王と姫と少女の理由
「なんだ、あれは!!説明しろっ!!」
戻った意識に、開口一番かける言葉は間違っているだろう。けれど迎がこのような態度であると責め辛い。珍しいことに迎が激昂している。説明を求める前に説明をしろ、という気分だったが鬼灯も自覚があるだけにバツが悪くなる。
「……どっかの馬鹿なバーサーカーよ。血の臭いに反応して出てきちゃっただけだわ。」
口を動かしながら腕を動かし、動かせずシャラン――と音が鳴った。
拘束具は異界のものであるらしい。人間の使うそれは冷たく、金属の重さを湛えるがこれは重さを感じさせず、物理的な拘束としては弱いが動かす度に清廉な鈴の音が響き、動かす気力を根こそぎ奪う。尤も、この音は頭の内に起こるもので、実際には鳴り響いてはいないのだろう。
見渡しても鬼灯の記憶にない場所。組織の本部ではあるのだろう。暖かく、明るい部屋。それでもここは牢獄だ。横続きに連なっている部屋は透明な仕切りだけで羞恥を煽る。
対面する迎は壁に括りつけられていた鬼灯を開放し、机についた。軽く現状を聞く。ヤイールは異界所持者として組織の一員になったそうだ。他の盗賊たちとは縁を切った。異界の能力で接触しても分からないように、間柄というものを切り刻んだらしい。
そして拘束は“あの男”に対する警戒のためらしい。第三人格――名前さえない人格の一つ。鬼灯としての本来の意識が戻ったところで、部屋を移るらしい。それとて自室ではないらしいが、この場所よりかはマシだろう。そして漸く、補足説明をする余裕が持てた。
「最近、自分の制御が利かないのよ。人格が入れ替わりやすくなってるって、言ったじゃない」
自身の力が安定しない為に、人形としての意志の無さを他人に制御を預けるという形で実現させていたのがリンによる接触だった。鬼灯自身の異界を押さえ込むに当たり、他の異界からの影響は強く作用する。そのために他の装飾として携帯できるような異界の確保という今回の任務は都合が良かった。能力を無理矢理抑えつ避けるような愚行ではあるが、凶暴な性格――今回予想が当たり出てきてしまった第三の人格――などの被害を考えるに、少しずつ慣れさせていく必要があるために必要な準備だった。尤も、制御を得るために制御を外すという、腕輪の件はヤイールの実力が高かったことに文句をつけるぐらいしか出来ないだろう。本末転倒ではあるが。
「私の中には幾つもの精神体が混ざり合って統合している。表に出るのは明確な意思のあるものだけ」
その点で言うならば、それができるのは珠洲だけだ。鬼灯の中にあってさえ意志を強く持ち続けるということが出来ているのは彼女には目的とも言うべき願いが、絶えずそこにあるからだ。勿論、もとは彼女の身体ということもあって、意志の強さが鬼灯に勝れば外に出てくることが出来る。本物の――大河珠洲という一人の女子高生という存在に戻る。
そうなれば鬼灯に明け渡している身体を取り戻して、リンのように身体の内に異界を含め融合しながらも人としての存在となりえる。しかし主導権・所有権を委託したがために主従が変わっているのだが、命を、目的意識を持たされた鬼灯はリンの明確な意思のない役割だけの異界よりも制御が難しいのが実際のところだ。人である彼女に、鬼灯でさえも制御できない力が制御できるのかは不明。
「戦闘時の加奈と通常時の珠洲。それは人格を応用するだけで魂事態を引用しているわけではないから、問題はない。取り出そうと思わなければごちゃ混ぜで人格も魂もないと一緒だもの。意思もない。だから今回の場合は、――そうね、“例外”」
鬼灯は自身の能力がここ最近以上に高まったことについて一つの見解を、不確定な推測を持っている。けれど、それを今ここで話すことは出来なかった。
「アレの琴線に触れるような出来事が起こったから支配権を強引に奪われた」
名前もない人格が台頭するほどに強烈な、“琴線”――夏梅のことが原因だ。
「強者になりたい、強者と戦いたいって出向いてきた生粋の馬鹿。戦闘以外に興味はない。人懐っこい性格で切り結んで相手が生きていたら懐くわ」
目の前の敵にしか興味はない。それに女子供も“弱い”から苦手。
