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鬼灯の実  作者: ロースト
13/20

何かが芽生えた 後編

「さあ、約束だ。――代償をもらおう」


 不躾な他の盗賊の視線も殺し、丁寧にテント内へと案内されるのが鬼灯には逆に不審に思えた。さっと内側のカーテンを閉めれば密室になった。ヤイールの雰囲気は甘く、恋人でも口説くようなそれだ。腰を抱く腕にも、下卑たものは感じられない。あくまで知性的に、けれど寝所へと誘ってくる。……そういう約束だったのでそれについては文句を言わない。代償は鬼灯自身であり、鬼灯の所有権は盗賊たちだ。その身が汚されようとも、切り刻まれようとも、何をされても問題はない。ただ、訝しみを覚えるだけ。武器の点検もしないとは、この男にしては無用心すぎる。


 瞳が合わせられて、言葉もなく唇が重なった。吐息が飲み込まれ、舌が入り込む。けれど乱雑に荒らすでもなく、唾液を交わす。身体は抱きしめられても押し倒される気配はなかった。瞳には確かに欲望が灯っていたにも拘らず、そっと唇は離れた。

 やはり、他の者たちとは違う。また、交渉に自らを差し出した者に対する態度でもない、と鬼灯は息を整えながら思った。

「抵抗はない。身体が震えもしない。――けれど、慣れているようには思えない」

 確かめるように口を出すヤイールに、鬼灯は初めて笑顔以外の表情をこの場において見せた。

「そうね、あなたは慣れているでしょうけれど、私は初めてよ。けれど、何処に震えることがあるというの?」

 疑問だった。純粋な、知識欲。鬼灯の本心から来る、人間へと求めるもの。皮肉でも何でもない、単なる好奇心。それは鬼灯にとっては何よりも大事なもので、腕輪を取り返すために交わした、“何を代えても大事”よりも大切なものだ。 そのために鬼灯は存在している。意味であり意義理由。この人の世で知識を蓄えるのに組織は非常に便利だ。しかし、だからといって目的と手段とを取り違えてはならない。

「初めてのことには不安が起こるものだ。それが望んだことでも、覚悟していたことでも、未知数の未来への不安は湧き上がる」

 生きている上で普段感じることの少ないのにいつでも付きまとってきやがる不安だ、と零して、鬼灯は一つの知識を得た、と満足に笑った。それを正面から見て、ヤイールは言葉を零す。


「――本当に、興味深いな。その度胸、気に入った」


 あんた、奇麗だしな、と何でもないことのように褒めてくるヤイールは鬼灯のシャツボタンを外しながら顔を埋めた。 肌に息が掛かり、くすぐったいと身体が逃げる。その背に回されていた腕はいつのまにか肩へ、そしてその薄い肩を堪能するように指を滑らし、肩に掛かった髪も紐も外し、鼻を近づけ、首の後ろへと口付けた。所有印のように、誰の眼も届かない場所へとされるそれに、身体は拒否か甘美か、震える。



「恋人にならないか?」


 その問いかけに鬼灯は首を振る。瞳は冷えた色を湛え、表情は笑顔のまま無表情。けれど、そんな鬼灯がヤイールには悲しげに映った。

「俺が嫌いか?」

「わからないわ。嫌いも好きも私にはないから。でも、嫌いじゃないわね」

 くすり、と小さく頬を緩ました鬼灯は、自分が自然の表情を引き出されていることに既に気づいていた。そしてそれに戸惑い、戸惑うことにも戸惑っていた。

 人間ではない、感情も持たないただの“異界”という現象が、人間の思考をトレースした人工的な感情を持つ人格である珠洲。彼女は一つの人格として独立させてある。感情に似たものを持つことはできる。

 けれど、そんな機能をつけた覚えもない、鬼灯本体である自分がなぜそんなことができるのか。“感情”というものが芽生えたのか。

 加奈の人格をベースにしているとはいえ、それは正確には加奈ではない。珠洲とは違う。加奈は鬼灯の中で確固とした人格を保てず、他のものと混ざり合っている。取り込んだものの知識を貯蓄する鬼灯の能力で彼女の性格を真似て、言動を起こしているだけに過ぎない。“異界”が人の世にあるための、動き喋る、人という器の人形。それが鬼灯である。

