその存在を断罪できるのか。
迎の思考は敵を前にして、けれど鬼灯にだけ注がれる。
「それに犠牲が必要だったんだよ?」
マリネが言った。始終笑顔を浮かべた彼女は、能天気でも何でもなく、ただ嘲っていたのだ、自分を。その腕は郵便屋に絡みつき、二人は恰も恋人同士であった。けれど、郵便屋はいつもと違う。同じなのは姿形だけで纏う雰囲気も気配も身のこなしも、全てが違う。何より、存在が違う。郵便屋の形のあの存在こそこの組織に反抗するグループの頭。
――たった三人のグループで何が出来るというのか。
出来ることといえば、そう。鬼灯の心を傷つけることだけだ。自分と仲のよかった存在は、あけてみれば悉く敵だった。そんな馬鹿げた話がここにある。
「犠牲――?」
自分にどんな罪が架せられているのだろうか。ヴェルゼとの逢瀬は誰に告げるなとも言われていない。知られてはまずいこと?それはそうだろう。けれど、自分はそんなことの為にここへ来たわけではない。会議室の中に大勢の人がいるのは分かっていた。そこには博士も夏梅も、迎もいることを承知で、この場に来た。
会議の中断に対して組織や上司に罪を問われるのならばいい。けれど、なぜ彼らがそれを罪という?――自分は、ただ迎に問い質したいだけだ。真実を。
この不安を払ってくれ、とそれだけしか望んでいなかった。けれどそれが彼らの禁忌に触れた?……夏梅にあんなことをするほどの何かを、自分はなしてしまったのだろうか。
「「姫さんのことを起こすためさ」」
郵便屋の声と迎の声が重なる。不意に感じた寒気に距離を取った。
隙を見せていい相手ではない――迎は。
「「よお、この場面を見るのは初めてだろ?こうして現実を見るのはどういう気分だ、姫さん」」
「迎くん、あなた――」
迎の口から発される言葉は、迎本人のものではない。よく似た、違う存在。
――ヴェルゼ。
何もかもの原因。悲劇の、根源。
「「おっと、勘違いしないで欲しい」」
迎は自分の口から、自分以外の意志による言葉が発されるのを聞いていた。ままならない身体は、まるで誰かに乗り移られているようだった。けれど、それが誰に分かろうか。
自分は敵としてみなされる。
「「俺はヴェルゼ。迎とは別だ。あいつも“ここ”にいるけどな」」
この男は誰だ。馴れ馴れしい。しかし弁護をもする。
自分の身体を掌握したこの存在は、……差し詰め幽霊か。そんな非現実的な存在がいるとでも?しかし現実に“異界”という存在がこの世界にはある。ならば幽霊も否定できないと?
――異界の能力だろうか。
「「そうだな、分かりやすく言うと、俺は迎の中に間借りしてた、寄生体とでも言おうか」」
言葉一つ漏らせず、指一つ動かせないこの状況が酷く苛立つ。
それは鬼灯の眼を見て、酷く揺さぶられる。何故、俺なのか。そこに理由が潜んでいるように思えた。何の関係もないはずなのに、こんな男など――ヴェルゼなど俺は知らない。
「「もちろん、俺の身体は別にある。ただ、それが使えないからこうしてここに身を隠してた」」
体が使えないとは?――数々の疑問が渦巻く。
そんな今、この状況は有り難いともいえる。激情に駆られ迂闊に動くこともないこの状況。冷静にいられない自信がある。
「「まさか、探し続けていた敵が自分の中にいるとは思わないだろう?」」
――ヴェルゼ
それは組織の目的の一つ。いや、それこそ大本だ。
人の世に存在する異界――そんな歪を意図的に生み出す存在が、ヴェルゼだ。組織はその男を捜していた。けれど、直接対峙したことはなかったはずだ。俺も、この存在も。
――どこか感じる既視感。それは自分に出会うかのような不思議な感覚。
*** *** *** ***
ヤイールはその会議に出席していた。
それは鬼灯を抜かして、組織の構成員の八割が揃っていた。残りは任務中や最低限の警備らしい。大きな部屋だが、組織全体の構成員のほとんどが出席となると、狭苦しい印象を与えている。傍には迎、リンという幼子、博士と呼ばれる怪しげな男、夏梅が座っていた。順に出入り口に近い席だ。
ここ数日、迎は監視役という名目で鬼灯の謹慎中はヤイールのパートナーとなっていた。組織に入って、まだほんの一週間も経たない、そんな右も左も分からない状態で、ヤイールはこの会議に参加することになったのだが、議題が鬼灯。それも自分と戦った時のことに所以すると言うのだから出席しないわけにもいかないだろう。
――異界が意志を持つ、その異常性。そして今後の対応。
資料を配布され、次々と報告者がそれらを上げていく。といっても、鬼灯の監視役でもある迎が発言することが多い。もしくは研究者だ。そういう場面を見るとこの組織も普通の会社のようなものだ、とヤイールにも現実感が身に沁みてくる。何せ、この組織は得たいが知れない。輪郭も定かではないように思えていた。
廊下で擦れ違う人でさえ、見たことのある人物のみで、十人程度による小規模組織なのではないかとさえ思ったほどだ。そもそも、この組織も建物もどこの国にあるともしれない。
任務に出かける以外は出られないようになっているらしく、中庭はあれども外に繋がる出入り口さえ見つからない。建物は上も地下もどれだけあるのかさえ把握することが出来ない迷宮になっている。任務時でさえ、異界の扉を使用しているのだから、この場所がどことも杳としてしれずとも生活が出来るようになっている。
――鬼灯はもともと、“異例”として注目を浴びていたらしい。