過去に何があったかは知識で知っている。だからこそ、扱いやすい性格だ。子供で、成長しきっていないその心は憎しみと怒りと、戦闘においてだけ強い意志を持つ。血の匂いがしなければアレが目覚めることはない。
「真剣でなく勝負しておけば手元において置けるぐらいの、飼い馴らしが出来る性格よ。それほど問題ではないわ。」
問題は、――私自身。
「異界の力を上手く、制御できない。だからこそ今回のことが起きた」
任務をこなし、異界を取り込むごとに大きくなるそれはもう最初の数倍にも膨れ上がり鬼灯の手に収まりきれるものではなくなってきている。
「だから、他の異界で押さえようとしてたんだ?今までが大丈夫だったなら何か理由があるんじゃあない?」
突然の声は博士のものだ。こっちこっち、と手を振り部屋に入るように促された。そこがこれから暫く過ごすことになる部屋なのだろう。リンと夏梅がいた。どうやら、夏梅は軽症だったらしい。見た目には何処も傷がついてないように見える。
トテトテと鬼灯に近寄ってリンは手を取った。そして何かを感じ取るように眼を瞑り、言う。
「……異界の力が、どんどん膨らんでる」
「リン」
鬼灯は諌めるような声音でリンを呼ぶ。人の身体に異界が入るという奇妙な具合を共にするものとして感じるところがあったのだろう。
「取り込む分、掌握する異界が大きくなるのはわかる。でも増加の仕方が異常だよ」
どちらかといえば無口な方のリンが諌められても尚、追求するほど、この話は根が深かった。
「けれどこれは私の感覚の問題だから……」
「それは気のせいなんかじゃないんじゃなーい?調べてみようか?」
難しい顔をしている一同に、取り成すように言いかけて、博士の声が横割りする。
今から胸が高まるねぇー。とカラカラ笑う博士に今度は夏梅が諌めた。
「だぁって、鬼灯くんは通常の刃物なんかじゃ傷つけらんないからさぁー。試す、いい機会だと思わないー?下位の異界封じのナイフで事足りるかな?」
鬼斬を使ったら消滅するのかねぇ?なんて、不吉なことを言い出す博士にそれは止めて頂戴ね、と釘を刺しつつ会話を進める。
「どっちにしても、私は暫くここで生活することになるんでしょう?」
「まあね。一週間か、二週間か、一ヶ月か。わからないけど。」
お上の考える事は僕にもわっからないからねー。と暢気に言ってのける博士。割りと特殊な位置にいるみたいだが、博士もお“上”には違いないはずだ。自由も聞かせているために行方をくらませることも容易く遣って退ける。
「珠洲ちゃあーん」
ひょこっと扉から頭だけ出して声をかけた少女に鬼灯――珠洲のまねをした状態の彼女は顔を上げた。
「マリネさん」
「遊びに来ましたぁ。っと、それ招待状?早く着すぎちゃいましたぁ?」
マリネは机に散らばった小さな手紙のようなものを見て、鬼灯が何かを言うよりも始めに状況を知る。任務のない時は鬼灯のところへお茶を飲みに来るのが日課であり、研究者であるマリネは毎日のように顔を出していたのだ。今回のように部屋を移って尚、謹慎するためにその旨を伝えようとしたのだ。
「いいえ、気にしないでください。逆に、気を使わせてしまったようですね」
「呼んでくれようとしたんですかぁ?ありがとー。でもぉ、私が珠洲ちゃんのお茶飲みたくなっちゃっただけだからー。ふふふふ」
ちなみにこのお茶会は飛び入り参加が多い。鬼灯の入れるお茶はおいしいと評判なので常に三人から四人ほど来ていて、このように独占できることにマリネはにっこりと満足そうな、少し含みのある笑顔を見せた。
「今、用意しますね」
そう言って何もない場所から器具やら何やらを取り出しお茶を完成させていく。
――まるで手品のようだ、と思う。
実際には異界の能力を使って場所と場所を切り貼りしてショートカットをして取り寄せているだけなのだが、その流れるような仕草を見ていると無から有を作り出す神の次元の生きもののように思えた。
「ああー幸せですぅ」