 ――鬼灯に感情が芽生えることも、表情が出るなどということもない。

 表情はコミュニケーションを取る為に筋肉を動かして作ったものに過ぎない。感情は人の性格や行動パターンから推測し同じような反応を身体に命令して行っているにすぎない。


「煽るな。引き返せなくなる」


 するりと動かされた手は下へと向かい、唇も追うように露わにされた上半身をなぞって下がる。その感覚に不思議なものを感じる。愛されている、と勘違いしてしまいそうな、軽口を鵜呑みにしてしまいそうな夢のような感覚が鬼灯の中に溢れてくる。


「それこそ、知らないわよ。でも知らないことが不安って言うのは、分かったような気がする」


 ――引き返せなくなるのは、こちらの方だ。


 気づいてはいけないものに気づかされてしまったのかもしれない。

 鬼灯は知識欲が本能に焼きついている。けれど、それがなければ不安ということも、何かの衝動によってそれを望むのではない。知識を集めるという機関でしかない。知らないことがあれば吸収する。それだけのはずだった。次々と知識を収めることだけが存在理由だった。それだけに意味があった。

 感情というものも、人間というものも、知識が足りない状態であるから人の世にいるだけのただの現象だ。鬼灯の木であったころと変わらず、ただ知識を待つ。知識を取り込む。それだけではなくなったのだろうか。自分は、何かが変わってしまったのだろうか。

 不安という感情に、初めて自覚した感情に、鬼灯は目の前の身体へと取り縋る。

「なんだか、可笑しい話。あなたのこと、私何も知らないのに、――安心できる」

 人は寂しい時に温もりを欲しがるのだという。ならば今の自分はどうなのか。子供のように他人を感じたがって、隙間を無くそうとする。他人という距離感でないのならばいい。……けれど今の自分たちは何者なのだろうか。他人でも自分でもない。友人でも敵でもない、――人と異界。そんな奇妙な関係性。それは鬼灯にとっては決して変わらないはずの縁だ。それ以外の関係性が、この人の世であるはずがない。けれど、望んでしまうのは、やはり人を取り込む存在として、その中に人を含ませているからだろうか。



「――名前は?」


 名――それはその存在を現すもの。本質でもあり、欠片でもある。そしてそれは必ずしもただの符号ではない、力ある言葉。呼ぶものにも、呼ばれるものにも、与えられるものがある。

 存在、関係性、本質、あるもの。……ならば自分の名は?


「あるようでないものよ。鬼灯の木の実――そこから私は生まれた。だから鬼灯」


 捥ぎ取られた実の一つでしかない、自分に、果たして鬼灯などという言葉があっているのか。世界中に散らばった、他の実がどうなったのか、何も知らないというのに、自分は鬼灯という主の名をもらった。それを名乗る度に知識欲が疼く、“世界を見ろ”と。本能が囁く、“子供らはどうなったのか”と。しかし、今の自分にそれは分からない。知識を蓄える全ての母、欲しい物も要らないものも、世界にあるすべてが集う世界樹――それを肖る知識の木、鬼灯の木。その異界の一部が人間の体に入っている。そんな歪性が今、自分の中に埋まっている。

「考えすぎるな」

「考えることが性分なの」


「考えられなくしてやろうか?」


「……できることなら」


 それは願いを込めた言葉だった。その思考は止まらない。知識の泉は人格を蓄えた故のこと。鬼灯の中には知識に相応するだけの人の命が眠っている。感情が、想いが、意識に刻まれた傷み、繰り返される。延々と自らのうちで木霊する魂の叫び。――全てに耳を塞いで、聞こえなく出来てしまえばそれほど楽なことはない。けれど亡霊は鬼灯に思考の停止を許さない。

「名を、呼べよ。知ってるんだろう?」


「――ヤイール」

 呼んで頭を胸元へ引き寄せる。その広い背へと腕を伸ばし、身体の線をなぞる様に徐々に、腕へと手を伸ばす。

 

