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鬼灯の実  作者: ロースト
14/20

あいまの間

 暗く、けれど明るく。

そこは不思議な空間だった。

 男と、少女がいる。少女は椅子に座り、けれど眠っているようで頭を横へと傾げている。そんな少女を男は、少女の視線に合わせるように、しゃがみこんで俯いた顔を斜めに見上げている。両手で頬付きして、つまらなそうな瞳でずっと見ていた。

「――あ。また、誰かが死んだ」

 何かが閃いたのと同じく、唐突な声を上げて男は言う。誰も聞くことのない言葉を、けれど話しかけるようにして。煌びやかに、幾筋もの光を反射して溜め込んだこの空間には幾つもの色がある。けれど寂しく、淋しく、何処か陰鬱で重苦しい。空間から逃れること叶わなくなった光もまた、少女と同じく眠りについている。

「ねぇ、誰だと思う?君のために、また誰かが命を落としたんだ」

 今度は明確に、眠る少女へと声をかけた。

返る声はない。頭の中でもすやすやと幸せそうな眠りの呼気がするだけだった。

以前は身体が眠っていても、その心は明るく弾んだ声を上げていたというのに、男は久しく少女の声を聞いていないことに気づいた。手を伸ばして頬に手を寄せれば柔らかな官職と暖かくも冷たくもない温度が伝わった。

「……みんな頑張るなぁ。君は眠り続けているのにね」

 じっと見つめる。少女の顔にはかつて男が愛したものの面影があることには気づいていたが、だからといって少女自体に愛情が沸くことは無かった。

 散っていった命は代償だ。少女のために刈り取られる命。少女のために生きながらえる命。少女はけれど、眠り続ける。少女のために何かをしようと思う心が男にはない。

 少女自体、世界のことなど、とっくに飽きてしまったようなのに何が少女の為なのだろう。少女はいったいどれだけの間眠りを楽しむつもりなのか、外のことなど知ったことではない、と眠りから覚める気配はない。

「もう、行こうかな」

 次の瞬間には一人、少女だけがその場にいた。少女は我関せず、と眠り続ける。男がいたことにも気づかなかったくらいだった。空間も少女と一体として、暗く明るく、眠る。

 ――それは一つの幸福の形。無理矢理壊すほど悲観的なものではない、安楽だった。



 ***


「珠洲」

「――加奈ちゃん?」

 彼女は首を振った。

 それは心の内であった。広い空間に、水色の世界。そこに珠洲は立っていた。

 声をかけられて振り向けば、加奈。けれど彼女は首を振った。彼女は加奈の形をした、他の何か。メッセンジャーとして、相応しい形を取っただけの、何か。

「鬼灯」

 優しく、そっと、唇は紡いだ。世界に波紋が広がる。

 魂だけの珠洲はそれを知っていた。鬼灯の中に取り込まれた人々の命。その中で混ざり合ったものの一つが自分である。鬼灯という存在しか、ここにはない――いや、こんなせい身体だけの世界など、今までは何処にも存在しなかった。

「鬼灯は人じゃない。現象。感情を持たない」

 言葉とならず、けれどそれは伝わった。鬼灯の中の世界なのだから当たり前といえば当たり前だが、それならば何故、このように分離しているのか。

 珠洲自身、魂に取り込まれごちゃごちゃとした場所にいたはずだ。意識も意志も記憶すらない、命の宿らない知識の塊としてしか存在しなかったはずだ。

 それが、こうして一人取り出されて存在している。

 “珠洲”――と名乗り、人と触れ合っているのは珠洲ではない。鬼灯が人格を使い分けているだけであり、その本質は鬼灯に帰属する。以前までの、人であった頃の珠洲ではない。魂の入れられていないただの器であることには変わりなかった。