入れられた紅茶に一息、マリネは幸せのため息と感想を漏らす。お菓子も持ってきたので甘い甘い時間だ。これで仕事の時間など気にせずにいられたらもっといいのに。一日中だらだらお話できる。そんなことを思いながら話題に花を咲かせていく。尤も、色気のついた話などではない。殆どが仕事に対する愚痴や最近思ったことなどをマリネが殆ど一方的に語り、鬼灯が頷き静かに聴くというのがいつものスタイルだ。
けれど今日は違う。鬼灯がこんなことを言い出したからだ。
「マリネさん。私、最近変なんです。胸が熱くなったりするんです」
「――女の子の話題は大抵が恋バナか秘密か流行か恋バナですよぉ。心臓がバタバタするなら恋バナですねぇ」
鬼灯にもついに春が来たか!と興奮しそうなのを抑え、抑え切れない緩む頬の筋肉を紅茶を飲んで隠し、人生の年長者としての鷹揚さを見せようと落ち着いて答えてみせる。口調が変わらないので鬼灯にしてみたらいつもと同じにしか思えなかったが。
「恋、ですか。私、異界ですよ?」
「それでもぉ、恋はするものではなくてぇー落ちるものですからぁ」
表情が余り変わっているようには思えない鬼灯の顔を眺め、けれど声音には滲み出るその心情を察する。区切り区切りの言葉はその驚きとパニック、不安さを象徴するではないか!と爛々と瞳が輝いて身を乗り出しているにも気づかないまま、未だ年長者としての威厳のようなものを保とうと表情を取り繕うマリネ。
「ふふふ、二人だけの秘密ですねぇ。秘密の話。私の秘密も話しちゃいますよぉ」
紅茶を飲み干し、もう一杯と注ごうとした鬼灯に黙って静止してから顔を寄せた。
「私ぃ、鬼灯と同じなんですぅ」
今度はきちんと内面も落ち着いたようで、耳に吹き込まれる言の葉は……いつもと同じ語調なのにも拘らずやけに、――冷たく、冷静に聞こえた。
「――マリ、ネ」
鬼灯はその時、凍りついた気がした。顔を離して立ち上がるマリネ。唇に指を添えて呟くように、唄うように言葉を紡ぐ。
「おにんぎょさん、今日は何しましょうか、って」
その瞳とかち合う。それは硬質な色を湛えて底が見えなかった。
「もう時間なのでぇー失礼しますですぅ。今日はありがとでしたぁ」
鬼灯がショックのようなものから立ち直る前に彼女は退出の意を述べた。そこにいるのは先ほどお茶を飲んでいた時と変わらない、楽天家で昼行灯のマリネ。
「ふふふふ、秘密の共有、しちゃいましたですねぇ。いろんな人に自慢できますですぅ」
スキップでもしそうな足どりで扉へと向かう。鬼灯には背を向けているのに、未だに硬直が解けない。背筋は凍りついたままだった。
扉が開き、その姿が隠れ、扉が閉められる。それまで鬼灯は動けず、話せずにいた。
「夏梅ちゃんとかぁ、リンちゃんとかぁ、博士とかぁ、迎ちゃんとか!でも話せませんねぇー言えませんねぇー」
指折り数える素振りを見せながらも彼女は鬼灯を振り返らない。不自然なほど鬼灯のことを気にかけない。もう用はない、とでも言いたげに。
「――でも、ご主人様には言っちゃってもいいかな?」
「そういう不用意な発言はどうかと思うけど?」
こんな場所で、と苦言を述べるのは同胞の少女。
「ふふふ。ヤキモチですかぁ?」
彼女の皮肉にマリネは幸せ気分のまま言葉を返す。若干的外れだったが。
「あんたと話すのは疲れるから嫌だ。さっさと行きなよ」
フィアは吐き捨てる。彼女としてはこれ以上会話するのは無意味、ということを思い知ったが為なのだが、それを正面きって“勝った”などと喜ばれれば、それはもう、堪らなくなる。その場で子供にするように叱りつけてしまいたい。
「お仲間なのに冷たいですねぇ。行きますけどー」
マリネは最後までそんなことを言って去っていく。
また、こんな調子のマリネが二十代の半ばだという事実と自分の方が年下だという事実を思い出して、悩んで、結局止めるのだ。話す必要なし、と評価したに過ぎない。
「お見舞いに来たよー」
フィアは軽く挨拶して、部屋に入る。そうすれば仮とはいえ部屋の主となった少女がフィアを迎えた。
「お久しぶりです、フィアさん」
柔らかな微笑みはちっとも十代の少女の煩雑さがない。優雅で、落ち着きがあって、マリネなんかとは比べようもないほどに大人びている。
……大人びた少女がいれば、子供過ぎる大人もいるって事か。