「……外がやけに騒がしいな」

 知っているか、と暗に問いかけられ、鬼灯は笑った。伸ばされた腕が止まっていた。手のひらサイズに収縮した鬼斬が後一歩のところまで腕輪へと接近するのを読んだかのような絶妙なタイミング。


 一瞬の瞳の交差、同時に動いた。


 鬼斬を捕らえようと手首へと向けられた腕。ヤイールの腕に嵌る簡素な金属輪へと鬼斬を尽き立てようとする。――僅かに、ヤイールの方が早かった。正確には、腕輪へと達した鬼斬が力の反発に異界を押さえ込む間に鬼灯自身が押さえ込まれた。電気のような迸りが鬼斬を伝ってきて、防御に移った身体は自らの視界を塞ぐように腕を突き出し、それが大きな隙として圧し掛かられた。もともとの姿勢が不利だったせいもあり、手首を押さえ込まれた。加えられる力に少女の身体は握りを崩し、鬼斬が絨毯のような布地の上に転がった。

「降参しろよ、殺しは出来ねえだろ」

 ヤイールの言葉は的確だ。鬼灯は殺しなんてできない。経験さえなければ、組織の規則としてもできない。

「甘く見ないで」

 異界として、人を喰らうのは鬼灯の性分である。巻き込む形ではいくらでも殺している。人は異界に誘われて狂気に陥り、自滅する。異界は人を殺す。他意なく、命を奪おう祖つるのでもなく、禁忌に触れるが故に異界を原因として人は死ぬ。

 瞳をひとつ瞑って一呼吸。鬼斬でない、異界の能力を腕輪に真正面からぶつける。


「 っ」

 二人の距離の間に入り込んだ風が引き剥がそうと、風がヤイールに直前からぶつかる。


 手首を拘束する手が弛んだのを、今度は鬼灯が手首を掴み入れ替えを試みる。だが標的にした途端に素早く手を隠す。 だが、鬼灯は失敗に怯む事無く、身体の下に伸びた足を開いた隙間に押し込んで折り畳んだ勢いで蹴り付けた。

 華奢な足はそれを感じさせない力強さだったが子の手のひらを掴むような容易さで足首を掴みあげる。そのまま放り上げるように揺さぶられたのを反動に、地面に着く際に足をばねのようにして再度の突撃をかける。今度はヤイールも真正面から、腕輪を盾にして攻撃を受けた。


 カキン!と弾き返される鬼斬。

 ヤイールはテントの外に弾き出される。鬼灯自身も“異界”と“異界”の力の衝突に吹き飛んだ。衝撃のわりにダメージが少なかったのは、テントの弾力ある壁のおかげだった。

 地面にずり落ちた身体をすぐさま立ち上がらせ、自らの放った凶刃を見やった。傷一つついていない、漆黒の刃。腕輪に弾き飛ばされこそすれ、勝ちは譲っていないようで、刃毀れ一つなく凛としている。

 鬼灯は他にも問題ないことを確認してから、そこらに散らばった服を適当に羽織り外へ出た。

 さっと開いた視界に、先ほどまでいた森の空間には戦闘が行われた後があった。地面は抉り取られ、砂埃が舞い、皆が武器を構えている。その中、伏した背に鬼灯は視線を合わせて微笑んだ。細身の身体は、けれどぎゅっと絞られたもの。筋肉が立ち上がるためと動く。褐色の肌、知的な相貌。上半身には鬼灯と同じく、引っ掛けただけの上着。


「はやり、あなただったようね」

 無傷のまま立ち上がったヤイールを見やる。


 ――異界封殺の剣“鬼斬”が効かない。

 その事実はその男が本物の加護の腕輪を持っていることを露呈する。

 腕輪の所有者はヤイールだ。お頭も、あの大男ではなくヤイール。

 ――夏梅に渡されたものは偽物だった。同類だからこそ、気づけるそれに、彼等は油断していたのだろうか。余りにもあっけなく、攻撃が出来た。ただの少女だと、本当に思っていたのか。ヤイールは本当は気づいていたのではないか。気づいていて、尚、それが実行されないことを願っていた、と考えるのは芽生えてしまった淡い想いからか来る希望的観測だろうか。

