第10話 臆病者
涼香が屋敷から旅立って三日後、その頃ヴァーミリアン家の屋敷では騒ぎになっていた。
事の発端はモーエヴィンが涼香の部屋で見つけた涼香の置き手紙だった。
内容はこうだ。
『拝啓私の敬愛する主人ユウ様へ
私は一身上の都合によりこの屋敷を去らねばならなくなりました。
この手紙とは別でモーエヴィンに引き継ぎの手紙も綴ってあります。
また料理のレシピも残しておくので良かったらモーエヴィンに作ってもらってください。
私はこの二年間この屋敷でユウ様と過ごすことができてとても幸せでした。
どうかお身体にお気をつけください。
氷宮 涼香より』
この屋敷を辞める……?
俺はこの瞬間床に崩れ落ちる。
「レシピの最後のページに挟まっていた手紙に辞める旨が書かれており、まさかと思い涼香の部屋へ行けばこの様な手紙と涼香の髪が置かれていたのです。」
モーエヴィンは屋敷全体に再び目を配る事になったのだ。
恐らく使用人の部屋の清掃を後回しにした結果手紙を見つけるのが遅くなってしまったのだろう。
俺は頭を抱えた。
『では彼女の為に一生懸命準備した指輪はどうなるのだ。
じゃあ俺のこの気持ちはどうなる!?』
だがふと我に返る。
『……否そもそも可笑しい話なのだ。
元々彼女はただ食事として血を啜る為の存在でしか無い筈なのだ。
それが居なくなった今、こんなにも彼女に焦がれてしまっている。』
「俺はどうすればいいんだ……。」
***
最近ユウ様の様子が少しおかしいと思った。
私はシルキー・クイン・アリスター。
ユウ様の婚約者で将来この国センチュラルのトップの隣に並び立つ者。
私は久々に婚約者として彼とお茶をしていたのだが、前に会った時よりも少しばかりやつれていて、私との話にも何処か上の空。
会ってすぐに何かあったのかと問うても彼はわからないとだけ返してくる。
私は少しばかり疑念を抱いた。
『やはり彼は何か私に隠していらっしゃるわね。』
「ユウ様、私少々お席を外しますわね。
すぐに戻って参りますのでお気になさらず。」
私はユウ様に少しだけ席を離れると伝え客間を抜ける。
まず私がやってきたのは彼の執務室だった。
あの晩彼に迫ったあの部屋は昼間でも日の光が殆ど入って来ない様、窓は遮光のカーテンで閉め切られていた。
私は薄暗い部屋へ忍び込み手掛かりはないかと中を物色する。
『本来なら許されない事だけど、こんな非常事態にそんな事は言っていられないわ。』
すると彼の机の中には普通は無いであろう小さな小箱が入っていた。
私はそれを手に取り蓋を開ける。
その中身は綺麗な細工が施され、中央にはユウ様と同じ真っ赤に輝くルビーの嵌め込まれた指輪だった。
「綺麗ね……。」
私はつい指輪に見惚れてしまっていた。
『ユウ様ってこの様なデザインの装飾を好まれるのかしら?』
そう考えたがふと思い出す。
もしやこれは彼が私に贈ろうとしてくれたものではないかと。
私は嬉しくなりその場で思わず喜びの舞を舞ってしまう。
『お父様、お母様、殿方の部屋に無断で侵入してしまうはしたなく娘でごめんなさい。
でもこの胸の高鳴りはどうしたって抑えられないの。』
「シルキー嬢何故ここに?」
「ゆ、ユウ様……。」
直後私は執務室で舞っている姿をユウ様に目撃されてしまった。
私は咄嗟に持っていた小箱を後ろに隠した。
「こんなところに居たってつまらないでしょう。
今お茶のおかわりを用意してもらっているから一緒に客間に戻ろう。」
「はい……。」
私がユウ様の執務室で舞っていた事には触れないでくれている。
そんな彼の優しさに私は羞恥心が抑えられなくなる。
『嗚呼このまま消えてしまいたい……。』
***
「貴方の事が心配だったとはいえユウ様の執務室に無断で入ってしまい本当に申し訳ありません。」
「大丈夫ですよ、それにシルキー嬢に心配をかけてしまった俺にも非があります。」
私は客間に戻ってからユウ様の執務室に入った経緯の説明と謝罪をした。
再び二人客間でお茶会を再開するが先程とは違い少しだけ空気が重たく感じた。
「そういえばユウ様、少しお伺いしてもよろしいかしら?」
「なんでしょうか。」
「たまたまなのですけどあの小箱の中身って……もしかして結婚指輪ですか?」
私は部屋から出る時に持ち出して来た小箱を彼のテーブルの目の前に置いた。
そう言うと彼は目を見開き固まってしまった。
「ユウ様の不安の原因を調べようと執務室にお邪魔した時にたまたま見つけてしまったのです。
サプライズで用意してくださっていたのに私のせいで台無しにしてしまって本当に申し訳ありません。」
「いえシルキー嬢が謝る事じゃないですよ。」
そう言うと彼は私の目の前に跪いた。
「本当は君に内緒でこっこり用意していたところだったんだ。
もしよければ受け取ってください。」
私は嬉しくなってしまい彼に抱きついた。
「勿論ですわ!一生大切にいたします!」
私はユウから離れ目を見て彼にこう伝える。
「ですが、貴方の分の指輪が無いのはおかしいですわ!私もユウ様の為に指輪を作ります。
勿論私の目と同じ色の宝石を使ってね。」
そう言うと彼は少し驚いた顔をしていたが了承してくれた。
きっと指輪を贈られた事でこれからどんどん両家との親交が深まるだろう。
『あと二年……。』
あと二年待てば私は彼と正式な夫婦になれる。
それまではゆっくり彼との愛を育んでいきたい。
***
シルキーが手に持っていた小箱を見た瞬間俺は人生で経験した事のない緊張が背筋を走った。
『それは君のものではない』と言いそうになるのを抑え俺は彼女と執務室を後にした。
この時俺は彼女にもう一人妻を娶ろうとしていた事は言えなかった。
まず涼香が俺の屋敷の使用人を辞めこの国を去ってしまった以上、それが叶う事は絶望的だ。
その上いずれ正妻になるシルキー嬢を差し置いて涼香に手を出しているなどアリスター家の者に知られてしまえば婚姻の話は無くなるどころかルカン神聖国との不仲の種になりかねない。
結局俺は涼香の為に作った指輪をシルキー嬢に渡した。
何が紳士的で誠実な男だ。
結局俺は卑怯で矮小な臆病者なのだ。
今更悔いたって仕方がない。
こんな男の元に居たって彼女は幸せにはなれないだろう。
それくらいならいっそ別の場所で幸せになってほしい。
嗚呼……でも……
『他の男には取られたく無いな。』
to be continued……