異界のできかた(・・・・)は自然発生型、人工発生型、そして出現型の三つに分かれる。
自然発生は長く期間を経た事物に異界が宿るというものであり、それはリンという幼子の中に吸収された異界――“森”など。
人工発生型は以前からあったが最近では急激に増えているらしい、異界による“事件”の原因。古いものに力が宿るのは当然としても、それを意図的に暴走させて事件を起していると思われるもの。自然発生型は伝説や噂話となっているものが多く、危険性が無ければ組織の回収対象にはならない。だが、この人工発生型は人の世に大きく影響を――言ってしまえば殺人など――犯罪事件に関わるために即座に対処する。これが元々の組織の出来た理由らしい。――“水魚の噴水”だか、かなり危険な異界もあったらしく、何人もの構成員が亡くなったらしい。それを壊し、吸収したのが鬼灯というわけだ。
そして出現型は、“異世界”と呼ばれる、隣り合わせの別空間からこちらに“渡って”きたもの。突然、人の世に現象が起こり始める。――空間隔絶の能力を持つ“間”や、異界の能力を切断することの出来る刀――“鬼斬“など。
もう一つの分類法――異界側に立った分け方として、二つに分けられる。前者は研究として、また時間を経た方が能力の格として上がるので、その見分けとなる分類法だが、こちらは戦闘スタイルといったほうがわかりやすい。意志を持ち、自らの本性に基づき能力を行使する“自律型”――“森”もこの部類に入る。リンという気に入った者に対して“力を貸す”“協力する”という関係性を持つ。もう一方は他律型――装備型のものは殆どこれに辺り、使用者を自らの意志によって選ぶ代わりに能力の行使は他者に全権を預けたもの――“鬼斬”などのように誰にでも使用できるものもあれば、選定者以外は使用を拒み傷つけることすらある異界もある。後者の方が圧倒的に多いので、組織は封印を施したり、能力の弱いものであれば符術などで制御権を奪って行使している。
鬼灯は自然発生型の部類だ。そして自律型。これだけならば問題はない。しかし、人の体の中にある。――それはリンのように人と協力する形とは歪んだ関係性だ。外側は人でありながらも、それは単なる異界でしかない。現状に当てはめるならば“人に協力する自律型”が近い。しかし、鬼灯は個体として存在している。自由に歩き回り、能力を行使する。それが他の異界に能力の制御を預けるなどということは、ない。
――だからこその“異例”。能力が吸収であるからこそできる芸当。
細かくすれば他にも分類法は多々あり、人の行動などによる一定の現象が起された場合にのみ能力を発生させるものや、人を惹き付け呼び寄せる能力を持つものなどもある。ちなみにこの後者には鬼灯が代表例だ。物事を引き寄せる性質――それも本性によって変わるものだ。
「その、鬼灯が“感情”を持つ――人のように?」
改めて説明されるとその異様さが際立つ。
あの時、初めて会った時、ヤイールは突き動かされるように鬼灯にのめりこまされた。その強い瞳が、恐れのない心が、好奇心の塊のようでいて知的な彼女が――ヤイールを惹き付けた。けれど、それは情が引きずられたというのか、能力に。
本能的な恐怖を抱いた。あの状況で微笑を浮かべる姿に異様だと思い、けれど惹かれるような部分もあった。感情豊かに見え、しかし現実には微笑み以外の表情をみせることのない無表情に、彼女を何とかしてあげたいと思った。……それが、能力のせいだというのか。
ヤイールは自身の心を信じきることが出来ない。初めてあった少女に現を抜かし、長年ともにいた仲間を切り捨てた。それは普段の自分ならばありえない行動ではないか?
考えれば考えるほどに分からなくなる彼女への思いの正体。
――しかも、そんな彼女が自分との出会いをもとに“感情を得た”?
それはまるで、どこかのできすぎた物語だ。仕事で惚れさせた相手を本気で好きになってしまうような、裏切り利用する為に近づいた者に恋をしてしまうような、そんな三流よりも拙い恋愛話、使い古された悲劇。
――そんなものだというのか、俺と、鬼灯の物語は。
自分がわからないからこそ、苛立つ。何も理解しないままに弁護の為の言葉を開きそうになる。自分に自信を持ちたいなら、この思いに自信を持ちたいなら、疑うよりも先ず先に信じればいい。けれど、自分は自分を疑ってしまっている。――俺のこれはただの能力効果なのか?
――この思いを、本当に気のせいにしてしまっていいのだろうか。本当に?
思考の狭間にいる時間は、そう長くなかった。しかし、外の時間では既決するに値する間だった。会議の終わり、結論を聞かされる。いいや、聞かない。聞きたくない。
ヤイールは“人間”になった異界を、鬼灯を認める。だからこそ、組織などという曖昧な存在の結論などに揺るがされるわけにはいかなかった。
立ち上がり、抗議の言葉を開きかけた。
――コンコン!
強めの、ノック音。
静寂に響く音に全ての視線が集まった。入り口の扉をすかすように、強い視線だ。
それは会議に出ていないものだけがする動作。皆、それが誰なのか分かっていた。この場にいないものなど、限られている。
扉は誰が返事をするでもなく、静かに開かれる。
……ああ、やはり。
ヤイールは自覚するしかない。
能力の影響にしろ、何にしろ、自分が彼女に強く、焦がれていることだけは事実なのだから。
彼女は口を開く。一番近いのは夏梅だ。
そして、惨劇は起きる。