「やりやがったな……っ!?」

「この女ぁ!!」

 無言で冷酷な色を瞳に浮かべるヤイールとは打って変わり、周りの盗賊は騒いだ。相手にしていた者に背を向けて。

「――あなたたちも約束を破ったじゃない」

 あまりにも無防備に過ぎるが、私たちは彼らを傷つける権限がない。隙であっても、拘束するしか術がない。一人、一人と音もなく捕らえられていく様は鬼灯にしか見えない方向だった。

「何の話だ?言いがかりはやめてもらおう」

 ヤイールの声は氷塊のように冷たい。先ほどまでの甘さとは、かけ離れていた。

「子供相手に二十人は多いんじゃないかしら?」

「な――そんな……なんで」

 疑問を口に出した盗賊の言葉に、鬼灯は貼り付けた笑顔のまま耳を済ませた。

「気持ちいい戦闘音。あの子はうまくやっているようね」

  人に知覚を越えた感覚で、夏梅が戦うのを聞き取る。武器などの反射音と今尚、逃げ回るように息を切らしている夏梅。人数を当てるのは造作もない。何より、夏梅が例え人を傷つけないという約束をつけたままにしても、盗賊がえりすぐりの優秀な武人だとしても、夏梅にあれだけの消費を強いられるとは、かなりの人数が向かったはずだ。迎には彼の補助をしてもらいたい。しかし、


「……どうしましょう?」

 加護の腕輪と鬼斬は同格。ならば次に期待されるのは純粋な実力勝負。けれど、手誰の男と素人の小娘。鬼灯の絶対防御は異界の力に対してしか効果を発揮しない。どちらが勝つかなんて予想が出来そうなものだ。――ただし、鬼灯には異界としての得点で痛みを感じない構造だ。人間としての規格外。致命傷と出血量さえ押さえておけば疲労や痛み、眠気に鈍ることもなく不休で戦闘行為が出来る。スペックはそれほどでなくとも、


 ――死なない兵士ホムンクルスの類似品(異界をその身に宿した人間)は人間相手には十分脅威になりえる。


 問題があるのは装飾だ。この間から連続して集めた童話シリーズ。それは加工され制御の緩くなった鬼灯の異界に抑制を促している。元は鬼斬と同列の腕輪と鬼灯では鬼灯の方が格上だ。相性の悪さを考慮すれば装飾を外しても能力は互角か少し上ぐらいか。

 ――あいつには、できるだけ頼りたくないわね。

 術はあった。勝つ可能性はほぼ絶対的。けれど、それは不確定要素が多すぎる。

 鬼灯に戦う術を提供している人格がいる。しかしそいつは余りにも狂気に塗れた、子供だ。

「迎くん、あの“お頭”さん、その他は任せたわ」

 ふふ、と笑って鬼灯は厄介ごとを押し付けた。そして考えてもやってみなくてはわからない、と早々に問題を投げる。一人で相手に出来る人数ではない。ヤイールと自分が同等ならば、他は迎に任せるのが妥当だろう。それから夏梅のところへ援護に行ってもらおう。

 決めて、鬼灯はヤイールと対峙した。



 カキン――ッ!鬼灯が金属音を鳴らす。そしてリン――と鈴音も合わせて鳴った。

 それは鬼斬の能力が腕輪によって拡散され、周囲に飛び散った音だ。正常な空気に戻すように空間に響き渡り、腕輪の異界も反発のように甲高い音を揺らす。

 ヤイールの持つ普通の剣が異界の剣と渡り合う。それは腕輪の力の助力によるものだ。そしてそれには異界の剣である鬼斬は異界以外を切ること適わない剣だということも所以する。二つは対等に打ち合っている。