個性ある面々が多くて困る。これで組織として成り立っているというのだからフィアにしてみれば不思議だった。
――何の縁か、嫌がらせか、異界の能力適性者として意志ある異界との交渉役という大それた仕事を請け負っているが、私自身は普通だ。
「途中でマリナと擦れ違った。すんごいウザイくらい浮かれまくってて、どっか頭でもぶつかればいいのにって、何度思ったことか」
席を勧めお茶の準備をする鬼灯にフィアは簡素に感謝を述べる。
「暫く顔出せないから、その前に会おうと思って」
「いつも遠出ですね」
「長期任務しか用意されてないんじゃない?それ以外、引き受けたことない気がする」
何かを思い出したのか、顔を歪め、それを振り払うように紅茶を飲もうとしたが、熱いことを忘れていたのか、口をつける寸前で留めた。
その仕草がやけに幼く見えて、鬼灯の口元が緩んだ。年齢にあった行動を取り平凡・没個性を目指す彼女がそうやって失敗する姿は微笑ましい。いつもハキハキとした彼女はその実、小さなことでクヨクヨとして、そんな自分に駄目だしするようにして明日への活力に変えているのだ。そんな彼女を見ていればこっちまで頑張りたくなってくる。加奈と珠洲が掛け合わさったかのような彼女が凄く好ましい。
「珠洲、今だから言うけどね、最初はあんたが嫌いだった。けど、変わったよ」
「あんたはあんたらしくいなさいよ。周りに引っ張られちゃ駄目。自分が振り回すんだよ」
じゃあ、と片手を上げて名残も無く出て行くフィアはどこまでも凛としている。立ち姿がカッコイイ、とか仕事をしている女だ、とか。普通だったらそんな評価かもしれない。
けれど、彼女はそっけないながら助言をしてくれて。珠洲にとって、いや鬼灯にとっては良き友人である。
「あ、そうそう。はい」
一度扉の外に出た彼女が戻ってきた。その手に掴むのは一人の人物で、彼は鬼灯の茶飲み友だちの一人だ。常連さんになっているのだが、何故だかいつも人に連れられて来る様な気がする。
「部屋の前でうろちょろしてた」
「あ、え、えっと、こここ、こんにちは、珠洲さん」
「こんにちは、郵便屋さん」
郵便屋さん、と呼ぶのはあだ名のようなものだ。彼の所持する異界が移動の扉だからだ。任務地に移動する為に使われる扉は組織と発つ先とに固定して自由に使えるようにしてあるのだが、この扉は一つではない。彼の異界は扉を作る能力であり、彼自身はそれの出入りを管理する者だ。だから、ものや人を運ぶという意味で“郵便屋”と呼ばれて親しまれている。おずおずと、挨拶する彼は、任務時はにこやかに送り出してくれるが、平常時は人見知りのようにおどおどおろおろとする。
しゃきっとしなさいよね、と一言を置いてフィアは今度こそ完全に出て行った。
「お茶、いりませんか?」
鬼灯から切り出すと、郵便屋さんははい、と返事をしてにこやかに笑った。
***
「よっぽど暇なのね、蝿の王様?」
鬼灯は窓辺に腰掛け、月を背にする男へと声をかけた。
「可愛い女の子を助けに来た勇敢なる王子だろ?」
「あら、私は捕らわれの姫ではなくて、毒リンゴを持った悪い魔女よ?」
軽口に軽口で返す男とはけれど王子などという甘い関係性を持った覚えはない。どちらかといわずとも、――敵だ。
「あんたノリがいいんだな」
意外だ、としみじみ言って無邪気に笑って魅せるヴェルゼ。鬼灯も笑みを返す。しかし、こちらは冷えた視線による、凍えた微笑。
「合わせてあげているのよ、ヴェルゼ。私って優しいでしょ?自分に何かした相手を侵入させてあげるなんて」
鬼灯の力の原因はこの男だ。このタイミングで来たのなら間違いはない。前回の接触によって植えつけられた、何かしらの能力と見える。何か余計なものをプレゼントして鬼灯の内部を圧迫させて窮屈にしているのか、能力による作用で能力を成長させているのか。どちらにしろ、態々敵に塩を与えてくれたわけだ。
「そうだな、暢気なお間抜けさんだと思ったよ。罠ってわけでもないようだしな。そちらにもそちらの都合があると見える。仲間になりたいってか?」
「冗談言わないで」
ぴしゃりと言い放って、一息。