「魂を幾つも入れ物に入れて、けれどどれ一つ人形の中になかった。なのに、どうして?」

 珠洲にはわからない。何故、今更になって彼女は自分の前に出てくるのだろうか。これではまるで――

「一つの魂を持った」

 感情を、異界という現象が持ったというのか。生き物ですらない、機械的で反射的でしかない、ただの存在が。

「命は始めからあった。でも――」

 あるようでないもの。現象として現出するにいたり人の世では形が必要だった。

あるものは装飾品、あるものは植物、あるものは生物。そこに存在する理由として、意味が、本性が必要だった。

森は内に存在するものを守り、腕輪は人を守り、空間もまた大切なものを守る為に存在した。耳飾は感情を知らせ、鬼斬は切るため、鬼灯は知識を得るために存在した。

 そのために命を与えられたもの、そのために意志を与えられたもの。鬼灯は命は与えられても意志は与えられなかった。欲求と本能、命を与えられた。

 命はあっても意志はないから人形のままだった。

「鬼灯は、私は――本当に、生まれた人格?」

 それは珠洲にどう見えるのか、と聞いているのだろうか。

 彼女は、いつもは加奈の性格を利用して、加奈の様に振舞って、その言動は限りなく人に近い。それは視ていたから知っている。でも今までは持たなかった疑問を持つ時点で、問いかける時点で、疑問を差し挟むべくもなくそれは一つの人格としての意識の芽生え。

 珠洲も加奈も、表に出ているのは鬼灯であって、本物の、魂を伴った以前の“加奈”でも“珠洲”でもない。鬼灯だ。それは知っている。魂の玉には加奈の魂も含まれているのだろう。会うことの叶わない、ごちゃごちゃの存在として加奈は鬼灯の中にいる。だから、

「“あなた”は、加奈ちゃんの性格によく似ているけど、加奈ちゃんじゃない」

 断言した。不安を抱える彼女に、勇気を分けた。後押しするように、拒絶するように。

 加奈ちゃんならば、こんなことを問いかけたりはしない。久しぶりに会えると思った加奈ちゃんは、けれど、何処までも彼女だ。現実での姿が珠洲であろうとも、その言動が加奈であろうとも、今この場に現出する姿が加奈であろうとも、どれも魂の違う、別個の存在だ。

――加奈ちゃんに会いたい。

 それだけが今の珠洲の全てだった。加奈に憧れ、目標として、追って、ここまで来た。加奈に会いたいという気持ちだけが明確で、だからこそあの全ての境界線が取り外された魂の塊で一つの魂として存在し抜き出すことが出来たのかもしれない。

「珠洲は強い。加奈はもう、形を捨てているのに」

 全てが融合し時分も他者も分からなくなるあの感覚の中で自分が自分であることを失わないですんでいるのは、もう二度と会えないと分かっている加奈への思いからだ。いっそ、融合してしまえば、加奈とはいつでも一緒だ。魂の塊の中で、みんながみんなごちゃ混ぜになる。でも、希望は自ら捨てることが出来ないでいる。

「ありがとう――話せてよかった」

 踵を返す彼女に、珠洲は人恋しさを感じたが、すぐに違和感を覚えた。魂の塊に引っ張られる気配がない。この場に留まれという事か。塊の中で、融合を迫られるのとここに一人でいるのとでは、どちらが責め苦なのか、わからない。

 優しいのか、厳しいのかよくわからない。それとも、意識の芽生えたばかりの彼女の不器用な親切なのか。



「――こんにちは」

 ぞく――っ

 誰もいないはずの空間で、自分一人しかいないはずのこの場所で、声がする。

 振り返れば、見たことのない男が背後にいた。瞬時に距離を取る。唯一、この場に来れるはずの鬼灯でもない。魂の塊の中にもこれほど異様な気配をまとった者はいなかった。記憶の片隅にも出てこない。

「だ――」

 誰何する言葉よりも、男の指が額に触れる方が早かった。

 ぐぁん――と頭の揺れる音がして、溢れる知識に男の存在を知った。


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