「もし違う形で会えたのなら、俺たちはうまくやれたと思う」

「――私も、そう思うわ」

 けれど、違う形ならば会うことはなかった。絶対に会うはずがない。何か一つ掛け違えてしまったらここにたどり着くことはなかったし、今の鬼灯はいなかった。

 ……“もし”なんて過去を希望で見ることは人間にしかない感情だわ。

「あんた、それでいいのか?」

 その問いかけが何の意味であるのか、正確には分からない。けれど、

「言いも悪いもないわね」

 現状には満足しているといえなくとも、そうであるべきだからこそ倣っている。人の世に即す為には必要なこととして認識しているからだ。


「――二人で逃げないか?」



「鬼灯」

 迎がヤイールの誘いを遮るように鋭い声を挟む。


「わかってる。――お誘いは嬉しいけれど、あなたはいいの、仲間でしょう?」

 明確な意思を出さず、鬼灯は問いかけた。

 迎の言うことはわかる。さっさと片付けろ、という意味は、全力を出せというもの。

 鬼灯は次元を開く手鏡――『透明な姿見』であったそれを、ポケットから出した。

 ――ひとつ、鬼灯自身に施した異界の抑制が外れる。


「あなたを慕っている、仲間でしょ?ねぇ、本当のお頭さん」

 ヤイールの言葉が本当に、真実のものならば、仲間さえも構わないというのならば、戦わずにすむ道もあるというのに。

 鬼灯たちの、組織の目的は異界が人の世で害をなさないこと。組織に集め、監視してしまえばいい。鬼灯のように、利用できるならば、尚更良い。

 装備品である腕輪には所有者が必要であり、その所有権は格上の異界か異界に認められた者だけ。封印を施し加工して扱うことが出来るのはほんの一部。リンの時の様に所有者毎抱きこむ、という手立てもある。

「……本当に、最初から知っていたみたいだな」

 苦笑するように言って、距離を取るヤイールに鬼灯は剣先を下ろした。

「俺を落とすのも、計画の内、ってやつか?」

「それは違う。あなたは、本当に、……素敵だと思うわ。でもね」


「私は、人間じゃない」

 鬼灯は瞬地する自動歩行の靴――『踊り続ける紅い靴』であったそれを、脱ぎ捨てる。

 ――またひとつ、鬼灯自身の能力を拘束する枷が緩む。


「その腕輪と同じ――“異界”。人の世に零れ落ちた、ただの“現象”」

 人間の体に寄生しても、変わらない。ただの現象。人の世の隣に存在する世界の、異質物。

 だからこそ、人は組織を造った。人という脆弱な存在でありながら、異界を相手にする者たち。人の世のバランスを崩さないため、均衡を保つためにも、異界は隣人であって人の世に存在してはいけない。


「あんたには感情がある。――現象なんかじゃない。それは、俺が保障する」

 ヤイールの瞳は冗談とはかけ離れ、真摯に本心を語っていた。だからこそ、鬼灯は苦笑した。感情など、芽生えるわけがない。胸の痛みも、暖かさも、涙も、出るわけがないのだ。

 鬼灯は人の身に寄生しているだけで異界である。中身も何もかも、人など欠片も持たない。


 話し合う二人を横目に、迎は次々と盗賊を気絶させていく。多数に無勢ながら、速やかに行動不能へと落としていく流れは美しく洗練されたものである。

 二人は二人だけの空間を形成し、威嚇しあい、話し合い、――その他の出来事を傍観していた。どちらも、盗賊が倒れ迎が倒してゆく様を見て、知って、それでなお声をかけることも手を出すこともなく、ゆっくりと話を続けていた。

 敵意を張り詰めながら、先ほどまでの恋人のような口ぶりを混ぜて、そして競り合う。

「……所有権を破棄しなさい」


 一生籠の鳥として組織で拘束されるか、所有権を破棄するか。その問いかけをしても、無駄だということは鬼灯にも分かっていた。けれど、鬼灯は心を読み取るピアス――『干渉の耳飾』であったそれに手を伸ばし、取り外した。