この男と話すのは鬼灯に不安と不快感を与える行為だ。以前の無自覚なままとは違って、今は自意識が明確に芽生えてしまった。
表面は友好的ながら鋭く刃を向け合っているかのようなこの会話が辛い。一歩間違えば、たちどころに天敵同士の食い合いが始まる、そんな緊張感に満ちている。
「どうせ人工の異界を作ってばかりいたから“製作者”から辿られるのを恐れてそろそろ“本物”を使いたいだけなんでしょう?それに私を利用するつもりっていうのが皮肉ね」
仲間から裏切りの異界が出た、としたいのか“異界の自然暴走事件”として結末を用意したいのか、それはどちらでもいい事。
けれどヴェルゼはそれに曖昧な笑みを浮かべただけだった。当たらずとも遠からず、ということか。それもあるが別の狙いがある。
「――もとに、戻しなさい」
強い語調で押せば、それには眉を寄せる。
「好かないか?強いだろう?」
声音に険はない。だが表情には理解できない、という不愉快が浮かび上がっていた。強いということはそれだけで彼には随分と“良いこと”なのだろう。それ故に、強すぎる、という鬼灯の主張が分からない。
「この状態は私の意ではないもの。ああ、このまま拒否するようならうっかりあなたを捕まえてしまうかもしれないわね」
「実力が対等だというのか?」
からかい口調で述べた鬼灯にヴェルゼは上等だ、と受けて立つように言ってみせた。
確かに、いくら力が増長したとはいえ制御ができなければ意味はない。加えて、制御から外れた力を使って尚、この男に勝てる確証は無かった。ヴェルゼの力は未知数。だが、鬼灯の能力は組織の深部まで潜り込んでいるこの男にはお見通しだろう。
「守られるだけの人間とは違うの。……それに、あなたは人間でしょ」
「――さぁ?どうだか。そもそも人間だという定義はなんだか」
誤魔化しているというよりも本心で分からないような口ぶりにこちらの方が分からなくなる。考えを放棄したとも、諦めたとも取れた。
けれど、彼には確かに人の気配と異界の存在が交じり合っている。そして二つが交じり合った気配も外見も迎にそっくりなのだ。人と異界の共存する鬼灯もリンも同じといえば同じだが、決定的に何かが掛け違えているような、そんな違和感がある。
「お姫さんのことはよく分かる。何故、迎と同じ姿なのか。それが本音だろう」
核心を突くヴェルゼの言葉。夜の空間に響き、彼を王と称するのに相応しいような気にさせる。獰猛で野性的、孤独と不安を内包する。牙を持ちつつ静謐さをも兼ね備えている。静と動、二つの性質を持ち合わせた夜の王。
「少なくとも、あんたはアイツを信用している。組織を背に守ることまでは出来なくとも、組織に忠誠を誓って何事も逐一報告するほどでもなく、異界でない個人の感情で迎を見ている」
「憶測ね。何かあれば私も組織に報告するわ。今は何の証拠もない。実際の被害も何も出ていない。あなたの言うことが全て狂言だという可能性もある」
「捨てきれないだけさ。それを未練というんだ、“異界”」
姫、とも鬼灯、とも呼ばない。代名詞でもない。“異界”と呼ぶ声。
鬼灯に動揺が、不安が広がる。まるで迎に言われたようだった。冷たく、硬質な、侮蔑した声音。迎ではないと分かっているというのに、何故こんなにも心が軋みをあげるのか。
「分からないわ。私には感情なんてない。私は個人ではない。鬼灯の木の一滴、一部、一欠けら。……知識による人間的行動を繰り返し、コミュニケーションを図るだけ」
「その本体は何処に行った?」
びくんっと体が反応する。威圧に押されたのかもしれない。核心を突いたからかもしれない。けれども、真実に触れたからではない。
「接続は随分前に断ち切られているはずだ。他の子供たちを感じ取ることはできないだろう?」
真実ではない。事実ではあっても、そこから導かれるものは真実ではない。
「確かに、私たち全てを統括する本体はなくなった。そしてパイプを失った欠片は飛散し、それぞれに自由を手に入れた。けれど――」
「知識の共有はなされている」
それが真実であれば鬼灯は鬼灯でなくなってしまうような気がした。恐怖が、生存本能に即するときにしか湧かないはずの感情が心から浮き出てくる。