「何が何でもほしいというのなら――腕を切り落とせ。俺らに降参も白旗もない。納得させて見せろ」

 聞きたくなくて、知りたくなくて、外したところで声に出されれば同じだった。

 ――心は変わらない。

 ――またひとつ、鬼灯の肥大して制御しきれなくなった力が放たれる。


 再び、ヤイールと鬼灯は真正面から互いを見据え、ぶつかり合おうとした。

 けれど、突然の横槍。

「あんたら!お頭に手ぇ出すんじゃねえ!!!」


 視線が流れた。

 盗賊の、その太い腕に首を捉えられ、ぐったりと意識を失った少年の姿を瞳は捉える。


 ふいに、血の香りが鼻についた。

「――っ!?あ……くぅっ」

「鬼灯!」

 様子の変わった迎が声をかけるも、それは見えていないようだった。ヤイールは均衡が破れ、絶好の攻撃機会を逃した。

「何を馬鹿なことをやっているっ!」

 鋭い叱咤がヤイールから盗賊へと向かうが、今の鬼灯には関係なかった。

 鬼灯は身を屈め、激しく動悸する心臓を押さえる。それでも収まりきらない興奮があついといきとなって身体のうちから出てきていた。一瞬のうちに距離を詰めた迎に、震え落ちる鬼灯に差し伸べられた手に、鬼灯は拒絶の言葉を途切れながら取り出す。

「迎く――、離……れて」

 辛うじて立っていた体が膝から落ちた。ガグンッ――と沈んだ身体は制御権を半分根こそぎ奪われたからだ。荒い息は暴れたがる身の内からの衝動によるものだ。

 鬼斬を握っていてさえ、意識が刈り取られそうなほどの能力の波がある。砂利を握り締めても、押さえ込むように身体を包めても衝動は変わらない。抑えきることが出来ないならば、被害だけは最小限に留めなくてはならない。

 突き出した腕は迎を拒絶し、瞳は目標を見据える。

 ――ヤイール。

 彼が、助けてくれるだろうか。



  ***


「隠、れ――。人格、変わり、……そう」

 ――私じゃ、抑えられそうもないわ。

 そう、言う鬼灯には感情が灯っているように思えた。

(あの男が言うように……?)

 迎はそれを冷静に否定した。そんなはずはない。鬼灯は異界だ。現象には感情はない。加奈の性格を拠り所とした鬼灯には感情は出ない。感情を持つとして、それを司る人格は主に珠洲だ。そしてそれさえも以前の記憶をトレースして生み出した偽造の、その場に合わせたパターンによる反応。本物の感情でもない。

 思考を切り替え、無言で指示に従った。

「――久々」

 身を起こす。しかし、その姿は先ほどの苦しみなど一片も見えず、ただ超然と立つ。か弱い少女の身体のはずなのにその威圧感は圧倒的だった。

「 っ」

 迎は息を呑まざるを得なかった。顔を上げたその表情は、今までに見たこともないほど強く強烈な“感情”を前に押し出していた。憎しみに彩られた、その瞳は爛々と輝き、狂気に満ちている。


「あー。相手、発見、だな」

 声音は男性的だった。


「――おまえ……いや、来いよ。遊んでやる」

 ヤイールが目を見張ったのが迎にもわかった。迎自身も相当に驚いていた。

 鬼灯は人格を意図的に変えることはない。意志を持たぬ人形として、化け物として、人に指示されねばならぬ存在としてあり続けるからだ。組織に来てからも、その前も。

 以前の記憶を持ったまま人格を与えられた珠洲はそのまま学校に通ったし、組織に来いといわれれば請われるままに組織に協力する。人格の設定は戦闘行為などは加奈、それ以外は珠洲ということになっていたはずで、まずこの状況で人格が変わることはないはずだった。そして、その二人のどちらでもない人格も、現われるはずがなかった。