「これは異常だよ。勿論、人間の中に異界が入り込むのも、ただの人間が異界を御しきれるのも変なことだが、まったくないわけじゃない。現に、姫さんのお仲間にいるだろう?」
それはリンのことを指しているのだろうか。
組織では異界の扱いに三種類ある。一つは封印して寝かせる。一つは所持するのに適当な人物を手配して封印をつけて制御し組織の為に使用する。一つは異界との利害によって契約を結び組織に役立てる。
この異界との契約は異界に気に入られた人物にも適応させられる。最近で言えばヤイールだ。あの腕輪は所有者が権限を破棄しない限り外れない。
「だがな、だが、異界の本体から孤立して存在するのは違う。あんたは――“本体”になったんだよ」
「――わかっていたはずだ、その能力。その知識。導き出されないはずがない」
何かが、瓦解する。
変わってしまったことを自覚させる。
鬼灯は、鬼灯の実の一つとして、ただの人形であるならば感情が芽生えたとしてもまだ良かった。
けれど、違う。鬼灯は鬼灯の木――その本体であるというのなら、それは純然たる現象が意志を持ったということ。感情を持ったということ。“異界”が変容した。
――かつての、“異界”のように―――
「な、に……?」
変な言葉が思考に過ぎった。
けれどその言葉を考えること間もなく、ヴェルゼは言った。
「もう一度言う。俺のところに来い。今なら、まだ間に合う」
「――おまえはこちら側の存在だ」
「……何が間に合うって言うの。目的も分からないものに関わるつもりはない。信用できない」
辛うじて出した声は、自分でも分かるほどに情けない、震えたものだった。不安が滲み出ている。それでも、自身を奮い立たせた。ここで言っておかなければ、自分が揺らぐような気がした。感情を持ったからこそ、この男と対峙するのが余計に怖くなった。震え上がる心を直に感じ、震えを押し留めるのに酷く体力を消耗する。神経がすり減らされる。
「あんたは利用されているだけだ。この組織事態、目的が分かるのか?その創立の所以は?どれくらいの規模だ?」
矢継ぎ早に聞かれて、しかしそれ以前に疑問に対する答えなど一切求めていないのが分かった。そして、己がその問いに対する答えを有していないことにも気づかされる。
「あんたはどうせ利用できる駒。情報も与えられず、ただ尖兵として消耗されるだけだ」
その時の鬼灯の心情をそれ以上に的確に表すことは出来ないだろう。まるで見透かされている。羞恥心など無くとも、震えは身体に走る。恐怖が鬼灯に走る。
けれど、鬼灯は何も言えずとも、首を振ることが出来た。
「なあ姫さん、俺はあんたが必要なんだよ」
俯き、否定を繰り返す幼い仕草の鬼灯に一歩近寄ってヴェルゼは優しい声音で囁いた。
「俺にはさ、大事な妹がいる。アイツの妹でもある。だからさ、助けてやりたいんだ」
――妹。
その言葉がやけに耳についた。彼にそんな存在がいることが不思議でならない。大切だ、などという感情を持つ相手がいることを、これだけに似ていて血縁ではないという答えもない向かいに対する態度と“妹”への態度の違い。
わかった、分かってしまった。自分を必要だといいながら、異界と呼ぶあの無機質な声。鬼灯とさえ呼ばずにいるのは、鬼灯を鬼灯として認めていないからだ。
必要なのはその能力。そして、それは手段でしかない。異界は――ヴェルゼにとって目的を果たすための道具でしかない。
彼には自分と妹の世界があって、そのほかに迎という存在があるだけなのだ。組織や異界はそれに付属するものという認識でしかない。
「何故、人の側に着く必要がある?」
鬼灯は無意識の内でも拒絶を繰り返したのだ。ヴェルゼに改め疑問を口にされてそれに気づいた。意志は変わらない。組織から脱退するつもりも、彼の仲間になることもない。
差し伸べられていた手がさっと引っ込むのを眼で追いかけてしまって、眼を伏せた。
「――わからないわよ……」
ただ、いつのまにか守りたい人や大切な人たちが増えていただけだ。
ザ――ッと吹いた風がその人物を浚うようにして姿を消した。