「はっ!!調子こいてんじゃねぇーぞテメェ!!!」

 よくよく聞けば中性的な声だった。けれど、これは――加奈でも珠洲でもない、第三人格。

 迎は呆気に取られた盗賊の元から夏梅を取り戻し、気絶させる。しかし、未だ信じられずにいる。目前に広がる現状に、ただ距離を取って、ヤイールと鬼灯の戦いを静観する。


 特攻を掛け、韋駄天のように走り怒涛の勢いで鬼斬を振るう。

 ヤイールはそれに対応しているようでいて、出来ていない。反応速度を超えた動作で振るわれる一刃一刃が重く、圧し掛かるようにヤイールを攻撃していた。

「オラオラオラ!!来いヤァ!!」

 叫び、好戦的に。

 少女の身で、細い片腕で振るわれる力は、けれど人の限界に達するほどの強さだ。それは守護の能力を持つヤイールだからこそ、そして異界以外のものを切れない鬼斬だからこそ、傷を負わないでいるような戦闘だった。一方的な攻撃、ヤイールは完全に負けていた。技量どころの話ではない。いや、技量でさえも互角か、ヤイールの方がやや低い。勝敗は目に見えていた。


「弱ぇ。弱ぇっ!!こんなんじゃつまんねぇだろぉが!!」

 吠えるように、鬼灯は言う。だが、それに付き合わされたヤイールは息も絶え絶えだ。何より、精神を削られる。

幾合も合わせた剣は実体を持っている。それが身を貫く感覚が繰り返され、けれど血は溢れず痛みもない。心を殺されるような、戦いに疲弊していくのは体力だけじゃない。恐怖が身を竦ませ、動きも鈍くなっていく。時間の感覚がなくなり、剣を握る手の感覚もなく、身を守るためだけの防御を続ける。

 己の剣は届くはずなのに、掠りさえせず、相手の剣は身を貫きながら傷一つつけない。けれど、安心が出来ない。身を貫くその衝撃が今度は本物かもしれない。また嘘のように通り過ぎるのかもしれない。そんな不安と恐怖に心を蝕まれる。

「こんなもんかよぉぉお、異界の力はぁ!!!傷の一つでも付けて見せやがれぇっ!!」

 立ち上がれない。立ち上がることが怖い。ジッとしていることさえも怖い。ただ距離を取りたい。安全な場所に行きたい。

 ――本能的な恐怖は時間と共に戦闘意欲を根こそぎ奪っていった。



「ちっあっけねぇ……」

 “敵”がいないことに気付き、鬼灯は舌打ちをして鬼斬を納めた。

 そして、迎へと向き直る。


「 っ」

 ――完全に気配を消していたはずだ。距離も十分に取っている。

 けれど、それは“彼”には関係ない程度のことだったのか。敵として認識されていないからこそ良かったものの、その一部始終を見ていた迎は剣を治めてなお、鬼灯を恐怖していた。適わない。けれど、恐れていても意味はなかった。

「――傷つけたぶんだけ、返ってくる。それが“世界”だ。強いものが生き残る。」

 そうだろ?と無邪気に笑い、鬼灯は眼を閉じた。

 迎はぷっつりと意識を失って地面に倒れた様を見送って、それが起き上がらないと確認してから慎重に次の行動へ入った。

 拘束具として機能させていた装飾をカチリ、カチリ、と一つずつ嵌めていく。


「アレはなんだったんだ?」

 後ろからの声に迎は、牽制することもなく振り向いた。ヤイールは身も起こせないまま声をかけてきていた。


「腕輪の所有権を破棄しろ。でなければ連行する。人を殺すのは規定違反だ。余剰の戦闘も許されてはいない」

 疑問を挟むことは許さない、と感情のこもらない瞳で宣言する。

もし、聞かれたとしても答えは迎の内にない。

「あいつと……一緒にいられるのか?」

 場所と場所を繋ぐ扉に座標を設定する。勿論、移動先は本部である。

「仲間たちとは離れるだろうな」

 けれど、ヤイールは立った。拘束するまでもなく、それまでのやり取りで鬼灯への執着は見せ付けられていた。聞かれた時点で仲間よりも鬼灯へと比重が偏っている事は知れた。

「――忠告だ、あまり、のめり込み過ぎるな」

 扉を開き、先へ入るようにと促して言った。


「……嫉妬にしか、聞えねえよ、あんちゃん」

 扉が閉まる。その場には、頭に放置された、仲間として裏切られた盗賊たちが倒れていた。


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